CMCのペアには『成果』を出すことが求められる。それは少し表現を変えると『CMCの生きる目的』とも言えて、因果律を盲信するようなタイプであればこの目的とやらに崇高さを感じ、ただ一生を目的達成に費やすのだろう。
だけど、私は違う。CMCとして因果律の素晴らしさを幾度となく叩き込まれては来たけれど、正直に言うと研究所の目的やこの国の理念もどうでもいい。
私の生きる目的、それは…『ずっと円佳の隣にいること』だ。
だからCMCとして働くのは円佳の隣にいる絶対条件だからであって、もしもそういうしがらみから解放された場合、私は因果律に関わるあらゆる仕事を放棄するだろう。つまり、自分の上にいるであろう存在たちに対する忠誠心とやらは微塵もなかった。
CMCとして見世物になるのは、円佳の隣にいるため。
エージェントとして悪人──少なくとも研究所の連中はそう呼んでいる──を取り締まるのも、円佳の隣にいるため。
円佳、円佳、円佳。円佳はまだそんなに生きたわけでもない私の人生において、大部分を占めるようになっていた。
だから…絶対に、奪わせない!!
円佳はあれ以来豹変することはなくなったけれど、それでもあの姿は私の生きる指針になってくれて、今となっては私の片思いになってしまったのかもしれないけれど。
円佳が必要としてくれるのなら、それが仕事上の理由であったとしても、私は成果を出さなきゃいけない。そのためなら…私が感じている羞恥だなんて、きっと些細なことなんだ。
私は前に進む。円佳よりも一歩前、彼女を引っ張れるほどのCMCになる。
それはエージェントとしては落ちこぼれの私にとって、唯一のチャンスなのかもしれない。
*
「さて、そろそろ学校に着くから…絵里花?」
「…ええ、任せて」
学校、それは私たちが仲良くすることで『因果律の素晴らしさを若年層に伝える最高の機会』にもなる。多感な時期に見聞きしたことは確実に人生へ影響を与えるため、だからこそ私たちのような学生CMCは貴重な存在だと重宝されているのだ。
だから学校内では可能な限り手をつなぐといったアピールもしてきたけれど、これまでの私はそうした行為に照れていて、幸せであっても「見世物にはなりたくない」という意思を隠せなかった。
でも、それじゃダメ。私は…誰よりも円佳と仲良しなのだと、世界に示さないといけないのだから。
「わっ…え、絵里花?」
「…私は円佳の恋人、私は円佳の恋人…だから、これくらい当たり前にできる…」
「え、ええー…?」
手をつなぐようにと促してきた左腕に対し、私はぎゅっと抱きついて腕組み状態に移行する。手をつなぐのに比べると密着度合いが強いため、これなら『円佳と絵里花はとても仲良しで恋人っぽい』っとアピールできるはず…!
早速私の顔は羞恥を訴えるべく温度を引き上げてきたけれど、そんなのは気のせいだと言い聞かせるように、自分の立場を念仏のように唱える。恋人、か…外でそれを見せつけるのは恥ずかしい一方、やっぱり円佳の特別は私だけなのだとも理解できて、口元のみゆるっとできた。
「ええと、絵里花…腕組みはいいんだけど、その、力が強すぎて歩きにくい…」
「で、でも、私たち…恋人でしょう? ほら、周囲もうらやましそうに見ているし…」
「そうかなぁ…どちらかというと『じゃれる犬を微笑ましそうに見ている』って感じに思えるんだけど…ほら、甘えん坊な大型犬が大好きな飼い主に引っ付いて離れないみたいな…」
「えっ…そんなはずは」
ぎゅうっと抱きつく私に対し、円佳はドキドキとして…いるようには見えず、むしろその言葉の通り『甘えてくる犬をどうやって落ち着かせようか悩んでいる』といった苦笑とも困惑ともつかない表情をしていて、自分のもくろみは正しいと思い込んでいた私は周囲を確認する。
学校内だけあって生徒の姿は多く、私たちを見ている人もいたけれど…普段のうらやむような雰囲気は感じられなくて、本当に飼い主と犬を見るようなまなざしに似ている気がした…。
「おはよー、三浦さんに逸見さん…なんか今日は『散歩する飼い主とワンコ』みたいだねー」
極めつけは、後ろからやってきて挨拶してきたクラスメイト…渡辺の言葉だった。
…こいつは結構歯に衣を着せぬ物言いだけど、そんなにストレートに指摘することないじゃない…!
