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第3話 行間は読むもの

「はーい。じゃあ取りあえず、着いてきて~。」


名前も知らないその男は、やる気のないバスガイドの様に手を挙げて誘導を促した。

よく恥ずかしげもなく堂々とこんな場所に居られるなと思いながらも、アヒルの様に後ろについていき、そのままエレベーターに乗り込む。


ナツは緊張した様子もなく、ただ従順だった。


ゴォンゴォンという音をたてながら、エレベーターが上がっていく。

勿論こんなバカでかいオフィスのエレベーターなんて利用したことがないため、ここに来てやっと好奇心が見え始めた。

上っていくまでの眺めがよく見えて、アトラクションの1つの様だ。流石大企業は違う。


興奮を隠していたつもりだが、それが伝わってしまったのかおじさんは笑った。


「あははっ。小学生の工場見学かな?かっこいい機械とかが見れるのはまだまだ先だぞ~。」


けらけらと人を小馬鹿にしたその態度がどうにも気に入らず、すぐにムスッとして反抗期丸出しの態度を出す。

しかし、相手はこんなでもお偉いさんかも知れない。

俺たちを誘導しているあたり、このゲームの関係者であることは殆ど明白だ。

この態度1つでこれからのゲームに支障が出たら困る。

言い返すことはせず、ただ拗ねた子どものように押し黙った。


「おっと。そういや申し遅れたな。おじさんの名前は与路(ヨロ)。33歳。バリバリの社会人だ。この名前の後だとギャグみたいだからあんまり言いたくないんだが、よろしくな~。」


手を差し出して握手を求めるのではなく、手をひらひらと振っていた。

友好的に笑顔で話しかけてはいるが、その目は出会ってからどこかずっと笑っていない。


その態度に一抹の不安を覚えながらも、相手が名前を名乗った以上こちらも名乗るのが礼儀というものだろう。

とはいえ、これって馬鹿正直に名乗ってもいいのか?

相手もなぜか下の名前も言わないし、ある程度警戒した方が良いのだろうか。


チラっと隣でナツの様子を窺うと、しっかりと与路の目を見据え凛としている。


「泡沫 夏です。大学生です。」

「へぇ。若いし、随分と変わった名前だね。一度聞いたら忘れそうにない位。」

「確かに同姓同名には会ったことはありません。」


何も疑う事なく自分の本名を告げ、てきぱきと会話を織りなしている。

元々人見知りするタイプでもなかったが、言葉を変えれば警戒心がない。

それに、今更ながら気付いたがゲームに参加するのだから、本名くらいは言わなくてもどうせいつかバレるものじゃないか。

偽名を使えるのかもしれないが、お金を貰うときに記載するサインなどは流石に本名だろう。

だとしたら、言い淀んだ所でそれは無駄な心配に過ぎないのかもしれない。

俺も後に続くように言葉を述べた。


「堺 翔和です。同じく大学生です。」

「へー。じゃあ、お友だち同士で参加したって訳だ。」

「まぁ、そんな所ですかね。」

「ふーん、そう。あっ、着いたよー。」


ちょうど良いタイミングでチーンという音を立ててエレベーターが開く。

先程の返しもそうだが、小学生の作った粘土細工を鑑定士がまじまじと見ているような、

ここに着いてからの不気味な違和感はなんだ。

まるで自分だけが置かれた状況を分かっていないというのが、嫌でも伝わってくる。


その現実から目を逸らす様に降りた階数を見ると、14と表示されている。

まだまだ上がありそうだが、この中途半端な階で行われるのか。

そんな疑問を抱きながらも、彼の後ろにトコトコと着いていく。

降りてすぐに表れたのは、乳白色で出来たガラス張りの扉だった。


そこに与路がピッとポケットから取り出したカードをかざすと、いとも容易くドアが開いた。


すると、更にもう一つ、今度はもっと頑丈そうな扉が現れる。

二段構えになっていたのだ。


なるほど。簡単には人が入れないようになっているという訳か。

とりわけ、ここが、ゲームの場所なのだろう。


ドクドクと早く脈打つ心臓を抑え、彼の手の行く末を追う。

先程も聞こえたピッという音が、今度は心電図の音の様に聞こえた。


「はーい、着いたよ~。」


機械だったら壊れているであろう位のスピードで荒ぶる音をよそに、

彼の言葉はいつだって穏やかだ。


どんな会場で行われるのだろうと恐怖心に打ち勝ち目を見開くと、その努力をあざ笑うかの様にただテーブルや椅子が置いてあるだけの空間が広がっていた。

簡単に言えば、どこにでもあるようなミーティングルーム。

あまりにも無機質な空間に、流石の俺でもここでゲームが行われるわけではないということは分かる。


鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとしていると、与路は1人誕生日席にドカンっと深く腰を掛けた。


