「「やります。」」
「ふーん。そっか。それが答えなんだ。」
まるで漫画の主人公の様なこのシーンですら、彼の見せた反応にその判断が間違いであると印を押されたような気分になる。
今さら、そんな印を押された所でもう引けない。
少しだけ震えの残る手で書類にサインをし、2枚重ねて彼へと渡す。
彼はそれを受け取り、トントンっと揃えるでもなく、ただ3つ折りにしてそのまま胸ポケットへと閉まっていった。
「はいはーい。ちゃんと受け取りましたよー。じゃあ、着いてきて。」
この誓約書を書かせるまでは、ゲームに参加する資格がなかったのだとすれば、
今から向かう場所こそが本当にゲームの会場なのだろう。
ダラダラと歩く後ろに並び、先程と同様にピッとカードをかざす。
また同じエレベーターに乗るのかと思ったが、今度は乳白色の扉を開けることなく、別の方向へと進んでいく。
どこに向かっているのか疑問に思いながらも付いていくと、行きついた先には
少し古めかしいエレベーターが姿を現した。
驚くべきは、行き先は下のボタンしか存在しなかったことだ。
与路は一切躊躇することなくそのボタンを押し、中へと入る。
最初の方は3人乗っても全然余裕がある程の大きさだったのに比べて、
これは3人がやっと位の大きさ。
少しの衝撃でもゴゥン!!という大きな音がして、落ちないか不安になり無意味に壁に手を添えていた。
「そういえばさ、ここ、さっきの何階か知ってる?」
「14階…だった気がします。」
「へぇ。トワくん、よく覚えてたね。」
馬鹿にするでもなく、あざ笑うでもなく、ただ単純に感心したという物言いに全く意図が読めず、添えていた壁の手を少し強く握った。
すると、何がおかしかったのか突然小さくハハッと笑い出したではないか。
本当に何を考えているんだこのおじさんは。
心の通じない宇宙人でも見ているような視線を向けても、相手はまるで気にも留めない様子で先ほどよりも大きな声で笑いだす。
「ふっ、ハハッ。あははっ。ねえ、気付いた?14。『いーし』。『いい死』。つまり、『良い死』っていうね。面白いよね。死んでも構わないって契約をする人に対して良い死って。
あ、でも414階だったら完璧だったのにね~。流石に414階建てのビルとか無理か。」
一瞬だけ隙間からの光で見えた表情は、あまりにも無邪気で、あまりにも残酷だった。
ナンバープレートや電話番号で遊ぶかのようなノリで言っているが、こちらからしたら全く笑えない。
「たまたまだよ、たまたま。」
と後から念を押して言っていたが、そんなの信じられる訳がない。
自分の気持ちが沈んでいくのを体現しているかのように、相も変わらず豪快な音をたてては下へと下がっていく。
1階まで来た時に、ようやく降りられるのかと思ったのも束の間。
そのまま問答無用で更に下へと落ちていった。
てっきり、どこか別の場所に移動するのだとばかり思っていた為、動揺が隠せずどこまで下がるのかジッと階数を見つめる。
「は~い。とうちゃ~く。ここがバイルの会場、選ばれた者のみが来られる場所だよ~。」
その声と同時に、エレベータの扉がギシギシと不穏な音を立てて開く。
地下というイメージから、安直にも牢獄のような場所を想像していた。
しかし、そのイメージはハンマーで勝ち割られるかのように乱暴に壊されて崩れていく。
洞窟の様な凸凹とした地面。天井には小さなテレビ。
外からでも見られる仕様になっているガラス張りの部屋。
漫画やアニメで見る研究室の様な場所が、洞窟の中に存在している。そんな感じだった。
混とんとしていて、一言で言うなら「なんじゃこりゃ」な世界。
既に自分たち以外にも何人か参加者らしき人がいたが、殆どの人がこの場所に困惑を覚えている様子だった。
するとナツが何かに吸い寄せられるように一番目立つガラス張りの部屋の傍へ行く。
俺もそれに気づき後ろを追っかけていくと、そこにはあまりにも珍妙な光景が広がっていた。
「なぁナツ。あれってもしかしなくても…棺桶、だよな。しかも4つ並んでる。
ってことは、あの中に入ってゲームするのか?流石に趣味が悪すぎるだろ。」
「えっ趣味が悪い?何言ってるの?
あれが君たちの本当の棺桶になるかも知れないのにさ~。」
いつの間にか後ろに来ていた与路にまたもや大声を出しそうになる。
脅かすなよという怒りを込めてギッと彼を睨むも、彼の視線は俺ではなく棺桶へと向けられていた。
「もしかしてVRみたいに頭にカポッとハメて戦うんだとでも思ったの?
