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第37話「帰る前の一仕事」

 無事に訓練と検査を終えた私たちは、そのままそれぞれの家に帰った…とはいかなかった。

「…見えたわ。ベイグル、あれがターゲットが乗っている車よ。行き先は念のために封鎖されているけれど、なるべく早めに無力化して欲しいって無茶を言われているわ」

「了解…アセロラ、飛ばすよ。なるべく横に着けるけど、向こうがぶつかってくる可能性もあるから、どうか気をつけて」

「了解です…今日は『通常弾』を使いますから、捕縛に失敗してショッキングなものを見せてしまったら、ごめんなさい」

 私たちが乗っているのはいつものSUVだけど、配置はいつもと異なる。絵里花は助手席で端末と無線を操作しながら追跡の補助をしていて、運転席には私が収まっている。

 そして本来なら運転を担当する美咲さんは後部座席に移動していて、私たちと同じようにパーカーを着用して顔まで隠し、いつものスナイパーライフルを構えて狙撃の瞬間を待っていた。

 ガードレールの設置された県道の脇には浅い崖と木々が広がっていて、最悪突き破ったとしても被害は最小限で済むだろう。道路の先、およそ100mほど離れた位置にホワイトの車体を持つ普通車が走っていて、カーブの多さや速度差を考慮すると追いつくのに40秒ほどといったところか。

 私は本当に申し訳なさそうに『可能性』を口にする美咲さんに対し、「気にしないで」と伝えつつ、車を横に着けるべくアクセルを踏み込んでいた。


 ◇


 私たちが帰る直前、研究所のエージェントチームから『因果律に悩む人間に対して違法な薬を売りつけている売人が逃走している』という情報が入った。

 こうした売人の確保は警察の領分かと思ったけれど、どうやら因果律に反発する勢力と情報を共有している可能性が高いらしく、それならば捕まえて情報を吐かせるべきだと判断したのだ。因果律研究所は警察からすれば完全な治外法権となっており、表立った連携はできないため、そこで追跡と捕縛を命じられたのが私たちだった。

 私も絵里花もまだ運転免許が取得できる年齢じゃないけれど、エージェントとして働く以上は当然ながら車両の運転技術も備わっている。それに加え、美咲さんは『近隣にいるエージェントの中でもトップクラスの狙撃技術を持つ』と評価されているみたいで、私たちのチームが適任だと判断されたわけだ。

 なので車に乗り込む前に全員がパーカーを着用し、美咲さんは座席下に隠していた狙撃銃を取り出す。運転はどちらがするか少しだけ話し合ったけれど、私のほうがわずかに成績が良かったので絵里花にはサポート役に回ってもらった。

 絵里花は「またあなたに仕事を押し付ける」と悩んでいたものの、エージェントとして助手席に乗るということは文字通り助手役を求められるわけで、普段から私を支えている彼女には適任だ。

 何より、都合よく車だけを無力化できたらすぐに飛び出して敵の確保に向かわないといけないため、ある意味では一番攻撃を受けやすい立場とも言える。無論私もすぐに降りて向かうつもりだけど、絵里花のほうが急行しやすいのは説明するまでもない。

 こうして私たちは『車からの狙撃、のちにターゲットの捕縛』という、ここ最近ではとくに難易度の高い仕事を押し付けられたわけだ──。


 ◇


「あの車、防弾とか施されているのかな?」

「これまで受け取った情報によると、普通の車両である可能性が高いわね。さすがに徹甲弾はいらないと思うけれど」

「ええ、おっしゃる通りです。徹甲弾は装甲車みたいな見るからに分厚い防護壁を貫くための装備ですので、あの車なら通常弾で窓ガラスを貫通、ハンドルを破壊できるでしょう」

 反社会勢力にも規模の違いが明確にあって、研究所が把握している情報から察すると、少なくとも私たちエージェントが本気を出せば打倒できる程度の戦力が関の山だろう。今前方を走っている車も私たちの乗るSUVのような機能性を有している可能性は低く、ぶつかられたとしても押し負けることはないはずだった。

 ただし、先日の一件からもわかるように一部の勢力は火力のある銃器の確保もできるらしく、油断していると装備を整えた私たちでも足下を掬われかねない。あの運転手も何らかの武器を所持している場合、横に着けた瞬間に攻撃される恐れがあった。

