「あっ、辺見さん! こっちこっち!」
「…ごめんなさい、待たせたかしら」
「ううん、今来たところ」
次の休日、私は約束通り渡辺と会っていた。待ち合わせ場所はお互いの家からアクセスしやすい市街地、休日だけあって年齢問わず多くの人が行き交っている。また、建ち並ぶビルの中には大型モニターを搭載した建物もあり、そこではニュースや宣伝の合間に因果律に関するプロパガンダ…もとい、啓蒙が行われていた。
ちょうど今は『安心の選択、それが因果律。未来への確かな道標』なんてキャッチフレーズが明るい女性の声音で宣言されていて、多くの人は「何を当たり前のことを」といった感じでとくに気を払う様子もなく、少なくとも私の視界に入る人間で因果の絆を不愉快に思っていそうな存在は見当たらなかった。
…こんなことを自然とチェックしているあたり、私も落ちこぼれではありつつもエージェントなのだろう。
「それにしても、本当に良かったの? 辺見さん、休日は大体三浦さんと一緒にいるんだよね? 私に付き合ってもらって大丈夫?」
「もう、何度同じことを聞くのよ…たしかに私と円佳は一緒にいる時間が多いけれど、別行動することくらいあるわ…そ、それに、円佳にはいつも甘えているから、たまには一人で気楽に過ごしてもらいたいし」
今日の渡辺はもちろん制服ではなく私服で、トップスは白で小さなドットのあるコットンブラウス、ボトムスはライトブルーのデニムショートパンツで裾がロールアップされていた。また、この季節はまだ朝晩が多少冷え込むのでペールピンクの薄手カーディガンを羽織っていて、シューズはローカットのホワイトスニーカー、キャンバス素材でアイボリーカラーのショルダーバッグを携行している…円佳に比べると年齢相応のおしゃれさんという感じで、私は「そうよね、これくらいの年代ならこういう格好をするわよね」なんて考えていた。
ちなみに私は円佳セレクトの実用ファッション…じゃなくて、タイトシルエットの白いリブニットセーター、ダークグレーのハイウエストパンツ、靴はブラックのショートブーツで、無論自分でコーディネイトをした。バッグはメランジェグレーのボディバッグ、円佳の心配性に対応するため『緊急時に対応するためのエージェントツール』を最小限詰め込んでいる。
…なお、たまには可愛い服でもと思って少しコーディネイトを工夫しようとしたら円佳が露骨に渋い顔をしたため、実用性をやや優先したカジュアルなスタイルに落ち着いた。円佳曰く「短いスカートとか肩出しはやめてね」とのこと。あの子、私のお姉さんかお母さんかしら…。
「うーん、それならいいんだけど…三浦さん、最近は辺見さんがほかの人と話しているときはちょっと雰囲気が違うっていうか…怒っているってほどじゃないんだけれど、話し相手のほうをじーっと見ていることが多いんだよね」
「…あの子は本当に…」
先ほど周囲をチェックしていたように、私たちエージェントは常に自分たちに向けられる視線についてある程度把握している。たしかに私が誰かと話しているときは少し離れた場所から円佳の気配を感じていたのだけれど…あの子、本格的に私の保護者になりそうね…。
正直に言ってしまえば、円佳に心配されるのは嬉しい。心配してくれるってことはそれだけ私のことを考えてくれていて、その意識が私にだけ向いている証拠でもあるのだから。
その一方で私は円佳に対して保護者役を求めているわけじゃなくて、やっぱり…相棒とかパートナーとか、恋人とか…そういうのでいてほしかった。
「まま、辺見さんも心配されて嬉しいだろうけどさ、今日は私に付き合ってよ。話したいこととかもあるし、一緒に遊びたいのも本当だし」
「べ、別に嬉しいわけじゃ…でも、約束は守るわよ。私はこういう友達とのお出かけはあんまりしたことがないから、大体は任せることになるけれど」
「ふふふ、任せてよ。勉強だと敵いっこないけど、辺見さんのエスコート頑張るからね」
どうやら円佳に心配されることの喜びを隠し切れていなかった私は、思いっきり顔に出ていたらしい。円佳以外の相手といるときはいつも気を張っていたつもりだけれど、渡辺…友人と言えなくもない相手であれば、私もそこそこ気が抜けてしまっていたようで。
