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第22話 河越城の戦い

 机の上に両手をあずけ、頬杖をする奈穂。

 放課後の寮の自室である。

 その後ろでは、相変わらず難しそうな本を山のように積んで読み耽る知恵と、鉛筆を手にメモに色々書きまくっている墨子。そんな二人にはかまおうともせず、奈穂は一人思いにふける。

 この学園に来てからのこと。昨日のシミュレーション。そして今日の入学式。夕食が済んだとはいえ、まだ数時間前のできことなのに、いやに思い出深く感じられた。厳かな式典の印象と、なにより生徒代表の挨拶が。

 名前は『大須桃』だったろうか。その挨拶の凄み。

 こういう式典の挨拶は、退屈なものと相場が決まっているのだが、彼女は違っていた。聞いているものが、先生生徒を問わず、心を揺さぶられていたのはすごいことである。

 決して扇情的でもなく、感情的でもないのだが、淡々と、そして時には訴えかけるような彼女の演説を聞いたものは、彼女の存在が何より強く印象付けられたであろう。

 奈穂自身、優等生ということもあり、よくこの手の挨拶はこなしてきた。しかし、TPOに合わせて、卒なくまとめるのがなにより大事と考えていた奈穂は、大須桃の演説には価値観が揺さぶられる気がした。

(ああいう人がこの学園にいるんだ……)

 同じ年とは思えない、落ち着いた物腰。スラッとした身長に、腰まで届きそうな長い薄い色のサラッとした髪。澄んだ、どこまでも染み入りそうなその声のトーン。

(また機会があったら、あってみたいな……色々、吸収できるものがありそうだし)

 ちらっと後ろを見やる奈穂。

 横文字の本を穴があくほど見つめながら、ニヤニヤしている知恵。大量のメモでなにやら工作を始める墨子。

(まあ、いろんな人がいるよな)

 自分のことはとりあえず置いておいて、ため息をつく。

 ノックの音がする。知恵と墨子は、全く反応しない。しょうがなく、奈穂が扉の前に移動する。

「はい?」

 ドアの先に明らかに感じる人の気配。何やら話し声らしきものが聞こえるが、よく聞き取れない。この学園は全寮制。学園の入り口もセキュリティは完璧である。防犯上の心配はなさそうだ。

 片手に握られた情報携帯端末を手探りで操作し、部屋のロックを解除する。

 空いた扉の向こうには、薄着で震える小さい少女が立ちつくしていた。髪はボサボサで、かけている眼鏡も斜めっている。

「あ……あの……実は、情報携帯端末……どこかに落としちゃって……自分の部屋に入れなくなって……」

 学園の生徒には、もれなく個人情報がインプットされた情報携帯端末が配布される。それが、部屋のセキュリティに同調しているのだ。

 その重要さを考えても、落とすということはまずありえない話であるのだが。

「あ……同学年?寒いよね。部屋に入って。いいよね……知恵さんと墨子さん」

 返事がない。それを同意とみなし、奈穂は少女を引き入れる。

 傍で見るとさらに小さい少女。本当に同学年かという気すらする。

 全体的に『疲れている』雰囲気。情報携帯端末で寮のAI対応センターを呼び出す。

「同級生が、情報携帯端末を落として困ってます。対応お願いします」

 少しの沈黙の後、AIが返事をする。

『その生徒のIDを伝達せよ』

「ええと……あなたのIDは?」

「IDは……忘れました」

 ずるっと、体勢を崩す奈穂。IDはたった八桁の数字。そう簡単に忘れるものなのだろうかと奈穂は訝しがる。

「忘れたそうです」

『ならば、氏名を。誕生日とともに』

「名前を言ってくれる?」

「私の……名前は」

 ちょっとため、少女は小さな声でつぶやく。

「……『大須』……『桃』っていいいます」

 どこかで聞いた名前。それほど、古くない過去を探る奈穂。すぐ、その名前の記憶に奈穂はたどりつく。入学式の新入生代表。その名前は間違えようがない。

 同姓同名かな?

 奈穂は思わず口にするのを我慢した。明らかに先程の壇上の人物とは雰囲気が違っていたからだ。

 桃が自分の誕生日を告げると、AIが反応する。

『認証終了。入学生代表、大須桃。本日はお疲れさまでした。古い端末を立体GPSで検索します。とりあえず、寮監室へ予備の端末を借りに来てください』

 ぎゅっと奈穂のパジャマのすそを掴む桃。じっと上目遣いで訴える。

「あの……わたし……寮監室……わかんない……」

 奈穂は予感する。どうも、自分のまわりにはわけのわからない人間が集まってくる傾向があることを。そして一刻も早く、転学しなければ大変なことになりそうなことを——


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