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第29話「幕間・研究所の懸念」

「…円佳と絵里花への注意喚起は完了、現在は二人とも関係が良好であり、進捗スピードも問題なし。となると、懸念は…」

 因果律研究所の個人用オフィス…『主任研究者室』の一つにて、清水主任はモニターに表示された報告書やメッセージツールを確認しつつ、ブツブツと独りごちながら雑務処理を進めていた。

 その報告書の一つは美咲から提出されたものであり、普段の飄々とした態度とは裏腹に読みやすく整頓され、AIツールによる補助があったとしても彼女がどれだけ真面目に『監視』をこなしているかが伝わってきた。

 実直に真実を伝えつつも、円佳と絵里花が不利になるような内容は含まれていない。一方で上層部からの突きつけについては丁寧で剛健な言葉を用いてあしらおうとしており、清水はそれに苦笑を浮かべつつも、つい懸念事項よりも先に「いい子たちにはいい監視役がつくものね」とまた独りごちた。

「…『因果律をリセットする装置』…こんなもの、絶対に使わせるわけにはいかない」

 主任研究室にいるときの清水は、基本的に独り言が多い。ほかの人間がいるときは控えているものの、彼女はこうして視界に入った情報を口ずさむことで自分の中に焼き付け、そして必要に応じてすぐに引き出せるように整理していたのだ。

 そんな彼女が今見たのは、敵対勢力が作っていると思わしき…自分たちの研究を真っ向から否定するために作られたような、違法な装置に関する情報だった。

 情報の作成者は常に敵対勢力について監視している熟練のエージェントで、その精度については申し分ない。だからこそ注意を促すのに適している反面、因果律の力を信じ、そしてより普及させていこうと考える清水にとっては…思わず歯ぎしりまでしてしまうような、強い憤りが生まれてしまった。

「もしもそんな装置が完成してテロリストたちに行き渡ったら、私たちの作った因果だけじゃなく…この世から因果律すら消えてしまうかもしれない。そうなったら、私は…」

 因果律、それはその人にとって最高の出会いを知らせるための力だった。この仕組みに反対する人間はいつも『決められた運命を強制し管理社会化を進める独裁システム』と罵倒してくるが、少なくとも清水にとっては…因果律は『救済』であったのだ。

 だから彼女はそれ以上は口にせず、デスクに置かれたマグカップを手に取り、中に入っていたコーヒーを一気にあおる。砂糖もミルクも入っていないそれは嗜好品というよりも栄養剤であり、カフェインによる刺激だけを期待して持ち込んでいた。

 そうした期待に応えるべく、苦みが嚥下されたらゆっくりとその香りが鼻孔を突き抜け、首元から徐々に覚醒が始まるような錯覚に包まれる。その目覚めの中で、先ほど口にできなかった言葉は自身の過去という形で脳内にビジョンを生みだしていた。


 ◇


 清水の両親は今や珍しい、どちらも因果を持たない夫婦であった。因果を持たない者同士ということで意気投合自体は早かったものの、彼らが順調だったのはそこまでであった。

 因果がないこと自体にはさほど冷たい目を向けられることはなく、むしろ因果のある相手に余計なちょっかいを出さなかったこともあり、ある意味では祝福すらされていた。無論政府も取り締まることなんてなかったが、それでも周囲には因果によって結ばれた夫婦が圧倒的多数で存在している。

 そんな中、両親は些細なケンカが起こるごとに周囲と自分たちを比較し、かつて存在していた愛情は急速に冷めていく。自分たちはどう頑張っても因果がない、だから幸せになれない…そうした蒙昧に支配されていた家庭は、清水が大きくなるにつれて殺伐としていく。

 そして彼女が中学生の頃、両親は無理心中を図ったのだ。決して貧しいわけではない。日々の食事にも困っていない。しかし、まだ大人ではなかった清水にとってはなぜその結論に至るかわからないほど…彼女の家庭は歪んでしまっていた。

 結果、清水は一命を取り留めたものの両親は死亡し、残された彼女は因果律という仕組みを恨み、やがて世界自由連合といった過激派集団に取り込まれた…とはならなかった。


『我々はすべての人に因果律による恩恵をもたらし、そして誰にとっても最高の出会いを与えたい。もしも君がご両親の無念を晴らしたいのなら、どうかその力を我々に貸してはくれないだろうか?』


 因果律研究所は両親を失った子供を積極的に引き取り、幼ければ因果律を操作してCMCに、ある程度年齢を重ねていれば研究者やエージェントとして育成していた。

 そして当時の清水はCMCになるには年齢を重ねすぎていたものの、学業が優秀であったことから研究者としてスカウトされることになり、身寄りのいなかった彼女はそれに応じたのだ。