「はい。それじゃあ、そこに座って~。」


おいでおいでと手招きされている方向には、同じくただの椅子が置いてある。

彼の席を時計で12時を指している場所とするなら、その指定された席は3時位の場所だ。

若干間隔が開いている。

すぐに腕を掴まれたりしない位置に少し安堵したが、今度はこの椅子に仕掛けがないか疑心暗鬼になる。

座ったら逃げられない様に固定されたり、電気が走って無理やりどこかに連れていかれたりしないか念のため目視する。


「も~。別に種も仕掛けもない普通の椅子だから早く座んなよ~。」


指でトントンとしながらしびれを切らしつつある様子に、流石に2人で言われた通りに席に着く。

案の定何もないただの椅子だった。

なんだか落ち着かずキョロキョロとしていると、与路が席を立ち、こちらへと向かってきた。


「あ~。もしかして会場だと思った?

いや~、大人には色々と事情がありましてねー。

ここはただのお話の場だよ。」


すると、今度はどこから取り出したのかそれぞれの目の前に何やら小難しい言葉が並んだプリントを置いた。


文字の上にはでかでかと『誓約書』と書かれている。


「はい。じゃあ、今からこの紙をよ~~~~~く読んでね。

社会人になるとね、何かとこういうダラダラと面倒なのにサインとか書かなきゃいけなくなるんだよ。本当にだるいよね~。

ちなみに今回は『契約書』じゃなくて、『誓約書』だから。」


最後のひと言が気になり、少しナツに近づきこそっと小声で問いかける。


「なぁ。契約書と誓約書って、何が違うんだ?」

「契約書は自分と相手の双方が合意をしたもの。

誓約書は、自分たちだけが一方的に意思を表示するためのものだよ。」

「その通り~!なんてったって、契約してるんじゃない。君たちが勝手に誓うためのものだから。」


思えば、前にテレビで命がけのバンジージャンプをしている人がいた時には、契約書ではなく誓約書と書かれていた気がする。

それは、もしもそれで死ぬことがあっても、受け取り側も合意したわけではなく、あくまで自分の意志で行うものだから自己責任だという証だったのだろう。


目の前のこの文字の羅列は、自分がしようとしていることの大きさを実感するには、十分すぎる位の効力があった。


「あぁ、でもそういうのあってメチャクチャ読むのダルいよね。

後からあーだーこーだ言われても面倒だし。

今から簡単に説明するから、良い子の2人はちゃ~んと聞くんだよ。」


大袈裟に身振り手振りをするその姿は、明らかにバカにされているのが分かる。

相手の都合の良い様に解釈されていない様に、普段授業でもこんなに真剣な態度をとることはない位両手に紙を持って凝視する。


「あら、真面目で何よりだね。

さて、その頑張りに答えますかね。じゃあまずは1つ。これは簡単だね。

これから行われる行為は全て口外しないこと。誰にも言っちゃ駄目だよ~ってことね。

誰であっても、ネ。」

「もしも、破ったらどうなるんですか。」

「さぁね。殺されちゃうかも?」


ナツの質問に、そんな物騒な言葉を使っておきながら一切悪びれる様子無く飄々と答える。

説明役がこんな調子だから、命の重さが一瞬スルーしかけてしまうくらいに軽い様な錯覚に陥ってしまう。

殺されるというのは、社会的な死という意味をさすのだろうか。

それとも、物理的な死なのだろうか。


どちらにせよ、この誓約書にサインしたからには、破った場合、自分はいつ殺されても仕方ない存在になるということだ。

張本人は、頭の後ろで手を組んでは行儀悪く椅子をギコギコと揺らしだす。


「って言っても、僕も知らないんだよねー。

ルール違反の人を見たことがないし、そういうのは担当じゃないからさ。

もしかしたら『コラー!』って言われて終わりかもだけど。」

「こんな誓約書を書かせる様な所が、そんな処罰で済むとは思えないですけど。」

「君は随分と疑り深いんだね。まぁ、簡単な話、破らなければいいんだよ。

それとも、破ろうとしているから気になるのかな?」


2人の目と目はちゃんと交わっているはずなのに、その言葉には一切の感情が伝わっていないようだった。お互い腹の探り合い。

こちらまでも内臓をまさぐられているような気味悪さを感じる。


何だか今日のナツはいつもよりも積極的に思えた。

いや、今日のというよりは、このゲームの話をしたときから様子が違っていたように見える。

殆どはシオンがぐいぐいと行くタイプだから、彼の本性はその後ろに隠れてしまっていたのだろうか?

