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第23話「愛と性」

 本日のデート、それは成功と断言しても差し支えないだろう。そもそも『好きな相手と出かける』のだから、よほどプランに問題がない限りは失敗する要因のほうが少ない。

 そう、失敗するとしたら…私たちではどうしようもない、偶然の出来事。それはゲーム風に言うとランダムイベントってやつで、こういうものは往々にして運に左右されてしまうから、私みたいな『不確定要素を潰して安定性を確保する』というプレイヤーには忌み嫌われている。

(そう、今日のデートプランに穴はなかった…絵里花だって私のために協力してくれていたし、行き先のチョイスも気に入ってくれていたし、おそろいのアクセサリーだって購入できた…)

 夕食を終えた私は洗い物を済ませ、リビングのソファに座って本日の成果物の一つ…私と絵里花の新しい絆──大げさかもしれないがそうだと信じたい──ともいえるおそろいのキーホルダーをつまみ、それをまじまじと見つめていた。

 それは樹脂で作られたスナメリのチャームに加え、水色の小さなガラス玉によって構成されたキーホルダーだった。スナメリは小さくも愛嬌のある顔立ちをしていて、ガラス玉は光の当て方によって色合いが異なって見えるささやかながらも繊細な作りとなっている。

 ストラップ部分は細く、比較的どんな場所にも付けられると思う。現在はスクールバッグに付けるつもりで、二人揃って同じ場所へ装着していればいい感じのアピールができるだろう。そこまで考えて「なるほど、自然に親密さを伝えるってそういうことか」なんてちょっと感心しかけた。

(…でも、最後のほうはちょっと変な空気になってしまった。あの二人に会わなければ、こんなことには…くそ)

 キーホルダーをテーブルに置き、私は声には出さずに毒づく。三浦円佳という人間はあまり感情を表に出さず、それゆえに喜怒哀楽に乏しいのだと親しくない相手には思われているみたいだけど…そんなことはなかった。

 私だって人間だし、あえて言うなら多感なお年頃でもある。ちょっと特殊な訓練を受けたことを除けば普通の女子高生でもあり、そんな人間に感情がないだなんて指摘するのは観察日記としても失格ものだろう。

 だから私は同郷であり、非常に広義の意味では仲間とも言えるあの二人に対して小さくない憤りを感じていた。篠山くんも南さんも私たちに対して悪意なんてないのだろうけど、悪意がなければトラブルが起こらないとも言い切れず、むしろ悪意がないからこそ正面切っての反撃もできない。

 …いや、反撃と言っても彼らを傷つけたいとか、そう言うんじゃなくて。というか同じエージェントを攻撃したなんてバレた場合、美咲さんが急行してきて狙撃されるかもしれない。

(…あのスケベカップルめ。私たちはエージェントとしてまだまだ働かないといけないの、忘れてるんじゃないのか?)

 これまた口にしたら失礼に思える罵倒を心の中で生みだし、私は手の甲を額に引っ付けて天井を仰いだ。白色の円形LEDライトは夜であることを忘れさせるほど明るく、私の中の理不尽な怒りすらも白日の下にさらしそうだった。

 CMCは理想的なカップルであることから、どうしても仲良くなる…なりすぎる。そして男性と女性の組み合わせであれば『そういうこと』に発展した場合、いろいろと『手違い』があれば女性側に…その…『未来』が根付いてしまうわけで。

 あの色ボケカップルはおそらくそういうことをしているし、となればうっかりミスにてエージェントの業務に支障が出るような状態になりかねない。その辺はきちんと教育もされているだろうけど、少なくとも私と絵里花に比べると余計なリスクがあると言えた。

 …ちなみに、私と絵里花でも『未来を迎える』ことはできる。因果律によっては同性とパートナーにもなるわけで、そうなった場合の『国力増強』についても早急に研究が進んだ結果、今は性別の組み合わせに関係なくお互いの遺伝子を受け継いだ未来が作れるようになっていた。

 無論、私と絵里花が作る場合はそのために医療機関へ向かう必要があって、少なくともあの二人のような行為をしたところでエージェントの仕事に支障が出ることはない。

(…いや、私は別に絵里花としたいわけじゃ…あれ、どうなんだろう…?)

 恋人としての関係が深まるとすることになるとされる、『あれ』。

 あれの目的にはいろいろとあって、親密になるためにするのもそうだし、『発散したい欲求』をすっきりさせるためでもある。CMCとしての教育には一般教養も含まれているから、私だって知っていた。

 ただ、その行為について浮かべてみた場合…私は絵里花としたいのかどうかと聞かれたら、自分の中に浮かんできたのはまさに『無回答』だった。政治家がこういう回答をした場合、ボロボロに叩かれるのは有名だろう。

 なので私も絵里花と恋人である以上、無回答のままでいるのは都合が悪いかもしれない。絵里花は真面目だしちょっと潔癖なところがあるから、そういう目で見られるのは嫌いだろう。だからこれまでは私もそんな目では見てこなかったけれど、でも、絵里花から求めてくれた場合は…?

