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06.リーゼロッテとメイサ

 ***



「あら、ほんと。確かにシリウスにちょっと似てるわね」

「でしょ?」

「でもあいつ、こんなにかわいくないわよ」

「まぁ、そうなんだけどね」


 女子だけの会話など聞かない方がいいと思いながらも逃げられず、シリウスはメイサの手の中でいいようにされている。


「本体のほつれはそこまでじゃないわね。この程度ならすぐに直るわ」


 腰まである艶やかな暗茶の髪を揺らしながら、メイサはシリウスを裏返す。髪を捲り、次には当然のように服を脱がされて、文句をいう間もなく身体の隅々までチェックされた。


 ぬいぐるみの姿とは言えいちいち全裸にされるのにはまだ慣れない。正体がバレたらと思うと居た堪れない心地になる。けれども、結局されるがままになるしかなかった。


「うん、他のところは大丈夫みたいだし……でも」

「でも?」

「これ、誰かの落としものだったりしない?」

「え……」

「ぬいぐるみ自体の作りもいいし、もしかしたら個人的に作られたものかもしれないわよ」

「あ……そっか、森の中にゴミみたいに捨てられてたから、そこまで考えてなかった……!」


 誰がゴミだ。

 心の中でつっこむシリウスをよそに、リーゼロッテは心底同情するとばかりに眉尻を下げる。


「それはそうよね……わたしがもしこんなかわいい子をなくしたらと思うとすごくショックだし……」

「ええ、さすがにその状況だと持ち主を探すのは難しいかもしれないけど……一応気にしておいてもいいかもしれないわね」

「うん。ちょっと師匠せんせいにも相談してみる。ちょうど明日会う予定にしてるし」

「いいと思うわ」


 メイサは小さく頷いた。まぁ、どれだけ探したところで、もともといない持ち主など見つかるはずもないのだが。


「とりあえず、直すのは直しておくから」


 メイサの手入れの行き届いた長めの爪が、後頭部を縦に走る細かい縫い目を念入りに確かめる。その部分の糸のみわずかに切れており、メイサは無言で顔を上げると、かたわらの作業台の上へと手を伸ばした。


 メイサのアトリエにはさまざまな裁縫道具が揃っている。使い慣れたピンクッションに刺さっていたのは小ぶりな縫い針で、そこには細めの黒い糸が通されていた。

 シリウスの髪の毛は濃い紺色なので、黒でも問題ないと判断したらしい。どちらにせよ糸が見えるような縫い方はしない。メイサは抜き取ったそれを躊躇いなくシリウスの頭へと向けた。


「……」


 シリウスは思い出していた。リーゼロッテに拾われるまで、何度となくカラスにつつかれ、野犬に甘噛みされていたことを。それを思えば、今更痛いかも知れないなどと構えることもない。ないものの、容赦なくぐさぐさと頭を刺され、布地が引っ張られる感覚はこれでもかというほどに伝わり、なんとも言えない気分になった。


「さて……あとはこっちの服ね」


 シリウスは裸のまま冷たい木のテーブルの上へと転がされる。

 なんで裸のままなんだ。せめてさっきの水兵服を着せろ。

 思うけれど、リーゼロッテはメイサに説明されるまま、その手元に意識を集中させていた。おい、俺をこのまま放置するな。


「すごいわね、誰が作ったのかしら……この大きさでこの縫製。魔法仕立てかしら?」


 特に比翼仕立ての白シャツが目を引いたらしい。「でしょ……!」と身を乗り出すリーゼロッテの前で、メイサも感嘆の息をつく。


「魔法仕立てならわからなくはないけど、一から仕立てるなら素材や仕組みがちゃんとわかってないと……」

「ミカエルが作る服みたいよね」

「うん……でもミカにはこんな小さいサイズ作れないわ」


 もう一人のおさななじみであるミカエルは実家が仕立屋だ。それもあって、メイサと同様裁縫の技術は持ち合わせていたが、当人の本業は音楽家なため、現在は趣味で嗜む程度になっていた。それでも時折ふらりと気が向いたからと、リーゼロッテたちの服を仕立ててくれたりもする。実際、この時のシリウスのシャツもミカエルから贈られたものであったため、二人の言い分はあながち間違ってもいなかった。


