そして夜、先生の訓練が始まる。
「まずは血に慣れる事。最初から痛みに慣れるのは難しいからな」
「は、はい……」
先生は目に見えて元気がない。
そりゃ昼は限界ギリギリまで身体を鍛えて、食事も喉を通らないと嘆いているところに流し込むようにして喰わせて、吐いても食わせて、また鍛えてという無茶な訓練をした後だから仕方ない。
ついでに言えばこれからやる訓練の内容を知らせていないのもあって何をするのかわからないのも怖いのだろう。
「そう硬くなるなって。とりあえず治癒魔術の基本は人体の構造と機能に関係してくる。例えばここ」
靴を脱いでアキレス腱を見せる。
「ここを切れば足首より下が動かなくなって歩けなくなる。理由は異世界人の先生に語るまでも無いが、他にも筋肉の収縮や血管の柔軟性、骨の構成なんかが関わっている」
「そうなんですね。専門家ならもう少しわかるんでしょうけど私は歴史の教師だったので……」
「そうか、まぁこんなもんは大体でいいんだよ。聖女って言うジョブはそれだけ回復に特化しているから人体構造とか詳しくなくても……というか治れって祈るだけでもある程度の効果が出てくるから」
何世代かに一人くらいは聖女という者が生まれる。
私自身5人の聖女、そして一人の大聖女という存在を見てきた。
その全員が人体構造に詳しかったわけではなく、なんなら大聖女になった奴は奴隷階級の出身だった。
つまり何も学ぶことができず、日々労働、粗末な食事に硬い床での睡眠といった糞みたいな環境でジョブ適性診断の際に判明したという。
奴隷も成り上がれるという謳い文句でやってたら本当に金の鶏が生まれたって話だったが、その大聖女様による改革でその国から奴隷制度が消えて全住民がジョブに就くことを命じられた。
まぁ結局その国はパワーバランスが崩れて内側から崩壊、その隙に他国からの侵略で滅びて大聖女様も捕まって王族の愛人になったけど。
奴隷から抜け出して国を改革したらまた奴隷みたいな立場にされたってのは皮肉なもんだ。
今じゃ併合されたその国家で一番の偉人として崇められ、愛人とした王も滅んだ国の王も稀代の愚王として有名だけど真実を知っている立場からすると微妙な気持ちになる。
「じゃあとりあえず気分を落ち着けてくれ。治癒魔術という物を受ける感覚を味わってもらうから」
「はい!」
リラックスしろといったんだけどなぁ……まぁいいか。
手のひらに魔力を集中させて先生に手を当てる。
別に離れていても使えるけど、こういうのは直に触れてた方が効力あるし、受ける側も魔力を感じやすい。
「あ……ふぅ……んっ……」
「おいおい、艶っぽい声出さないでくれ。誤解されるだろ」
「で、でも……あふんっ……」
「まったく……まぁこんなもんだ」
手のひらをぐーぱーさせてから自分の全身を見る先生。
昼間の疲労やら筋肉痛やらが吹っ飛んだのだろう。
治癒魔術と一口に言っても解毒や病気の治療、怪我の治療にスタミナ回復と色々あるからな。
大聖女なんかはそれをいっぺんに行使出来たうえに広範囲の人間を癒せたからこそ重宝されて殺されもせず、自殺すら禁じられたわけだけど。
「すごい……」
「感想よりも魔力を扱う感覚ってのを理解してほしいね」
「あ、そうでした。えーと、心臓を中心に温かいけど激しい流れがぐわーって全身に広がって、それが痛いところに集まって……」
「感覚派みたいだけど大体あってる。私の治癒魔術は同レベルの本職には及ばないんだが、そもそも同レベルがいないからな。比べられるのは駆け出し聖女くらいだ」
「それって逆に言えば今の状態でも駆け出しの聖女と同じだけの力があるってことですよね」
あー、先生が何を言いたいのか少し見えた。
自分がついていく必要があるのか、という問いじゃない。
私自身が何かに利用されるんじゃないかという話だろう。
「そうだな……回復薬がぎっしり詰まってる倉庫だけど、トラップが滅茶苦茶多いし兵士が何人も見張っていて隙が無い。しかも最悪の場合に備えて倉庫には火薬が仕込まれているしこれ以上備蓄が増える事は無い。一方で滅茶苦茶でかい倉庫だけど見張りもトラップも少ないし今後中身はどんどん増えていくような場所。狙うならどっちだ?」
「……そういう事ですか」
「あぁ、ぶっちゃけると実際に私を狙ってきた奴は結構いたけど返り討ちにした」
「そんなあなたでも魔王には勝てない……」
「一人じゃ無理。数でごり押しも無理。だからこその少数精鋭で勇者という穂先が無ければ突破できない」
「……生徒を危険な目に合わせたくないです」
「だったらあんたが治癒魔術を覚えるのが先決だ。じゃ、とりあえず簡単な傷から治してみようか」
にっこりと笑みを浮かべると先生もつられたように笑って見せた。
隙を見せたな? はいぶしゅー。
「ちょっ、何やってるんですか!」
「見ての通り自分の手にナイフ付き刺しただけだけど?」
「痛くないんですか!?」
「痛いよ? 泣きたくなるくらい痛い。でも怪我には慣れてるから問題ないけど、戦いになればこのくらいの傷は当たり前だ。じゃあ痛みに慣れてない奴がこんな怪我したら、まともに戦いを続けられるかな? 回復役が困惑している間に食い殺されるかもしれないなぁ?」
「うっ……」
「というわけで、入門用治癒魔術の使い方。雑談中に私が自分の身体を傷つけるから先生はそれを治す。目標は1秒以内」
「短すぎません……?」
「戦場の1秒は長いぞ? 手練れ相手だと10人は死ぬ。魔王相手だと10000人が死ぬ。そのくらいの時間だ。最終目標を言うなら怪我をした瞬間から治っていくような状況にすることかな」
一応継続式治癒魔術というのは存在する。
その魔術を受けている間はずっと回復するという物だが、常に魔力を垂れ流しているのと同義だから普通は使えない。
たまに戦場で一騎当千の猛者に、生贄を使った方法でその手の魔術をかけて突撃させる戦法とかあるけどコスパが最悪である。
なので私は改良型の物を作ったが、悪用される未来しか見えなかったから公開しないでいる。
「はい、回復。はーやーくー」
「あっ、はい!」
先生が魔術をくみ上げる。
初めての経験だろうけど的確に、正しい順序を踏んでの魔術構成。
時間を見つけて本を読んだりしていたのかもしれないが、丁寧すぎるな。
「先生、その方法は教科書通りだが時間がかかりすぎる。さっきも言ったが治れーくらいの気持ちでいいから魔力を放射して傷口にまとわりつかせる感じでやってみろ」
「くっ、はい!」
先ほどまで先生がやっていたのは絶対に成功するが一定の効果しか起こせない正真正銘の「基礎魔術」だ。
誰がやっても再現できることが強みだが、効果は最低限でしかない。
しかも手順が多いからやるにしても時間がかかるとデメリットも多い。
だからこそ魔術を使う人間は各々が基礎魔術を基に自分用に改良して使う。
例えば炎に特化した魔術師ならば魔力そのものが熱を持つ。
その魔力を凝縮して敵に放つだけでも強力な熱波となるし、魔力を固めて放出すれば炎になる。
ただ安定性に欠けるうえに再現性が低いので魔術の領域からはみ出しているし、魔法と呼ぶにはお粗末な結果でしかないから名前も付けられていない技術だ。
先生が真っ先に覚えるべきはこっちだろう。
さて、どれくらいでできるかな?