(…私、絵里花に対して『性愛』がないのかもしれない…)

 私を『そういう目的』で求めてくれる絵里花を想像してみても、ドキドキはするけれど…多分あの二人のような『ムラムラ』は湧いていないと思う。それはつまり、性愛がないと表現してもいいだろう。

 そして性愛がないのにそういうことをするのはいささか難しいような気がして、私は腕組みをしてうんうん唸ってしまった。いや、気持ち悪いとも思わないのだけど…教科書通りの知識を総動員してみても、『正しく受け入れる準備』が性愛なしではできない気がする…。

(…まさか、性愛がないから関係も進展していなかった…? いや、そんな馬鹿な…)

 私は絵里花のことが──どんなことからも守りたいと強く思っているという意味で──好きだ。絵里花も私を──唯一の存在として──好きだと言ってくれた。

 お互いが好きならば恋人関係は成立するけど、それだけでは前に進まないのは身をもって理解した。そして進めるための原動力の一つが性愛だとした場合、私たちは…ここが、行き止まり?

「円佳、お風呂の準備終わったわよ…って、どうしたのよそんな顔して。気難しそうにしているけれど、何か問題でも起こった?」

「…なにも起こらないから、問題なのかもしれない…」

「は?」

 私が見えない壁に到達したと同時に、お風呂のセットを終わらせた絵里花がリビングにやってきた。そして自然な流れで隣に座ってくれて、いつも通り美少女としか言えない顔で見つめてくる。

 …うん、可愛いと思う。きれいだとも思う。少なくとも私が知っている人たちの中では一番好きな顔立ちをしていて、見つめ合っていると思わずクラゲたちの宇宙を思い出すほどドキドキしそうだ。

 でも…彼女を押し倒してでもそういうことをしたいとか、衆目があるのにお尻に触れるといった狼藉を働きたいとか、そういう気持ちは全然ない。むしろ絵里花にそんなことをしようとする私以外の人間を殺…懲らしめたいとは思う。

 つまりそういう衝動がない私のせいで前に進めないとしたら、どうだろう…うん、このままではよくない気がする。

 よくはないのなら、前に進むしかなかった。

「絵里花、今日は一緒にお風呂に入ってみない?」

「……は?」

 性愛を刺激する条件、その主なものが『相手の裸を見ること』だった。

 だけど意味もなく脱いでもらうのはどう考えても危険な空気になる──なぜか危険だとわかる──ので、それならお互いが自然に裸になるタイミングを活かすしかない…そう判断して、私は変化球は使わずに彼女を誘ってみた。

 もちろん絵里花はぽかんとして、そのまま数秒ほど時間が流れて、真っ赤な顔をした彼女に詰め寄られたのは言うまでもなかった。


 *


「ね、ねえ、本当に…入るの?」

「うん、入りたい。こうすることでわかることがありそうだから…」

「どういうことなのよ…」

 私と絵里花は洗濯機も設置された脱衣所にいて、彼女は私をチラチラと見つつもまだ服は脱いでいない。ちなみに私も絵里花の肌にドキドキするのかを知るため、まだ脱がずに彼女を見ていた。

 …でも、恥じらう絵里花って…なんか、うん。悪くない、と言うべきなのだろうか?

 肌を晒すのを躊躇する彼女を見ているだけで、私の心臓はトントンと鼓動を強めていった。でもこれ、ムラムラじゃないよなぁ…。

「絵里花、脱がないの? 脱がないとお風呂に入れないけど」

「そ、そんなのわかってるけど…なんでこっちを見てるのよ? いくら同性相手とはいえ、着替えをじろじろ見るのはマナー違反じゃないの?」

「…それもそっか。ごめん、デリカシーがなかった…」

 恥じらう絵里花を密かに堪能していたら、彼女は控えめな声とすでに入浴したかのような赤い顔で抗議してきた。そしてその内容には一切の反論ポイントが存在していなくて、私は目的へ前のめりになっていた自分を恥じてきちんと謝る。

 そして背中を向けるとボタンを外す小さな音が聞こえてきて、これもまた私の心臓をトントンとした。もちろん、ムラムラはやってこない。

 当然ながら私も脱ぎ始め、ふと考える。

(私も脱ぐってことは、絵里花に肌を見られるんだよな…いやじゃないけど)

 一緒にお風呂へ入るのなら、それは当然すぎる帰結だった。

 もしも服を脱いで振り返った際に絵里花以外がいた場合、私はそいつの息の根を止めるべく近距離格闘術をお見舞いするだろう。結衣さんや美咲さんが相手なら恥ずかしいけれど、まあ大浴場とかに向かったと思えばOKだ。

 それに対して絵里花であった場合…これもまたいやじゃないし、なんなら美咲さんや結衣さんよりも抵抗感はないのだけど、体の奥がじんわりと熱を持つ。

 いやじゃない。むしろ絵里花だからこそ耐えられる。ただ、なんだ…恥ずかしい? のか?

