デート。それは恋人の仲を深めるためのオーソドックスなイベントで、私たちもそういう行為があることはもちろん知っている。CMCである以上はデートも必要なことであるのは認めてもらえていて、そのために必要な資金なども支給されていた。
一方、私たちはちょくちょく一緒に出かけていたこともあり、なんとなくデートという名目で誘ったり誘われたりがなかった気がする。そういったお出かけを一つ一つ丁寧に検めてみると「あれはデートだったかもしれない」と感じるし、私が誘った直後に「デートに誘うのって初めてだよね?」と聞いてみたら「え…あの、この前のはデートじゃなかったの…?」なんて言われたりもした。
…うん、デートというのは気の持ちようみたいなもので、絵里花的にはこれまでデートをしたことがあったっぽいけど、まあとにかくこのデートが記念すべき機会となるのは間違いない。
もちろん絵里花は私の誘いに笑顔で応じてくれて、むしろ私以上に当日を楽しみにしてくれていた。
*
「本当にここでいいの? 私は嬉しいけど…」
「いいのよ、あなたパンが好きでしょう? デートならお互いが楽しめるほうがいいから、お昼くらいはあなたに合わせるわよ」
今回のデートコース、それは…『お昼ご飯をどこかで食べてから水族館へ行く』というもので、我ながら置きに行ったというか、デート慣れしていないからこそのチョイスだと理解していた。
研究所から与えられた資金を使えばもっと高級なデートもできるのだろうけど、身の丈に合ったデートのほうがいいのかと考えた私は『高校生っぽいデート』について調べた結果、シンプルかつ無難なプランができあがったのだ。
一応は私なりのおもてなしの精神も組み込んでいて、水族館に向かう前には飲食店が集まるエリアを経由するようにプランニングしている。事前にお店を決めていないのは『絵里花に好きなお店を選んでもらうため』であって、そのためにも豊富な選択肢がある繁華街を歩いていたら。
絵里花は私の好みを優先してくれて、そうなるとパンが好きな私はパンが食べられる場所がいいわけでして。結果、イートインコーナーがあるパン屋へと足を運んでいた。なんとなくイタリア料理のレストランとか考えていたんだけど、それに比べるとなんていうか…お手頃で高校生っぽくはあるけど。
ちなみに私の服装はブラックのニット服にストレッチジーンズ、絵里花はパフスリーブのクリームベージュのブラウスにタイトめなネイビーの膝丈フレアスカートだ。
「なんかさ、私が誘ったのにエスコートされているみたいっていうか…絵里花が気の利く優しい子だとは知ってたけど、微妙に申し訳ない気がしてきた」
「あなたは気を使いすぎよ…デートだからって高級なお店を使わないといけない決まりはないし、それならお互いが楽しめるプランが最優先でしょう? 少なくとも、私は円佳とここに来られて嬉しいわよ」
「…ありがと、絵里花。そうだね、ここは使ったことがなかったし、せっかくの機会だから楽しもうか」
休日、それもお昼前のパン屋はとても賑わっていて、多くの人がトレーとトングを持ってどのパンを食べようかと品定めをしている。そしてパンは減ってもすぐさま補充されていて、その喧噪はパンが好きな私に活力を与えてくれた。
そうした雑踏の中では私たちのやりとりもきっと周囲にかき消されていて、聞き取るのも一苦労のはずなのに。私は絵里花の優しい声がくっきりと耳に届いて、申し訳なさはパン屋店員の「ただいまクロワッサンが焼き上がりましたー!」という元気な宣伝と一緒に消えていく。
そして私たちもそれ以上は余計な気遣いを口にせず、笑い合ってトレーを手に取る。そしてトングも握るとついカチカチとやってしまって、絵里花も同じタイミングでやったものだからまた声を出して笑ってしまった。
「絵里花、たしかチョココロネ好きだったよね? ここのコロネ、チョコレート多めでおいしそうだよ」
「本当ね…あなたはソーセージドックが好きでしょう? ここにもあるわよ」
イートインを使う機会はさほど多くないけれど、パンを購入して持ち帰ることはしばしばある。だから私と絵里花はお互いの好みもしっかりと把握していて、棚に並ぶパンの中からお互いが好きなものをすぐさま発見した。
