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第24話「美咲お姉さんのぶっちゃけアドバイス」

 私の性別は女だ。つまり体つきも相応に女性としての造形をしていて、それは絵里花も同じだ。あえて違いを挙げるとしたら、絵里花は私に比べると細身でより無駄の少ない体つきだと思う。

 それでも基本的な形は私も絵里花も同じで、私は自分の下着姿や裸体を見たことはある…主にお風呂や着替えで。そして自分の体を見て『おかしな気持ち』になるはずもなく、むしろなってしまったらエージェントの仕事どころじゃないだろう…いや、ほかに心配するところはあるんだけども。

 つまりなにが言いたいのかというと、私は女性の身体を見たことはあるし、普段からそれにムラムラしているわけじゃない。絵里花も女性で同じような身体を持っているのであれば、それを見て興奮するのは無理難題ではないかと今さらながらに感じた。

 ただ、私は絵里花の裸を見たり、あるいは裸を見られたりするのは恥ずかしいとも思っている。そんな状態で彼女の身体を直視すれば、たしかに…絵里花も言っていたような『おかしくなる』という状態になる可能性があった。

 …でも、それをするのが難しいほど恥ずかしくて、同時に本当にこれが性愛につながっているのかもわからなくて、なんで研究所はこういうセンシティブな問題を上手く私たちに叩き込まなかったのかと今になって恨む。いや、できなかったのだろうか?

 こうなったら今度清水主任に会えたときに質問攻めにして

「…円佳? ぼうっとして大丈夫? 顔も赤いし、熱があるんじゃないの?」

「…あ。いや、うん…ちょっと考え事をしてて」

「考え事…あの、それって…」

 さて、責任転嫁をするのであればその対象は研究所しかなくて、その中でも一番話しやすい相手であろう清水主任を思い浮かべる。あの人はなんだかんだで私が聞いたことには丁寧に答えてくれるし、知識としての性愛を教えてくれるのかもしれないと期待していたら。

 ソファに座る私の顔をのぞき込むようにして、絵里花が話しかけてきた。あれからの彼女は私の行動を過度には追求せず、かといって忘れたわけでもなく、折に触れて顔を赤くしては、今のように尋ねにくそうに口を開いてくる。

 …そんな顔を見ていると、どうしても恥じらう絵里花を思い出してしまう。恥ずかしがり屋な彼女のそういう姿は珍しいものじゃないはずなのに、あの日はゆっくりと肌をあらわにしながらそういう態度を見せたものだから、私はこれまで知らなかった情報の海に放り出されてしまい、逃げてしまったのだ。

 そして、今も。

「…あ、あー…ごめん、ちょっとコンビニに用事があって…夕飯までには戻るからっ」

「あっ、ちょっと…!」

 学校から帰ってきて、エージェントとしての仕事もない。

 ならばもう外出の予定はないのに、私はありもしない用事をでっち上げて制服のまま立ち上がる。お互いの予定の大半を把握している絵里花は多分見え透いた嘘に気づいていただろうし、私だって「もっとまともな言い訳はなかったのだろうか」と呆れてはいた。

 だけど、追い詰められた人間が瞬時に理想的な退路を確保できるわけもなく、結局私は勢いに任せてソファを立ち、絵里花の言葉を振り切るようにして玄関へと駆け抜ける。

 その様子は研究所も評価していたであろう、『冷静で優秀なエージェント』からはかけ離れていた。


 *


(はぁ…なにをやってるんだろう、私は)

 目的もなく家を飛び出し、駆け足で住宅街を巡る。まだ日は沈んでいないものの夕飯の支度をしている家庭も多いのか、多くの住居に光が宿っていた。

 先ほどまでは私もあのあたたかな光の中にいたというのに、自ら逃げ出して…本当に、なにをやっているんだろう。何度でも同じ質問を心で繰り返し、毎回回答は得られなかった。こんな不毛なことをするくらいなら、携帯端末に搭載されたAIにでも聞くほうがよっぽどいいだろう。

 かねてより人間の生活に浸透していた携帯端末はAIの進化により爆発的に発展し、インターネットにつながる状態であれば誰でも高性能なAIに質問できるようになっている。さらに私たちCMCの端末はより高度かつ機密を含む情報にもアクセスできるため、相談すれば何らかの有効回答は得られるのかもしれない。