若干の不覚を感じつつも私は力を抜いている自分の体を自覚し、心もそのリラックスに委ねてみることにした。円佳とのお出かけが一番好きだけれど、おそらくは初めてできたであろう友人との時間を楽しみに思っている自分は、たしかにここにいたのだ。
いたずらっぽく笑いかけてきた渡辺に私もぎこちなく笑って、おそらくは遊ぶ場所に困らないであろう市街地をゆっくりと歩き始めた。
*
「お昼、本当にここでよかった?」
「ええ、もちろん。普段は外食自体をそんなにしないし、ハンバーガーってあんまり食べたことなかったから…結構楽しみにしてたのよね」
お昼は外で食べるためにお互いまだ何も食べていなかったから、私たちは昼食に使うお店を探し始めた…けれど、行き先はすぐに決まった。
そこは国内でもっとも店舗数が多いハンバーガーチェーン店で、価格帯についても学生にとってさほど負担にならない。実際に休日のお昼時であっても若い世代の利用者が多く、多分この中には学生もたくさんいることだろう。
一階はタッチパネルを用いたオーダーと決済用の端末が、二階はイートイン用の席が多数設けられている。私たちはまずはタッチパネルを使って注文、そして携帯端末に内蔵された決済機能をかざして支払ったら。
「本当に早いわね…調理に関するオペレーション、どうなっているのかしら」
「辺見さん、ちょっと変わったところを気にするね…」
「え、これって変なの…? 私も料理をするから、効率的な調理方法について気になっていただけなのに…」
「ファストフードと個人の料理は比較にならないんじゃないかなぁ…?」
決済を終えておよそ3分ほど、私たちのオーダーしたセットが受け渡し口に置かれる。私はチーズとパティ、そして卵焼きが挟まれたハンバーガーとポテト、野菜ジュースのセットにした。渡辺はパティが二枚挟まれたハンバーガーのセットで、私よりも少し多めに食べるらしい。
トレーを受け取って階段を上っている最中、私は気になったことを無意識に口にする。すると前を歩く渡辺の苦笑交じりの指摘が飛んできて、私はようやく自分の視点が学生らしくないことに気づいた。
円佳ほどじゃないけれど、私も効率は大切にしている。それは仕事のためというよりも『いかにして円佳のために効率的に家事をするか』という目的があって、あの調理スピードを真似できるならしたいけれど…設備もあってか、個人では再現できないみたいだ。
「それじゃあ、辺見さんと三浦さんの将来に乾杯」
「えっ…か、乾杯…?」
席に着くと渡辺は紙コップに入ったジュースを手に取り、軽く持ち上げて私に乾杯を促してくる。乾杯を行うタイミングとしては首をかしげるしかないけれど、さすがに私と恋人の将来を祝われては邪険にできなかった。
もちろん紙コップ同士が当たっても、小気味いい音は鳴らない。
「…なるほど、おいしいわね。味付けは濃いけれど、食材の味もわずかに感じられる…この値段で食べられるものとしてはたんぱく質も多いし、学生が多いのも頷けるわ」
「さっきから思ってたけど…辺見さんって経営者みたいな視点で話すことが多いよね。大人びているっていうか」
「…そんなことないわよ。私はただの学生、今だって普通に楽しんでいるわ」
ハンバーガーを一口食べてみると、実に身体に悪そうな味が口内に広がる。けれども栄養価をチェックするとたんぱく質などの数値は悪くなくて、たまになら食生活に取り入れてもいいような気がした。
…でも、これもまた学生らしくない発言だったようで、私はなんとか微笑みをひねり出しつつ、自分に言い聞かせるように普通の人間アピールをした。
もちろん、本当は違う。私はCMCでエージェントでもあり、隣でおいしそうにハンバーガーを頬張るこの子とは受けている教育が異なるのだ。
それはまさに『効率的にたくさんの知識を詰め込むこと』でもあり、視点が同年代の学生の先にあっても仕方ないのだろう。けれどそれは恵まれたわけじゃなく、むしろ無理矢理背中を押されて先を歩かされた、というべきか。
「楽しんでくれているならいいけど…やっぱり、三浦さんといるほうが楽しいよね?」
「…まあ、円佳は恋人だし…あの子はすごく優しいから、ずっと一緒にいても不安に感じないのはたしかね」
「即答かぁ…ねえ、やっぱりそれって『因果律で選ばれた相手』だからなの?」
