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「ただいまぁ」
リーゼロッテは湖畔の小屋の傍へと降り立つ。足が地面につくなり箒を片手に持ち替えると、柄に下げていた小さなかごを近くにあった古びたベンチの上へと置いた。
それから視線を巡らせると、周囲を囲むように整えられた畑の方へと足を向ける。一角には色とりどりの花が植えられており、どこかアリスハインの自宅の光景を彷彿とさせた。
「あ、おかえりなさい、リズ」
アリスハインのそれに比べると規模は小さいが、小さいなりに立派な花畑が設えられている。その中に佇んでいたポリーが顔を上げ、リーゼロッテの方を見る。
「大丈夫だった?」
「うん。ポリーは無事ですってことと、明日までには必ず連れて帰りますって伝えたら、わかってくれたよ」
「そっか……良かった」
ほっと息をついたポリーに、リーゼロッテは柔らかく微笑みかけた。
「でも、お花が咲いたら帰るんだよ。もし咲かなくても、明日には一度、顔を見せに帰ろうね」
「……わかった」
ポリーの手の中にはぶりきの水差しが握られていた。一帯の水やりを済ませたポリーは、持っていた水差しに水を汲むべく湖のほとりへと足を向けた。
「あ、大丈夫? 手伝おうか」
「いい、一人でできる」
振り返ることもなく言い切って、ポリーは辿り着いた水辺で身を屈める。空になった水差しを傾けて浸し、中に水をためていく。水差しはポリーの身体に比べると少し大きく、満水にしてしまうとそれなりの重量になる。それを持ち上げようとしたポリーの足がよろめき、つま先が水際をぱしゃりと踏んだ。
「わ、大変!」
――なるほど。こうして靴が濡れることがあるのか。腰元のポーチの中で冷静に思うシリウスをよそに、リーゼロッテは慌ててポリーの傍へと駆け寄った。
「これくらい大丈夫」
リーゼロッテはポリーの持つ水差しに手を伸ばす。けれどもポリーはふるりと首を横に振る。重いだろうと代わりに持とうとしたリーゼロッテから水差しを遠ざけ、そのまま花畑へと戻っていく。
間の小道を抜けて、真っ直ぐ向かった先は小屋の裏手だった。そこには階段状のフラワースタンドが置いてあり、いくつかの鉢植えが並べられていた。
「わぁ……そっか。このお花を咲かせたいんだね」
「うん」
うしろをついていったリーゼロッテは、先に足を止めたポリーの横に並ぶ。目の前の植木鉢には、見たことのない花が一輪ずつ植えられていた。同じ種類とおぼしき鉢植えは全部で三つ。そのどれもがつぼみで、けれどもそれもかなり膨らんでいるように見えた。それこそいまにも花開きそうなほどに。
「でも、今夜もまだ咲かないかも……本当に、あとちょっとだと思うんだけど」
「そういうの、わかるの?」
「うん、なんとなく」
そこに静かに水を差しながら、ポリーは呟いた。
「……この場所も、まだ内緒にしてたいの」
でも、心配をかけたいわけじゃない、とポリーは続けた。
「うん。そうかなと思って、わたしも
リーゼロッテが頷くと、ポリーは「ありがとう」とはにかむように僅かに眉を下げた。
「……そのぬいぐるみ、リズの大事?」
「え?」
ややして、ポリーは横目に視線を落とす。目を向けた先はリーゼロッテの腰元で、そこにはシリウスの入ったポーチが下げられていた。
「あ、うん。これはわたしの大事!」
リーゼロッテは少しだけ気恥ずかしそうに笑って、けれども心底愛おしそうにその頭を撫でた。シリウスは不本意にもそれを甘受しながら、一方で「大事……」と心の中で反芻する。
「大人なのにって思う?」
「そんなことない」
「ふふ、ポリーは優しいね」
くりくりとシリウスの頭を指先で撫で続けるリーゼロッテに、ポリーはつられたように表情を和らげる。
「ポリーはなにが好き?」
「わたしはきれいなものが好き」
「そっか。お花もきれいだものね」
ポリーは嬉しそうに頷いて、それからふいにぱちりと瞬く。
「……? リズ、ポケットになにか入ってる?」
ポリーの視線が再びシリウスの方に向く。その目が示していたのは、ポーチの下になっていたポケットの膨らみだった。