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第7話 マルクスとレーニンと

 それは奈穂の中に湧き上がる初めての感情であり、いうなれば歴史改変者の片鱗ともいうべきもので——その兆候を見逃さずに、知恵が声をかける。

「どうかしたの?宍戸さん」

 無言のまま固まっている奈穂。少しの沈黙ののち、重い口を開く。

「これ……教科書通りに文明は発展してるんだろうけど、ちょっと嫌なんだよね」

「いやって?」

 興味深そうにぐい、と知恵が奈穂に自分の顔を近づける。息も荒く感じられた。

「え……えとね、このまま文明を発展させたとして……」

 ちょっと引き気味に、奈穂は答える。

「それが本当に私の望んでいる、文明のあり方なのかなって?」

「具体的に」

 さらに、知恵が畳みかける。

「そ、それはね、ほら」

 震える手で奈穂は、フィジカル=プロジェクションマッピングの一角を指し示す。その先には白い大きな建物——神殿が、どんどん拡大していくさまが映し出されていた。

「あの神殿が、大きくなっていくっていうことは、その管理者」

「神官ね」

「そう、神官さんは、大儲けっていうことだよね。なんかずるいっていうか……」

「ずるい?」

 さらに、顔を近づける知恵。まるで、尋問を行う刑事のようだった。

「……つまりこれって、人間に差がついちゃうってことだよね。いや、能力があることは認めるよ。多分、神官さんは、みんなの前で儀式をしたり、神殿に納められたものを管理したり……特殊な能力だと思う。でも、それを無制限に認めちゃったら、格差社会だよね」

 ほほお、と知恵はうなずく。

「なるほど。宍戸さんは社会主義者なわけですか。平等が大事、と」

 挑発的な知恵の分析。ちょっとむっとした感じになって、奈穂が反論する。

「べつに、差がつくことが悪いって言っているわけじゃないよ。こういう風になるのは歴史の必然なのかもしんないけど、ただ、能力っていう言葉が、あれで」

「あれ?あれとは」

「だってさ、この時代だから神殿を管理するためのスキル、うーんと文字をかけることかな?それがすごい能力になってるけど、いまは当然のスキルだよね。逆にコンピュータの知識がいくらあってもこの時代では全く役に立たない能力だと思うし」

 そう言いながら、奈穂はコンソールを操作する。今の奈穂の発言を受けて、第四世代AIが自動的に文明への介入する選択肢を示す。

『教育水準:向上のためのプランG すべての階級においても社会教育を受けられるような”学校”の設立を普及』

「それで問題がすべて片付くかな?」

 目の前のフィジカル=プロジェクションマッピングを一瞥した後、知恵はジトっとした目で奈穂のほうを見る。

「歴史の必然、っていう言葉をさっき使ったよね。このシミュレーションで大事なことは、その時代の価値観をきちんと身につけておくということだよ。現代の価値観で判断すると、大変なことになるよ。実際に、ほら」

 知恵は、奈穂の介入しつつある文明の一角を指さす。

 そこには、何か大きな煙らしきものが見える。それ神殿から立ち上がる炎も。

 確かに、奈穂の思惑通り教科書の流れからは、シミュレーションにおける歴史の方向性は離脱しつつあった。

 しかし、それは必ずしも彼女の思惑に沿ったものとは限らないのだった。

 人々が神殿へと殺到する。手には鋤や鍬、人によっては、いかつい武器を携えて。それをとどめようとする衛兵が、人の波に押しつぶされる。床に転がる死体。無数の人々に土足で踏みにじられ、肉と骨の塊に姿を変える。びしゃびしゃという血が滴る音を立てながら。

思わず目を背ける奈穂。それを、知恵がにやりとして見やる。

 普段は、絶対に入ることの出来ない神殿の奥の間。まるで玉座のようにあつらえられた部屋の造りが印象的だった。

大きな机で色々作業をしていた書記官が、ようやくただならぬ状況に気づき、大事な記録の書を放り出して逃げようとするが、それもかなわない。数人の手にかかり、体中に刃を突き立てられ、悲鳴も上げずに絶命する。

 力任せに壊される、神殿の宝物庫。きらびやかな光が人々を魅了する。金銀、まさに財宝の山。

『これはそもそも我々のものだ!泥棒ではない、取り返すだけだ!』

 そんな怒号の中、人々がその財宝に群がる。取り合いになり、同士討ちもあちらこちらで始まる。

一方、他の一団は神官達の寝所を襲撃する。床の中で絶命する神官。大体は酒と女の匂いがしているものばかりだったが。

「どうかな?」

 ここまで見て、ようやく知恵が口を開く。

「どう……って」

 相変わらず、画面を直視しようとはしない奈穂。

「これが、あなたの望んだ歴史の結果だよ。結局、平等な世界とか言っても、その先に待つのは果てしない暴力を伴った革命。下手な知識を大衆が持つと、こういうことになる。大衆って言うのは……度しがたいよね」

「それは、違うと思う」

 奈穂が今までとは違う強い口調で、反論する。

「奴隷は奴隷のままでいい、っていうのは違うと思う。いろんな試行錯誤をしながら……もちろん、血が流れることはあっても……みんな、幸せになれる方法を考えないと……」

「じゃあ、どうすればいいの?」

 知恵が遮るように、そうなげかける。ぐっと詰まる奈穂。数分経っただろうか。奈穂は口を開く。

「歴史を……歴史を学ぶことだと思う。過去の事を知ることによって……」

「同じ過ちを、繰り返さないため?」

 ううん、と奈穂は首を振る。

「今と、未来に目を向けることが出来ると思うから」

 驚いた顔をする知恵。予想された答えとは異なった、奈穂の見解に。

うん、と知恵はうなずく。

「だったら、一緒に学んでみない?『アリストテレスシステム』で」

 ぎゅっと奈穂の手を握る知恵。突然のことに呆けながらも、奈穂はこくんと首を縦に振る。

 それは、二人が同じベクトルを歩み始めた、最初の瞬間であった——

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