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第2話


**

 ――光。俺の願い事はひとつだけ。

 どこにも行かないで。

 ずっと、傍に居て。

 おじいちゃんになってもずっと……ずっと、光が好きだから。

 死ぬまで君と一緒に、音楽を続けたいんだ。


 小さな子どものように泣きじゃくりながら、相羽勝行あいわかつゆきはそう言った。

 思えば三年前に出会った頃から、彼は他の人とどこか違った。何も言わずともずっと自分の隣に座っていて、どこかへ逃げようものなら飄々した顔で追いかけてきては首根っこを捕まえ、「どこ行くの?」と意地悪く笑う。

 知り合った当時なんかひどいもので「君と友だちになりたい」と言いながら百万円の札束を渡してきたのだ。友だちを金で買おうとする男なんて、十七年間の人生で彼しか知らない。揚げ句「一緒にバンドをやろう」と誘われて意味がわからないまま首を縦に振ったら、その場で引っ越しトラックごと家に押し掛けてきた。以来、勝行の手中から逃れられたためしはない。

 けれどそんな男と出会ったことを、不幸だと思ったことは一度もない。 

 病を拗らせ、家族を失い、存在する意義を見いだせなかった自分がここまで生きてこられたのは、まぎれもなく相羽勝行のおかげなのだから。


 願わくば自分もずっと、勝行と一緒にいたい。――死ぬまで、ずっと。

 あいつの隣でピアノを弾いて、もっともっとバンド活動を続けたい。

 それは彼の望んだ願いと同じだ。

 だから光は「いいよ」と勝行の願いを受け入れた。



「でもじいさんになるまで傍にいるなんて無理だろ。だって俺の身体は……できそこない、だから」

 光はあの日勝行に言えなかった言葉を胸に飲み込んだまま、クローバーを探し続けていた。

 神様に祈っただけでは願い事なんて叶わない。クローバーの伝説に頼ったとて、最後は己の力でどうにかしなければいけないことくらい、わかっている。けれどもどうしても神様に縋らなければ叶えられない願いは存在する。


(勝行って、俺の何なんだろう)

(最初は……家政夫の仕事頼んできた、雇い主か)

(そっからなんだかんだで、音楽やるようになって)

(一緒の家に住む、家族になった)

(それから、バンドの大事な仲間)

(この前は、俺のことずっと好きだったって、教えてくれた)

(あいつゲイでもないくせに、男に抱かれてた俺のこと……嫌がらなかった)

(俺を一生愛するって。キスして、くれた)


 情報量が多すぎて、いつも一言でうまく説明できない。


(でも恋人……ではない。これはたしか)


 あの男の口から、そんな単語が出てきたことは一度もない。光もそんなことを意識したことはなかった。


(俺も勝行のことは好きだ)


 好きに種類があるとして、どれに該当するのかは自分ですら皆目見当つかないのだ。目の前のクローバーが全部同じには見えないのと同じ。

 なぜ好きなのかと聞かれたら、きっと『彼と一緒にいる時間』が好きなのだと。今は、こんな答えしか思いつかない。だから兄弟でもいいし親友でもいい。ただのビジネスパートナーでも構わない。

 ただただ一緒に、傍にいることができるのなら。


(そう……あいつの望む通り、一緒にいられたらいいんだ。できるだけ長く……できるだけあいつの希望を叶えてやれたら、それでいい)


 だが欠陥だらけでポンコツな己の身体は、いくら成長しても思うようにはならない。少し風邪を拗らせただけで心臓発作を起こして入院三昧。自宅にいる時間と病室にいる時間、果たしてどちらが多いだろうか。


(勝行には迷惑かけてばっかで。家政夫の仕事だって、あんまりできてないし)


 受験勉強とバンド活動の両立でで忙しい中、毎日欠かさず見舞いに来てくれる彼にそういうと、決まって「そんなの気にしないよ」と笑いながら髪をなでてくれる。それからよく眠れるようにとキスもしてくれるし、大好きな声で毎晩歌ってくれる。

 同級生のくせに、その存在は本物の兄のよう。


「しっかり休養して、元気になって。家に帰ってきたら、まずはお前のピアノが聴きたいな」


 そんな人のために、四つ葉のクローバーを……幸せを、手に入れたいと思った。彼が自分の傍にいても幸せだと笑ってくれていたら、生きている甲斐があったと思える気がして、光はもう一度草むらに寝転がった。


 今はピアノと家事以外なんの取り柄もない。けれどいつかは自分が勝行を助ける側になりたいし、自立したい。ただ彼の隣で甘えて過ごすだけではなく、『そこで生きていてもいい』と世間に認めてもらえる、存在意義が欲しい――。



