(ん……)
シリウスは目を閉じたまま寝返りを打つ。リーゼロッテの手の中からするりと抜けたその身体が、上掛けの隙間からベッドの下へと滑り落ちる。
ぽてん。
(……いって)
顔面からの落下に、思わず額に手を当てる。実際に痛みを感じたわけではなかったが、辛うじて届く短い手の先で前髪の隙間をゆるゆるとさすった。
「……?」
ゆっくりと覚醒していく意識の中、シリウスは瞬き、顔を上げる。目の動きに合わせて視界が動く。
「!」
そこで一気に目が覚めた。そして気づく。
動ける。動けるようになっている。
「……っ」
とっさに出そうとした声はやはり出なかったけれど、身体は動かせるようになっていた。
シリウスはよろけつつも立ち上がり、自分の姿を見下ろした。
(いや、夢か……?)
ベッドの上で、いまだすやすやと眠るリーゼロッテを見上げてみる。そのかたわら、なんとなく自分の頬をはたいてみたけれど(指はわかれておらず抓ることはできないので)、そもそも痛覚が機能していないためそれによって確かめることはできなかった。
「……」
巡らせた視線を窓の方に向ける。垂れ下がるレースのカーテンの向こうに、明け方の空が見えた。
試すようにぽてぽてとおぼつかない足取りで歩く。ふわふわのパジャマが邪魔くさかったが、脱いだら下はなにも着ていない状態なのでそれも選べなかった。
シリウスは何度も滑り落ちながらもなんとか椅子をよじ登り、テーブルの上におかれていたポーチに目を遣った。淡い水色と白の配色、そこにシンプルなフリルがあしらわれたその中に、昨日もシリウスは入れられていた。
「……」
シリウスは無言でそこにもぐり込む。頭だけ出して、仰向けに転がった。こんなことで現実だと確認できるはずもないだろうが、不本意ながらもしっくりくるその感覚になんとなくこれは現実だと思い知らされた気がした。
どういった経緯でこうなったのかはわからない。それでも、目が覚めたら動けるようになっていた。それだけは間違いない。
相変わらず姿はぬいぐるみのままではあったものの、瞬きもできるし、視線も好きに動かせる。何度試しても発声だけはできなかったが、動くことに関して制限はないようだった。シリウスはもたもたとポーチを抜けだし、再び椅子を伝って床へと落ち――降りた。想像以上の頭の重さによろめきながらも室内をぐるりと見渡して、リーゼロッテが起きる気配がないのをいいことに、ひとまず洗面所へと足を向けた。
(ど……どんな格好だ)
洗面台の上に立つシリウスの前には大きな鏡。そこに映っていた自分の姿に今更の衝撃を受ける。
まず自分で思っていたよりずっと目が大きい。ほとんど真一文字の口は小さく表情は乏しいが、その目の大きさとふわふわもこもこパジャマが全てをかわいらしい印象に変えていた。
とても見ていられない……。シリウスは逃げるように視線を逸らすと、無言でくるりと背を向ける。そのまま洗面台の傍にあった椅子を伝い、また床へと
(はぁ……)
ぴょこぴょこと大きく頭を上下させつつ歩いて部屋に戻る。相変わらず動きづらい。それでも少しは慣れてきたかと思ったら、なにもないところでつまづいてびたんと顔を打ち付けてしまう。踏んだり蹴ったりだと思う中、追い討ちのように頭上から微かな声が降ってくる。シリウスはぎくりと身を震わせた。
「ん……」
リーゼロッテが起きそうな気配がする。それもそのはず、気が付けば朝食の時間が迫っている。むしろ寝過ぎだ。あいかわらず寝穢い……。
心の中で呟きながら、シリウスはふと足を止める。なんならこのままたたき起こしてやろうかとも思ったけれど、なんとなく動けるようになったことはすぐには知られない方がいい気がした。バレれば絶対根掘り葉掘り聞かれるし、なんならまた身体のあちこちを調べまくられるかもしれない。その結果正体を知られてしまったらなんて、考えるだけでもぞっとする。いずれバレるにしても、それがいまである必要はないはずだ。
仮に隠し通せたとしても、こんな上手く意思疎通もできない状態で、基本脳天気なリーゼロッテの好きに解釈されるのも我慢ならない。
考えた末、シリウスはベッドの下にぽてんと転がる
「……ん、あれ……?」
まもなくリーゼロッテが目を覚ます。目元を擦りながら欠伸を漏らし、身体を起こすと何度か気怠げに瞼を上下させる。それからゆっくり視線を巡らせ、枕元に手を伸ばす。瞬きを重ね、次第に覚醒してきた意識の中で布団を捲る。
「シェリー……?」
さわさわとシーツの上に手を滑らせる。けれどもそこに触れるものはない。シリウスがいないことに気づいたリーゼロッテははっとしてベッドの下に目を向けた。
「あ、いた」
リーゼロッテの視線が床に落ちていたシリウスをとらえる。シリウスは仰向けのまま、どことない中空を見つめてじっとしていた。動けるようになったらなったで、今度は動かないでいる方が難しいかもしれない。それでもなんとか誤魔化せたようで、その手の中に拾い上げられても一切気づかれなかった。
ただこう……なんというか、動けるようになったせいか、触覚がやけに鮮明になっているような……。リーゼロッテの手の温もりだとか、頬に触れる肌の感じだとか、もっと言えばその、抱き締められたときのささやかな胸の感触だとか。
これまでも伝わっていなかったわけではないけれど、それがいっそうはっきりわかるようでなんだか居た堪れないような気分になった。
そんなシリウスの胸中など知るよしもなく、ベッドを降りたリーゼロッテは「おはよう」と当たり前のように頬擦りをして、「またベッド抜け出したの?」などと本気なのかボケなのかわからないことを言いながら、シリウスの鼻先にちょんと触れる。
相変わらず楽しそうにシリウスの服を着替えさせ、それから自分もいつもの――シリウスと揃いの法衣を身に纏う。
朝食の時間まではあと五分とない。気づいたリーゼロッテは急いで顔を洗い、申し訳程度ながらに髪を梳かして、それでもシリウスだけは丁寧にポーチに入れた。斜めがけにしたそれに片手を添えて、そうして部屋をあとにする。向かった先はもちろん一階にある食堂だ。リーゼロッテが借りた部屋は二階の角にあった。