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第16話「恋人会議」

「そんなわけで、『恋人会議』を始めようか」

「…仕方ないわね」

 美咲さんから『もっと恋人らしくなること』を要求されてから初めて迎えた休日、私と絵里花は朝食を済ませたあと、食事用のテーブルに向かい合うように座っていた。

 今日はとくに外出の予定がないこともあり、絵里花は髪を普段のロープ結びではなくお手軽な一つ結びにしていた。ちなみに私も今日は同じ髪型にしていて、こういうおそろいにすることも恋人っぽさの演出につながるという期待がある。

 少なくとも絵里花は私の髪型を見た直後はちょっぴり恥ずかしそうに微笑んでくれて、悪い気分にはなっていないみたいだった。

「じゃあ、えっと…どうすれば恋人っぽくなれるかだけど。この髪型みたいに、ペアルックとかどうかな? おそろいの服ってなんとなく仲良しに見えない?」

「それには同意するけど…普段から一緒に制服を着ているから、そこまで特別って感じはしない気がするんだけど。こういう休日に私服を合わせるくらいなら簡単ではあるけどね」

「…それもそうか。うーん、まあ…とりあえず保留で」

 テーブル上には私と絵里花の中間くらいの位置に携帯端末が置かれていて、会話が発生すると自動で文字起こしを行い、最終的には重要なポイントを割り出して要約文作成もしてくれるアプリを起動していた。

 このアプリに限らず今の日本では至る所でAIが活用されていて、多くの人がその利便性を享受している。かつては『AIが人類から雇用や芸術を奪う』と騒がれていたものの、そういう声の大きな少数派は利便性を求める多数派に飲み込まれていった。

 ちなみにAIのせいで誰もが無職になったわけでもなく、アーティストやクリエイターは今も昔も憧れの職業として存在している。世界自由連合なんかは『AIは監視社会を加速させた』と今も主張しているけれど、一般人には煙たがられているだけだった。

 …まあ、AIが監視網を大幅に強化したのは事実だけど。

 私は窓に視線を向け、当たり前のように飛び交うAI搭載ドローン──配達用に混ざって監視カメラ搭載機も見える──を無感情に眺めた。

「絵里花はいいアイディアある?」

「そうね…おそろいって言うのなら、ペアルックよりもアクセサリーを揃えるほうが手軽だしいいんじゃないかしら? ほら、鞄に取り付けるキーホルダーとか」

「…そういえば、そういうアクセサリーって買ったことなかったかも。うん、とりあえずそれは前向きに検討しようか」

 絵里花に視線を戻してアイディアについて尋ねると、彼女は私と似たようなもの…だけども、より効果的というか実践しやすそうなのを提案してくれて、つい感心する。

 感心すると同時に、私は思わず「そういえば私たちってあんまりそういうのを買いに行かないな…」と考えた。絵里花はぬいぐるみも好きなように私に比べると小物関連は多く持っているだろうけど、対する私はそういうの…実用品以外の生活雑貨には関心が薄い気がする。人形劇が好きなくせに。

 そして絵里花は一緒に出かけると私の希望に概ね合わせてくれることから、雑貨屋といったお店に誘ってくることもほとんどない。結果として生活用品の買い出しといった実に色気のないお出かけが大半を占めていて、そこでふと気づく。

(…私たちが恋人っぽくないのって、私に原因があるんじゃ…)

 私は言われたことはきちんと実践するようにしている反面、言われていないことについてはさほど調べもせず、実行についてもとくに検討していない。

 エージェントの仕事においてはそれでいい…というかそのほうがいいのだろうけど、まさか恋人としての立ち振る舞いにおいては足を引っ張っているとは思わなかった。

 絵里花は自分がエージェントとして足を引っ張っていると気に病んでいるけど、結局は私も彼女の力になれていないことがあったのだ。

「…ごめんね、絵里花。私、こういうのはあんまり力になれていなかった」

「え? いきなりどうしたのよ…?」

「いや、私…恋人の定義とか全然わかっていなくて、それについて本気で調べたり勉強したりしてこなかったから…絵里花の足を引っ張っていたかもしれない」

 私は絵里花を恋人として認識している。そして『恋人とはお互いが交際状態にあることを認めている関係』というのもわかっている。

 もっと言うのなら…絵里花のことを恋人として受け入れられるくらいには、彼女のことが好きなんだろう。でも「好き」と伝えるのは友達同士や家族相手でも可能であって、私の好きはまだ恋人に贈れる『特別』に至っていないのかもしれない。

