長い空白の意識が、朦朧と開けていく。水面のそこから空を見上げているような感じ。不思議と息苦しさはない。ゆっくりと上へと登っていく感じ。
何か、声が聞こえる。それは自分の名前——目をゆっくりと開ける。ぼんやりと視界に入るのは——人の顔。輪郭がだんだんとクリアになっていく。
知恵。最近知り合ったばかりの友人は、泣きそうな顔でこちらを見ている。
背中に感じるぬくもり——どうやら知恵に抱きかかえられているらしいこと察する。そして先ほどの記憶。体を弾丸に貫かれて——
「ナポちゃん!」
そう知恵が叫ぶ。はっと我に戻る奈穂。そっと首筋に手をやる。いつもの感触。血にまみれているはずの自分自身の体は痛みも感じないし、服装も現実世界の寝巻に戻っていた。
「大丈夫か?」
墨子がそう気遣う。
「俺も、何回か経験があるけどよ……シミュレーション中の『死亡』は。まあ、気持ちのいいもんじゃないよな。痛みはないけど、臨死体験をするような感じだから……まあ、柔道とかの締め技で『落ちる』っていうけど、あれとも次元が違う感じがするな」
奈穂は悟る。自分がシミュレーションで『死亡』したことを。なんだか、体がだるい。墨子の説明だと、肉体的にはダメージを受けないはずなのに、何かいやに重たく感じられた。
「ごめんね……」
いつもはふてぶてしい感じの知恵が、涙ながらにそうつぶやく。奈穂はくすっと笑い知恵の頬にそっと手を重ねる。
「ご……ごめんね……『私』が変なシミュレーションさせたせいで……」
眼鏡をかけた、髪の毛がぼさぼさな少女がそうすまなそうな感じで謝る。これも『大須桃』である。シミュレーションが終了し、もとの『大須桃』に戻ったようだ。
「『私』から忠告だって……ええと……」
そういいながら、情報携帯端末を開く桃。音声が再生される。
『奈穂さん。残念な結末でしたね。あなたはことを急ぎすぎた。それがベストの選択だったとしても。結果、運命をも早めることになってしまった。『ケネディ暗殺』という運命を』
情報携帯端末からの命令により、空中にフィジカルウィンドウが開かれる。銃を持った白人の青年。名前が英語で示される。
『犯人はすぐ逮捕されました。名前はリー・ハーヴェイ・オズワルド。逮捕直後にジャック・ルビーによって暗殺されます——どう思うかは、あなたの自由。司法当局は彼の単独犯行として、背後に政治的な陰謀は一切ないという、調査委員会の最終判断が下されました。どうなのでしょうね。さまざまな思惑、行動が重なった結果意図しない事件が起こってしまう。それが歴史です。一人の人間の意志だけで歴史は動きません。それを私からの忠告とします——またお手合わせさせてくださいね——普段の『私』とも仲良くしてくださると嬉しい限りですわ』
ウィンドウが消える。空中を見つめる三人。そして慌てふためく桃。
奈穂はため息をもらす。歴史の持つ、そしてアリストテレス=システムの持つ何とも言えない深さを目の当たりにした気がして。
そして——二日連続で午前様を迎えてしまったことに気づいて。
次の日も奈穂は睡眠不足の一日を過ごすこととなる——