『私の両親には、何の因果もありませんでした。でも死ぬことはなかったと思います…けれど、私はそれを止められなかった。因果律のこと、全然知らなかったからです。だから私は、誰よりも因果について学びたい。そして私の両親みたいな人たちを一人でも減らして、いつかは…この国で生きるすべての人に、因果を与えたいです』


 清水は優しい女性だった。因果のない両親を愛していた。だからこそ、彼女は因果律も憎めなかった。

 それは見方を変えれば因果律研究所が彼女の優しさを利用したと言えるし、清水もまたその可能性に目が向かないほど盲目的ではない。

 それでも、思うのだ。もしも因果律に関する研究が今よりも進んでいて、自分の両親にも惹かれ合う因果が与えられたのであれば…それは両親だけでなく、自分にとっても幸福をもたらすのではないか?と──。


 ◇


 そして清水は研究者としての頭角を現し、その穏やかな気性と豊かな母性本能を評価され、CMCと直に接する機会が多い研究チームに配置された。優しい彼女は幼子の因果律を操作することにためらいはあったものの、自分自身に背負わされた運命、そして何より因果律の発展のため、清水は多くの子供たちに因果を与えていく。

 無論、与えるだけではなかった。彼女は時間の許す限り子供たちと触れ合い、そんな子供たちをモルモット扱いする同僚をいさめ、たくさんのCMCを育てていく。そして成長したCMCたちが幸せそうにパートナーと過ごす様子を見るたび、清水は自身の中にも幸福が生まれているのを実感できる。

 この因果は作られたものかもしれない。しかし、幼い頃から因果で結ばれていれば数奇な運命に翻弄されることもなく、ただ一人の相手と祝福に包まれた道を歩いて行ける。それはつまり、彼女の両親のようにはならないことを意味していた。

 また…いくら因果を与えたと言っても、性格が激変するケースは極めてまれだ。仮に変わったとしてもそれは成長による自然な変化であり、因果律操作による副作用と決定づけるほどでもない。よって因果が作られていたとしても、そこで芽生えた関係は、感情は、愛は、すべて彼ら彼女らのものなのだ。

「…CMCはあいつらが思っているような存在じゃない。誰よりも幸福になるため、そして周りすらも幸せにするため、人類全体の悲しみを減らすために生まれてきた…優しく純粋な、これからの時代を担う新人類とも言える存在…」

 CMCは因果律の素晴らしさを周囲に伝え、エージェントであればそれに反対する革命家気取りを拘束し、人類から不要な悲しみを取り除く。清水はそう信じていた。

 そう、CMCは…清水にとって、救世主でもあった。因果が与えられることで救われる人がいる、それを体現してくれる存在は、彼女にとって愛すべき『子供』なのだ。

「円佳。絵里花。あなたたちの因果も、絆も、絶対に消させはしない…いいえ。あなたたちほど強くつながっているのなら、どんなことがあっても」

「失礼いたします、主任。次回のエージェント選抜試験の内容についてリストアップしてきました」

 清水にとってCMCはすべて大切な存在ではあるが、彼女一人で全員を育てられるほどその数は少なくない。となればどうしても『付き合いが長く接することが多い子供たち』に意識が回りやすくなり、その中でも…とくに彼女が可能性を感じている二人について、ついこぼしてしまいそうになったら。

 ノックされたドアが開き、一般研究員が入ってくる。年齢は20代半ば、クリーム色のミディアムレングスをポニーテールにしている女性だった。表情はやや緊張気味で、歩く姿勢の堅さからも新人らしさが滲んでいる。

 清水はそんな新人研究員に過去の自分を思い出しながら、椅子に座ったまま独り言を切り上げてそちらに振り向いた。

「ああ、ありがとう大宮さん…これから学生CMCは全国規模で人数を増やしていくから、試験内容もしっかり見直さないとね」

「ですね…でも主任はとてもお忙しいと聞いています。この業務であれば別の担当に任せても…」

「ダメよ、たまにCMCを『すべての遺伝子を操作された改造人間』みたいに勘違いしている人もいるんだから…優れた素質を持つ子が多いのは事実だけど、過剰に苦しめるような内容が含まれないよう注意する人間も必要なのよ」

 新人研究員…大宮が持ってきた書類を受け取り、清水はそれに目を通しながら問題点を瞬時にリストアップしていく。その中には戦争の道具を育てようとするかのような内容も含まれていて、無論彼女は無言で取り消し線を引き、何が問題なのかをしつこいほど細かく記入していた。