だとしたらあまりにも甘すぎる。ゲロ甘だよ。
もう1度ちゃ~~んと肝に銘じておくんだよ。
このゲームの名前は何だったか思い出してごらん。
『Bet Your Life』。賭けるのは、君たちの人生なんだから。」
もう何度も何度も自分に言い聞かせていたはずの言葉を、
他人に言われると何故こうも重さが違って聞こえてしまうのだろうか。
一歩一歩、着実に死への道をたどっている実感に足元が重くなる。
「ま、詳しいことは後からちゃーんと説明が入るから安心してね。
後1組だけ来てないみたいだから、それまでは適当に待っててね~。」
安心できないのを知っていてそういうことをあえて言っているのだろう。
どんな環境で育ったら、こんなに相手に対してクリティカルヒットを喰らわせられる人間になるのだろう。
お気楽に去っていく彼の背中を細目で見送った後、先程はあまり気に留められなかった他の参加者へと目を移した。
俺たちと同様に若い男性もいれば、上は随分なおじいさん、それにカップルで来ている人も居るようだ。
1人1人を観察していると、ブラックホールに吸い寄せられるようにふと1人の男性に目が留まる。
『異様』としか言葉にしがたいその人は、部屋の隅で楽しそうにニコニコとしていた。
それはまるで子どもがボールパークに来た時の様な面を持ちながらも、
授業参観に来た親の様な目で俺たちを達観して眺めている。
ちぐはぐとその存在に、何となくの直感だが、絶対に当たりたくないと強く思った。
あんなヤバそうな人もいるのかと考えると、段々と自信がなくなっていき、ついボソッと弱音を吐く。
「俺たち、どうなっちゃうんだろうな。」
「さぁ。でも、どうなるか分からないなら、どうにかするしかないんだよ。」
「すごいな、ナツは。
てか思ったんだけどさ、このゲームの話してからずっと前のめりっていうか、やる気満々っていうか。怖くないの?死ぬかも知れないのにさ。」
「それは」
『はーい!!ちゅうもーく!』
突然キィイイインとマイクのハウった音が会場内に響き渡る。
耳を塞ぎながら顔を上げると、どうやら最後の一組というのが来たようで今から与路の言っていた説明とやらが始まるらしい。
ナツの言葉の続きが気になったが、どうやらお預けとなったようだ。
『おい、急にバカでかい声出すな。』
『ごめんごめーん。』
そういって与路のことを小突いているのは、先ほどまではいなかった眼鏡姿の男性だった。
恐らく、その最後の一組を連れてきたのが彼だったのだろう。
与路と反してしっかりとスーツを着こなしていて、真面目を絵にかいたような人だ。
正直あいつよりもこっちの人の方が良かったなと自分の運の悪さをちょっと悔やんだ。
『んっ、んん。本日はお集まりいただき、ありがとうございます。今回の見届け人を請け負います、人見です。』
『与路でーす。』
『私たち2人が担当致します。よろしくお願いいたします。』
もしもこれがどこかのイベント会場とかだったのなら、きっと一度拍手が沸き上がったことだろう。
しかし、ここは内容も内容なため、そんな呑気なことをしていいのか分からず、お互いが顔を見合わせる謎の沈黙が続いた。
すると、眼鏡をくいっと上げなおし、何食わぬ顔で再度マイクを口元にあてる。
『それでは、ルールを説明いたします。質問がございましたら、都度挙手願います。』
そういってアナウンサーの様に手際よく述べられている内容は、殆どがナツから既に聞いている内容だった。
ちょっと横に目を逸らすと、与路が大きなあくびをしている。
学校の集会ですらこんなに堂々と大口をあける奴はいないだろう。
それに気づいたのか、人見さんはマイクで一度頭をぶっ叩き、再度キィイイインという嫌な音が会場に響き渡った。
『…失礼致しました。それでは、次にゲームの入り方について説明いたします。
入ってすぐ目に入ったのでお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、参加者の方にはあの棺桶の中に入って頂きます。棺が閉まると、段々と意識を失う仕様になっており、完全に意識を失った瞬間、脳内だけがゲームの世界へと移行致します。皆様にはそこで戦って頂きます。』
そこまで説明し、一息入れようとしていたところで、1人がスッと手をあげる。
全員の目線がその手へと注がれる。
どうやらカップルで来ている内の彼氏の方が挙手をしていたようで、少し気まずそうに手を下ろしながら問いかけた。
「戦ってる時の様子って、その時参加してない人たちも見ることは出来るんですか?」
『勿論です。こちらのモニターに映りますよ。見るも見ないも自由ですが、個人的には見ることをお勧め致します。』
「その、意識を失うって言ってましたけど、後遺症とか残らずちゃんと戻れるんですよね?
