ベンチに置いたかごにはナディアから預かった食べ物が入っている。パンにくだもの、昨夜の残りだけど、と渡されたシチューは冷めてはいるが、リーゼロッテが温めればいいかとそのまま受け取ってきた。
任せてと早速腕まくりをするリーゼロッテに、シリウスは期待どころか不安しかなかった。
「……ん? あれ?」
沸騰しないようにと控えめにしているせいか、なかなか温度が上がらない。人肌程度にでもと思うのに、まったくもって上手くいかない。ぬるくもならない。
太陽が完全に沈む頃には、二人は小屋の中に戻っていた。中央の円卓に並べた食器はもともとここに揃っていたものだった。建物は古めかしく見えるが、中はそれなりに生活感があり、ポリー以外にも誰か使っている者がいるのだろう形跡があった。
そういえば、そもそもここに目隠しの魔法をかけたのは誰だったのか。リーゼロッテはふとそのことを思い出し、シチューを注いだ器に手を翳したまま、ぱちりと瞬いた。
もしかしたら、ポリーはここで誰かの手を借りているのかもしれない。詳しい話はまだ聞けていないけれど、その可能性は高そうだ。お菓子の包み紙とやらも、その相手から差し入れを受け取っていたからとか……。やっぱりあとでちゃんと話を聞かなければ――そう思っていた矢先のことだった。
「わたしにやらせて」
そこですっと挙手したのはポリーだった。ポリーは椅子の上に膝立ちし、リーゼロッテがしていたのを真似るように手のひらをテーブルへと向けた。
「え……、ポリー……?」
ポリーは冷めたままのシチューに両手を翳し、そこに意識を集中させる。
いや、でも、ポリーは種族的にはエルフと人狼という話で、それを証明するかのように、黒銀色のふわふわとした髪の間からは獣の耳が覗いている。子供さながらの柔らかな毛を纏ったそれは、けれどもちゃんと音も気配も敏感に察知する。そんなポリーに、まさかそんな魔法使い染みたことができるはず――。
「――わ!」
リーゼロッテは思わず声を上げた。
戸惑いながらも見守っていた先で、少しずつシチューの表面が揺れ始め、まもなくコトコトと泡立ち始めたからだ。そのうちにおいしそうな匂いも漂い始め、本当に? と思って触れてみると、確かに器越しにも温まっているのが伝わってきた。
え? どういうこと? エルフってこんなことまでできるの?
「わたし、魔法が使えるみたいなの」
「ええ⁈」
リーゼロッテは大きく目を見開いた。なんなら口もぽかんと開いている。
ああ、とそのかたわらでシリウスは思い出す。
考えてみれば、最初からポリーは〝あなたも〟と言っていた。見るからに魔法使いのなりをしたリーゼロッテを前に、〝あなたも魔法使いなの?〟と。
「魔法使いの話は聞いてなかったけど……」
とはいえ、他にどんな血が混ざっているかはわからないとは言っていた。ようするに、言い伝えられていないくらい遠い祖先に魔法使いがいたということだろう。
「こういうの、なんて言うんだっけ」
(隔世遺伝だな)
独り言ちるリーゼロッテに心の中で答えながら、シリウスは自分の家系のことをぼんやり考える。シリウスの祖先にも魔法使いは存在している。細かい性格はそれこそ遺伝によるものなのか、シリウスの家の家系図は詳細なものが残されていて、現在も絶賛更新中だ。
それでもシリウスには魔法使いの特性らしきものはいまのところ現われていない。なんなら母親は普通に魔法が使えるのに、シリウスは空を飛ぶことすらできなかった。
まぁ、そういうことも少なくはない。実際、さまざまな血が混ざることによって、優性、劣性の序列も定まらなくなっているのが現状だ。
「これくらいでいいかな?」
ポリーは手を下ろし、ふうと一つ息を吐く。リーゼロッテは誤魔化すように笑って再度器に触れた。熱すぎず、冷たすぎず、すぐに食べるのにちょうど良さそうな温度になっていた。
「ポリー、その、魔法のことナディアさんたちには……?」
「まだ言ってない」
ということは、これも完全に独学ということだろうか。
「あ……え、もしかして、わたしがここに来たときの……目隠しの魔法も……」
「うん、あれもわたしの魔法」
「ええ、すごい……!」
魔法使いの血は主に三歳ごろに覚醒すると言われている。個人差はあるものの、概ね七歳までにはその特性が現れ、箒に名前が出た時点でその使い方を学び始めることになる。
リーゼロッテはそれが一歳の頃と早く、幼稚園に入る頃にはすでに空も飛べるようになっていた。残念ながらそれ以外の魔法の習得についてはいまだ苦戦中だが。
「あ、でも空は……?」
「空?」
「そう、空は飛べる……?」
「ううん、飛べない」
当たり前のように言われて、リーゼロッテは瞬いた。習得順序がぐちゃぐちゃだ。リーゼロッテは思わず入口近くに立てかけている自分の箒に目を遣った。
魔法使いが最初に習得するのは飛行魔法だ。飛行魔法が苦手な魔法使いもいるにはいるが、それでもまずは自身の魔法力を持って箒に名前を刻むところからスタートする。その
ポリーは確かに魔法を使っている。使えている。しかもポリーが使っていた目隠しの魔法は、対象を物体ではなく領域とした、いわゆる結界魔法との複合技だ。あんな高度な魔法、リーゼロッテには使えない。それでいて、ポリーは自分の箒すら持っていない。
「うーん……」
できることならいますぐにでもアリスハインに相談したい。でもここにそのアリスハインはいない。
二人のやりとりにはシリウスも沈黙していた。なかなかの想定外な事態に、シリウスもすぐには答えが出せない。
「……とりあえず、ごはん食べよっか」
あまりよくない状況だとはわかっていたが、ともあれ〝ぐう〟と腹が鳴ったのを合図に、リーゼロッテはひとまず笑ってそう促した。