 その点で言うと、絵里花のほうがまだ優秀だと思う。彼女は私のことを意識して顔を赤くしたり、ほかの人には見せないような表情と声音で好きだと言ってくれたり、なんとなく『恋人の定義』にも手が届いているように見えた。

「ちょ、ちょっと…謝らないでよ。私だってそういうの、わかっているわけじゃないわよ…だって、円佳以外にそういう相手、いなかったし…そ、それに…あなた以外の恋人だなんて、考えたく、ないから」

「…絵里花」

 私と絵里花が恋人同士になったとき、彼女は泣きながら『円佳ならいやじゃない』と言ってくれた。私は…そもそも『恋人になったからといってとくに変わったことはない』なんて思うだけで、それでも絵里花が泣いていたから抱きしめたっけ。

 …今思うと、この頃から私と絵里花の『恋人関係』には認識の違いがあったのかもしれない。

 いじっぱりで照れ屋の絵里花にとって『いやじゃない』というのは、とても肯定的なニュアンスがある。それはもしかすると、あの日の彼女の言葉は『私への愛の告白』かもしれなかった。

 そして恋人関係の出発地点が告白だとしたら、常に絵里花が一歩先から私を引っ張ってくれていたのだろう。私はいつも照れる絵里花を引っ張って恋人らしく振る舞っていたつもりだったのに、実際は…絵里花が、ずっと勇気を振り絞ってくれていたんだ。

「…いつもありがとう、絵里花。私、今なら言えるよ…私も絵里花が恋人でよかった。だから、あなたのこと…『好き』だって思う。恋人がどんなものなのかもわからない私でも、あなたが大切で…もっと好きになりたいって思ってるよ」

「…あ、ありがとう…」

 絵里花と恋人になった日の誓いを、久々に思い出していた。

 私はこの子が間違いなく好きだけど、当時から絵里花の気持ちとぴったり同じだとは思っていなくて、手探りで自分の気持ちを探していこうと考えていた。

 でもそれは日々の任務の中で薄れていって、ただマニュアルを読むようにやるべきことをこなしていて、それでもそこそこの成果は出ていた。けれど、それだけでは研究所も望む結果は出せないのだろう。

 …そもそも理想の結果を求めるのなら、研究所がスタートからゴールまでのマニュアルを作っていればよかったのだけど。

 主任も言っていたように恋人関係はその組み合わせごとに違っていて、いくら頭のいい人が集まる場所であってもマニュアル化は困難だったのかもしれない。

 だったら、やるべきことも手探りで探していこう。

「とりあえずさ、ただ単に話し合うのはここまでにして…今からは一緒にいろんなことをしてみて、その中でたくさん話しながらアイディア出しをしていこうか。そうすれば家事とかも済ませられるし、『共同作業は恋人や夫婦の特権』なんて話も聞いたことがあるし」

「ふ、夫婦…んんっ、あなたがそう言うのなら付き合うわ。ちょうど済ませたい用事もあったし、そのほうが無駄もないでしょうしね」

 やるべきこと、と考えてみて真っ先に思い浮かんだのは…『休日の掃除』だった。いや、我ながら色気がないというか、普通すぎるのはわかっているけど…でも、そういうことも『絵里花と一緒にしていること』であって、ある意味では恋人の日課とも言える。

