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第14話「幕間・美咲と結衣」

「私、本当ならこういうのは向いてないんですよねぇ…」

 カフェでの食事を終えた美咲は自宅に戻り、監視対象…もとい、後輩たちを励ませたことを誇りに思いつつ、充実感の中で眠るはずだった。

「はぁ、まったく…いきなり『会いたい』なんてメッセージを送ってきたかと思ったら、お酒を持ち込んでグダり始めるんだから。私、明日も仕事なんだけどな?」

 しかしカフェを出て二人を見送った直後、美咲はすぐに結衣へと連絡、OKをもらったらコンビニでアルコール飲料を購入し彼女の家へと押しかけた。

 結衣の自宅もまた住宅地の中にあるワンルームマンションで、彼女らしく部屋はいつもきれいに片付いていた。部屋の隅にはシングルのベッドが置かれ、二人がけのソファの前にはローテーブルが設置されている。小さな本棚は主にお菓子のレシピ本で埋まっており、洗練された無駄のない部屋だと評価できるだろう。

 美咲は床に座ってテーブルに置かれた酒を飲み、結衣はその向かい側に座って頭を抱えつつ、それでもちびちびと飲酒に付き合っていた。

「うう、ごめんなさい結衣お姉さん…私、自分が不甲斐なくなるとどうしても甘えたくなってしまって…」

「美咲が不甲斐ないのなんていつものことでしょ? 何があったのか知らないけど、お酒に逃げていると体調を崩すし、お金だって減っちゃうよ? 今金欠なのに」

「…私、甘えたいって言ってますのに。そこまで容赦なく現実を突きつけること、ないじゃないですかぁ…」

「ごめんって…しょうがないなぁ、まずは理由を話して。じゃないとお酒は没収するよ」

 美咲にとっての結衣は恋人であり、同時に『お姉さん』でもあった。ただし、年齢は同い年であるが。

 どうしてだか、美咲は初めて会ったときから結衣をお姉さんと呼んでおり、親しくなるにつれてその関係は言葉通りのものへと変化していった。

 家族にすら話せない仕事をこなし、ときには大人として円佳と絵里花を導き、その一方で自分はそういうのには向いていないとも自覚している…美咲の精神は本人が思っている以上にギリギリの位置で均衡を保っていて、結衣もそれを察しているからこそ、深く事情を聞かずともこうして受け入れていた。

「…円佳さん、普段はとても冷静で手がかからない子なんです。でも本当はすごく思慮深くて、いろいろと考えていて…でも自分一人で背負い込もうとするから、そういうときは私が励ましてあげないとダメなんです…」

「ああ、なんかわかる…円佳ちゃんって年齢から考えるとめちゃくちゃしっかりしているいい子だけど、たまに遠くを見ているって言うか、そういうときは何か考えているだろうなぁって感じるかも」

 美咲にとって円佳と絵里花は『音楽に関する恩人の親戚』という名目の存在となっており、そうした立場を活かして作曲の仕事の試聴などをお願いしていた結果、自然と仲良くなれた…と結衣に話していた。

 無論これは研究所側が用意した架空の設定で、エージェント以外に自分たちの関係を伝える際に利用している。結衣もそうした架空の設定を聞かされる側であったが、美咲の言葉を信じていた。

 美咲はなにかを隠している、それを知っていても…信じるしか、なかった。

「そうなんです…そんなしっかりした子を、この私が励ますんですよ? どう考えたって適任じゃないのに、私がやらなくちゃいけない…なんですかこの理不尽、こんなの許されていいんですかっ」

「そう言われても…ただ、美咲は嘘が下手だなぁとは思うかな」

「嘘…? え、どうしてですか。私、結衣お姉さんにはいつも正直なつもりなのにっ」

「…本当にそういう役目がいやなら、美咲はちゃんと断れるタイプだから。自分がやらなくちゃいけない、自分がやりたい…そう思っているけどうまくできないから、こうしてグダりに来たんでしょ?」

 美咲は監視役であり、円佳と絵里花に対しては建前は仕事上のパートナーでしかなかった。そして本当に励ますのが面倒に感じている場合、研究所にいるカウンセラーなどへ丸投げすることもできただろう。

 しかし、美咲の中にそういう選択肢はなかった。

(…円佳さんも絵里花さんも、研究所に対してはいい感情がない…そんな子たちを研究所の人間に任せると、逆に追い詰められるかもしれない…)

 結衣の見透かしたような言葉に自分の滅裂な行動と本音を突きつけられた感じて、美咲はぐいっと酒をあおり、今はただ少しでも早くアルコールが回ることを願っていた。

 美咲がエージェントになった直後、彼女は『自分の因果』に逆らうためだけに戦い続けていた。それは半ば自分の運命を人質に取られたようなものであり、そうした苛立ちをぶつけるように何度も『狙撃』をこなした。

 そんな中、自分を変えてくれたのが…目の前にいる、この人だった。

「大丈夫、美咲は優しい人だから。『因果のない私』のそばにいてくれる、勇気ある恋人だから」

「結衣お姉さん…」

 美咲にとって、結衣は夜空に輝き続ける一番星のような存在だった。

 大切な人に裏切られ、望まぬ道を歩み始めた頃、美咲の視界には漆黒だけが広がっていた。だから少しでも反抗してやろうと因果に背き、そのために因果律を守るエージェントになって、真っ黒な矛盾の中を駆け抜けていた。

