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33.ポリーという女の子

 ***



 オルランディが作ったという〝月明かりの花〟はこの世に三本しかないという。オルランディの正体は結局わからないままだが、少なくともなにかしらの魔法を使えるということだけは間違いなさそうだった。


「お待たせ、ポリー」


 約束通り、リーゼロッテは三つの鉢植えをポリーの元へと持って帰った。湖の水――水筒は先にポリーに預けているため、他に荷物は特にない。


 ポリーの自宅、兼店舗の奥には小さいながらも中庭が作られており、幸いにも頭上が開けていたことから、直接そこまで運ぶことができた。日当たりの良い場所を選んでそれを並べると、ポリーは早速水筒から水差しへと中身を少しずつ移し、手慣れた様子で水やりを始めた。


 そんなうしろ姿を眺めながら、リーゼロッテは心から祈る。早く花が咲きますようにと。オルランディから聞いた話は、ひとまず知らないふりを続けていた。


「そういえば、ナディアさんは? 精霊石のことは聞けた?」

「それはあとで教えてくれるって。その前に、リズに話があるって言ってたよ」

「わたしに?」


 瞬いて問い返すと、ポリーは振り返って頷いた。


「戻ってきたらお店に顔出してほしいって。行ってみて」


 直接中庭に着地したから、二度目はナディアの顔をまだ見ていない。一度目はそれはもう泣きそうに微笑ってポリーを抱き締めていた。事前にリーゼロッテが話をしていたから、無事であることはわかっていたはずだが、それでも心配だったのだろう。床に膝をついて抱き締めるさまはリーゼロッテもつられて涙ぐんでしまうくらいだった。


「ナディアさーん! いま戻りました!」


 箒は一旦消すことにして、中庭から一旦路地裏に出たリーゼロッテは、改めて店の正面へと回った。声をかけると、ほどなくしてナディアが姿を見せる。相変わらず右手には杖が握られていて、ゆっくりとした足取りなのは変わらない。


「おかえりなさい、リーゼロッテさん。このたびは本当にお世話になりました」

「あ、いえ……ちゃんとお役に立てたかどうか」

「十分です。あの子を見つけてきてくれて、しっかりお話をする機会までいただけて本当に助かりました」


 ナディアに勧められるまま、再び小さな丸椅子に座る。かたわらのテーブルに用意されていたティーポットから注がれたのはローズティーだった。ふわりと漂う華やかな香りに自然と表情が緩む。


「あ……お話、できましたか?」

「はい。なんていうか、お手伝いをしたかったみたいなんです」

「お手伝い……」


 どうぞと促され、手に取ったカップにそっと口をつける。鮮明な香りが楽しめるわりに口当たりはまろやかで、あと味もすっきりとして飲みやすい。一口飲んだあとに垂らしてもらったハチミツがまたいい仕事をしていた。


 正面に座ったナディアも同じものを口にしながら、ふと店先に視線を向ける。ところせましと並べられた花や鉢植えは今日もみずみずしく美しい。


「いつも家のこともよく手伝ってくれる子なんですけど……お店の売り上げについても、売り上げが良くなればその分わたしにもゆっくりさせてあげられる、と思っていたみたいで」

「いい子ですね」

「はい、本当に」


 多少思い込みが激しくて、無鉄砲なところはありますけど、とナディアは苦笑ぎみに、けれども愛おしそうに微笑った。






「じゃあ、また明日寄ってみますね」


 ポリーとした約束を口にしながら、リーゼロッテは深々と頭を下げる。軒先に並んだナディアとポリーは、そうしてリーゼロッテの姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。


 ポリーの魔法についての話もいくらかはすることができた。ポリーもいままでの経緯を素直に話し、ナディアはとても驚いてはいたけれど、そういえば父親側の先祖に魔法使いがいたというようなことを聞いたかもしれないという話に落ち着いた。


 誰に師事するかについてはオルランディの存在も頭をよぎったけれど、それよりはまず直接の取引相手でもあるアリスハインに相談してみる方が早いかもしれないと提案をした。そのときにはリーゼロッテの名前を出してくれていいからと、そしてリーゼロッテからも近いうちにひとこと連絡を入れておくということにした。


「……泊まるところ、紹介してもらえて助かったね」


 約束の報酬も素直に受け取ることにした。これくらいしかできないけれど、と渡された額は決して多くはなかったが、代わりにと今夜の宿を手配してもらえたのは幸いだった。


 残り少ない手持ちを含めてもミカエルが泊まっているような高級宿は使えないし、そうかといって、街中にある標準クラスの宿はすでに予約でいっぱいのようだったから。そろそろ雨期が近いため、連泊で部屋を押さえている人も少なくないとのことだった。


「あ、あそこかな」


 少しひらけた場所に出たリーゼロッテは、箒で空を移動することにした。


 斜めにかけられたポーチにはもちろんシリウスが収められている。ぬいぐるみシリウスの肌を柔らかな風が撫でる。雨が近いのか空気が少し湿っている気がした。最初は新鮮味があると思っていた空の旅にもずいぶん慣れてきて、けれどもこれ以上慣れる前にできれば元の姿に戻りたい。眼前の景色を見るともなしに眺めながら、シリウスはぼんやり考えていた。


 やはりせめて、せめて短時間でも動けるようになれたら……。


「降りるよー」


 そんなシリウスをよそに、独り言にしては大きな声で告げながら、リーゼロッテは徐々に高度を下げる。ふわりと濃紺の法衣の裾が広がり、まもなくつま先が地面に届く。目の前に佇んでいたのは、蔦の絡む白い壁に、カラフルな屋根瓦の載るかわいらしい建物。その裏手には見上げるほどの大木が葉を茂らせており、風に揺れる枝葉の隙間から落ちる木漏れ日がいっそうその表情を明るく見せていた。


 街の外れにぽつんと佇むそれは想像以上に古めかしく、それでいてしっかりと手入れが行き届いている。そこはナディアの両親――ポリーの祖父母が営む民宿だった。


「すてきだね、シェリー」


 リーゼロッテは箒を握ったまま、なかば見蕩れるように目を細める。ややしてカランとベルの音が響く。誘われるように見遣った先で、外開きのドアがゆっくり開いた。

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