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32.リーゼロッテとオルランディ

(誰かいる……)


 ポリーを送り届けて戻ってきたら、鉢植えを摘んでまたすぐにポリーのうちへ。そのつもりで山小屋へと戻ってきたリーゼロッテだったが、いつのまにかそこにはさっきまでなかったはずの人影があった。


(……魔法使いか?)


 先に気づいたのはシリウスだった。


「――わ! え、誰⁈」


 地面に降り立ち、ぐるりと視線を巡らせてからようやくリーゼロッテは声を上げる。その相手は、近くのベンチに並べておいていた鉢植えを覗き込んでいた。背丈はリーゼロッテくらい――一五〇そこそこ――だろうか。フードを深く被っているため顔も見えず、性別もわからないものの、その身に纏っているのはどうみても魔法の法衣に見えた。もしかして、


「オ……オルランディさん、ですか?」


 両手で箒をぎゅっと持ち、慎重に近づきながらリーゼロッテは問いかける。それくらいしか思い当たる節がない。


「誰じゃ、お前さんは。この花をどこに持っていこうとしとる」


 振り返ったのは真っ白な眉毛と髭が豊かなおじいさんだった。間違いない。ポリーの説明にあった通りだ。


「あ、あのわたし、ポリーの……ポリーのお手伝いをさせてもらっている魔法使いで……」

「手伝いぃ?」

「は、はい。そのお花をどうしても咲かせたいからって、今後はおうちでお世話を……」


 弾かれたように背筋を伸ばすリーゼロッテに、オルランディはあからさまに怪訝そうな顔をする。


「誰が決めたんじゃ」

「わ……わたし、です」


 ぴりと僅かに緊張が走る。


 よく考えたら、ここにあるものはすべてこのオルランディの所有物だったはずだ。いまになって思い出したリーゼロッテは、申し訳なさそうに視線を下げる。

 いくらポリーに一任していると言っても、それはここでの世話に限ってのことだったのかも知れない。


 どうしよう、といまさら困惑していると、けれどもオルランディは意外にもそれをあっさり認めてくれた。


「まぁいいじゃろう。わしの予想よりも時間がかかっとるようだし……お前さんが魔法使いだというなら、任せることにしよう」

「い、いいんですか?」

「いいもなにも、もう決めたことじゃろうが。すでにポリーはおらんようだし……」

「あ、はい、ごめんなさい、なんの相談もなく勝手に決めてしまって」


 リーゼロッテは再びオルランディの顔を見る。表情を明るくさせて、それでも眉尻は僅かに下がっていた。


 だってまさかこのタイミングでオルランディ本人が帰ってくるなんて思わなかった。ポリーの口振りからして、少なくとも半月くらいは猶予があると思っていて――だからこその提案でもあった。


「ポリーから、話は聞いておるのか?」

「……いえ、それが肝心なところはあまり」

「そうだろうの。願いごとは声に出さない方がいいと伝えておるからの」

「願いごと……ですか?」


 緩く首を傾げるリーゼロッテに、オルランディは悪びれず頷いた。


「そう言っておけば不用意に口外せんだろう」

「あ、口止めのため……」

「だけじゃないがな」

「だけじゃない?」

「早い話が、万能薬じゃよ」

「万能薬……⁇」


 願いごと、口止め、そして万能薬。まったく話が見えないリーゼロッテは目を丸くして、どういうことだろうと無意識に身を乗り出した。


「ポリーは、母親の足を治したいらしくての」

「ナディアさんの」


 確かにナディアは杖を突いていたし、足が悪いという話は聞いていた。


「母親の足は、昔負った怪我がもとで動きが悪くなっておるらしいんじゃが、今後も治る見込みはないと言われているらしい」

「そう、なんですか……」


 オルランディの話を大人しく聞く一方で、リーゼロッテの胸はどきどきと高鳴っていた。


 願いごとに万能薬。改めて反芻すると、ますます心臓が早くなる。だってそれが本当なら、使い方によってはシェリーの魔法だって解けるかもしれない。


 とは思ったけれど、ポリーの話では花が咲くとしても一年に一度、一輪だけということだった。そうなると花に頼るにしてもここから一年待たなくてはならなくなる。少しでも早く魔法を解いてあげたいと思っているリーゼロッテにとっては気の長い話だった。


(まぁ、そう簡単にはいかないよな)


 ころころと変化するリーゼロッテの声音や表情から、なんとなくその胸中を察したシリウスは、腰の前にぶら下げられたポーチの中でぼんやり思う。期待しなかったわけではないが、そういうことなら仕方ない。そもそもシリウスにかかっている魔法が解けるかも定かではないし、例えそうだったとして、いたいけなポリー少女を押し退けて俺が、なんて真似はさすがにできない。


 だいたい、この老人は本当にただの魔法使いなんだろうか。見れば見るほど架空の話に出てくる仙人のようにも見えて、シリウスはむしろそちらの方が気になっていた。


「あの花が咲いたとき中に溜まっている蜜を飲むと、たちどころにどんな病気も治る――はずなんじゃ」


「はずなんじゃ?」


 そんなシリウスをよそに、二人は会話を続ける。


「ちゃんと成功しておったらな」

「成功?」


 リーゼロッテはポーチを腰のうしろに回し、更に前のめりになった。


 オルランディがちらりとその手元に視線を向ける。けれどもリーゼロッテもシリウスもそれには気づかなかった。


「うむ。あの花――命名、月の雫! いま決めた! ……は、もともとわしが作ったものじゃからの」

「え、え……?」


 まるでなんでもないように頷くオルランディは、自身の豊かな髭を撫でながら得意気に重ねた。


「わしが作ったんじゃ」

「えええええええ⁈」


 リーゼロッテはこぼれそうなほどに瞳を大きく見開いた。

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