(…でも、いつもそばに絵里花がいてくれたから…何かあれば相談して、それでなんとかなっていたんだよな…)

 多分私と絵里花は、AI機能を使う頻度が少ないと思う。理由は幼い頃からずっと一緒にいたパートナーの存在で、さらには因果律によって理想的な相手でもあるのだから、どんなときでも真っ先に相談相手になってくれていたのだ。

 ただ、年齢を重ねるごとに何でも無邪気に話し合うのは難しくなっていって、相手に負担をかけまいと自分で解決しようとして、そして…相手を意識することで、ますます相談しにくくなってしまった。

 大切だし、頼りにもしている。でも、絵里花だからこそ聞けないこともある。この矛盾こそAIに頼るべきなのだろうか、そう思っていったん腰を落ち着けるべく、視界に入った公園へと向かった。

 適当に歩いていたらそれなりに有名な公園の前に立っていて、そこは園内に簡単な川も流れている、遊歩道もしっかり整備された場所だった。ゆえに学校や会社帰りにデートを楽しんでいると思わしき人たちもいて、私も絵里花と来たかったなぁなどと考えていたら。

「…フルートの音? まさか…」

 ベンチを探していたら、園内からそれなりに聞き慣れた楽器の音がする。私は楽器演奏はさほど得意じゃないけれど、それでもこの高く清らかな音にはなじみがあって、その演奏者についてもすぐに思い当たる。

 いつも優雅に、だけど自然に、何より楽しげにフルートを吹く女性の姿。その人はいつも余裕があって、飄々としてどこか締まらないけれど、それでもなんだかんだで大人として私にアドバイスをくれることもある。

 つまりはこういう場合の相談役になってくれるかもしれないという期待があって、私はその姿を探して音の方向へと歩みを進めた。

「…いた、美咲さん」

 フルートの音色に誘われるように移動を続けていたら、やはりその人はいた。

 公園のベンチに座り、目を閉じてフルートを吹き続ける美咲さん。そよ風に揺れるアクアブルーの髪は夕日に照らされて幻想的な光を生みだし、元々整っていた容姿は妖精や精霊と表現すべき、人ならざる美しさにまで到達していた。

 現に何人かは足を止めてその様子に見入り、あるいは聞き入り、彼女の周囲は小さなコンサートホールになっている。その演奏会をすぐに終わらせることはためらわれて、私は少し離れた場所から見守ることにした。

 …やっぱりきれいだな、美咲さん。私が知っている人の中だと絵里花が一番きれいというか好みの容姿をしているのだけど、そういう特例を除けば一番美人なのはこの人なのだろう。結衣さんも間違いなく美人なのだけど、美咲さんは浮世離れしているというか、どこにいても飛び抜けた美しさを放ってしまうと言うべきか。

 なんて絵里花にバレたらちょっと怒られそうなことを考えていたら、演奏も一段落して美咲さんは目を開く。ホワイトパープルの瞳は夕方の穏やかな日光を受け取り、やがて訪れる黄昏と夜空を先取りしているようだった。

 美人が演奏を終えたことで近くにいた人々は小さな拍手を送り、その中には声をかけようとする男性も見受けられたけれど。

「…では、演奏料をお願いいたします。学割や美人割もありますので、金額に関する相談も受け付けますよ~」

 …なんて笑顔で演奏料の無心をしつつ、ここに来るまで被っていたであろうブラウンのキャスケット帽を裏返して観客に差し出していた。もちろんそれでほとんどの人はそそくさとその場を立ち去って、けれども三人くらいは小銭を取り出して帽子に入れて…あ、そのうち一人は「学割だと何円ですか?」なんて真面目に聞いている子がいた…しかも千円札を入れているし…。

「うふふ、ありがとうございました~…久々にハンバーガー…いえ、牛丼という手も」

「何をしているんですか美咲さん…」

「あら? 円佳さん? 学割と美人割を使いますか?」

「使いません…ちょっとジュースを買ってきますから、何がいいですか」

「お構いなく…あ、私はアセロラジュースが好きですよ」

 私が呆れ半分…いや呆れ八割くらいの表情と声音で話しかけると、美咲さんは知り合いとの遭遇にちょっぴり驚いたかと思ったら当たり前のように私にも演奏料を要求してきたので、その代わりにとジュースを奢ることにした…相談もしたいし。

