「先日入ってきた情報によりますと、最近は『因果律から解放されるために海外への脱出をそそのかす反社会勢力』が活発に動いていることが確認されました」
「なるほど…やっぱり世界自由連合のお仲間?」
「現在は直接的なつながりは確認されていませんが、連合も『因果律のない海外諸国を見習うべきだ』と主張していますから、無関係である可能性のほうが低いでしょうね」
あれから二日ほどが経過して、美咲さんがCafe Mooncordeに呼び出してきた。かくして予想通り仕事の話…それも面倒そうな内容であって、私は声音こそいつも通りだけれど、自分でもわずかに眉がひそまったのがわかった。
因果律を受け入れさせるために管理社会化を進めている日本だけれど、人間の心まで完全に把握することは難しく、そうなると一昔前からいた『反社会勢力』が水面下で活動することもできていた。
そしていつの世もこういう連中は『現状への反発』が根底にあって、同時に『政治に携わる勢力と見えない場所でつながっている』という特徴を兼ね備えていて、先鋭化した政党と反社会勢力が手を組んでいるというのは、意外性ゼロのつまらないドラマの結末を見たような気分になる。
「…その組織の壊滅を命じられたとか? 言っておくけど、私たちの担当は『捕縛』よ。研究所はご丁寧なことに『制圧』や『暗殺』についても仕込んでくれたけれど、そっち方面の経験は不足しているから役立てるとは限らないわ」
絵里花もそのドラマに不服だったかのように、私以上に不愉快そうに顔を歪めて美咲さんを見る。本人は睨むつもりはないのだろうけど、知らない人からすれば態度が悪く見えてしまうこともあり、これも友達が少ない理由になっていた。
もちろん、私はそんな顔も嫌いじゃない。絵里花が怒るときは『つまらないことで周囲に危害を及ぼした場合』であることが多いように、自分たちこそ正しいと盲信する革命家気取りのテロ行為に憤っているのだろう。
それは言い換えると正義感が強いとも言えて、やっぱり私の恋人は清く正しいのだと胸が高揚した。正義の味方に憧れたことは一度もないけれど、いつも隣にいてくれる人がヒーローであった場合、私も女らしくときめいてしまうようだ。
「おっしゃるとおりです。お二人は捕縛以外の実戦経験がありませんし、学生CMCのエージェントはいろんな面で貴重ですから、危険な任務へ優先的に割り当てられることは少ないでしょう。ただ、今回は学生などの若くて多感な時期の人たちが狙われているのが問題なんです」
美咲さんは仕事に関しては組織に忠実で、どんな命令が下ったとしても私たちにきちんと押しつけて…もとい命じてくる。私たちも含めてエージェントである以上は突っぱねられる権限なんてないだろうし、わがままを言ってこの三人が離ればなれになるほうがむしろ損失となるだろう。
一方、美咲さんは汚れ仕事に関しては私たちに回したくないと思っているのか、危険な任務…有り体に言うのなら『殺傷』を前提とした内容であれば、監視役になった直後からこのように表明していた。
『そういうのは私にお任せください。そのための狙撃手なのですから』
あのときの美咲さんはお世辞にも乗り気には見えなかったのに、にこりと乾いた笑いを浮かべながらも断言する様子に、当時は訓練生でしかなかった私たちはなにも言えなかった。
いや、多分今でも言えるべきことはない。そこには「なるべく殺したくはない」という甘ったれた本音もあるのだけれど、それ以上に。
(…多分私には、肩代わりできるほどの『覚悟』がない)
絵里花に手を出すような相手であれば躊躇なく殺せるのだろうけど、そうでない場合…ただ単に任務で命じられた場合、私はリフレクターガン以外の武器で撃てるのかどうかはっきりしなかった。
これは武器が使えないという意味じゃない。私たちエージェントはどんな状況でも任務を達成するために、軍などでも使われている一般兵器も扱えるように仕込まれているから、それを持たされたら普通に使いこなせるだろう。
でも、それを撃つということは相手の命を奪うということでもある。命じられたから、という理由だけで撃つのは…あまりにも軽い気がした。
けれど、目の前にいる人…美咲さんは違う。あの日も笑ってはいたけれど、その瞳の奥には渦巻く黒い炎が潜んでいて、仮に私たちを撃つように命じられたとしたら…そう思ったら、背筋が凍った。
そんな覚悟がある人に、どうして余計な気遣いができようか?