戦ってるときはちゃんと痛覚があるって言ってたけど、それが体の方に残ったりは」
『無論。ちゃんと健康体で戻りますよ。生きていたら、ネ。』
最後のひと言にには聞き覚えがある。先程の与路と同じ言い方だ。
見た目や態度が180度違くても、彼も同じ運営の人間なのだという事が嫌でも理解できた。
質問をしてた彼氏も一瞬顔に緊張が走ったものの、お礼を言って頭を下げる。
その表情を見た彼女は、心配そうにギュッと彼の腕にしがみついた。
『入り方については以上です。次に対戦相手についてですが、それはこちらで決めさせていただきます。
今回お集まり頂いたのは全員で22名10組ですので、このくじで順番を決めていき、トーナメント表を埋めていきます。くじはこちらで全てひかせて頂きますが、疑われるのは嫌なので、念のためお伝えしておきますと小細工などはしておりません。』
そういうと、資格の箱を逆さまにし4つ折りにされた紙を全て床に落とす。
マジシャンが種も仕掛けもありませんと言う時の様に、両手で「見たいならどうぞ」とジェスチャーを取る。
流石にこんな状況で見る人なんていないだろうと思っていたのも束の間。
先程、異様な空気を発していた彼が、なんと紙をいくつか掴んで目を見開きまじまじと見出したのだ。
周りもまさかそんな人がいるとは思わず目を見張るが、見届け人の2人は一切動揺した様子はない。
「う~ん。本当になんとも問題なさげ~。」
花畑で無邪気に花を散らす子どものように、持っていた紙をバッとバラバラに散らせながら帰っていく。
人見さんはそれを1つ1つ拾っていきながら、あくまでも冷静な口調は崩さず説明を続けた。
『さて、他に気になる方はいませんか?
居いないのであれば、このトーナメント表が埋まり次第、最初の組の方には棺桶に入って頂き、ゲームがスタートとなります。
あっ、そうだ。私としたことが大切なことを言い忘れておりました。』
彼の残像が消え切っていない中、話はどんどんと先へ進んでいく。
本当に忘れていたのか、ちょっとの悪戯心だったのかは分からないが、そのすっとぼけ顔にも見覚えがあり、嫌な予感がした。
『先ほども説明した通り、勝敗はお持ちの宝物を壊すか、死ぬか、です。
宝物を壊す場合には降参すると言って頂き、その後宝物を回収させて頂きます。
そして、一番気になっていることでしょう。
生死の判断についてですが、これについては現実世界と変わらないと思ってください。
ゲームの世界で心臓を貫かれる、四肢がもがれる、首を飛ばされる、等、現実でも死んでいるとされるものが判断基準となります。』
血の通っていない位冷徹に述べられた例があまりにも生々しく、吐き気すらも覚えた。
しかし、その説明に不満があったのだろうか。
今回の参加者で一番高齢だと思われるおじいさんは、手を上げることなく、勢いよく唾を飛ばしながら質問をした。
「ちょっと待ってくれ!バーチャル世界で死んだとしても、それは脳内の話なのじゃろ?
どうやって現実でも死ぬんじゃ!?あの棺桶は危険な棺桶なんじゃないのか!?」
「それは、今はまだお伝え出来ません。」
「はぁ!?何で言えないんじゃ!!もしや、勝ったとしても賞金が貰えないんじゃなかろうな!?おい、何とか言ったらどうじゃ!やましいことがあるんじゃろ!?」
他人の不安や心配というのは黴菌の様に周りにも伝染していく。
おじいさんの言葉を皮切りに、周りの参加者も一同今まで抱えていた不安を少しずつ口に出し始める。
その小さな不安は不満になり、用水路のような水量がいつの間にかダムになるまで大きく広がっていた。
隣をちらっと見ると、ナツは文句1つ言うことなく、ただその様子をじっと静観している。
すると突然、マイク越しにため息が聞こえてきた。
そして、次の瞬間。
「黙れ。」
というどすの利いた声が耳を貫通していく。
先ほどまで決壊寸前のダムも、人間の手で管理されたかのようにシーンとする。
「おっと、失礼致しました。口が出すぎてしまいましたね、お詫び申し上げます。
ですが、どうしても今はまだ言えないのですよ。
決して他言することはない様誓約書は書いていただいておりますが、万が一にでも、SNSとかに書かれたりしたら厄介ですので。あぁ、でも誰かが死ねば見れますよ。
とはいえ、殆ど例がないんですけどね。皆さま大体宝物を壊されることを選択するものですから。」
あまりにも日常会話の様にサラっと口から出るものだから、相変わらず命の重さを見誤りそうになる。
誰かが死ねば見れますよ。
例え内心でこう思っていても、それを本当に口に出して言うという行為に、若干の抵抗などはないのだろうか。
「さて、では早速ですが、今からくじを引いていきます。与路。」
「うぃ~~っす。」
目の前でてきぱきと進められていく風景に、自分の心だけがずっと追いつかない。
夢の中にいる様な、不思議な感覚だ。
ドンドンと埋まっていくトーナメント表。
自分たちの名前はまだ呼ばれない。
これは一番最初に戦うのが圧倒的に不利だ。
せめて、周りの誰かの試合を見せてからにしてほしい。
1番にならないことを全力で願い、普段はしない一生分の神頼みをした。
「続きまして、堺 翔和・泡沫 夏ペア。」
来た!!
