「悪いが心当たりはないな」
妖狐の答えは簡潔だった。
「そもそも葵はなぜ当主になんてなったんだ?」
逆に妖狐から質問してきた。
めずらしいことだった。
いつも私が一方的に愚痴をこぼすだけだったのに、彼から私に何かを聞いてきたことなどなかった。
「なんでって……」
「母親の強制か? 家の決まりだからか? だが本気で嫌だったら断れたんじゃないのか?」
妖狐は答えが出せない私に畳みかける。
なぜだろう?
なぜ私は、薬師寺家の当主として妖魔による事件を追っている?
本当は私は……。
「うるさい! 私はこうするしかなかったの! 私のお父さんを殺したのは妖魔なんだから、私はその復讐のために……」
それ以上、言葉は続かなかった。
いま私は何を言おうとした?
自分の今の境遇を肯定するために、お父さんの死を利用しようとした?
「……そうか。意地悪を言った。忘れてくれ」
妖狐は肩で息をする私を見兼ねてか、言葉をひっこめた。
一体なんの意味があったのだろう?
私には彼の真意が分からない。
あまりにも私がいまの立場に対する愚痴をこぼすから嫌になってしまったのだろうか?
もしかしたら嫌われちゃった?
「あの……私が嫌い?」
「なんでそうなる?」
妖狐は怪訝な顔で私を見る。
不安のあまり、妙なことをきいてしまった。
沈黙が地下牢を支配する。
冬の冷たさが身に染みる。
そういえば彼はずっとここにいて寒くないのだろうか?
「あ、あの……」
「なんだ?」
「なんでもない」
いまさらどの面下げて言えるのだろう?
寒くないですか? つらくないですか?
薬師寺家の当主が口にするのは許されない言葉。
だって彼をここに幽閉しているのには、れっきとした理由があるのだから。
「答えになるかは分からないが、もうすぐ”妖刻”が迫っている。その影響かもな」
「そう……ありがとう」
私はつい素っ気ない態度で会話を終わらせた。
階段を登り地下牢から出る。
当主になったあの日からの日課。
母上から聞いていた地下に住まう妖狐の話。
ずっと会ってみたかった妖魔の王。
いざ会ってみたらそこには金髪のイケメンがいた。
浮世離れした美しさに心臓が高鳴ったのを憶えている。
「朝っぱらから密会だなんていやらしいね」
地下に続く扉を閉めたところで、影薪がニヤニヤした笑みを浮かべながら廊下のど真ん中に立っていた。
「別にいやらしいことなんてないよ? ただの当主としての務め」
「本当かな~怪しいな~」
「はいはい。無駄口はここまで。妖狐からの忠告よ。妖刻が迫っているそうよ。その影響で妖魔の事件が増えてるんじゃないかって」
「分かったよ葵。いまはその口車に乗ってあげる」
私はため息をついて自分の影を指さす。
影薪はクスクス笑いながら私の影に入っていく。
いまからお出かけだ。
昨日の担当刑事から捜査協力の話が来ているのだ。
「行ってきますね美月さん」
「行ってらっしゃいませお嬢様」
使用人の美月さんに声をかけ、私は薬師寺家をあとにする。
ここから昨日の街、徒花町まではバスに乗って向かう。
残念ながら薬師寺家がある霞が原から最寄りのバス停までは徒歩で二十分はかかる。
霞が原は年間の半分ほどのあいだ、霞に覆われていることからついた名前で、霞の原因は呪力によるものだと言われている。
「相変わらず視界が悪い」
「もう慣れたでしょ」
私は影の中の影薪と話をする。
周囲に人がいなければこうして影薪と話すのは嫌いじゃない。
ずっと一緒に過ごしてきた姉妹のような関係だ。
「こんにちは」
指定されたのは昨日の事件現場だった。
ビルとビルの合間、人目のつかない袋小路には一応警察が立っており、バリケードテープが道を塞いでいた。
「来られましたか。よろしくお願いします」
刑事は徒花町の妖魔専門の者だった。
昨日のいつもの馴染みとは違う人。
徒花町のような大きな街だからこそ専門の人間が用意されているが、そこらの市町村では専門の者などいやしない。
いくつかの街を兼任している者が多い。
妖魔による事件などそうそう起きやしない。
人間が人間を殺める事件のほうがはるかに多いのだ。
「早速始めましょう」
私は静かに事件現場に屈みこむ。
指を血痕に触れさせて呪力の残滓を集めると、私はそれを唇に当てた。
「何をなさっているんですか?」
今回の担当者は相当若い。
前任者ならなんどか一緒に事件を解決したことがあるが、彼はまだ見たことがないのだろう。
「今回が初めてですか?」
「はい、お恥ずかしいことに妖魔に関する事件は今回が初めてでして……薬師寺家についても資料で読まさせていただいただけなのです。今回の事件も昨日引き継いだばかりで……」
「そうですか。前任者はどうしたのですか?」
「それが今朝になって連絡が取れなくなってしまって……」
「……分かりました。これから不思議なことをたくさん目にするでしょうが、どうか慌てないでお願いしますね」
私は緊張をほぐすために微笑む。
しかし前任者と連絡つかない?
きっとなにかある。
妖魔に関連するか、それか単純に事故や病気かもしれないがともかく今はこの慣れない刑事と捜査を進めるほかない。
「影薪」
「はい」
影薪はいつも違う真剣な表情を浮かべながら、私の影の中から出現した。
「な、一体どこから!?」
「いちいち騒がない。これぐらいで驚いていたら、心臓がいくつあっても足りませんよ?」
私は騒ぐ刑事を尻目に、影薪に接吻する。
私の唇に残っていた呪力を影薪の中に流し込む。
「味は憶えた?」
「うん。場所も追えるよ」
影薪はそう言って指をさす。
指さした先は袋小路の向こう側だった。
私と影薪は静かに立ち上がる。
「どうやらそんなに遠くには行っていないみたいですね」
「ではこれから向かうのですか?」
「はい。妖魔を殺します。ここから歩いていける距離です」
私と影薪、それになれない担当刑事は、事件現場の回収を他の者に任せて妖魔の潜む場所に向かって歩き出す。
真昼間なのもあって、周囲の視線がときどきこちらに向けられる。
どうみたって若い私と、同じく若い刑事さん。そのあいだを幼稚園児のような影薪が歩いているのだ。
訳アリにしか見えない。
しかし追跡において彼女を影の中に入れたままだと、詳しい場所までは分からないのだ。
「この先ですね」
私たちが辿り着いたのは、事件現場から歩いて三十分ほど離れたところだった。
周囲に人影はない。
ここは人通りの多い通りの一本裏にあたる場所だった。
いくつもビルは建っているが、ここらのビルには使われている形跡がない。
「ここらは廃棄された地区です。都市開発の影響ですね」
刑事が説明する。
徒花町は近年一気に機関都市としての成長を遂げた街。
成長の影にはこういった実態もあるということだ。
「犯罪者が隠れるには画期的ってことですね」
「この先のビルの中だよ」
影薪が正面のビルを指さす。
出入口は封鎖されているが関係ない。
「影薪」
「うん」
影薪が指を鳴らすと、周囲の影から腕が伸びてビルを封鎖している障害物を次々と取り除いていった。
「さあ行きましょうか。敵はこの先です」
私たち三人は警戒しながらビルの中に入っていった。