 ……


 …………



 目を開いた途端「このバカ!」とデコピンを食らわされ、光は寝ぼけ眼のまま「いたい」と唸った。

 そこにいるのは珍しく鬼の形相ながら、目元が大きくて可愛い童顔の義兄・勝行。どうして怒っているのか、光には皆目見当つかなかった。


「もう少し考えて行動しろって言ってるだろ。なんであんな夜遅くまで外にいたの。体調悪いくせに、何やってんだ」

「外……?」


 見慣れた病室のベッド。心電図に点滴、白いシーツ。

 それから、高校の制服姿の勝行が仁王立ちで立っている。

 確かに外にいたはずだが、自力で病室に戻った記憶がない。いつの間にベッドで寝ていたのだろう。


「昨夜のこと、覚えてないのか?」

「……うん」

「まったくもう……」


 深い嘆息と共にくどくどと親友の説教が始まる。それをBGMのように流しながら、光はゆっくり記憶の断片を辿ってみた。

 あの母子と別れた後、急に思い立って四つ葉のクローバーを探しつづけた。結果、とっぷり日が暮れるまで外にいた。その途中、狭心症の発作が出てしまったのに、暗がりの茂みに舌下錠を落としてしまい、うまく服用できなかった。そこからの記憶はない。

 その頃、部屋に戻ってこない光を心配した看護師と勝行が、総出で病院中を捜索していたらしい。


「病棟の裏の壁際でぶっ倒れてたんだぞ。あんな死角になるところで発作起こして、誰にも気づいてもらえなかったらどうなってたと思う?」


 もう一度光の頭を軽く拳骨で小突いた後、勝行はベッド脇のパイプ椅子にどかっと座り込んだ。


「ご……ごめん……」


 考えなしに行動したせいで、幸せを届けるどころか心配をかけてしまったようだ。光はしょんぼりと薄い色素の髪を垂らし、謝罪の言葉を述べた。


 落ち込むといつもベッドの上に座って頭を撫でてくれる。――はずなのに、勝行は首を回したりこめかみを押さえたりして、いつまでもパイプ椅子から動こうとしない。昨夜は帰宅せず一晩中付き添ってくれていたのだろうか、学校帰りそのままのスクールバッグが出窓の前に置かれていた。


「病気を治すために入院してるのに、余計悪化させてどうするんだ」

「……ん」

「最もあの時間、あの場所では救助を呼ぼうにも無理があっただろうけど。部屋に居ればナースコールひとつで解決できた話だろ」

「……」

「謝るんなら、まずは病院のスタッフに言えよ。迷惑かけたんだからな」


 刺々しい指摘に返す言葉も見つからない。ただ四つ葉のクローバーを探していた――なんて言えばもっと怒られそうだ。

 黙り込んでそのままかけ布団に突っ伏した。じわじわ悔しさがこみ上げてくる。結局目当てのものは見つからなかったし、もう一度探しに行きたくても指に挟まれた酸素センサーと点滴のコードが邪魔で動けそうにない。また元のベッド張り付け生活に戻ってしまった自分の不甲斐なさに呆れてしまう。

 他人の『幸せ』は簡単に見つけられたのに、一番大切な人の『幸せ』が手に入らないだなんて理不尽だ。


「……勝行の……欲しかったのに……」

「ん、何を?」


 名前をぼそりと呟いた途端、不思議そうな顔を向けて勝行が聞き返した。なんとも返せず、口を尖らせて塞ぎこんでいると、勝行は自己解決したのか少しだけ笑顔を見せた。


「とりあえず、無事でよかった」


 するりと頬を撫でてくれるその手は冷たい。


「お前とはずっと家族でいたいけど、これじゃ心臓がいくつあっても足りないな」

「……う……」

「光はホントに昔からトラブルメーカーだよな。見てて飽きないけど、毎日心配で眠れない俺の苦労にも少しは気づいて」

「お……俺だって好きでこんなん、なるわけじゃ」

「分かってるよ。ごめんね意地悪なこと言って。珍しく素直に謝ってくれたから、かわいくてつい」


 ぽんぽん。光の柔らかい髪を撫でながら、勝行はそのままスクールバッグを持ち上げた。


「ついってなんだよ」

「そんな顔して拗ねないでよ。お前が反省するまで最低一日は怒っててやろうと決めていたのに、早速挫ける」

「……?」

「でも今日は絶対安静にね。早く治さないと、お前の大好きなライブもできないよ」


 腕時計を何度か確認しつつ、勝行は「じゃあ、学校行ってくる」と光の頬に軽いキスを――指越しに重ねて、意地悪く微笑んだ。





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