ちなみに絵里花はチョココロネを尻尾側から食べるのが好きで、その様子がとても可愛らしい。ただ、私がそれを褒めたら「変なところに注目しないでよ…」なんて顔を赤くして、ぷいっとそっぽを向かれた。
「? どうしたのよ、ニヤニヤして。パン、そんなに食べたかったの?」
「あ、いや…こんなにたくさんパンがあると、自分がパン屋をするときも大変そうだなって。いろいろ作らないと飽きられちゃうし、朝も早起きだろうし」
絵里花との思い出を振り返っていると、私はどうやら勝手に顔がにやつくらしい。絵里花にそれを指摘されて慌てて表情を戻す…のは無理だから、ニヤニヤからニコニコくらいには引き締めて思い浮かんだことを口にする。
さすがに「可愛い絵里花のことを思い出していたよ」なんて正直に伝えると、絵里花でもドン引きしそうだし…それとすごく照れて顔を合わせてくれなくなるかもだし。
だから、ふと考える。もしも自分がパン屋になって、そしてパンを買うのではなく売る側になったら…と。それは多分すごく大変で、以前店長にも教えてもらったように苦労するんだろうな。
「そうね…パン屋って店舗も多いから競争もあるだろうし、一生続けるって考えると難しいでしょうね。でも大丈夫よ、円佳はどんなことでも器用にこなせるから…豊富なパンをおいしく焼き上げるの、あなたならできるわ」
「買いかぶりすぎだって。絵里花、私のことを完璧超人みたいに思ってくれているみたいだけど…全然そんなことないからね? 苦手なこととかあるし、その…面倒くさがりなところがあるから、朝の早起きもちょっと苦戦しそうだし」
「…それはあるわね。でもまあ」
カチン、絵里花は一度トングを鳴らしてチョココロネを掴む。それは優しく握られて形を崩さず、丁寧にトレーへと載せられた。
その所作は実に自然で優しく、まるでパン屋店員が陳列するかのような丁寧さもある。正直に言うと、私よりも絵里花のほうが向いているだろうと思いたくなるくらいに。
「心配しなくても、パン屋になったら私が先に起きて…あなたを叩き起こしてあげるから。今みたいにね」
「…あはは、それは心強い。私、目覚ましで起きると『うえっ』ってなりやすいんだけど…絵里花に起こされるとさ、すごく気持ちよく目覚められるんだよね」
私もソーセージドックを取り、トレーに載せる。そして次のパンを掴んだ絵里花は私のトレーにそれを載せて、優しい微笑みを浮かべながら厳しいことを口にした。これ、本気の顔だ…。
ただ、嬉しかった。絵里花のモーニングコールというのは私の一日を気持ちよく始めるためのルーチンになっていて、どうしても自分で起きないといけないときは枕元のデジタルクロックを使うけど、それでは気力を奪われた状態で起きる羽目になるのだ。
だから絵里花がこれからも起こしてくれるのが嬉しくて、だけど、それ以上に。
(絵里花は、これからもいてくれるんだね。すごく嬉しいよ)
私の多分あと70年くらいはありそうな人生において、その長い道のりに絵里花がずっといてくれるというのは…ロッククライミングですらハイキングに変えてしまうような魔力があって、先日の『絵里花が無断でいなくなったとき』のような不安はどこにあったのかと思うくらい心が弾んだ。
だから私が「これからもモーニングコール、お願いね」と甘ったれてみたら「はいはい、承るわよ。でも、私が寝坊したときは怒らないでよ?」とこれまで一度も寝坊した姿を見せたことがない絵里花はトングをフリフリしながら顔を逸らして、私はその耳が桜色であることに微笑ましくなった。
もちろんパン屋のイートインコーナーで食べるランチはとてもおいしくて、この日もチョココロネを尻尾から食べる絵里花をしっかりと脳内に焼き付けておいた。
*
「きれい…うん、来てよかった」
「本当ね…水族館って海洋生物に詳しくなくても楽しめるのね」
食事を終えた私たちは公共交通機関を使い、最寄りの水族館へとアクセスした。ここは日本でも比較的規模が大きなところであり、生き物の種類だけでなく施設も広くバリエーション豊かであったため、ゆっくり見て回ればちょうどいい時間になるだろうと推測できる。
…念のために言うと、いい時間というのは『帰るのにちょうどいい時間』という意味だ。これで美咲さんと結衣さんだったら『宿泊施設へ行くのにちょうどいい時間』になりそうだけど、私たちには早い…いや、これから先に本当にそういうことをするのか?