何はともあれ、今日は大人しく彼の一歩後ろを歩く気持ちで居よう。


「じゃあ次行ってみよ~う。2つ目。

これから行われることで得た情報…まぁつまり、君たちがゲームをしてる間、こちらはそれをデータに取らせてもらってる訳なんだけどね。そのデータが、何に使われるのかは言及しないこと。とどのつまり、モルモットたちはモルモットらしくしていれば良いってことだよ。」


風が通ることにない密室空間に、時々嫌に心すらも凍らせるほど冷たい風が通っていく。

彼らからしたら、俺たちはお金に溺れた醜い生き物にでも見えているのだろうか。


その目的というものこそがこのゲームの真髄だとすれば、

それに触れることすらできないということは、あまりいい内容ではないのかもしれない。


先程から何度も目で追っている誓約書の文字と、彼の言っている言葉に相違はなく、段々と焦りが滲んできた。


「はーい、最後3つ目ね。あぁ、これが1番大事なんだけどさ。

ここで起きたことは、全て自己責任であること。こっちは一切の責任は取らないよ~ことね。

それがもし、君たちが勝手に死んだとしても、ネ?」


一瞬、光をなくしたその瞳に今までで一番ゾっとする。

そんな彼を、ナツはただじっと疎ましそうに睨みつけていた。


この状況をこんなに飄々と話すこいつもおかしい。

それにビビった様子も見せないナツもおかしい。


あれ?違う。ここにそんな覚悟で来てしまった俺がおかしいのか?


この書類にサインをしたならば、後は俺は殺されても仕方のない存在。

地獄への片道切符だ。

誓約書。名前の通り、この紙に誓わねばならない。自分の命の使い方を。

こんな薄っぺらく、吹いたら飛んでいきそうな情けない紙に。


冷房が効いたこの部屋で、場違いな位1人だけ冷や汗が止まらなかった。


「さーて、どうする?2人ともまだ若いよね??帰る?

今なら戻れるよ??これに書いたらもう参加しなくちゃいけないよ??

あれあれ??トワくんは汗すごいよ~?大丈夫???」


急にこちらに近づいてきて顔を覗き込む。

普段なら腹が立って仕方ない所だろうが、そんな余裕すらない。


正直、帰りたい。帰りたくて仕方ない。

ここで帰ったら、また昨日と同じ日常が送れる。

ここで帰らなかったら、もう二度と手に入ることが出来ないかも知れない日々。


本当は死ぬかもしれないなんて嘘じゃないか。本当は何ともないただのゲーム大会じゃないか。

そんな生ぬるい考えがあった。


『甘い話には裏がある。』


先日だってナツの話を聞いて分かっていたはずなのに。

甘い話にそそられた自分へのバチが当たったのか。

彼の言葉を信じられなかった心の汚れか。

俺は今、その言葉を今まで体験したこともない位身に染みて理解できた。


そっとナツの顔色を窺った。

その表情は、サインをすることに全く迷いがなく、最初からそれ位の覚悟で来たという顔だ。


今更だけど、何がこいつをそこまでさせるのだろうか。

今日死ぬかもしれないというのに、一切ゆるぎないその覚悟は、最早異常でもあるように思えた。


今のナツは何を考えているか分からない。

だけど、何かよっぽどの理由があることだけは分かる。


それなのに、目の前の高級そうなペンを、握るだけの気力は今の自分にはない。


断ろうかと日和ったその瞬間、電気が走ったかのように、幼い頃に出会ったとある女の子の顔が脳内をよぎった。

自分が、この宝物を持ってくるきっかけになった子だ。


何故だかその子に、参加しろと言われている様な気がして、少しだけ手の感覚が戻ってきた。


あぁ、俺は本当にバカなのかもしれない。


先ほどまでまるで別人な様に思えていたナツと、ここにきてやっとバチっとお互いの目を合わせられた。

そして、2人でこくりと頷く。


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