「…絵里花、いつも通り手だけつなごうか。私は嬉しいけど、慣れていないことをすると逆に不自然かもだし」
「…そうね」
結局私は困ったように笑う円佳の言葉に腕から離れ、差し出された手を指を絡めるようにして握った。先ほどまで強い力で締め付けられていた手先は血が通っていなかったのか、ほんの少しだけ冷たい。
だから私は謝罪の意味も込めて、少しでも元通りになるようにちょっぴり指先で握った手をスリスリとしてみたら、円佳は「くすぐったいよ」と笑いつつも手を握り返してくれて、ここが学校でなければ「好き」と伝えていたところだった。
*
「…あの、絵里花さん。今日のお弁当、その…豪勢ですね?」
「な、なんで敬語を使うのよ…あなた、これが好きって言ってたでしょ?」
円佳ともっと仲良くなってより恋人っぽくなるには、自分にできるあらゆる方法を駆使しないといけない。となると私にできるものといえば家事くらいで、そこで小賢しくも『胃袋を掴む』という古典的な方法を選んでみたのだ。
つまるところ、今日のお弁当は円佳の好物だけを詰め込んでいる。
「いやまあ、好きなんだけど…さすがにお弁当箱一杯のカツサンドはちょっと重いような気が…」
円佳が好きなもの、それはまず第一にパンだ。パンであればほぼどんなものでも好きだから、それを突き詰めると高級な食パンをそのまま持ってくるのがある意味では効率的。
だけどそれだと料理とは言いにくくて、そこでふと以前の会話を思い出す。
『任務で疲れたときってさ、カツサンドの食べ応えとカロリーが嬉しいよね』
それは言葉通りエージェントの仕事が終わった直後、帰りにコンビニでカツサンドを購入して食べたときのこと。
円佳はカツサンドをおいしそうに頬張っていて、その天真爛漫に食べる様子は私の記憶にしっかりと焼き付いた。円佳はいつも私の料理をおいしいと言ってくれるけど、この日は出来合いに負けてしまったと少しだけ悔しくなりつつ、自分が作るときはもっと喜んでもらおう…なんて誓ったのだ。
だから私はおいしいと評判の食パンを用意し、早起きしてとんかつも作り、なるべく冷めてもおいしいように工夫を凝らして理想のカツサンドを作る。作ったつもりだった。
けれど…お弁当箱を見る円佳の顔は、眉尻がへにょっと下がっている…。
「…あの、もしかしていやだった? カツサンドって気分じゃなかったの?」
「いや、普通に嬉しくはあるよ。でも、やっぱり量がね…ほら、サンドイッチっていろんな具材が幅広く揃っているほうが…ね?」
「あっ…」
円佳の言葉に、ようやく私はサンドイッチのセオリーについて思い出せた。
今朝の私は『円佳の好きなものだけを作る』としか考えておらず、カツサンド以外の選択肢は完全に脳内から消えていて、改めて自分の弁当箱を見てみると…圧倒的なまでにパンととんかつだけが並んでいて、それはたんぱく質と脂質の暴力にすら感じられた。
普段の私は「ちゃんとバランスよく栄養を取るのよ」なんて口を酸っぱくして注意していたというのに、これでは本末転倒どころではなかった…。
「あ、ごめんね…いつもおいしいご飯を作ってもらっているのに、なんかわがままみたいになっちゃった。もちろん全部食べるから、絵里花は悪くないよ」
「…ごめんなさい。でも、無理をして食べなくてもいいから。余ったら美咲にあげるわよ」
「あはは、美咲さんは喜びそうだけど…でも、せっかく恋人が私に作ってくれたんだから、そう簡単には譲れないよ」
そして私が謝罪する前に円佳は謝ってきて、そしてカツサンドに手を伸ばして食べ始めた。その顔は無理をしている様子は一切なくて、むしろ「あ、やっぱりおいしい…お店で買うのよりも好きだな」とまで言ってくれる。
だから私は結局謝らずにはいられなくて、どこまでも優しい恋人の気遣いに今日も引っ張られていることを痛感させられた。もぐもぐとカツサンドを頬張る円佳はあの日見た様子よりもさらに無邪気で、私の「好き」という気持ちは一段と大きくなる。
(でも、好きになればなるほど申し訳なくなる…)