「…あのね、絵里花。絵里花は私に肌を見せるの、恥ずかしかったりする?」

「な、なによ、そんな当たり前のことを聞いてきて…恥ずかしいに決まってるでしょ?」

「そうなんだ? でもさ、ほら…私たちはずっと一緒にいたし、今は恋人同士だし、何よりも女同士だし…恥ずかしいのって普通、なのかな?」

「…はぁ…あのね…」

 自分の中に生まれた熱の正体がわからないまま、私は後ろを向いて絵里花に尋ねる。私の質問に対して返答する絵里花からは衣擦れの音がピタリと止まり、もしかしたらもう『生まれたままの姿』になったのだろうかと考えた。

 そしてそんな思考を途切れさせるようなあっさりとした回答に、私は不思議とも納得ともつかない、霧の中で降る小雨のような質問を重ねる。いや、質問と言うよりは…自分自身への確認みたいな、ともすれば独り言に該当しそうな言葉を発した。

 やっぱり真面目な絵里花は長めのため息をつき、それでも出来の悪い恋人に言って聞かせるように、呆れつつも優しく答えを紡いだ。

「…私はね、あなたが好きなのよ。好きな相手だからこそ、肌を見られるのは恥ずかしくなるでしょう? だって、その…も、もしかしたら、万が一、今後の可能性として…お互い肌を見せ合って、えっと…するかもしれない、でしょう? かっ、可能性は低いかもだけどっ」

「あ、う、うん…」

 する、の意味はわかる。というか、家に帰ってきてからずっと私が考えていたことだ。

 男性と女性だからするのではなく、女性同士ですることはある。そもそも身近に女性同士でしているであろう美咲さんと結衣さんがいて、彼女たちもまた恋人同士であったのなら、同じ恋人同士である私たちがそこまで発展するのも自然なわけで。

 なにより…絵里花が私と『そういうことをするかもしれない想定をしていた』という事実は、今日一番の大きさを誇る心音を生みだした。

 これまではトントンと表現できていた心臓は、もうドクドクとしか言えないバスドラムみたいなパワーを伴っていた。

「…ああもう、だから…そういう風に意識している相手に肌を見られるの、恥ずかしいし…変な気分になりそうで、怖いのよ。円佳は私のことは『そんなふうに見ていない』って言っていたけど、私は…意識、しちゃってるのよ…気持ち悪いって思われるのいやだから、うやむやにしてたけど…」

「……そ、そうだよね……ごめん、本当にごめん……」

 変な気分。その正体はおそらく、性愛だ。

 ムラムラとも言われるそれは性的な衝動を生み出し、体を重ねるための原動力を生み出す。そして絵里花は私に対してそれを感じている可能性があって、だからこそ恥ずかしくって。

 なんだこれなんだこれ。わけがわかんないぞ。

(恋人相手にムラムラするのであれば、正直にそれを伝えて求めればいい…はずなのに、私はそれをするのも、されるのも、怖い…? いや、躊躇している…? 絵里花相手なら怖くなんてないのに、なんで、どうして…)

 私は絵里花を信じている。彼女ならきっと私を傷つけなくて、誰よりも優しくしてくれるだろう。その信頼は決して揺るがない。

 なのに絵里花が私をそういう意味で意識していると思ったら、急速に恥ずかしさが募ってきて。いや、恥ずかしいという気持ちに気づけたのだろう。

 せっかく脱いだ服を私は任務へ赴くときと同じくらい早く着直して、彼女に背を向けたままそそくさと脱衣所から逃げようとした。

「ま、円佳? どこへ行くのよ?」

「ご、ごめんね…その、お風呂に入らなくても、わかったことあったから…絵里花も恥ずかしいだろうし、やっぱり別々に入ろうよ。私、あとでいいからっ」

「円佳!?」

 これは失敗でも撤退でもない。むしろ…前進だ。

 私は絵里花に意識されていることに恥ずかしくなれて、彼女が私に抱いているものが性愛ではないかと気づけたことは、きっと一歩先の関係に向かうための鍵になったことだろう。

 だけど、その鍵を入れる錠前を私は見つけられていない。いや、鍵穴を直視することはまだできない。

 …私はまだ、ムラムラできていない。ドキドキはできるようになったけど、それだけでは足りないのだろう。

 脱衣所から逃げ出す私に絵里花は呼びかけてくれたけど、その言葉には反応できなかった。だってもしも彼女がなにも着ていなかった場合、自分の中になにが生まれるのかわからなかったから。

 自分から誘っておいてこんな結果になったことに申し訳なさを感じつつ、後でどのように謝ろうか思案しつつ脱衣所を後にした。

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