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第13話「似合わないことをしますね」

「ふう、疲れました…おや、お二人も来ていたんですね」

「あ、美咲さん…お疲れ様です」

「美咲、お疲れ」

「いらっしゃい、大石さん」

 料理が出されて夕食を開始した直後、カフェに新しい来客…仕事終わりと思わしき美咲さんが入ってきた。振り返ってみるとその表情にはわずかな疲労が滲んでいて、やはり私たちの代わりにやってくれている『事後処理』は本当に面倒なのだろうなと申し訳なくなる。

 それでも「お二人は一番重要な部分を担当しているんですから、こういうことくらい年上に任せておけばいいんですよ」と決して私たちには押しつけないため、なんだかんだでこの人も立派な大人をしているのだろう。

 …少なくとも、絵里花を落ちこぼれ扱いする研究員とは比較するのも失礼なくらいには善良な人だ。

「この時間でもやっていて、落ち着いて食事もできるお店は意外と貴重なんですよね…店長、カルボナーラのセットで。ドリンクはブラッドオレンジジュースを」

「お褒めいただき光栄です。でもツケ払いはもうダメですからね? 庚さんにも『どうしても困っていそうなときは私の家に出頭させてください』と釘を刺されていますので」

「…うーん、この世界は私に対して厳しすぎますね…」

 美咲さんは自然な足取りで私の隣に座り、同じように食事を注文する。こうして並んでいると今から仕事が始まりそうなイメージがあるけれど、むしろ仕事終わりというのが不思議になりそうだった。

 それはそれとして、この人…ここのお店にもそういうことをしてるのか…いい人なのは間違いないにしても、私は自分の中に生まれた敬意をわずかに修正しつつ、ホットサンドを少し切り分けて美咲さんに渡した。

「ちょっと円佳、美咲を甘やかしちゃダメよ…あなただってお腹減ってるんでしょう?」

「大丈夫、普段は絵里花においしいご飯を作ってもらっているから。それに美咲さん、私たちのために頑張ってくれてるし…」

「うう~、円佳さんは相変わらずとってもいい子です…同い年なら間違いなくナンパしてました…」

「…やっぱり結衣さんに言っておきますね」

「冗談ですから携帯を取り出すのはやめてくださいね? 結衣お姉さんにも『円佳ちゃんと絵里花ちゃんに手を出したら絶縁する』って言われてるんです…」

「というかアンタが私たちになにかしたら犯罪でしょうが…ほんと、結衣さんはなんでこんなのを大切にしてるんだか」

「庚さんは面倒見がいいですからね、大石さんとは気が合うんですよ…カルボナーラとジュースです。パスタは大盛りにしているので、あまり年下にたかってはいけませんよ」

 美咲さんは受け取ったホットサンドを私以上においしそうに頬張りながら感動し、私もそれを見ているとほっこりしたのだけど…いつもの調子で余計なことを言ったので、この人と話しているとどうしても「すんっ」てなるんだよな…絵里花も呆れているし。

 そしてすかさず店長が多めのパスタを出してくれたことで「やっぱりこの世界も捨てたものじゃありませんねぇ」と顔を輝かせ、美咲さんはフォークに麺を絡ませ、音を立てずに食事を始めた。

 …美咲さん、こういう食事のときとかはすごく上品だな。誰に対しても敬語で話すし、もしかしたらすごく育ちがいいのかもしれない。女の子に声をかけまくるせいで中和されているどころか、完全にお調子者になっているけど。

「…二人とも、ちょっとこれを見てもらえますか?」

「ん?」

「どうしたのよ?」

 エージェントの仕事はそれなりに体を使うケースも多々あり、私たちはお腹を空かせていることが多い。だから食事を始めるとそれぞれがほとんど会話をせずに目の前の食べ物に集中し、店内に流れ続けるジャズの上品なメロディがBGMになっていた。

 そして三人とも食事を終えてドリンクを楽しみ始めたら、美咲さんが突如携帯端末をテーブルに置いて私たちに見せてくる。

 画面には芸能界に関するゴシップニュースが表示されており、私も絵里花もまったく興味のない分野の情報だった。そもそも我が家にはオンデマンド放送専用のスマートテレビしかないため、こういうニュースを見る機会すらない。

「ええと、『人気俳優の川原平、因果律に逆らうも早々に破局。痴情のもつれから傷害事件に!』…ああ、うん」

「なによこのニュース、くだらない…それに珍しいものじゃないし」

「まあそうなんですが…」

 タイトルと見出しをざっと読んだところ、『因果律に逆らって結婚したことを自慢した芸能人が早々に離婚し、しかもその際にこじれて暴力に発展、今は警察に捕まっている』というものだった。

 この国の有名人の多くは因果律に対して肯定的で、それに従ってパートナーと結ばれ、そして幸せな結婚生活について報道されることがしばしばあった。

 けれども、どんな時代でも『逆張り』を自慢する人間はいる。因果律に従うことは格好悪い、自分の意思じゃない、だから自分は因果に逆らって恋愛や結婚をする…そんなことをわざわざ高らかに宣言するのだ。

