妖魔殺人事件から一週間が経過した。
その間、被害に遭ってしまった刑事の葬式も執り行われ、私も一応薬師寺家当主として花を捧げに行った。
あの刑事と深い仲だったわけではない。
私が当主になってからの約一年程度の付き合いだった。
それでも彼は私の境遇に多少の理解を示してくれた人間だったのだ。
「今週は暇だね」
「暇じゃないよ。そりゃ影薪は暇かもしれないけど、私は書類が山積みなんだから」
畳に転がって私のために用意された大福を頬張る影薪とは対照的に、私は恐ろしいほどに積み上げられた書類の塔を始末しなければならない。
「前から思ってたけどその量は何なの? ありえなくない?」
「ありえるからこの量なんだけどな~」
私も最初は影薪と同じ感想を抱いていた。
ありえなくないかと……だけど違った。
いざ当主となりすべての書類に目を通すと全てに意味があり、いたずらに増えているような代物ではなかったのだ。
「でさ、実際問題どんな内容なわけ?」
影薪は大福を食べ終えたのか、座布団の上で書類と格闘する私のとなりにやってきた。
「教えてあげるから、あんたはまず私から奪った分の大福を美月さんからもらってきて頂戴」
「え~葵が太らないためにあたしが食べてあげてたのに~」
「いいから、この量の書類仕事を片付けるとなると糖質が足りないの!」
「はいはい」
影薪はよっぽど私の書類仕事の内容が知りたいのか、めずらしく素直に部屋を出ていった。
しかしこれだけ書類がたまっているのは月末だというのも関係している。
いまは十一月三十日。
月末処理の書類がたまっているのだ。
「持ってきたよ~」
影薪は私の分の大福と共に、自分もちゃっかり貰って来たらしく、さっそくもう一つの大福も口の中に放り込まれていた。
「ありがとう」
私は一応お礼を言って大福を口に運ぶ。
もともとはあったはずの物なので、奪った相手が補充したところでお礼を言うのはなにか違う気がするが、私は考えるのを放棄した。
「教えて!!」
影薪はその幼稚園児のような見た目通り、私の体を強く揺する。
私は体を左右に揺られながら、手に持った書類から目を離さないようにしていた。
「分かったから離してよ」
「離したよ」
ここまで聞き分けの良い影薪は少し不気味にすら思えるが、それだけ私の書類仕事が知りたくて仕方がないらしい。
一体何を企んでいるのやら?
「いま溜まっているのは月末の書類かな」
「月末の書類?」
「そう、各地にある分家からの月に一度の報告書や、他の四大名家、北小路家、西郷家、一条家の報告書とか」
「なんで他の家まで送って来るの? 四大名家なんだから対等じゃないの?」
影薪の疑問は至極当然なのだが、ここらへんはちょっといろいろややこしい。
「完全に対等というわけではないの。国からしてもやり取りする家は一つに絞った方が楽だったみたいで、もう何代も前から国とやりとりする代表が私たち薬師寺家になった。なんとなくすべての家のリーダー的存在ね」
「地下に妖狐もいるから余計に?」
「そうね……案外、それで決まったのかもね」
考えてみれば当然の流れなのかもしれない。
敵は妖魔たちで、その妖魔たちの王を地下に捕えているのが薬師寺家なのだから、代表になるのは当たり前なのだ。
「てことはそっちの山は国に対するなにか?」
影薪は二つ目の山を指さす。
「そう。こないだの妖魔殺人事件の報告書やら、被害に対する意見。今後の対処の仕方への意見書や、未然に防ぐ方法への意見とかね」
「意見ばっかじゃん」
「だからこっちの山のほうが大変なのよ」
いま見ているのは報告書だからまだいいけれど、国への書類はほとんどが意見書。
自分で考えて意見を述べないといけないものばかり。
嫌になる枚数だ。
「手伝ってあげようか?」
「どうやってよ」
「あたしが報告書を音読するからそれを葵が聞いて、問題なかったら合図して。あたしが印鑑押すから」
あれ? 思った以上に合理的な提案が来てビックリした。
影薪が仕事の役に立つ日が来るなんて。
「あんた、なにか企んでる?」
「ひどいな~なにも企んでないよ?」
「本当に?」
「本当に!」
これ以上疑うのも悪いので、私は素直に頼ることにした。
報告書は影薪が音読し、私はそのあいだに国への意見書を進める。
このやり方なら早く終わると思ったが、作業が終わりを迎えた頃には日付が変わっていた。
「あたしはもう無理、もう寝る」
影薪は途中で力尽き、私のとなりの座布団で静かな寝息を立てている。
こうしていると本当にただの幼稚園児なのだが、彼女は私が産まれた時に呼び出された式神なので私と同じ十八歳。
なんだかんだ言って影薪の存在は私の救いとなっている。
そもそも私の呪法、月の影法師は影薪がいなければ発動すらできない。
そうでなくても、私のことを一番知っているのは彼女なのだ。
「ありがとう影薪」
私は影薪の頭をそっと撫でる。
本当に感謝している。
おかげであれだけあった書類の山もすっかり片付いた。
「疲れた~」
私はカチコチに固まった体を伸ばして立ちあがる。
やや覚束ない足元だが、大丈夫。私の体は勝手にあの場所に向かうようになっている。
いつも通り廊下を進み、地下牢へ。
私の憩いの時間。
私が私でいつづけるために必要な場所。
「ずいぶん遅いな」
「寝てた?」
「封印されている俺に睡眠など必要ない」
地下牢へ行けば、そこには妖狐がいつもと全く同じ様子で佇んでいた。
「ああ、久しぶりにここに来た」
「また書類作業か?」
「うん。ようやく今月分が終わったんだ」
私はいつもみたいに妖狐に愚痴を話す。
妖狐はいつも黙って私の話を聞いてくれる。
嫌がりもせず、ここから出せと主張もせず、私の言葉を受け入れてくれている。
何故だろうか?
そんな疑問が頭をよぎることは何度もあった。
しかし私も人間だった。
都合のいい現実を手放す可能性はなくしたかった。
だから私はいつも疑問を振り払い、心の底から現実逃避を求めた。
妖狐に依存した。
そうしてもう一年だ。
今さらこの習慣は変えられない。
「葵、この前も言ったが、もうじき”妖刻”が発生する。準備は大丈夫なのか?」
「妖刻への備えはじゅうぶんできてるよ。大丈夫、私は歴代でも最上位の力を持っているらしいし」
「油断するな、お前はまだ若いんだ。お前以外の当主になんて俺は……」
「なにか言った?」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
「教えてよ!」
「教えない!」
妖狐は意地でも教えてくれない。
まだ若いんだと言ったあとの言葉は聞き取れなかった。
「しつこいようだがちゃんと準備はしておけよ」
「分かってるってば。妙に心配するよね妖狐は。母上の時はそんなではなかったんでしょう?」
母上から聞いている妖狐のイメージは不愛想で暗い男だった。
なのにどうして私にはこんなに話してくれるのだろう?
「……お前がまだ若いからだ」
しばしの沈黙の後に出てきた言葉はそんな言葉だった。
私は内心、ちょっとがっかりした気持ちで笑顔を作る。
「ありがとう。しっかり準備はするから」
私は表情とは裏腹な感情のまま地下牢をあとにした。