「…清水主任は優しいですね。あの、失礼ですが…そうなると、因果律の操作についてもやっぱり思うところはあるのでしょうか?」

「…一切ない、とは言わない。けどね、因果律によって導かれた人たちが幸福度の高い人生を送っているのは膨大なデータからはっきりしているわ。そして因果律に反対する連中の大半はそうしたデータを軽視し、自分たちに都合のいい声だけは大きく取り上げている」

 多忙な上司がCMCに関する様々な業務を抱える様子へ大宮は心配そうに、そしてやや物憂げに尋ねる。清水はその様子に対しては目を向けることはなく、けれども質問によどみなく答えるためにはっきりとした声音で、ここにはいない敵を非難するように返事をした。

「やれ『自由を奪っている』だの、やれ『望まない婚姻を押しつけられる』だの、誰も彼もがそこにある幸福、そしてそれを奪われることで生まれる不幸には目を向けない。いい? データのない意見はね、ただの『お気持ち』なの。そのお気持ちに配慮していた頃の日本はゆっくりと衰退を続けていた…今はいい時代よ、高性能なAIを使えば証拠付きの膨大なデータを引っ張り出して、因果律が正しいと一瞬で論破できるのだから」

「…でも、やっぱり身体をいじるのは…元々因果がなかった人たちはともかく、本来あった因果を書き換えられるのは…いくら因果が発現していない子供たち相手でも、その」

「大宮さん。ここは個人オフィスみたいなものだからいいけど、今の発言を公の場でしたらあなたもエージェントに監視されることになるわ。私は告げ口はしないけれど、発言には気をつけなさい」

「っ…はい、すみませんでした…」

 人間は感情によって動く生き物であり、それ故に法治国家に不向きな生き物でもあった。しかし、人類全体に染みついたシステムを今さら変えるわけにはいかず、かといって人治国家がどのような惨状を生むかは言うまでもない。

 よって近年発展したAIや高度な情報化、さらには自分たちこそがエリートで大衆を導く存在だと驕っていた報道機関の清算により、危うく日本を滅ぼすところだった衆愚政治は改善の兆しを見せた。

 その代償として管理社会化が進み、そこに因果律システムがかみ合うことで日本は出会いすら管理されるようになったものの、清水にとってそれは不幸な結末ではなく、むしろ人類の進化がまだ止まっていなかったことの証左ですらあったのだ。

 ましてやここはその象徴とも言える因果律の研究所であり、因果に対しての否定的な発言は研究員としての資格が剥奪されてもおかしくない。いくら新人といえどそれは看過できず、清水はなるべく刺々しくならないよう、それでも強めの表現で発言を押しとどめた。

 とはいえ、清水は良識的な女性でもある。だからこそ、大宮の言葉の真意もある程度は理解できた。

「…まあ、どんな形であれ子供たちの身体をいじっているのだから、私も立派な人間じゃないという自覚はあるつもりよ。それでも私はこの目で数多くのCMCの幸せを見届けてきて、その幸せは今も増え続けている。『与えられた幸せなんていやだ』というのはね、ごく一握りの恵まれた人間の自分勝手でしかない。そんな一握りの自己満足よりも、私は大多数に与えられる当たり前の幸福を願うわ。罪滅ぼしなんて言えないけれど、あなたも自分がやっていることに罪悪感を感じすぎないことね。でないと…私みたいに白髪が増える一方よ?」

「…はい、ありがとうございます」

 ナノマシンにより痛みも出血もない因果律の操作であるが、それでも身体の中をいじったという事実は消えない。どれだけ安全性が向上しても、どれだけ綺麗事を並べ立てたとしても、研究員である以上はそのすべてに向き合わないといけなかった。

 清水は毎日それらと向き合い、自問自答する。そしてその答えは今日に至るまで一度も変わっていないことは、彼女にとって数少ない自慢できることでもあったのだ。

 すべての人に、約束された幸福を。その理念に一点の曇りも感じていない清水は、誰よりも優しく、そしてまっすぐな因果律の研究者だった。

 だから彼女は一呼吸置いて力を抜き、苦笑いを浮かべて大宮に自分の髪を指し示す。白髪交じりのそれは今も黒の割合がわずかに減りつつあり、最近は本格的に白髪染めを検討していた。

 その身を張ったジョークは新人の笑いのツボを刺激するのは難しく、大宮は口元だけを引きつらせてお礼を言うのが精一杯だった。もちろん清水はそのリアクションから滑ったことを理解し、自分はジョークに不向きなのを自覚してわずかに落ち込む。

 こういうとき、存在そのものが軽口みたいな美咲がいてくれたら…と思いつつ、清水は書類のチェックを終えてそれを大宮に渡し、彼女が部屋を出て行くと同時に再び自分の仕事に戻った。

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