 そして遠慮する様子を見せた1秒後には共食いみたいな好みを伝えてきて、それには突っ込まず自販機へと走る。ちなみに自販機には本当にペットボトルのアセロラジュースがあったので、それと私はカフェオレを購入して急ぎ足でベンチに戻る。

 戻る頃にはお金を財布にしまったと思わしき美咲さんが帽子を被っていて、言うまでもなく似合っていた。ちなみに服装は白いオーバーサイズのパーカーにダークネイビーのスキニージーンズで、あふれ出る上品さをストリートスタイルで隠している。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます…『アセロラがアセロラドリンクを飲むのって共食いみたい』とか思ってません? ちなみに私はアセロラが好きなのでそう名乗っているのであって、アセロラから生まれたわけじゃありませんよ?」

「その補足、いりますか?」

「今日の円佳さん、いつもよりドライですねぇ…ちょっと怖い顔をしてたから、年上らしい余裕のあるジョークで和ませようとしたんですが」

 ふひっとわざとらしい笑顔を見せて、ドリンクを受け取った美咲さんは私の思考を読んだかのような冗談を言ってのける。対する私は早々に相談を開始したいと思っていたので撥水コーティングされた服みたいに受け流したら、相変わらず鋭い指摘をしてきて反応に困った。

 …さっさと相談したいと思っていて、それでちょっときつい態度になっていたかもしれない。人によってはあまりの失礼さに怒ってきたかもしれないけれど、この人は出会った頃から変わらない、喜怒哀楽から怒が抜けたような態度をまったく揺らがせなくて、相談を焦る私の心はじっくりと静まった。

「…すみません、ちょっと聞いて欲しいことがあって」

「ええ、どうぞ。今は周囲に耳も目もないみたいですから、割となんでも大丈夫ですよ」

「…美咲さんは、結衣さんに興奮するんですか? その、同性愛的な質問なんですけど」

「なんでも大丈夫ですけど、円佳さんからそんなストレートな質問をされるのは予想外でしたよ…アセロラジュースを吹き出すところでした」

 私が謝ってもにっこりしたままの美咲さんだったけど、あまり時間を取らせるのもよくないと思ってストレートに質問してみる。

 けれどそこでようやくピシッと音が入ったかのように表情が変化し、美咲さんはぐにっと苦笑いを浮かべた。これは…哀楽ぐらいの感情があるかもしれない。

「すみません、どうしても聞きたくて…」

「まあいいですけどね。で、回答ですが…興奮しないなら、そもそもエッチなことはしてませんよ」

「っ…で、ですよね」

 もう一度謝り、それでも続きを聞きたいという意思をぶつけてみたら。

 美咲さんは頬を赤らめることすらなく、ジュースを飲みながらすんなりと回答してくれた。それは「今夜はパティ増量のハンバーガーにします」とでも宣言するかのような、まったく言いよどむ必要がない話題だといわんばかりの態度だ。

 その余裕に圧倒された私はつい『エッチなことをする二人』を想像しかけ、すぐに振り切ってなんとか返事をする。『女性同士のエッチなこと』についてもわずかながら知識はあるけれど、それを知り合いに当てはめるのはなんとも業が深い気がした。

「あっ、今想像しましたね? 残念ですが、結衣お姉さんの裸を見られるのは私だけなので…想像の中であってもご遠慮いただきたく」

「し、しませんよ。それに、私がそういうことをするとしたら、絵里花…んんっ、好きな人、だけですから」

「言いよどむ必要ありませんよねぇ? でも…そんな話をしてくるってことは、そろそろ絵里花さんと『したく』なりましたか?」

「…それがわからなくて」

 この人、本当にこういう場合の察しの良さはなんなんだろう…と読心術の類いを疑いつつ、私は割と本気で遠慮を願ってきた美咲さんに反論する。

 でもその言葉はまるで私が絵里花を『求めて』いるようでもあって、即座に指摘される程度には無意味な訂正をしてしまった。私が好きな人なんて他にいないのに。

 そしてようやくからかい甲斐が出てきたとでも思ったのか、美咲さんはペットボトルをベンチにおいて少し前のめりになる。近づいてきた美咲さんからは甘酸っぱい香りがした…いやこれ、ただのアセロラジュースの匂いだ。

「私は絵里花が好きなんですけど、そういう気持ちにはなったことがなくて…ええと、もっと言うのなら絵里花に『ムラムラ』したことがないんです。でもそれ、恋人としては間違っているのかなって…」

