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13.あっちむいてほいしてる馬

「魔法使いにとって、髪の毛がどういうものかは覚えてますよね?」

「……魔法を安定させるための媒介……のようなもの……です」


 まるで隠れるみたいにカップを顔に寄せたまま、それでもリーゼロッテはなんとか答える。この期に及んで誤魔化せないことはわかっているから、目は合わせられないまでも逃げるようなことはしない。


「もともときみは魔法力が高いわけでも、多いわけでもないし、どちらかと言えば安定も」

「してません……」

「うん。きみがいろいろと天秤にかけて選んだってことはわかってるんですけどね」

「はい……ごめんなさい」


 謝ったところで言い訳のように聞こえるかもしれない。思いながらも、ちらりと上げた視線がとらえたのは仕方ないように微笑むアリスハインの姿だった。いまさら怒っているわけじゃない。アリスハインは純粋に心配してくれている。


「それにきみ、できるだけ髪の毛は伸ばしておきたいって言ってたし……」

「そ……、それは……! ……あの、それはいいんです」

「? そうなんですか?」


 アリスハインは一瞬きょとんとしながらも、ふふと小さく笑ってカップの残りを飲み干した。


「まぁ、短い方がきみらしいですし、それくらいが似合っているとは思いますけどね」

「そう、ですかね……? 子供っぽくないですか?」

「そんなことないですよ」


(……)


 そんな二人のやりとりのかたわら、シリウスはまたしても沈黙する。リーゼロッテの手元で仰向けに転がされたまま、ただ視界に映る景色を見つめる。


 なんだか胸のあたりがもやもやした気もしたけれど、それには気付かなかったことにする。だってそんな理由はないのだから。強いて言うなら、自分が感じたことと似たようなことを言われたから、ひっかかっただけのことだ。それだけだ。


「でも、それ以上短くしてはだめですよ」

「気をつけます!」


 こくこくと首を縦に振るリーゼロッテに、「よし」と念を押すようにアリスハインも頷く。その目が、指が再びシリウスに向いた。


「じゃあ、最後にもうひとつだけ……これが手がかりになるかはわかりませんけど――」


 言うなり、アリスハインはシリウスを手に取ると自身の額にそっと当てた。


「念写っていうんですかね。少し前に、行き倒れてた旅人を泊めたときに教わったんですけど、やってみたらできたんですよね」


 やってみたらできたとは?


 おそらく念写は魔法だけではできないはずだ。仮にできたとしても使いこなせるようになるまでにはかなりの鍛練が必要なはず――。


「先生、すごい……」


 ミルクを温めることすらおぼつかないリーゼロッテには理解しがたい言葉だった。改めてアリスハインの凄さを思い知りながら、リーゼロッテはその様子を窺った。


「あ……でもやっぱり、相手が悪いのかな。前ほど上手くいかないな」


 アリスハインはシリウスと入れ替わりに、一枚のはがきサイズの紙を額に寄せる。けれども、珍しく思うようにはいかないらしい。それでもしばらく目を閉じて集中していると、じわじわとなにかが浮かび上がってきた。


「……シルエット? ですかね?」


 天板に下ろされたそれを、リーゼロッテは覗き込んだ。紙面にはまるでロールシャッハテストに使われるような、紫一色の〝なにか〟が描かれていた。インクの染みにしか見えないそれに、二人は緩く首を傾げた。


「わたし、お酒……? を飲んでる、女の人に見える気がします!」

「僕は〝あっちむいてほい〟してる馬にしか見えないですねぇ」


 それぞれ好き勝手に言いながら、アリスハインはその絵をリーゼロッテに差し出した。リーゼロッテは受け取ったそれを再度見つめてから、シリウスと共にポーチにしまう。


「色々ありがとうございました。あと、お茶もごちそうさまでした」


 ハーブティの残りを飲み干し、帰り支度を済ませたリーゼロッテは、外まで見送りに出てきてくれたアリスハインに向かって頭を下げる。ぺこりと上下する仕草に合わせ、切りそろえられた髪がふわりと揺れる。襟元を通り過ぎる風、首筋をかすめる髪先にはまだ慣れないけれど、軽くなった分手入れもきっと楽になるはずだと自分に言い聞かせる。


 リーゼロッテが髪を伸ばしていたのは、はるか昔にシリウスが髪を褒めてくれたことがあったからだ。シリウスだってきっと覚えていないような幼いころ――。まだいまほどツンケンしていなかった幼少期のシリウスにリーゼロッテはその柔らかな銀髪を褒められたことがあった。「きらきらしてきれいだな」たったそのひと言だったけれど、同じように幼かったリーゼロッテの心に、ふしぎと刻まれた記憶だった。


 それでもリーゼロッテは後悔していなかった。暗い気持ちは微塵もない。


「次は……帰ってからですかね。気をつけて行っておいで。メイサにもたまには遊びに来るよう伝えておいてください」

「わかりました」


 メイサもかつてはアリスハインに師事していた同門だ。現在も通っているのはリーゼロッテだけだったが、いまでもメイサとアリスハインの話をすることはわりとある。ちなみにメイサは優等生で、学校での成績も、シリウスには及ばないまでもいつも一桁――仮にも名の通った名門校、一学年三百人はいた中で――につけていた。


「カラスにも気をつけるんですよ」

「はい! 先生も、お元気で!」


 リーゼロッテは箒にまたがり、ゆっくりと高度を上げる。見上げるアリスハインに笑顔で手を振ると、次には背筋を伸ばし、進行方向へと視線を向けた。


 アリスハインは佇み、その姿が見えなくなるまで眩しげに空を眺めていた。


「頑張れ、リズ」

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