「アセロラ、撃たれないように気をつけて。もしもあなたが撃たれた場合、悪いけれど人命救助を優先させてもらう」

「心配せずとも、今回の敵は一人ですよ。運転しながら撃つとなればせいぜいが拳銃でしょうから、目に当たらない限りは問題ありません」

「狙撃手ならもっと目を大事にしなさいよ…言っとくけど、私も円佳と同じよ。あんたになにかあれば、ほかのエージェントに任せて撤退するから」

 現在の私たちは全員が防刃防弾のパーカーを着用し、フードを被ってファスナーも上まで上げることで、目元以外は完全に覆われている。美咲さんの言う通り、パーカーの上からであれば命までは奪われないだろう。

 それでもかなりの痛みは生じるし、万が一目に直撃すれば命の危険もある。だからもしも彼女がどこであれ撃たれたのなら、私と絵里花は自分たちだけで任務を継続することはせず、Uターンしてすぐさま美咲さんの治療に向かうだろう。

 彼女が撃たれて悲しいのは私たちだけじゃない。この人の帰るべき場所で待っている、あの人だって…いや、結衣さんが一番悲しむだろうから。

「…うふふ。私、監視役なんて任されたときには『どんな問題児たちを押し付けられるんだろう』って不安でしたが…こんなにもいい子たちの担当になれるなんて、人生捨てたものではありませんね。ううん、担当なんて言い方はよくないですね…私を支えてくれて、ありがとうございます」

「…ふふ、こちらこそ」

「ふん…私たちに迷惑をかけるのはいいけれど、あの人を悲しませるのだけは許さないんだから」

 これから一瞬の油断も許さない狙撃が待っているというのに、美咲さんはエージェントをしていないときのような穏やかな声音で、春の陽気を歌うように笑った。バックミラーでその顔を確認すると、やっぱり目元しかわからないけれど。

 私はその笑い声に美咲さんが監視役になったときのことを思い出して、自分の口元も緩んでしまったのがわかった。思えばこの人はあの頃から変わらなくて、私たちを監視対象である前に一人の人間として、そして仲間として認めてくれていたのだ。

 そんな仲間を任務よりも優先するのは当たり前で、隣で端末を見ながらぶっきらぼうに突っぱねる絵里花も同じ気持ちであることが嬉しい。絵里花はあくまでも結衣さんの心配をしているように見えるのだけど、美咲さんになにかあれば優しいこの子は涙を流すだろう。

 だから私は…あんな連中に、この人たちをやらせはしない。

「随分と近づいたな…向こうも少し速度を上げてきているし、警戒されている可能性は高いだろうね」

「そうね…でも、次のカーブを曲がると長めの直線に入るわ。加速性能もこっちが上だから、そこで勝負を決めたほうが良さそうね」

「承りました…アセロラ、目標を狙い撃ちます」

 じわりじわりと距離は詰まっていき、相手車両のテールランプが夜の闇を切り裂いてカーブを曲がっていた。そしてここを曲がり切ったところが勝負のタイミングで、私の手のひらはじんわりと汗を吐き出す。

 …早乙女さんと手をつないだときとは、違う緊張感があるな。

 命のやりとりを目の前にして私が考えたことは、あの優秀なエージェントの深みのある──なにかを隠し持っているとも言える──笑顔だった。

 そしてそんな相手にも安易に流されなかった私であれば、きっと大丈夫。

「…アクセル全開。アセロラ、お願い」

「了解…一発で仕留めさせていただきます」

 直線に入ったところで私はアクセルを力強く踏み、SUVは特殊任務用のパトカーをしのぐスピードで加速を開始した。それに気付いたターゲットの車も加速したけれど、その性能差は歴然だ。

 そして車はほぼ横並びになり、開かれた窓からスナイパーライフルを突き出して美咲さんは引き金を引いた。

 サプレッサーが標準で装備された銃は、決して夜の静寂を邪魔しなかったけれど。

「ハンドル付近の狙撃に成功、人間には当たっていません。クラッシュ後、確保をお願いします」

「了解!」

 この人ならうまくやるだろう、そんな期待は当然のように的中した。

 射撃直後に敵車両はコントロールを失い、蛇行をしたかと思ったらガードレールに衝突したままゆっくりと速度を落としていく。車のボディとレールが擦れ合う音が聞こえるたびに火花が散って、ガラスの破片などもまき散らされていく様子は映画の中の出来事みたいだった。

 速度を落としながらそれを追い、完全に止まったところで私もドリフト気味に急停車を行った。

「フロレンス、これより確保に向かうわ!」

「私もすぐに行く、絶対無茶しないで!」

 停車直後、絵里花は飛び出すようにドアを開いてリフレクターガンを取り出し、低い姿勢を保って素早く車両へと近づいていく。私はその背中に大声で注意しつつ一寸遅れて車から降り、同じように警戒をしながらターゲットへ急接近した。