「それで関係が進展せず、先日指摘されたような実績が出せない…という心配をしていたんですか? うーん、私の言い方が悪かったのでしょうか…」

 ここまで来たら恥も何もない、そうやけくそ気味に自分の背中を押して、これまたストレートに表現してみる。

 私が絵里花のことを好きなのは先日の問答にて概ねはっきりしたけれど、それがムラムラ…性愛っていうのにつながってはいないような気がして、でも確かめようとするとドキドキが先行してわーってなって、自分の考えや気持ちがわからない。

 なので求めている答えがわからない曖昧さを含めて伝えてみたら、美咲さんは反省するかのように目を伏せた。それは夕日の影響で物憂げに見えて、先ほどまでお金の無心をしていた人とは別人に思えた。

「私と結衣お姉さんを見習ってほしいのは事実ですけど、それは『今すぐエッチなことをしろ』という意味ではありません。したいと思ったのならしてもいいんですが、女性同士っていうのはとくに『気分』が大事なのを忘れないでください」

「…気分?」

「ええ、気分です。男性が女性をデートに誘う理由、それはなんだと思いますか?」

「…相手が好きだから、ですか?」

 男性と女性、そう聞いて思い浮かんだのは…先日のCMC仲間の二人だ。多分あの二人も好き合っていて、それがデートの要因になるとは思う。

 …でも、裏を返すとそれ以外が思いつかない。だからそのまま回答したら、美咲さんは人差し指をフリフリして「ちょっと正解です」という微妙な正答率を指摘してきた。

「正確には『女性の気分を盛り上げてエッチなことを受け入れてもらうため』ですね。男性は出会った瞬間からしたいものですが、女性はそうもいきません。気分が盛り上がらないと『準備』もままならず、同意のない行為になってしまうでしょう。なら、女性同士ならどうですか?」

「…もっと盛り上がる必要がある、とかですか?」

「そうですね、お互いに盛り上がりが必要です。そして今、円佳さんはムラムラできない…そこで『ムラムラ』を『盛り上がり』に置き換えるとどうでしょう?」

 おお、と声が出そうになる。正直に言うとまだ曖昧な部分があって、答えの二歩前くらいにいるのだろうけど、それでもストンとくる部分もあって。

 …私は、そういう気分になっていない。盛り上がって、いないと思う。

「つまりですね、今の円佳さんと絵里花さんはそういう行為をすぐさまする必要はないんです。というか、できないのが普通です。私と結衣お姉さんだってお互いが『抱かれたい』と感じるまで時間はかかりましたし、そこまで『好き』って気持ちが大きくなるのに時間がかかる…円佳さんはもっとそういう気持ちを育てることに目を向けてみてはどうですか?」

「…好きを、育てる…」

 美咲さんは多分、私を責めていない。バカにもしていない。

 でも、きちんと悔しさがあった。それは『私の絵里花に対する好きという気持ちは未熟だ』と言われているような気がしたからで、それに悔しくなるのは恋人として健全だとも思う。

 けれど、認めよう。この未熟さがハードルになっていて、私と絵里花はまだ前に進めないことを。

 同時に、そのハードルを飛び越えるのではなく押し倒して進みそうになっていたことを、ちゃんと自覚しよう。

「…私は絵里花と離れたくありません。一緒にいられるのなら、なんでもするつもりでした」

「その意気やよし、です。でもね、あなたたちはちゃんと前に進んでいます。今の円佳さん、絵里花さんの話をするときは…すごく一生懸命ですよ。その余裕がない感じ、まさに恋する乙女です」

「…はは、似合いませんけどね」

 会いたい、今すぐ。絵里花に。

 そう思った私は自然と立ち上がっていて、乾いた笑いとは裏腹に心は充実している。家へと踏み出した足はすっきりしていて、美咲さんに振り返って頭を下げた。

「次に報告するときは、違いを見せつけます」

「ええ、私も上手く伝えておきます…ですから、演奏料を集めていたことは結衣お姉さんにはご内密に…」

「…今回だけですからね?」

 本気でそうお願いしてくる美咲さんに締まらない気持ちになりつつも、きっちりお礼を伝えて私は走る。

 大切な人、絵里花が待っている家へ。そこに行けば、きっとどうにかなるから。

 私は自分と恋人を信じ、何度も足を踏み出した。

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