 だから美咲は多くの女性に声をかけ、その刹那的な関係に溺れていたのだが。

 そんなとき、結衣という光を見つけた。

 誰とも因果を持たないこの人を、私は…世界で一番清らかで、優しい人だと思った──。

「…私もね、美咲にみたいに不安になること、何度もあるよ。女同士だし、因果のない私が本当に美咲の隣にいていいのかなって」

「そんな、結衣お姉さん…私だって、『自分の因果』を捨てたんです。そんな私は、結衣お姉さんがいいって、自分で」

「あと、いろんな女の子に声をかけているのを見るのも不安につながってるけど」

「すみませんでした…」

 結衣も美咲に付き合うように、くいっと缶チューハイを口に含む。普段は飲まないアルコールが素早く体に浸透してきて、その心はずいぶんと軽く惑ってきた。

 だから、言ってしまう。普段は言えないこと、自分の中で蓋をした不安。

 …そして、美咲が当たり前のようにしているナンパへの不満。

(…言えませんよね。結衣お姉さんとはいつまで一緒にいられるかわからなくて不安で、それで…)

 あの頃の刹那的な衝動へ逃げそうになっている、そんな自分。

 誰ともわかり合えることはなく、それでも一時的に満たされる心。それは本当に大切な人が見つかった今でも手放しがたい魔力を内包していて、今こうして自分を酔わせるアルコールのような依存性すらあった。

 だから、会いたい。この人に。

 私がまた星を見失って暗闇へ逃げてしまう、その前に。

「それでも…美咲が本当につらいときはここに来てくれるのなら、私はそのときの美咲の気持ちを信じたい。大切な人が真っ先に甘えたくなるのが私なら、それもある意味での『因果』じゃないかって思えるから」

「…結衣お姉さん。好きです」

「あっ…んっ」

 すべてを飲み込む闇夜に佇んでいた美咲は、この日、また星を見た。

 その星はあのときと同じ…いや、それ以上に力強く輝いていて、美咲にはその光しか見えなくなって。

 気づいたら混ざり気のない愛を囁き、美咲は結衣の隣へ飛び込むように移動して、キスをした。

 この日のキスの味はアルコールに混ざり、味付けに使用された甘味料がわずかに香っていた。それでも美咲は愛おしい人の匂いを嗅ぎ分け、結衣もまた恋人の体温を受け入れる。

 今すぐにでも舌を差し込みたい美咲は『それをしたら本当に止まれない』というのを自覚していたので、なけなしの理性を奮い立たせて重ねるだけにとどめていた。

「…お姉さん、いいですか? ちゃんとシャワーも歯磨きも済ませますから…抱かせてください」

「…酔っ払いとはあまりしたくないんだけどなぁ。でも、ちゃんとギリギリまで我慢したのは褒めてあげる」

 唇を離した美咲に結衣は苦笑し、それでも情事の前にすべきことを済ませるべく、立ち上がって入浴の準備を始めた。

(…前はお風呂も歯磨きも我慢できずに求めてきて怒っちゃったけど、それに比べると成長したし…うん、そのご褒美だと思えば…私も大概甘いかな…)

 きれい好きな結衣は『恋人の時間』を過ごす際、どうしても全身を清めておきたかった。一方で美咲はそのまま『する』こともためらわないため、初めて強引にされたときに激怒したことを結衣は思い出す。

 あのときの美咲、ショボーンとしてて…結局、すぐに許しちゃったんだよね。

 結衣にとって美咲は手がかかる恋人で、しかも隠し事まである。それは決して好ましいことではないはずなのに、そんな彼女が真っ先に甘えてくると言う事実にどうしても心はほどかれていって。

 万が一美咲と別れたとしても、絶対ヒモ男には引っかからないようにしよう…なんて決意をしていた。

「…せっかくだし、お風呂は一緒に入りませんか? 結衣お姉さんにそんな顔されたら、一人にしたくないです…」

「…え。私、そんなに変な顔をしてた?」

「いつも通り美人ですけど、寂しくてつらそうに見えたので…せっかくですし、今日はずっと一緒にいましょうよ~」

「…はぁ。一緒に入るのはいいけど、お風呂では『しない』からね?」

「もちろんですっ」

 …美咲、こういうところがあるんだよね。

 結衣は自分でも気づいていなかった表情の変化…美咲と別れた自分を想像した刹那に浮かべた顔を見られたこと、さらには甘えるふりをして気遣われたことに…やっぱり、笑ってしまった。

(…こういうことにすぐ気づいちゃうから、円佳ちゃんや絵里花ちゃんにも気を使うんだろうなぁ…ほんと、優しいんだから)

 美咲はきっとこれからも同じように苦労を背負い込んで、そして限界を感じたら結衣のところへ甘えに行くだろう。

 そんな恋人の優しさに絆された結衣は、若干の懸念をしつつも一緒の入浴を許可した。無論美咲はぱあっと顔を輝かせ、いそいそと服を脱ぎ始め、結衣に「脱衣所で脱ぎなさい!」と怒られていた。


 …

 ……

 ………


 その後、一緒に入浴した美咲が結衣に対してどのような狼藉を働いたか、それを知るのは彼女たちだけだった。

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