 これまではとくに意識してやってきたことじゃないけど、だからこそ少し視点を変えればヒントが転がっているかもしれない…なんて期待があったのだ。

 ちなみに絵里花は私の提案にあっさりと応じてくれて、むしろ少しいきいきしているようにも見える。多分『普段は行き届いていない場所の掃除』について考えているんだろう…私の恋人は家事が大好きだった。

 …夫婦、と口にしたときにちょっと顔がにやけていたけど、そこは触れると怒られそうだからやめておこう。私もちょっとくすぐったいし。

「それじゃあ、お互いの部屋を協力して片付けるのはどう? 普段はあんまり相手の部屋を見ることもないし、なにか気づくことがあるかもよ?」

「あ、それいいね。とりあえず、私の部屋から片付けようか」

 私たちの暮らすマンションはきちんと二人分の部屋があって、一緒に過ごすときは共有スペースを使うようにしているから、自室についてはパーソナルエリアとしてお互いが尊重していた…まあ、私はいつも起こしてもらっているからちょくちょく絵里花が訪れているけど。

 それでも片付けなどであれこれ触れることもないし、だからこそチャンスが宝物のように埋まっているかもしれない。

 そんなわずかな期待を胸に、私たちの『恋人としての共同作業』が始まった。


 *


「よし、これで片付けは終わりね…あなたの部屋って私物が少ないから、すぐに終わっちゃったわね。散らかっていないのはいいけど」

「うーん、言われてみるとそうかも…殺風景と言うほどじゃないはずだけど」

 そんな共同作業は、驚くほどあっさりと終わった。

 理由は…絵里花の話したとおりだ。よくよく考えると私の部屋って散らかっているわけじゃないし、普段は読書や勉強、そして就寝くらいにしか使っていないから、片付ける必要性自体が薄かった。

 …そういえば、研究所にいた同年代からは『任務達成以外に興味を持たないメカニカル・エージェント』なんて揶揄されたこともあった。私は別になんとも思わなかったけど、代わりに絵里花が激怒してくれた気がする。

 ともかく私の部屋からは何の成果もなかったので、そうなると絵里花の部屋の片付けに期待を託すしかなかった。

「それじゃあ、次は絵里花の部屋に…あれ? なんか落ちてる?」

「ん? どうしたの…あ、これ…『因果の園』にいたときのリストバンドじゃないかしら?」

 絵里花の部屋に向かう直前、私は机の下になにか落ちているのに気づいて拾い上げると…それは少しだけ古びたリストバンドだった。

 書かれている文字は『個体番号005-M』。これは私に割り当てられた識別番号で、CMCでもない限りは何の意味があるのかわからないだろう。

「そうそう、これは…CMCとしての個体番号だね。因果の園を卒業するときに渡されたもので、使い道がないから適当に机の中に放り込んでいたんだけど…ほかのものを出すときに落ちたのかな?」

「私も持っているけど、どこにやったかしら…ぬいぐるみに巻き付けたような気がするわ」

 私たちCMC…とくに幼い頃は、個体番号で呼ばれることも多い。そもそも今の名前にしたって親からもらったものではなく、将来的に不便だからと名付けられるだけだ。

 もちろん絵里花にも個体番号はあるけれど、私はそんな名称で呼んだことは一度もなくて、同じく絵里花も私のことを名前で呼び続けてくれていた。

 だからだろうか。誰に決められたかもわからないこの名前が、妙に自分へとしっくり収まっているのは。

「…なんかさ、懐かしいね。あそこでの記憶って大半が絵里花と一緒にいるときのものだけど、こういうのを見つけるとそれ以前もちょっとだけ思い出せそう」

「…そうね。懐かしむほどいい故郷ってわけじゃないけど、あなたと出会えた場所だと思ったら…まあ、忘れたいほどひどいところじゃないかもね」

 個体番号で呼ばれていたように、私と絵里花は研究員たちからするとモルモットなのかもしれない。だからこそ、私たちも一部の例外を除いて彼らに特別な存在を見いだしてはいない。

 それでも…このリストバンドから見えてくる過去には、どうしても『懐かしい』という感情があった──。

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