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07.〝ももちゃん〟

「ねぇ、知ってる?」


 リーゼロッテは、壁に貼ってあるカレンダーを確認しながら独り言ちる。正しくはぬいぐるみの誰かに話しかけたのだろうが、当然そこに答える声はない。パステルカラーの小物で飾られた白いチェストの上、ぬいぐるみの群れの中へと戻されたシリウスは出かける前と同じ水色のもこもこパジャマに着替えさせられていた。


「うさぎがね、たくさんいる森があるんだって」


 突然なんの脈絡もなく振られたそれに、シリウスは心の中でぱちりと瞬く。視線を横向ければ、そこに並べられているのはうさぎのぬいぐるみ。しかも複数体。思えば箒につけられていた――共に風呂に入ったとも言う――ぬいぐるみも桃色のうさぎだった。


「わたし、うさぎが大好きなんだ」


 ……まぁ、そんなことは言われるまでもなく知っていたけれど。だってリーゼロッテのうさぎ好きはいまに始まったことではない。物心ついたころにはすでにうさぎにとらわれていて、持ち物はうさぎグッズにあふれていた。リーゼロッテのかわいいもの好きはおそらくそこから始まったのだ。


 ということからも、少なくともおさななじみである三人は知っていたし、なんなら多少リーゼロッテと接点のある相手なら誰でも知っている可能性はあった。


「ふわふわで、もこもこでかわいくて……そんなうさぎさんがたくさんいる森、わたしもいつか行ってみたいなぁって」


 とはいえ、リーゼロッテは目の前のぬいぐるみがまさかシリウス知り合いだとは思っていない。だからさも初めて語るかのように話を続けてしまう。翌日の予定を指で辿り、その部分を軽く弾いてから部屋の中央へと戻ってくる。


「……で、明日は師匠せんせいのところに行く日なんだけど……」


 夕飯を済ませたリーゼロッテは、昨晩と同様、頭にタオルをひっかけたままだった。コレクションのかわいいものたちや家具に比べると着ている服はシンプルなもので、パジャマがわりのクリーム色のルームウェアにも柄はなかった。単に楽だからという理由だけで選ばれたサイズも大きめだ。かぶるタイプのパーカーは心なしかくたびれており、率直に言って色気がなかった。


「その時、きみのことも紹介するね」


 なるほど、明日も共に出かけることになるのはすでに決まっているらしい。

 ということは、必然とまたあのかわいらしいポーチに搭乗することになるわけだ。

 拒否することも逃げることもできないシリウスは早々に諦め、けれども別に紹介なんてしなくていいから置いて行けと、いつもの桃色うさぎ――ああ、だから〝ももちゃん〟か――を連れていけばいいだろうと、それもあってうさぎの話を出したのではなかったのかと、思うだけなら思うのだった。






 リーゼロッテの師匠のことはシリウスも知っている。アリスハインと言う名の男の魔法使いだ。純血には及ばないものの、魔法使いの血はそれなりに濃く、昔は名門校の魔法科教師をやっていたほどの腕だという。現在は少し離れた丘の上で花を育てているようだが、教師を退職してからも魔法に関する家庭教師のようなことは続けているらしい。リーゼロッテもその生徒のうちの一人で、いまでも定期的にアリスハインの元へと通っている。


「おはよう……ももちゃん」


 リーゼロッテは夢現に寝言をこぼす。手探りでかたわらのぬいぐるみをたぐり寄せ、その控えめな胸元にぎゅっと抱き締める。


(いや、こら、待て……)


 しかしながら、そのぬいぐるみは〝ももちゃん〟ではなくシリウスだ。前述の通りももちゃんというのはリーゼロッテがシリウスを拾う前にずっと連れ歩いていた桃色うさぎのぬいぐるみのことで、けれどもそのももちゃんはいまこの場にはいない。大人しく他の〝かわいいたち〟と共にチェストの上に並べられ、ただ遠目にそんなベッドの上でのできごとを眺めているだけだった。


「ん――――」


 リーゼロッテはいまだ目を開けることなく、(夢の中の)ももちゃんを引き寄せる。かと思えばおでこに唇を押し付けて、むにゃむにゃと幸せそうに顔を緩める。


(……こいつ……)


 シリウスの口端がひくりと引き攣る。

 と同時に、じわりと熱を持った眦をシリウスは黙殺した。

 だって今更こんな状況を恥ずかしいだの、照れるだのと自分が感じるはずがない。なんなら単なる感情の昂ぶり(言うなれば怒り)のせいで、それ以上でもそれ以下でもないに決まっている。


「ん……あれ?」


 ややして、リーゼロッテは目を覚ます。眠そうに瞬く瞼がゆっくりと上がり、その緩んだ眼差しが目の前のそれをとらえる。


「あ……ももちゃんじゃなかった。……おはよう、シェリー」


 ふにゃりと浮かべられた笑顔はなおも半分寝惚けているようで、シリウスは心の中で目元を覆う。

 ……なんなんだこいつは。どういう寝相なんだ。

 もはや呆れるを通り越して感心すらしてしまいそうになる。


「今日はベッドを抜け出さなかったんだね」


 リーゼロッテは改めてシリウスに微笑みかける。くりくりと無邪気に頭を撫でられながら、シリウスは遠い目で思うのだった。


 マジそこの〝もも〟とやら、いますぐ俺と代われ。

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