私もカツサンドを処理しながら、円佳への気持ちが膨れ上がっていくのを必死に飲み干していた。
円佳が好きだからこそ、私は彼女の助けになりたい。でも彼女はいつだって私に助けられるどころか一方的なまでに助けてくれて、私はもっともっと好きになっているのに。
好きになればなるほど無力感が強くなって、焦りよりも絶望感が大きくなりそうだった。
「絵里花、今度はカツサンドと一緒にミックスサンドとかも作ってよ。そうすれば飽きにくいし、栄養バランスもよくなるんじゃないかな? あ、でも手間が増えるのも悪いな…」
「…悪くないわよ。あなたは、いつだって正しい…」
間違っているのは私だけ、そう伝えようとしたら円佳は空いた手を伸ばして私の頭をぽんぽんとしてくれた。
その仕草に伏せていた顔を持ち上げると円佳は笑っていて、「じゃあさ、一緒に作ろうか? 私はミックスサンドを、絵里花はカツサンドを。あ、逆でもいいよ」と屈託なく伝えてくる。
その様子はまた周囲を軽く色めきだたせて、奇しくも私たちの仲良しをアピールすることにつながったようだ。意図しない形で仕事の成果が出てくれたことに、私は喜ばしさよりもやっぱり情けなさが先行していた。
*
あれから数日、私の行動に円佳は…たしかに喜んでくれた。
聡い彼女は私が仕事のために頑張っていると気づいてくれていて、ともすれば独りよがりな行動を必死に受け止めてくれていた。
ただ…日にちが経過するごとに、彼女は遠慮するようにもなっていた。
「円佳、今日は任務で疲れたでしょう? お風呂もトイレも私が掃除しておくから、あなたは休んでいて」
「いや、さすがにそれはダメだよ…トイレは私がするから、絵里花はお風呂をお願い」
家事、それは私の数少ない得意分野であって、ここでもっと役立つことで円佳に好きになってもらって、少し遠回りであってもそれが成果につながれば…と私は考えていた。
だから家事のほぼすべてを私がするようにして、円佳には少しでも楽をしてもらいたかったのに、彼女はいつも以上にきっぱりと遠慮してきた。
「絵里花、私たちはパートナーなんだから…ちゃんと公平に分担しないと。絵里花のほうが上手なのはわかっているけど、私だって一通りはできるんだし」
「で、でも…私、少しでもあなたの役に…」
「絵里花」
家に戻ってきて早々に家事を済ませようとした私に対して、円佳は疲れた様子も見せずに髪をまとめ、迷うことなく掃除を分担しようとする。
その様子は優しくて頼りになると同時に、私に対して心細さをもたらした。本当なら私なんて不要で、むしろ一人のほうがいいのではないか…円佳の言葉を疑うように、私の中の疑心暗鬼は囁く。
円佳を信じているのに、なんで私は…と思っていたら、円佳は私の肩を掴み、まっすぐに見つめてきた。
「私はね、あなたに無理をして欲しくないの。それと役に立つとか立たないとか、そんなことも考えてほしくない。私は…絵里花が一緒にいてくれるのなら、それで十分だから」
「あっ──」
円佳の表情も、声音も、言葉も、すべてが優しい。そこに私を邪険に扱う意図があるはずもなく、本当ならそんな恋人を誇らしく思わないといけないのに。
どうして私は…軽く絶望しているのだろう? いや、その答えはすぐに出てきた。
(…円佳は、私に遠慮している。私を、拒絶…した?)
違う、そんなことはあり得ない。円佳はいつも私を必要と言ってくれた。
でも事実と心は容易に相反して、私は絶望を少しでも逃がすように声を漏らす。円佳はそれを返事だと思ったのか、微笑んでから「じゃあ私、掃除をしてくるね」と背中を向けて歩いて行った。
行き先はトイレなのだろうけど、私は…彼女が一人で遠くへ向かうような、そんな寂寞に包まれた。
「…お願い、拒絶しないで…私は、ただ…あなただけを」
誰もいなくなったリビングで、絶対に聞かれないようにつぶやく。そんな気遣いができるくせに、円佳のことを信じられない。
どうして私はこうなんだろう、考えたくもないことに頭を支配されながら、それでも体に染みついた家事のルーチンをこなすべく、ふらふらとお風呂場へ向かった。