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38.次に向かうは……

 例のインクの染みのような絵をじっと見つめ、改めてシリウスの匂いをくんくんと嗅いだポリーは、この街を出たら道が二つに分かれていること、そして進むならどちらの道を選べばいいかを教えてくれた。


 〝王子さま〟のことよりも〝狼ってすごいんだねぇ……〟という感想が口をついたリーゼロッテにポリーは一瞬目を丸くして、それから「でしょ? パパの血もすごいんだ」と少しばかりおかしそうに、そして嬉しそうに笑っていた。


 残念ながらこの街には目的の人物はいないようで、そしてそれ以上の手がかりもなく、リーゼロッテはせめて雨が降る前に出発しようと、昼前にはナディアの花屋をあとにした。


「リ――ズ!」


 いくらか念入りに旅の支度を調え、追加の食料も調達したあと、街の出口へと向かうべく歩いていたら、不意に頭上からそんな声が降ってきた。


「迷子、無事見つかったんだってな!」


 見上げると、頭上を渡る石畳のアーチ橋から、見知った顔が覗いていた。


 肩から流れる癖毛の金髪。白を基調とした衣装は一昨日見たものより更に派手になっているように見えた。もしかしたら今日は午後の公演が早い時間なのかもしれない。


「ミカエル!」

(ミカエル……)


 シリウスが心の中で呟くと同時、リーゼロッテも名を呼んでいた。ミカエルはいっそうにこやかに片手を挙げて、次にはひらりと橋の上から飛び降りた。


 リズのいた歩道と立体交差した橋はそこまで高い位置にはなかったけれど、それでも気軽に飛び降りていいようなものではなかった。それでもミカエルは躊躇いもなく欄干を飛び越え、まもなくふわりと地面に着地する。その身のこなしはまるで重力がなくなったかのように軽やかで、リーゼロッテは改めてその〝血〟の特性に感心するのだった。


「ミカエルもまだこの街にいたんだね」

「ああ、俺はあと二日は公演が続くから……」

「そうなんだ」

「うん」


 肩にのった髪を背に流し、ミカエルは柔らかく頷いた。その背に翼はなかったが、もともとミカエルは天使の血もひいている。それもあっての華やかさや身のこなしでもあった。


 元来天使は純血思想が強く、いまでも他種族との子は成さないのが基本とされている。とはいえ、中にはやはり例外もいるようで、好きに生きると天界――天空にある天使が多く住む地域――を出ていく者もいるらしい。要はミカエルの祖先にはその例外がいたということだ。


「それより、迷子の話聞いたぞ。リズが見つけて連れ帰ったんだってな」

「あ、うん。そうなんだ。すごくいい子だったよ。お母さん思いで、魔法も使える子だったんだけど……」

「魔法?」

「そうなんだよ、その子魔法がすごく上手で……でも空は飛べなくて」

「空が飛べない?」


 ミカエルは瞬き、リーゼロッテの顔を見返した。






「――なるほど。それでアリスハインに」


「そうなんだ。わたしからも連絡を入れようと思ってるんだけど、通信用の魔法道具を忘れてきちゃって……」


「アリスハイン、電話はひいてないものな」


 橋の下でしばらく立ち話をしていたミカエルは、ふとリーゼロッテの腰元に目を遣った。シリウスはポーチの中で大人しくしていた。できればリーゼロッテだけでなく、ミカエルにも正体は知られたくなかったからだ。


 けれども、そうして黙り込んでいたせいで、いつのまにかうとうとしかかっていた。今朝はいつもより早く目が覚めてしまったからかもしれない。


「……?」


 ミカエルはそんなシリウスを凝視する。リーゼロッテはいまだ物珍しそうに辺りを見回していて気づかなかった。


 シリウスの頭が船を漕ぐ。ややしてかくんと小さく傾く。はっとして顔を上げたとき、ミカエルと目が合った。そんな気がしたというわけでなく、確実に視線がかち合った。


「……え、なぁ、リズ――……」


 シリウスはとっさに首を横に振った。短い手を口元に当て、必死に「黙ってろしー!」と念を押す。


「なに?」


 リーゼロッテがミカエルに向き直る。シリウスは再びぬいぐるみのふり(?)をする。そのままじっと固まっておく。ミカエルはあからさまに不審そうな顔をして、けれどもすぐにはそのことを口にはしなかった。


「ミカエル?」


 リーゼロッテは首を傾げる。ミカエルの視線を追って目を落とし、「ああ」と合点がいったように小さく笑った。


「やっぱり似てるって思った?」

「え?」

「シリウスに」


 ぎくりとシリウスの心臓が鳴る。


「あ、いや……」


 ミカエルは頷かない。幸いというべきか、そこだけはいまだに認めようとはしないミカエルだった。やはりぬいぐるみのフォルムがかわいすぎるせいかもしれない。


 とはいえ、動けるということは完全にバレてしまった。これはもう誤魔化せない。


「そのぬいぐるみ……」

「え?」

「ちょっと貸してくれないか」

「え……いいけど、なにか気になることでもあった?」


 問い返しながらも、リーゼロッテは素直にポーチからぬいぐるみシリウスを取り出した。


「あ――……いや、ちょうど昨日の夜教えてもらった魔法があってね」

「昨日の夜に?」

「そう、えっと……天使の血をひく魔法使いだけが使える、特殊な魔法なんだけど」


 それを突然昨日の夜に? すごい、やっぱりミカエルも天才だ!


 リーゼロッテは素直に感心し、ともすればわくわくと空色の瞳を輝かせた。

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