ともかくいろんな意味でデート向きな場所に来た私たちだけど、当然のようにお互いが満足していた。
「ねえねえ、こういうところってさ、いかにもデートで歩くよね。アニメとかでもよく見るし」
「そうね…って、円佳、珍しくはしゃいでるわね。ふふっ、あなたでもそんなふうになることあるのね」
「そりゃあ、まあ。私だって楽しいって感じることはあるし」
水槽を隔てた先には人工的な海があって、そこでは多種多様な魚たちが泳いでいる。その光景は自分たちが海の底を歩いているようにも、海洋生物が作り出した宇宙を漂っているようにも感じられた。
独特の浮遊感にはデート向きの魔法が込められているようで、どこをみてもきれいに感じられる。それこそ…私の隣をゆっくりと歩く、いつも眺めている美少女も8割増しくらいできれいだ。
そしてあまりにも美しいものばかりで包まれた私はテンションが上がっているらしく、気になる魚を指さしながら弾む声で話しかけたら、絵里花はまるで子供の手を引くお母さんのように笑っていた。お母さんいないけど。
「絵里花はそうでもない? 別の場所がよかった?」
「そんなわけないわよ…私、つまらなさそうに見えるのかしら?」
「つまらないって感じはしないけど…今日は落ち着いているっていうか、照れ屋さんがお留守みたいな」
「斬新な日本語ね…まあ、うん…あなたの言うとおり、今日は少し気持ちに余裕があるのかもしれない」
つないだ手にわずかに力を込めながら、絵里花は懐中トンネルを見上げてその上を泳いでいった平べったい魚──マンタってやつだろうか?──を目で追う。その横顔は真顔と微笑みの中間くらいで、力を抜いているときの絵里花が一番近い気がした。
ここ最近はとくに絵里花も私もいっぱいいっぱいな日が多かったから、とくに落ち着いてみるのかもしれない。
「私、その…あなたとちゃんと好きって気持ちを伝え合って、安心できたんだと思う。もちろん仕事はちゃんとしないといけないし、まだ不十分なところはあるだろうけど…あなたはいつでもそこにいてくれるだろうから、そう思ったらデートでも恥ずかしくない…のかも」
「絵里花…うん、私も同じ。絵里花がすぐそこにいてくれて落ち着くし、こうしてデートすると楽しいし…あはは、もっと早くこういう機会を作ればよかったね」
少し歩くとトンネルを抜けて、薄暗いエリアに到達する。そこはクラゲがメインで展示されているみたいで、ライトアップされた水槽の中で漂うクラゲたちは夜の星座を描くように美しい。
水族館には浮遊感があると思ったばかりだけど、ここはとくに宇宙の無重力を感じられた。暗いことで水槽と私たちの境目も曖昧で、手を離すと絵里花も空で輝く星になってしまいそうだった。
だから私もちょっとだけ強めに握り、絵里花に笑いかける。水族館には人も多いはずなのに、今この瞬間だけは私たちだけしかないような錯覚に陥った。
「…絵里花…」
「あっ…円佳…?」
今は私たちとクラゲしかいない。なら、恥ずかしがることなんて何もない。
そう思ったら私は一度手を離し、絵里花の体をそっと抱き寄せた。絵里花はクラゲが漂うような小さな声で私を呼び、そして「ここ、外よ…」と言いながらもきゅっと私の背中に手を回し、しわにならない程度の力で服を握ってきた。
そうだ、ここは外だ。だけど宇宙でもあって、とても広く孤独な空間なんだ。
だから、いい。好きな人に好きなことをしたって、そう
「あれ? 三浦に辺見じゃないか! お前ら、大胆だなー」
かくして宇宙空間が生み出す魔力は後ろからかけられた声によってかき消され、私たちはビクッと体を震わせて身を離した。
聞こえてきた声が男のものだったのでなんとなく絵里花の前に立ってそちらに振り向くと、そこには見知った顔があった。
「…篠山くん、だっけ。あと…ええと…」
「南だよお? 三浦さん、本当に辺見さん以外への関心がないねえ」
そうだ、篠山くんに南さんだった。ただ、南さんについてはぱっと顔と名前が一致しなくて、微妙に失礼な結末になったけど。