グッと顔を上げ、彼の唇の動きを見つめる。
パっと開いた紙に書かれていた数字。
「2番。」
1番ではないことに、心の中で踊り狂った。
よっしゃ!!1番じゃない!誰かの試合を見ている間に対策しよう!!
と、喜んだのも束の間。
そう、1試合目は1番と2番のチーム。
つまり、俺たちは1試合目に参加するのだ。
ジェットコースターよりも世話しなく急転直下していく。
トーナメント表が埋まったころ、1試合目の参加者と周りの人間にはリアクションに雲泥の差が出来ていた。
「では、2チームはお進みください。」
もう1つのチームに目をやると、顔色が悪かった。
それもそうだ。
そして扉が開き、それぞれ宝物を持って棺の中へと入っていく。
生きながら埋葬される気分だ。
ここに来て初めてナツの宝物を見たが、どうやらぬいぐるみのようだ。
見たことがないが、有名なキャラではないようだ。
目が大きく、熊の様な、犬の様な、可愛らしい見た目をしている。
これでどうやって戦うのかちょっと不安になったが、彼はにこっと笑っている。
「よろしくね、翔和。」
「あ、あぁ。」
どこか余裕が見える。
「そうだ、言い忘れてたけどね。」
「なんだよこんなギリギリに。」
「俺ね、死んでも宝物壊したりしないから。」
その言葉を聞いた瞬間、「一緒に死のう」と言われているようで、
心のわだかまりと一緒に棺の蓋が閉められた。
バーチャルの世界に入り込むと、
そこには渋谷と池袋を足して割ったような世界が広がっていた。
スクランブル交差点のように開けた場所もあれば、
サンシャインロードのように店が密集している場所もある。
人で溢れかえりそうな場所なのに、俺たち以外誰もいない。
ピロンという音が聞こえ顔を上げると、
相手チームの頭の上にプロフィールの様なものが表示されていた。
『愛堂 凜』
宝物(ペンライト)
『大井 雅也』
宝物(グッズのリボン)
なるほど、相手の武器となるものが分かるのか。
相手の目線が頭上にあることから察するに、相手にも俺たちと同じものが見えているのだろう。
俺の宝物見て見て笑わないでいてくれるのがありがたい。
「マサ。絶対に勝とうな。
バズフラのクラファン達成額は3000万円。これに勝てたら即達成だ!」
「…うん。頑張ろうね。」
相手はどうやら俺たちと同じ友人同士の様子。
愛堂と名前が出ている方は、人懐っこい犬の様なタイプだ。
その性格が見た目に現れていている。
もう1人の大井と名前が出ている方は、黒い髪を目の下まで伸ばしていて、終始下を向いている。付き添いで来たのだろうか?
宝物と会話から察するに、アイドルオタクなのだろう。
ペンライトもリボンも通常だったらあまり攻撃力のなさそうなものだが、この世界は何が起きるかわからない。
油断禁物。かもしれない運転でいこう。
汗ばむ手を何度もジーパンで拭くと、大丈夫だよと言いたげに優しくその手をナツが握った。
未だに恐怖は払しょくできない。
先程聞いたナツのセリフも、聞き返すことが出来ないまま頭にこびりついて離れない。
死にたくないし、壊したくもない。
俺たちに残された選択は勝つことのみだ。
段々とその覚悟が決まり、その手から伝わる温もりに、震えが少しずつ止まる。
『聞こえますか?』
突然天の声の様に空から声が聞こえた。この声は人見さんだ。
『あなた方の様子はこちらから画面を通して確認しています。
ですが、死にそうになっているからといって止めることはありません。』
改めて聞かされるその内容に、もう逃げ場はないと言われているかの様で、釘を刺されたかのような気分になる。
もう何度刺されたかも分からないそれは、とっくに刺す所に困る位ズタボロだった。
『武器の使い方は先ほど説明した通りです。後は実践あるのみ。一発本番です。
今から私がファイ!と言ったら始まりです。良いですね?』
あの人見さんからファイ!なんて威勢の良い言葉が出るのを想像するとちょっとだけおかしかった。
その想像が出来る位には、余裕が出て来たのかもしれない。
頬をパチっと叩き、相手の2人を見つめる。
お互いの目が交わった瞬間、雷の様に戦いのゴングが鳴り響いた。
『いきますよ。Ready…ファイ!!』