「学生が狙われているということは、お二人の周辺にも危険が潜んでいるということでもあります。聖央高等学校は我々の息もかかってはいますが、それはすべての学生を監視できているという意味ではありません。むしろ、聖央に通えるような優秀な生徒は狙われやすいかもしれない…」
美咲さんはモバイルディスプレイとつないだ携帯端末を操作し、画面上に今回の任務の資料といった書類を複数展開しながら、私たちに澱むことなく説明を続ける。おそらくは彼女も今回の件に関わる敵勢力を疎んでいるものの、そんな感情はおくびにも出していなかった。
ディスプレイにはこの辺の地図が表示され、そして近隣の学校施設に印が付けられていた。
「つまり、学生エージェントのお二人は直接事件に巻き込まれるかもしれないし、周囲が狙われるかもしれません。どちらにせよ、お二人が戦わざるを得ないことになる可能性は常に考慮してください」
「了解」
「わかったわ」
学生が狙われるということは、高校生である私たちも狙われるかもしれないということ。
仮に私たちへ声をかけてきた間抜けな敵がいた場合、とりあえずはそいつを捕らえて情報を吐かせ、そのまま組織を壊滅させることになるだろう。美咲さんほどの腕前がある場合、制圧チームに組み込まれる可能性があるかもしれない。
もしくは私たちの周辺…たとえば聖央高等学校の生徒にそういう話が持ちかけられたら、自然にその人に近づける私たちに白羽の矢が立つだろう。まあ、それ自体は仕方ない。
だけど…。
「…もしも聖央の生徒が狙われて、敵の誘いに乗った場合はどうなるの?」
「ひとまずその生徒は拘束、情報を引き出した上で『矯正施設』へ入ってもらうことになるでしょう。因果律に逆らうだけならまだしも、反社会勢力に乗じたのですから…今後はそういうことがないよう、矯正プログラムを受けてもらうでしょうね」
「…」
矯正施設。その単語は何度出てきたとしても、私たちに暗澹たる気持ちを抱かせた。
因果律は大体高校生くらいの時期から観測できるようになるのだけれど、そういう恋愛に対して敏感な時期に『この人と結ばれなさい』と言われるのは、やっぱり何らかの感情が巻き起こるだろう。
それでもスムーズに受け入れられるように、この国では小さな頃から因果律の素晴らしさについて触れる機会があるし、日常的にそういう情報が氾濫しているのだから、最終的には受け入れる人が多いのだろう。
だとしても、人間は理性だけで動けるわけじゃない。因果律で選ばれたと紹介されてもすぐに相思相愛になれるとも限らなくて、愛情が芽生える前に逃げ出そうとすることもあるだろう。実際、短期間の逃避くらいなら矯正まではされない。
問題は、それを犯罪者どもにつけ込まれることだろう。いくらそそのかした側が悪いとはいえ、その選択肢を受け入れてしまった以上、同列に等しい罪を背負わされるのだ…それが私たちの同年代であったと考えたら、やっぱり心に黒い霧がかかってしまった。
今隣で黙って目を伏せている絵里花も、同じ気持ちなのだろう。
「もしも反社会勢力の手引き通り海外に逃亡した場合、その先に待っているのは矯正を超える地獄です。人身売買は当たり前、最悪のケースだとスパイへの育成だってあり得るでしょう…ですから、あなたたちが拘束した学生が矯正施設に入れられるというのは、ある種の救済だと考えてください。少なくとも私は、そうなった場合でもお二人は正しいことをしたと断言できます」
正直に言おう。私は…たとえクラスメイトを拘束することになっても、多分この霧に惑わされずリフレクターガンを撃ち込めるだろう。
その理由はただ一つ、絵里花の隣にいるためだ。私が躊躇すれば多くのものが奪われてしまって、ときには日本全体に被害が及ぶのだろうけど、それよりも大事なのは絵里花だった。
絵里花とクラスメイトを天秤にかけることはできない。絵里花は私の中の唯一に近い判断基準になっていて、それを同じ学校に通うだけの相手と比較するのなんて…無理だ。
(でも、絵里花は違う…そうなった場合、普段の任務以上に苦しむ)
最近の絵里花は比較的安定してきたと言えるけれど、それでも任務の際はいつも浮かない顔をしていた。そんな優しい彼女がクラスメイトを拘束するように命じられたら、どうなるだろう?