篠山くんはツーブロックの黒髪、南さんは薄いブラウンで緩いウェーブのかかったロングヘアをツーサイドアップにしている。休日なのにお互いが制服──私たちとは異なる学校のものだ──を着ていた。
「ま、その様子だと上手くいってるみたいだな! 俺は偏見とかないけど、お前らのこと少し心配してたんだぜ? あ、マジで偏見ないからな!」
「修司、二回言うと逆に嘘っぽいよお。因果律の相手は性別だけで決まるわけじゃないから、同性カップルなんて普通だよねえ」
「あ、うん…」
この二人はCMCでエージェント…つまり同じ研究所出身で、同年代でもあることから多少の面識はあった。たしかこの辺に配置されたと聞いたような気がしなくもないけど、南さんに指摘されたように他人のことを覚えるのが苦手な私は同業者に遭遇する可能性を考慮していなかったようだ。
ちなみに篠山くんは男性、南さんは女性。つまり異性のカップルで、因果律システムが本格的に普及してからはますます同性カップルも珍しくはなくなったけれど、それでも『多数派』と言える組み合わせだった。
「辺見も元気か~? ていうか、俺のこと覚えてる? お前も三浦以外とは全然話してなかったし」
「…なんとなくは」
「辺見さんも変わんないねえ。エージェントの仕事、大丈夫? たしかあ、そういう成績は」
「絵里花はすごく支えてくれているよ」
私が全力の愛想笑いで適当に流そうとしているのを察知されたのか、篠山くんはターゲットを切り替えたかのように絵里花へ笑いかけて、南さんもそれに追随する。
そして絵里花は視線を二人からやや外して返事をして、私はその仕草から『あんまり話したくない』というのを察した。同時に、私もこの二人のことを思い出す。
悪い人じゃないけれど、若干デリカシーがない。篠山くんはさっきの『理解のある人間アピール』からもわかるように善意を表に出す行動がわざとらしくて鬱陶しく、南さんはおっとりしているけどずけずけと触れられたくない部分を──無意識かもだけど──ぼやーっと口にする。
もっと早く思い出すべきだったと私は若干の後悔をしながら、割り込むように事実を口にした。同時に絵里花の手を握り、早足にならない程度のスピードで歩き出す。
「私たち、これからお土産を選んで帰るから。二人も楽しんでね」
「お、じゃあ俺らも一緒に」
「修司、よしなよお。ダブルデートなんて雰囲気じゃないでしょぉ」
「そうか? そうだな…よし、じゃあ家に帰ってさ、久々に」
「一昨日したばかりなのにい…ほんと、毎日エッチなんだからあ」
「っ…じゃあね」
もう二人に顔を向けることなく私は歩き出し、それでも篠山くんはついてこようとして、さすがにそれは南さんが制してくれたけど。
相変わらずデリカシーを感じられない声量で篠山くんは『なにか』を誘い、南さんは呆れたような返事をしつつも…熱のこもった声音で返事をした。
思わず私は振り返って二人を見てしまったけれど、あろうことか篠山くんは南さんのお尻を軽く揉んでいて、その手はぺちんとはたかれていたけれど、もう私たちに興味を失ったように出口へと歩き去って行った。実際、別れの挨拶に返事はない。
「…絵里花、行こう。せっかくだし、おそろいのアクセサリー…キーホルダーでも買って帰ろうよ」
「…そうね。あと…ありがとう、円佳」
「どういたしまして」
あの二人…『する』んだろうか。口には出さないけれど、無遠慮なことを考える私はむっつりというやつかもしれなかった。
(…何を考えているんだ、私は。私たちは…そういうんじゃない)
さっき抱きしめたのだって、違う。私は絵里花が愛おしくて、だから。
好きなことを、しようとした。好きな、こと。
その危うい単語から連想される内容は、幸いなことに絵里花からの控えめなお礼によって打ち消され、私はようやく邪念を消して一緒に歩くことができた。
キーホルダー、どんなのがいいかな。余計な存在との遭遇で生まれた謎の熱を露骨に無視しながら、私は絵里花に微笑みかけてからお土産売り場へと歩いて行った。