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23.目隠しの魔法

 ***



 さらに坂道を登っていくと、街を囲んでいる山の入り口へと辿り着く。山道は一応舗装されてはいたものの、それも三分の一程度で、あとはいわゆる獣道だった。


 常緑樹が多い森の中は一年を通して暗く、普段からあまり人が立ち入るような場所ではなかった。季節によっては山菜を目当てに訪れる者もいるにはいるが、少なくともそろそろ雨期だというこの時期に入山する者はめったにいない。


 にもかかわらず、中腹にある比較的大きな湖のほとりには蔦の絡まる木造の小屋が建っていた。周囲には手入れされた畑まで広がっており――けれども実際にはそれらが人目につくことはない。例え通りがかった人間がいたとして、そこになにがあるかを認識することはできない状態だ。


 かけられていたのは、目隠しの魔法だった。


「……あれ?」


 空から地上を眺めていたリーゼロッテは、その違和感に気づいて瞬いた。


「あそこ……あの湖のほとり」


 呟いて、ゆっくりと高度を下げていく。もともとそのつもりだったこともあり、その行動に迷いはなかった。箒に乗ったままでは木々が生い茂る森の中までは見えなかったため、ひとまずひらけた場所があれば降りてみようと思っていたのだ。


「やっぱり、魔法がかかってる……」


 範囲を決めて施された魔法それは、近づくほどその存在を主張する。その気配に気づくことができたのはリーゼロッテが魔法使い同族だからで、かつ、おそらくそれをかけた魔法使いのランクがリーゼロッテと近かったからだ。例えばアリスハインが同様の魔法をかけていたなら、リーゼロッテにはなに一つ感じられなかったに違いない。


「……誰もいない?」


 リーゼロッテは静かに歩み寄ると、領域の際で足を止めた。境界を安易に超えない方がいいことはわかっている。気づかなかったならまだしも、気づいていてそんなことをしたらと思うと、想像の中だけでもアリスハイン師匠の視線が痛い。


 そもそも、ランクが近いから読み解けただけで、リーゼロッテに同じ魔法は使えない。領域を区切って施す魔法は結界魔法とも呼ばれ、それなりの腕がないと扱えないものなのだ。


「……だぁれ?」


 そこに背後から声がかかる。リーゼロッテの心臓が跳ねる。慌てて振り返った先には、小さな女の子が立っていた。


「あ……えっと」


 少女はリーゼロッテを怪訝そうに見つめてくる。黒銀色の髪に、同色と翡翠色のオッドアイ。赤いジャンパースカートの胸元にはひまわりの花の刺繍が入っていた。


 ――ポリーだ。


 確信する一方で、リーゼロッテは思わず少女を見つめ返す。


 だっていつのまに……。


 人の近づくような気配は感じられなかったし、草を踏みしめる音も聞こえなかった。


「あ……」


 そのとき、ぴる、と少女の頭の上でなにかが揺れた。


 リーゼロッテはようやく気づく。目の前で揺れる、短めのふわふわとした髪の合間になにかある。それは小ぶりながらも狼のものらしき耳だった。……なるほど、気配を消すのが上手いのも、狼の特性によるところなのかもしれない。


「ねぇ、あなただぁれ? あなたも魔法使いなの?」


 すぐに反応できないでいたせいか、ポリーはいっそう訝しげにリーゼロッテを見上げてきた。きらきらとした瞳を眇めながら、無遠慮に巡る視線がとらえたのはリーゼロッテが片手に持ったままの箒だった。


「あ、ごめんなさい……っ」


 いまだどきどきと早鐘を打つ胸に片手を当てつつ、リーゼロッテは努めて笑顔を作った。


「わたしはリーゼロッテ。うん、そう。魔法使いだよ。……あなたはポリー、だよね?」


 リーゼロッテが一歩前に出ると、ポリーはその分逃げるようにあとずさった。


「え……」


 わけもわからないまま、少しばかりショックを受けたリーゼロッテは、一旦足を止めて様子を窺った。


「連れ戻しにきたの?」

「え?」

「わたし、まだ帰れない」

「帰れない?」


 問い返せば、ポリーはこくんと頷いた。


「もう少しでお花が咲くの。満月の夜にいっぱい光を浴びたから、きっともうすぐ」

「……えっと」


 リーゼロッテが立ち止まれば、ポリーもうしろに下がるのをやめた。


 ポリーは自分の服を握り締めながら話を続けた。


「それが咲いたら、帰る」

「そっか……」


 話はよく見えないけれど、言われている意味はわかった。リーゼロッテはできるだけ柔らかな眼差しを向けると、目線を合わせるように身を屈めた。


「じゃあそれ、わたしも一緒に待っててもいい?」

「……リー……も、一緒に?」

「うん。リズって呼んでくれたら嬉しいな」

「……リス?」

「リズ」

「リズ」

「そう」


 リーゼロッテはにこりと微笑む。


「あなたを探していたのは確かだけど、いますぐに、とか、無理に連れ戻したりはしないよ」

「……わかった」

「うん」


 リーゼロッテが褒めるように頷くと、ポリーはようやく表情を緩めた。ほっと安堵の色を浮かべて、次には笑顔も見せてくれる。


「じゃあ、わたしのこともポリーでいい」


 わかりやすく解けた警戒心はやはり年齢相応で――けれどもそれも相手がリーゼロッテだからかもしれないと、腰のうしろに回されたポーチの中でシリウスは思った。


 リーゼロッテは妙に人の懐に入るのが上手いところがある。特に本人にそのつもりがあるわけではないようだが、結果的にそうなっていることも少なくない。それはシリウスに対しても同じで、そこがシリウスの苦手とするところでもあった。


(とりあえず……話をもう少し聞いてみないとな)


 一方で、ポリーをすぐさま連れ帰るというのは難しそうだということもわかった。できるできないではなく、リーゼロッテにそのつもりがなさそうだという意味で。


 思ったよりもすんなり見つかった迷子の回収には、まだまだ時間がかかりそうな予感がした。

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