苦しむことがはっきりとしている以上にたしかなものは、私の『絵里花の代わりに撃つ』という決断だった。
絵里花はいつも私の負担になりたくないと言うけれど、私も同じ気持ちだ。絵里花の負担を少しでも減らせるのなら、私は迷いを捨てる。
清らかで優しいあなたが少しでも楽になれるのなら、私は進んで手を汚すだろうから。
そして美咲さんはそんな私の胸の内を見透かすように、真顔と微笑みの中間みたいな顔できっぱりと味方をしてくれた。
「…ありがとう、アセロラ。それと、任務了解。普段以上に周囲の動きに警戒して、何かあればすぐに連絡するよ」
「ええ、私も…ベイグルやアセロラに迷惑はかけないわ。万が一の場合があったとしたら、迷わず相手を拘束する」
私と絵里花はその顔に報いるように、笑顔にはなれなかったけれどきちんとお礼を伝えた。すると美咲さんも真顔を消して微笑みのみになり、ふうっと息を吐いてディスプレイをオフにする。
「さて、お仕事の報告はここまで…ちょうど夕方ですし、今から食事にしましょうか。店長にオーダーしてきますので、そこのメモ帳に食べたいものを書いてください。あ、今日は割り勘で…」
「ふふ、ありがとうございます…私、久々にパスタにしようかな。バゲットもセットで」
「円佳、本当にパン類好きよね…炭水化物の過剰摂取には気をつけなさいよ? じゃあ私もパスタで、サラダのセットにするわ」
仕事に関する打ち合わせがカフェで行われることの利点、それはやっぱりこういう『お楽しみ』があるからだろう。
Cafe Mooncordeくらいフードメニューが充実していると育ち盛りの私たちでもお腹を満たすことができて、さらにおいしいドリンク類もついてくる。だからこの後すぐ任務に赴く場合を除いて、いつも何らかの飲食をしてから解散していた。
ちなみにここのバゲットはかなりおいしいので、実は私はパスタよりもそっちに期待していたりする。ちょっと余ったパスタソースをバゲットに付けると、これがまたおいしい。
「それじゃあ私も書いて…よし、オーダー完成です。じゃあ店長に渡してきますので、短い間ですがお二人はイチャイチャしてていいですよ」
「ここではしないわよ!」
「あ、家ではちゃんとしているんですね…美咲お姉さんは安心ですっ」
そしてテーブルに置かれたメモ帳にオーダーを記入したら美咲さんがそれを持って立ち上がり、私たちにだらしない笑みを見せてからささっと出て行こうとする。個室を使うときはそのままここで食べるため、注文内容を書いてから美咲さんが持っていき、できあがったら持ってきてもらうという流れだった。
もちろん黙ってこの人が出て行くわけもなくて、いつもの調子で私たちを冷やかす。絵里花は当然のように反応して、そんなやりとりを見ていたら本当に仕事の話が終わったのだと実感できた私は、へにょっと顔と身体から力が抜けた。
「ったく、美咲の減らず口はなんとかならないのかしら…」
「あはは、でも美咲さんだって暗くならないためにああしていると思うから…私は嫌いじゃないよ」
「…で、でも、ここではしないからっ」
「うん、わかってるよ」
美咲さんが出て行った直後、絵里花は呆れ8割怒り2割の様子で文句を言い、私は緩んだ顔そのままで返事をする。そして彼女はテーブルの上で手を組んで指先をもじもじと動かしたら、私のほうを横目で見ながら伝えてきた。
美咲さんの言う『イチャイチャ』が何を指しているのかはわからないけれど、少なくとも恋人らしいこと──現段階でできること──をここでするつもりはない。この個室は仕事で使うとは思えないくらい落ち着きはするけれど、まあ…家のリビングとは違って、完全な二人きりにはなれないのだ。
絵里花とはどんなことをするにしても、私たちだけの世界でじっくりと身を委ねていたい。
…この前のデート中は、ちょっと踏み外しかけたけれど。
「…多分あなたのことだから、最悪の場合は私の代わりになんでもしようとすると思う。でも、忘れないで」
テーブルの上で組まれていた絵里花の手が解放され、左手がテーブルの下にあった私の右手を握ってくる。
ほんのりと暖かく、優しい力加減で握ってくるそれは、また私に踏み外させようとする魔力があった。
「私はエージェントとしても成果を出して、もっとあなたとの関係を強固にする。誰にも文句が言えないように、誰にも壊せないように。だから…私を頼って。私だって、あなたのために戦いたいの」
「…うん、約束するよ。私は絵里花を守る。どんなことからも守る。でも…絵里花も私を守ってくれるのなら、怖いものなんてないよ」
私は絵里花を軽視していない。絵里花は頼りになる相棒で、いつも私は助けられている。
だけど…絵里花にだって、やりたいことはある。そしてそれを無視してただ守ろうとしていては、きっとまたすれ違ってしまう。
それは…いやだ。私たちは別々の人間であるけれど、因果にて結ばれた恋人でもあるのだから…誰よりもわかり合っていたい。
だから私からも握って、そして笑った。
「絵里花、一緒に戦おう。この先どんなことがあるかわからないけれど、一緒にいればきっとなんとかなる。私があなたを守るから、あなたも私を…守って」
「…うんっ。ありがとう、円佳」
私の背中は絵里花が、絵里花の背中は私が守る。
そうすれば…私たちは死なない。お互いの命が完全に燃え尽きるまで、因果に導かれたまま人生の果てまでいける。
それを理解した私たちは、美咲さんが戻ってくるまで手をつないだままだった。