 これでほかの人を直接そそのかしたり、今日のようなすでにパートナーがいる人に手を出したりすれば私たちが出動するけれど、ただ自慢するだけであれば警戒のみで済ませる。これは職務怠慢ではなくて、このニュースのような…つまりはろくでもない結末で終わることが多いから、手を出さずともちょうどいい反面教師になってくれるのだ。

「因果律は直感みたいな曖昧で不確かなものではなく、運命レベルで相性がいい相手を教えてくれる…なのにそれに逆らって別の相手と結ばれようとするのは、非常に非効率的で非生産的でもある…」

「ええ、何度も教え込まれたわ。私たちは別に忘れていないわよ?」

「もちろん知っていますし、お二人を信頼してもいます。ただ、まあ…」

 研究所で教わったことを、まるで復唱のように口にする。それはもう洗脳によって教え込まれたようなスムーズさだったけど、私はそもそもその理屈に異論はなかった。

 これは研究所に対して良いイメージを持っていない絵里花ですら同じで、裏を返すと『私との因果に不満を持っていない』とも言えた…そこに気づくと嬉しい反面、ちょっとだけむずむずする。

 ともかく、私たちは因果律という仕組みと自分たちの任務に反感は持っていなくて、こうしたニュースを見せられても「だから?」というのが本音だ。ただ、美咲さんは余計なことは言うけれど『余計なことはしない』というのがこれまでの付き合いでわかっている事実で、私はその意図を考えてみた。

 美咲さんは「うーん、どう言えばいいのやら…」と苦笑したりうなったり忙しくて、ちびちびとジュースを飲み続けている。その名前通りの赤い飲み物が空っぽになる直前、口を開いたのは絵里花だった。

「…もしかしてあんた、円佳に気を使っているの?」

「…へ?」

「ああっ、絵里花さん…もうちょっと感動しそうな、いい感じの表現はなかったんですか…」

 美咲さんが? 私に気を使う?

 いぶかしむように指摘した絵里花と気まずそうに髪の毛先をいじる美咲さんを見て、ようやく私は答えにたどり着いた気がした。

「はぁ、呆れた…円佳、美咲はね…あんたがまた悩んでいるのに気づいてて、励ますためにあのニュースを見せたのよ。そうでしょう?」

「…ですかねぇ。円佳さん、普段は冷静で完全に割り切っているように見えるので、たまに悩んでいるときはわかりやすくて…でも安っぽい励ましじゃあ余計に気を使わせますから、これでも頭を使っていい方法を考えていたんです…」

「…そうだったんですね。あははっ」

 美咲さんの行動に合点がいくと、急速におかしくなって…私はまた笑ってしまった。でもそれは気を使った愛想笑いじゃなくて、本当に楽しいときに出るものだ。

 美咲さんも結衣さんも、そして店長さんに主任も…私のそばにいてくれる大人の中には、こんなにも気遣ってくれる人たちがいた。もちろんそれぞれに得意なことと苦手なことがあって、美咲さんの場合は普段が軽薄に振る舞って場を和ませてくれる分、真面目に励まそうとするのは苦手なんだろうな。

 …でも、あのニュースを見せることで『自分たちの仕事はこういう悲しい結末を迎える人を減らすために存在している』と教えようとするのは、ちょっと遠回り過ぎたかな…。

 だけどそんな苦手分野に足を踏み入れたとしてもなんとかしてくれようとした気持ちには、とても素直に感謝できた。

「ありがとうございます、美咲さん。でも私、自分のしていることが無駄だとは思っていませんから。それに…私は因果の相手、絵里花のことが大切で、この出会いを与えてくれた因果律にも感謝しています。だから、大丈夫です」

「ちょ、ちょっと円佳…そう言ってくれるのは嬉しいけど、そういうのは二人きりのときがいいって言ってるのに…」

「おやおや、のろけられちゃいましたね大石さん? でもそんな優しい先輩に敬意を払って、こちらをサービスします」

「…どうしてでしょう。嬉しいはずなのに、結衣お姉さんに会ってすごく甘えたくなりました…」

 私は感謝した。いつも見守ってくれる美咲さんに、そしてそばにいてくれる絵里花に。

 そんな出会いをもたらしてくれた因果律に、ありがとうと伝えられた。

 これまでは静かに仕事をしていた店長も今日一番の楽しそうな笑顔を浮かべ、美咲さんにもバニラアイスをサービスしていた。美咲さんはそれを受け取りつつも複雑そうに眉尻を下げて、愛しい人の名前を呼ぶ。

 美咲さんはとてもいい人だし仕事では頼りになるけど、日常生活では飄々としていて軽薄、そしていつも締まらない様子でその場の空気までも軽やかにしてくれる…この人がたまに聞かせてくれるフルートのように、高く清らかな音色を私たちにもたらしてくれていた。

 それから私たちは少しむくれながらアイスを平らげる美咲さんをなだめて、お店を出る頃には全員が「なんで悩んでいたんだっけ?」なんて考えてしまう事態になっていた。

 そして今日も任務は終わり、町は寝静まっていく。もしも自分の戦いがこの平穏にもつながっていたのだとしたら、それはほんの少しだけ誇らしいことかもしれなかった。

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