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17.満月の晩に

 ***



 翌日も一日ずっと移動だった。朝が弱いリーゼロッテは少しばかり寝坊していたけれど、支度はそう時間もかからず、簡単に腹ごしらえをしてからはすぐに出発することができた。


 リュックを背負い、シリウスを入れたポーチを斜めがけにし、箒に跨がると空へと飛び立つ。そうして青空の下を進み、昼食時には森の中へと降りてメイサの焼き菓子とハーブティー――魔法の水筒なため、中のハーブティー数日はつし量もものすごく入る――で空腹を満たし、魔法力温存のために地上を歩いたりもした。

 時折吹き抜ける強い風、どこに行っても遭遇するカラスの悪戯。時間によっては日差しも強く、舗装されていない道に躓くこともあった。そんな決して楽とは言えない道中だったが、リーゼロッテはいつでも楽しそうだった。


 移動販売の何でも屋とすれ違えたときには嬉しそうに買い食いもして、目の前をリスなどの小動物が横切ればわかりやすく瞳を輝かせたりもしていた。そうして、夕方まではまた空を行き、陽が落ちるころに二度目の野宿をすることに決めた。


 アリスハインに聞いた話によると、おそらく明日には目的の街へと到着できるはずだ。夕食と、湯浴みがわりの浄化魔法を済ませたあと、リーゼロッテはシリウスの横で寝転びながらそう告げた。自信があるわけではないけれど、きっと大丈夫。早く見つかるといいなぁ、きみに魔法をかけた人――。独り言のように呟き微笑んだリーゼロッテはほどなくして目を閉じる。すやすやと安らかな寝息が聞こえてくるまでに時間はかからなかった。


 迎えた、二日目の夜――。


 ちょうど深夜〇時を回ったところだった。差し込む月明かりがリーゼロッテの寝顔を照らす。そのすぐ隣に寝かされていたシリウスも、その輪の中に在った。


「……っ」


 月の光をとどめるように、シリウスの身体がぼんやり光る。次第にその強さが増して、眩しいほどに発光する。かと思うと弾けるように粒子が散って、一人の人影が現われる。


 そこに佇んでいたのは――。


「……なるほど」


 自身を見下ろし、シリウスは呟いた。


 率直な性格を表すような直毛の髪が風に揺れる。濃紺のそれと同じ色の瞳が確かめるように細められる。白いシャツに黒い細身のパンツ。革の編み上げショートブーツ――はぬいぐるみにされたときのままだった。その上に羽織っていた外套がわりの法衣も同様に身体に合った大きさになっている。ぬいぐるみ用とは言え、さすがに揃いに仕立てた〝魔法の法衣〟と言うべきか。


「……」


 手を握ったり開いたり、首を回したりして身体の状態を確認する。ぬいぐるみの姿では指一本動かせないが、姿が戻ってしまえば特にその影響もなさそうだ。足を上げたり下ろしたりしてみたところ、いまにも走り出せそうだった。


 だがシリウスはそれをしなかった。その場にただ立ち尽くしたまま、平和そうに眠るリーゼロッテの寝顔を一瞥する。


「……一時的って、どれくらいだ」


 嘆息混じりにこぼしながら、頭上を仰ぐ。雲のない夜空に、大きくて丸い月が浮かんでいた。


 去り際、〝彼女〟はついでのように言っていた。元の姿に戻れたとしても、それは一時的なものだと。その時間を過ぎれば、再びぬいぐるみの姿に戻ってしまうと言うことだ。


「短く見て、一時間……とかか?」


 シリウスはかたわらの切り株に腰を下ろす。もしいまリーゼロッテが目を覚ましたら面倒なことになるだろう。しかしながら、リーゼロッテは一度寝たら簡単には起きない。寝相が悪いだけじゃない。早起きが苦手なだけじゃない。そもそも寝穢いぎたないところがあった。


 それはここ数日一緒に生活してみてよくわかった。昔からよく寝るやつだという印象はあったけれど、それは子供特有のものだろうと思っていた。だがそれは大人になっても変わっていなかった。だからシリウスは悠長にその顔を眺めていられるのだ。


 一分、二分、五分と時が過ぎていく。そうしているうちに、シリウスはふと生理的現象にみまわれた。ぬいぐるみの姿では飲み食いはできないけれど、人間に戻ったとたん、用を足したいような欲求を覚えた。ぬいぐるみでいるときは、そういった感覚はまったくなかったから、身体の方は時が止まったような状態になっているのかもしれない。


「……」


 仕方ない。背に腹は代えられない。シリウスは立ち上がり、茂みの方へと目を遣った。


 そして無言で一歩踏み出した瞬間、


「!」


 ぽふんとかわいらしい音を立てて、真っ白い煙がその場で弾けた。かと思うと、足下の草の上へと手のひらサイズのぬいぐるみが落ちる。ぽてん。


(いや、短……!)


 時間にして十分にも満たなかった。うつ伏せに転がったシリウスぬいぐるみは、動けないまま心の中で身体を震わせた。


 十分……たった十分かよ。仕方なくそう記憶に刻みながらも、そんな短時間でなにができるんだと、このギミックに何の意味があるんだと思わずにはいられない。


 その背中に煌々と月明かりは降り注ぐ。けれども、それをどんなに浴びようと再びシリウスの身体が元に戻ることはなかった。一晩に一度きり。それも十分程度。


 そういう、ことらしい。

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