 先に目標へ到達した絵里花はマガジンベースプレートを使って助手席のガラスを割り、引き金を引いて電磁パルスを打ち込む。その一連の動きが終わったところで私も彼女の隣に到着し、射撃態勢で車の中を確認したら。

「ターゲットの沈黙を確認。負傷はしていますが生きています、任務完了」

 クラクションに顔を押し当てるようにしてぐったり倒れている男を確認し、車の中から念のために狙撃態勢をとっている美咲さんに報告する。それは同時に『動き続けるターゲットの狙った位置に精密射撃を行った』という事実を目の当たりにしたわけで、改めて彼女の天才的な狙撃技術に畏怖を覚えた。

(最新式の超高性能狙撃銃、SNR-M700C…いくら対象者や周囲の状況に応じて自動補正をするスコープがあったとしても、あんな状況で狙った場所に当てるなんてな…)

 スナイパーライフルを抱えたままゆっくりとこちらに向かってくる美咲さんはすでにパーカーのファスナーを下ろしていて、美術館の展示品がそのまま形を成したような顔に憂いを帯びた笑みを浮かべていた。

 夜、両脇を自然に囲まれて封鎖されている国道は明かりに乏しいのに、フードが下ろされてあらわになった美咲さんのロングヘアは、夏の昼間のように鮮やかなアクアブルーの光を放っているように見えた。

「お疲れさまです、お二人とも。今日は訓練と検査で疲れているのに、付き合わせてすみません。もうちょっとしたら回収班が来てくれるので、それまで車で休んでいてくださいね。帰りは私が運転しますので」

「ううん、大丈夫です。美咲さんこそ集中していたのに、疲れていませんか?」

「うふふ、大丈夫ですよ。いつもお伝えしているように、お二人が優秀なおかげで楽をさせてもらっていますから。事後処理もなるべく早めに終わらせるので、それまでは車の中でいちゃいちゃしててもいいですよ…あ、見られて困るような行為は避けてくださいね?」

「しないわよ! ったく、そんな減らず口が叩けるようなら心配ないわね…」

 そして私たちのそばに来た美咲さんは両腕を伸ばし、二人同時に軽く抱きしめるようにして、私と絵里花の背中をぽんぽんと叩いた。ふわりと香る美咲さんの匂いにはわずかな汗が混ざっているような気がして、この人も極度の緊張の中で戦っていたことが伝わる。

 美咲さんの狙撃技術はたぐい稀なもので、監視役である以上は私たちにそれを向ける可能性もあるのだけれど。

 任務達成を祝うように抱きしめてくれた腕からは家族へ向けるような思いやりを感じられて、私はつい目を細めて力を抜いてしまった。耳元で囁かれる声も綿毛のように柔らかで、冗談めかした内容とは裏腹に、私は耳掃除をされているようなくすぐったさと心地よさを感じる。

 絵里花ですらこの人の心遣いには逆らえないのか、口では相変わらず文句を言いつつも、私のようにじっとしていた。

「さて、今日は疲れていますしとくに用事もないから、これが終わったらまっすぐおうちに…用事…あっ…」

 背中を何度かぽんぽんしたあとに美咲さんは体を離し、また余裕のある笑顔に戻って…と思っていたら。

 その顔をぴしっと固まらせたかと思ったら、また汗をだらだらと噴き出させた。無論、原因は暑さじゃない。

「どうしたのよ? もしかして、なにか用事でもあるの?」

「…今日、結衣お姉さんの家に行く約束をしてたのですが…時間、めっちゃ過ぎちゃってます…」

「…え」

 もしもこんな任務がなければ、私たちはとうの昔に自宅に戻っていた。

 そして美咲さんもその約束を果たすために結衣さんの家に向かっていたのだろうけど、こんな仕事が入れば遅れると連絡をする暇もなくて。

「…すみません、お二人に折り入ってご相談が…」

 美咲さんは私たちに頼られることはあっても、自分から頼ってくることはめったにない。仕事では頼っていると言っているものの、それはお互い様の範疇だろう。

 だからこそ、汗だくのままもみ手をして私たちを見つめてくるのは…ちょっと、かなり、不安になる。

 それでも私たちは『チーム』なのだから、絵里花の「ろくでもないことを言おうとしているわね…」という言葉に私は苦笑しつつ、それでも力になるべくこの人の『ご相談』を聞くことにした。

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