もしも私がもっと器用な人間であれば、ここで「そんなことはない」と返答し、渡辺との時間だって心地いいと言えるのかもしれない。
けれど、私はこんな状況であっても『円佳との時間は私にとって何よりも大切』という思考を曲げられなくて、このハンバーガーの調理スピードに負けないほど早く、そして素直に返答してしまった。
渡辺も私の答えなんて予測できていたのか、何度目かわからない苦笑を浮かべつつも声音は平坦に質問をしてくる。その横顔をチラリと見ると、目は遠くを見ているような気がした。
「…どうかしらね。因果律は私たちにとって最高の相手を教えてくれるけれど、人格そのものを左右しているわけじゃないはずよ。だから…円佳が『円佳』だからこそ、私は好きでいられてる…はず」
「…じゃあさ、因果律で選ばれた相手であっても合わないとか、好きになれないとか、そういう気持ちになっちゃうことってあるのかな?」
その質問は多分、そこまで重いものではないはず。実際にこういう会話程度なら誰だってすることはあるだろうし、即時拘束のような処断はされない。
…でも、それを口にした相手がエージェントというのは、運が悪いかもしれなかった。たとえ私のような、出来損ないでも。
「…因果律で相性がいいと判断されていても、初対面の相手であれば腑に落ちないことはあるかもね。ただ、ほとんどのカップルは最終的には幸福を感じているわ。そういうデータはたくさんあるし、簡単にアクセスできるわよ」
「そうかもだけど…データとか、システムとか、そんなのばっかりじゃ…なんか、人間っぽくないよ」
でも、私たちはそんなシステムの中で生きている。いいや、恩恵すら受けている。
私の場合は作られた因果であったとしても、円佳というこの世に二つといない存在と巡り会えたのだから、その点に関しては感謝してもよかった。
だから渡辺の言葉は、表現を選ばないのなら『何も知らない子供の不安』でしかない。でも、そんな子供が…私の友人でもある。
そして私も、年齢的には子供だ。CMCのエージェントという肩書きは消えないにしても、この瞬間くらいは…ただの学生として、辺見絵里花として向き合ってもいいんじゃないのだろうか?
「…そうね。私は現状に一切不満がないから信じていられるのかもしれない…ごめんなさい、相談相手にならなくて」
「あ、ううん! こっちこそ、いきなり重い感じになっちゃってごめんね…ねえ、お詫びにクレープ奢るからさ、これを食べたらそっちに行こうよ!」
「え…食べたらすぐに行くの? このセット、結構カロリーあるのに」
「へへへ、甘いものは別腹だよ! 辺見さん、今日くらいはダイエットは忘れようよ~」
私はエージェントに向いていない。そんなのは自分でわかっている。
だから私はそんな自分を許容して、せめて今日だけはとCMC失格みたいな、それでも自己保身を若干感じるような、曖昧な答えを吐き出していた。
因果律を疑うとは何事か。今すぐ矯正されたいのか。
そんな言葉が正解だとしたら、私はこの瞬間だけでも間違っていたかったのかもしれない。
何も知らないはずの渡辺はすぐにへらへらっと笑い、食事中であるにもかかわらず次に食べるものについて提案してきた。
…今日の夕飯、円佳の分だけ作ろうかしら。
ダイエットをしているわけじゃない私であってもそんなことを考えてしまうくらい、今日は胃にハードワークを強いる日になりそうだった。
*
「いやぁ、遊んだね~」
「本当にね…あれだけ食べて、また甘いコーヒーなんて」
時刻はおよそ15時、「ここでお開きにしよっか」という渡辺の誘いに応じてこれまた国内最大規模のコーヒーチェーン店に訪れていた。
そこは質のいいコーヒーはもちろんのこと、たっぷりのクリームやシロップを使ったお菓子みたいなドリンクが多くて、私も渡辺のおすすめことホワイトチョコレートラテを飲んでいた。
…甘い。とにかく甘い。もちろん甘いものは私も好きだけれど、ハンバーガー、クレープ、そしてこのコーヒーとくれば…しばらく運動量を増やすべきかもしれない。
「辺見さん、今日は本当にありがとう。私、一緒に遊べて楽しかった」
「…私も、結構…楽しかったわ」
解放感のある店内ではテイクアウトだけでなくここで飲んでいく客も多くて、木造のおしゃれな店内にはやや上品な喧噪があった。