「いつ帰ってくるんだっけ?」

「ミカエル?」

「そう。演奏会で出かけてるんだよね?」

「うん。今回はピアノで呼ばれてるって言ってた。帰りがいつだって話までは特に聞いてないけど」

「そっかぁ」


 ミカエルは芸術方面に長けた魔法使いだ。普段はピアノをメインにしているが、楽器と名のつくものならなんでも弾きこなすだけの腕がある。触れればその扱い方がわかるらしく、それは自身の声帯だって例外ではなかった。要は歌も上手いのだ。


「昔はよくミカエルの歌や演奏で、メイサが踊ったりしてたよね」

「そんなこともあったわねぇ」

「また見たいなぁ。メイサの踊りも、ミカエルの歌も聞きたい」

「歌はでも、リズだって上手じゃない」


 リズとはリーゼロッテの愛称だ。


「わたしのは上手いわけじゃないと思うんだけど……」


 小さくはにかむリーゼロッテの横で、まるですっかり存在を忘れ去られたかのようにシリウスはいまだ全裸で放置されたままだった。もうなるようになれと努めて心を無にしていたシリウスは、けれどもふと思い出す。森の中で耳に遠く聞こえたあの歌声は、やはりリーゼロッテのものだったのかもしれない。


 リーゼロッテはもともと歌が好きだった。それはおさななじみの誰もが知っている。純粋な技巧で言えばもちろんミカエルが一番だったが、リーゼロッテの歌声はどこか人を惹きつけるものがあった。


「わたし、リズの歌好きよ」


 メイサは微笑む。手の中のシリウスのシャツを丁寧に修繕しながら。


「……ありがと」


 リーゼロッテは気恥ずかしそうに頬を染め、けれども嬉しそうに破顔した。


「綿毛、予定よりたくさん採ってきてくれてたし……それをこのぬいぐるみの分にあてるわね」

「え、いいの?」

「頼まれてた服も少し遅れてるし……でもこっち優先でいいのよね?」

「うん! シェリーのを優先でお願い!」

「じゃあ、できたらまた知らせるわ」


 シェリーって名前なの? と、メイサはいちいちつっこんだりはしなかった。リーゼロッテがぬいぐるみに名前を付けることには慣れているらしい。


「あ、でも、さっきも言ったけど、明日はわたし師匠せんせいのところに行く予定があって……」

「大丈夫、二、三日かかると思っといて。ズボンも直さなきゃだし……わたしも明日はちょっと用事が入ってるから」

「そっか、わかった。これもかわいく作ってもらえて嬉しい。いつもありがとう、メイサ」

「どういたしまして」


 会話のかたわら、思い出したように水兵服を着せられたシリウスは、〝これ〟と示された中へと入れられる。丁寧に開け閉めされるそれは淡い水色と白の布で仕立てられたポーチで、巾着のように絞られた口の周りにはシンプルなフリルがあしらわれていた。斜めがけにできるよう、長めの組み紐もついている。以前リーゼロッテが頼んでおいた品が、ちょうどできたからと渡されたものだった。用途としては主にぬいぐるみを連れ歩くための入れ物で、その使用感を最初に味わうことになったのがシリウスだった。


「本当にありがとう。じゃあ、またくるね」

 ひるがえした手の中に現れた箒を握り締め、外に出たリーゼロッテは窓越しに声をかける。


「わたしもまたいろいろ探してみるから、綿毛ふわふわの群生地とか!」

 頼りにしてるわ。そう微笑ってメイサが頷くと、リーゼロッテはそのまま空へと高度を上げた。

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