それまでの白い空間は、郊外のさわやかな朝の風景にかわる。その中心に立つ白亜の塔。その建築物に、見覚えのある奈穂。自分の足元を見ると、これまた見覚えのある白い豪壮な建築物があることに気づく。
アメリカ合衆国首都、ワシントン・コロンビア特別区。フィラデルフィアから首都が移されたのち、ホワイトハウスと呼ばれる大統領府が置かれ、現代に至るまで政治の中枢機能がここに集積されていた。
自分がそのホワイトハウスの主として、この危機を乗り切らないといけない——奈穂はシミュレーションとはいえ重い責任を感じる。
そんなことを考えていると、アラームの音とともにフィジカルウィンドウが開いた。
『一九六二年一〇月一六日』という表示。下の『CIA』というマークが赤く点滅する。CIA——アメリカ合衆国中央情報局——諸外国の、アメリカの利害に関する情報を広く諜報する組織。奈穂でもその名前くらいは聞いたことがあった。
『副長官より、緊急の会談を所望。国家安全レベル最高の緊急要件』
右手を握る奈穂。それが『了承』のサインである。
『先日の上空偵察委員会よりキューバ:ハバナ南東サンクリストバルの偵察による看過しえない情報を入手』
報告に対して、奈穂はさらに深層のウィンドウを開く。
立体化された黒い飛行機が表示される。まるで、昆虫の骨組みのようにさえ見えるその機体は、別名『ドラゴンレディ』とも呼ばれる高高度戦術偵察機『U―2』。高度七〇,〇〇〇フィートを航行し、特殊カメラで地上の機密情報を、敵の妨害を受けずに撮影できる特殊な機体。東西冷戦が生み出した、『鬼っ子』ともいえる。
——冷戦。第二次世界大戦後、アメリカとソ連を中心として生じた世界体制。その歪みが、世界にさまざま問題をふりまくこととなる。核抑止によるかりそめの平和をその代償として。
奈穂はU―2の映像からデータを引き出す。無数の写真。写真を解析にかける。
フィジカルウィンドウの時間が、砂時計の表示とともに経過する。わずかな時間ののちに、分析結果の報告書が送付される。
「パーミッション。大統領権限により、この国家機密レベルAAAのレポート開封」
奈穂はそう告げる。一斉に展開するレポート。『U―2』の撮影した写真の一部が何度も拡大し、黒い四角い物体が大写しにされる。それにかぶさるように、立体化されたなにかが映し出される。
『準中距離弾道ミサイル『SS―4サンダル』:核弾頭として、三メガトン以上を装備している確率:八五%』
(核弾頭……)
奈穂は別なフィジカルウィンドウを即座に開き、情報を整理する。
もし、この核弾頭が発射されるとどうなるのか。
このミサイルの射程は。
全くわからないことばかりで状況を把握するのに時間がかかったが、飲み込みの早い奈穂である。数分の後、ある結論に達する。
その結論を実証するため、AI次世代バタフライ効果内包シミュレータにデータを入力する。
表示されるシミュレーション画面。
いくつもの放物線を描く物体がアメリカ本土に落下する。いくつもの火球。数千億ドルの物的損害と数千万の人的被害。それはアメリカが経験する初めての大規模な核戦争。悪夢のようなアメリカ本土核攻撃の予想がそこには展開していた。
『対応を。大統領閣下』
AIが決断を迫る。
「そんなこといったって……」
とまどう、奈穂。それをクスリと笑って見下ろす桃。
「『塩』を送りますか?あなたの国には、いろいろな安全保障機関が存在します。まずは皆さんで相談してみては?貴国は世界一の『民主主義国家』なのでしょうから」
皮肉をこめて、桃はそういうと奈穂の足元を指さす。
国家安全保障会議執行部のマークが点滅する。おそるおそる、そのマークをアクティブにする奈穂。
——史実では、これから十三日間核戦争の危機が続くこととなる。この世界では——何日続くかは——誰も知らない。