私たちも小さなテーブルを挟んで向かい合うように座り、甘ったるいコーヒーをちびちびとしつつ会話を重ねている。こういう時間の過ごし方もあるとわかったことが、今日一番の収穫かもしれなかった。
「…お昼のことなんだけど、あのときは本当にごめんね? ちょっと変な感じになっちゃって」
「もう、気にするなって言ってるのに…誰だって悩むことはあるもの、いつも通りじゃいられない日だってあるわ」
よくもまあヌケヌケと…と自分に突っ込みつつ、私は過去のことを棚に上げて薄っぺらい笑みと一緒に口にする。私の場合は円佳という包容力のありすぎるパートナーのおかげで乗り越えられたけれど、渡辺にはそういう相手がいないのかもしれない。
そういう相談相手として私を選ぶのはミスチョイスだろうけど、話を聞くくらいならできるだろう…これでも、多分、友人なのだから。
「…辺見さんって優しいね。話すまではちょっと怖い雰囲気もあったけど、全然違った。三浦さん、素敵な彼女がいるんだね…うらやましいな」
「…どうしたのよ、また変な顔をして。この際だし、言いたいことがあれば吐き出しておいたら?」
弱く、それでもしっかりと笑顔を浮かべる。その様子は私なんかよりも強く見えて、だからこそ弱い私が相談に乗るだなんておこがましいのだろうけど。
でも、聞かないといけない。彼女の悩みの正体がある程度察せられるからこそ…CMCである私は、逃げられなかった。
違っていてほしい、そんな願いを無力に眺めながら。
「…実は私、今度因果の相手と会うことになって。その男の人、大学生なんだよね」
「…そう、おめでとう…って雰囲気じゃないわよね」
かくして渡辺から吐き出された言葉は、概ね予想通りだった。
昼食時に見せた因果律への疑問、躊躇…それは因果に関する悩みがあると言わんばかりの様子であって、エージェントである私はその可能性を考えざるを得なかった。
無論、それは今すぐ拘束すべきと考えているわけじゃない。少なくとも現時点では『よくある悩み』程度であって、マークするほどでもないだろう。
それでも私は事態の悪化を危惧して、自分という個人とエージェントの中間地点にある言葉を探っていた。
「因果律のことは信じてるんだよ? でも、相手の人がなんていうか…悪い人じゃなさそうなんだけど、事前情報だと好みのタイプじゃなくて。私、どっちかと言えば年下好きだし…」
「そうね…好みかどうかと相性がいいかどうかは別だから、そういうギャップも出てくるのよね…」
こういう話を聞くと、改めて私は…恵まれすぎているのかもしれない。円佳ほど思いやりがあって、強くて、そして美しい人なんて絶対にいないのだから。
そんな相手と因果レベルで結びつけられたなんて…と思うと同時に、だからこそエージェントなんてさせられていると思ったら、ある意味ではトントンかもしれなかった。
「ごめんね、妬むようなことを言うけれど…辺見さんがうらやましくて。いつも幸せそうで、不満とかもなさそうで…だから私、辺見さんのことをもっと知って『自分もこんなふうになれる』って思いたかったのかもしれない」
「…不満はないわ。幸せでもある。だけど…人を好きになるって、いつも不安がつきまとうと思うわ。だから、えっと…そういうのを吐き出して、ちょっとでもすっきりすれば、前を向けると思う…私も、そうしているから」
「…三浦さんに?」
「ほかにいないでしょ?」
円佳がいてくれる、それは間違いなく幸せなこと。
だけどそれで私が悩みのない毎日を過ごせているかというと、間違いなくそうではない。
むしろ円佳といるからこそ、いくつもの不安と悩みが浮かんでくる。多分それは、これからも変わらないだろうから。
だから、お願い。
「…ふふっ、いいなぁそういうのって。うん、私も因果の相手とそうなれたら…ううん、今は難しいけれど。でも、代わりに辺見さんにまた聞いてもらえたら嬉しいな?」
「ええ、かまわないわよ。私も因果律は信じているけれど…同じ悩みを持つようになったよしみ、話くらいなら…遠慮しなくていいわ」
私にあなたを、撃たせないで。
まずあり得ない…あり得ないと思いたいことを想像しつつ、私と渡辺はぎこちなく笑い合った。