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37.おおかみの勘は当たります?

「お世話になりました」


 部屋に気持ちばかりのお礼を置いて、民宿をあとにした。老夫婦もナディアやポリーと同じようにリーゼロッテが見えなくなるまで見送ってくれた。


「すてきなお宿だったね」


 誰にともなく言いながら――本人はシリウスに向けているつもりだろうが――、リーゼロッテは頭上に広がる曇天を見上げる。両手でしっかり箒を握り、短くなった髪を靡かせ向かうのはナディアの花屋だった。


 ……にしても、なんだって急に動けるようになったのか。


 もはやしっくりくるほどに定位置となったポーチの中で、シリウスは僅かに首をひねる。今度はそのつもりだけでなく、本当に頭が動かせる。そのためうっかり斜めに走る組み紐に額をぶつけそうになり、はっとしてもとの角度に戻した。空を飛んでいるせいか、幸いその程度の動きならなにも気づかれないようだった。


「雨、降るのかなぁ」


 あいにく、リーゼロッテに天気予報の魔法は使えない。それでも肌を撫でる空気はどことなく重く感じられ、そう遠くなく雨が降り出しそうな予感に眉を下げる。


「せめてもう数日待って欲しいところだけど……」


 呟きながら、リーゼロッテは少しだけ飛行速度を上げた。






「リズ!」

「おはよう、ポリー」


 事前に許可をもらっていたため、リーゼロッテは直接中庭に降り立った。その姿を目にするなり、飛びついてきたのはポリーだった。


「え、もしかしてお花咲いたの⁈」


 その明るい声音に、リーゼロッテもつられたように笑顔を向ける。片手に持っていた箒を消して、ポリーの背中に両手を添える。ポリーの首には精霊石のペンダントが下げられていた。


「ううん! 咲いてない!」


 けれども、見上げたポリーはふるふると首を横に振った。合わせてぴるぴると揺れる狼の耳がかわいい。つい目を奪われそうになりながらも、リーゼロッテはポリーの顔をまっすぐに見返した。


「そうなの?」

「うん。でも、本当にもうすぐ咲きそうなの! 見て!」


 言うが早いか、ポリーはリーゼロッテの手を掴み、鉢植えの傍へと引っ張っていく。


 リーゼロッテは思わず目を瞠った。中庭の片隅に並べられた鉢植え――中央の一つが、柔らかな光を纏っていた。月光のように、仄かに黄色い輝きを放つそのつぼみは、確かに昨日見たときよりも更に膨らんでいる。なんなら先端の方はすでに綻んでいて、いまにもほどけるように花開きそうにも見えた。


「本当だ……昨日と全然違うね」


 最初に見たときもいまにも咲きそうだと思ったけれど、それとは比べものにならないくらいの変化だった。


「精霊石、使ってみたの」

「あ、使い方教えてもらえたんだ?」

「うん。こうして……」


 ポリーはぶら下げていた精霊石を手に取ると、両手に握ってその小さな手ごと額に当てた。目を閉じて、深呼吸をひとつする。そうして、心の中で話しかけるのだと言う。自然にしっかりと感謝しながら、今回でいえば目の前の花と対話し、丁寧にお願いをする要領。するとそのうちに相手が応えてくれて、頭の中に直接声が聞こえてくるらしい。その親密度が進むにつれて、より干渉できるようになっていくとのことだった。


 要は自然対象と仲良くなればなるほど、エルフこちらに身を任せてくれるということらしい。


「ママがやれば早いのかもしれないけど……」

「そこはポリーがやりたいよね。ここまでお世話してきたんだもん」

「うん。それに、ママも自分でやってみなさいって」


 手を下ろし、リーゼロッテと共に見つめる先で、〝月の雫〟のつぼみが更に開く。少しずつ、ほんの少しずつではあったけれど、この調子でいけば少なくともポリーの誕生日までには咲きそうだ。


「ねぇ、ポリー。その水筒、貸してあげる」

「え?」

「わたしはそろそろ行かないとだけど、お水はそれがあればきっと足りるから」


 水筒には、それこそこんなにいるかな? と二人で顔を見合わせたくらいにはたくさんの水が入れてある。結局まだまだ入りそうだったところをストップしたのだけれど、おそらく一週間程度であればじゅうぶんもつだろう量が残っているはずだ。


「急ぐの?」

「うん。この子の魔法、少しでも早く解いてあげたいんだ」


 リーゼロッテは腰のうしろに回っていたポーチを前に戻す。顔だけ出しているぬいぐるみシリウスは、風の煽りを受けていつのまにか猫耳フードを被っていた。実はその際どうにか脱ごうとじたばたしてみたのだが、派手に動くわけにも行かず結局そのままになっていたシリウスだった。


(クソ……よりにもよって)


 心の中で毒づくシリウスの頭を、ポリーがそっと撫でた。


「この子、魔法がかかってるの?」

「そうみたいなの」

「魔法が解けたらどうなるの?」

「それはわからないんだけど……」

「でっかい怪物になったりしない?」

「え! そ、んなことは……ないと思うけど……っ」


 言われてみれば、可能性がないわけではない。リーゼロッテは勝手にかわいい小動物あたりを想像していたけれど、それは単なる願望にすぎない。アリスハインも〝かもしれない〟としか言っていなかった。


「ええ――……」


 にわかに不安になるリーゼロッテの傍で、ポリーは不意に身を屈め、


「猫耳、かわいい」


 わたしとちょっと似てる。と、嬉しそうにこぼしながら、シリウスの頭をそっと撫でる。


「ね、かわいいよね!」


 リーゼロッテもそれにはすぐさま反応したけれど、頭の中は少々大変なことになっていた。


 本当に怪物だったらどうしよう。実はなにかとんでもないものが封印でもされていて、こんなぽんこつ魔法使いが不用意に解いてしまったばかりに世界は混沌の海に……なんてことになったらどうしたら……!


「――大丈夫みたい。悪いものじゃないと思う」

「へ……?」


 気が付くと、ポリーはシリウスに鼻先を近付けていた。すんすんと匂いを嗅ぐように鼻を鳴らして、それから笑顔で背筋を伸ばす。


「わたし、結構鼻が利くんだ。いろんなお花や植物を見つけられるのも、なんとなくそういう匂いがわかるからっていうのもあって……」

「うん……?」


 きょとんと瞬くリーゼロッテに、ポリーは続けた。


「――もしかしたら、リズの王子さまかも」


 その頭の上で、黒銀髪色と同じ色の狼の耳がどこか楽しそうにぴこんと跳ねた。

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