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第10話「私の話し相手」

 説明するまでもないだろうけど、私はそんなに人付き合いが得意というわけじゃない。小さな頃はともかく、ある程度成長してからは『誰とでも友達になりたい』なんて思うことはなくなって、なんなら…『人付き合いは少ないほうが気苦労も減る』くらいには考えていたと思う。

「ねえねえ、三浦さんってやっぱり休みの日も辺見さんとずっと一緒にいるの?」

「うーん、常に一緒ってわけじゃないよ。別行動をすることもあるし、絵里花以外とも話したりすることはあるかな」

「えー、なんか意外! 三浦さん、辺見さん以外とはあんまり遊んでいるイメージとかなくて…じゃあさ、今度私たちともお出かけしない?」

「うん、いいよ。でも私、急な用事が入ることが多いから…途中で抜けたり、あとで予定が変わったりしたらごめんね」

 休日明けの学校、休み時間。次は移動教室ということでその準備をしていたら、クラスメイトの女子二人に話しかけられた。この子たちとも特別親しいわけじゃないけれど、フレンドリーに話しかけてくれることもあり、こうして雑談することはそれなりにあった。

 ちなみに絵里花はお手洗いに向かっていて、私は戻ってくるのを待っている。先に行ってもいいのだけど、絵里花のことをよく知る私としては…あまり一人にはしたくなかったのだ。

「あ…それじゃあまた今度ね、三浦さん」

「行きたいところあったら教えてね~」

「うん、ありがとう。私もすぐに行くから」

 絵里花が教室に戻ってくると同時にこの二人は会話を切り上げ、私に笑顔で手を振ってから教室を出て行く。絵里花に対してもすれ違いざまに軽く挨拶していたけれど、私に話していたときに比べるとフレンドリーな感じはなかった。

 そう、これが絵里花を一人にはしたくない理由だった。

「絵里花、そろそろ行こうか」

「ええ…話の邪魔、しちゃったかしら」

「ううん、そんなに重要な話じゃなかったから。今度一緒に出かけようとか、そんな感じ」

「ふーん…」

 私の返事に対して絵里花は露骨な嫉妬こそしなかったものの…いや、嫉妬してもらえるなんて思うほうが少し傲慢なのかもしれないけれど。

 少しだけ寂しそうで、でも追及するほどの興味もなさそうな、本当に微妙な表情。絵里花が私の交友関係に対して口出ししてきたことはないし、私も絵里花に対してそんな要求をすることもないだろう。

 ただ…絵里花は、私以外の話し相手がいなかった。私と二人でいるときは周囲が因果律関連の話題や恋に関するあれこれで話しかけてくるけれど、その受け答えは概ね私が担当している。これは事前に示し合わせたのではなくて、自然とそうなったのだ。

(絵里花はいい子なんだけど、ちょっぴり口が悪くて人付き合いが苦手なんだよなぁ…)

 これは研究所にいた頃からの絵里花の評価で、周囲の大人も若干扱いにくそうにしていた原因だった。

 人間は成長によってそれまで出てこなかった一面が登場するわけだけど、照れ屋で人見知りだった絵里花はあのような特殊な環境で育った結果、少し刺々しい性格になってしまったのだ。

 自分の意思に関係なく因果を与えられ、さらには不向きなエージェントとしての訓練も受けさせられた結果、その幼い心は周囲に対して反発してしまったのだろう。研究者たちも絵里花を低く評価していたから、それで少し自虐的になったのもある。

 …逆に私が冷めた子供になってしまったのは、そういう研究者たちに失望したからかもしれないな。

 ともかく、私はそんな絵里花に無理をさせないためにも二人でいるときの対人関係はカバーするようにして、絵里花も無理に周囲と仲良くしようとはしなかった結果、友人どころか話し相手もろくにいない…というわけである。

「ほら、そろそろ行こう。移動先だと席は離れているけれど、大丈夫だよね?」

「へ、変な心配しないでよ…どこに行ったって授業を受けるのには変わりないんだから、問題なんて起こりようがないでしょう?」

「そうなんだけど…大丈夫だと思うけど、もしも誰かにいじわるとかされたらすぐに言って。私、どんなことからも絵里花を守るからね」

「……だ、だから、心配しすぎって言ってるのよ……私だって訓練は受けているのだから、ただの学生相手に後れを取ることはないもの」

「…それもそうか」

 教室を移動して授業を受ける際、こことは違う席順や班で行動することもある。教室だと隣同士だから常にそばにいるようなものだけど、授業によってはそうもいかないわけで。

 幸いなことにこの学校の生徒は陰湿ないじめやカーストを好むようなタイプは少ないから、絵里花がターゲットになる可能性も低いだろう。だけど…万が一が起こってしまった場合、私はエージェント失格と言われそうな『報復』をしてしまいそうだから。

 けれども私の言葉に顔を赤くしながらもっともな返答をする絵里花を見ていると、逆に心配すべきは不用意に手を出してきた相手かもしれない。任務だとリフレクターガンを使うことが大半だけど、素手でも戦えるように仕込まれているのは私も絵里花も同じだった。

 …まあ、そうだとしても。絵里花自身に報復させて手を汚させるくらいなら、私がその罪を進んで背負うだろうけど。

 絵里花は私のそうした内心もしっかりと理解してくれていたようで、すぐに「…で、でも、守るって言ってくれるの、嬉しい…」なんてうつむきながら袖を握ってきた。そこでようやく私も余計な心配を消し去って、移動先に向かうまでは仲良く手をつないで歩いた。


 *


 移動先の教室…化学室に到着すると、円佳から離れた席に腰を下ろした。ここでは四人がけの横長の机が設置されていて、シンクを挟んで二人ずつ座ることになる。私は一番前、円佳は右後方に座っていて、彼女からは私の後ろ姿は見えるものの、私からは振り向かない限りはその顔が見られない。

 …円佳の顔ならずっと見つめていたいけれど、さすがに授業を無視してそれを実行するほどの図太さはなかった。

 ちなみに今日は『電解質と非電解質の区別』という実験があって、授業の前半は実際に体験し、後半はその結果についてのレポートを作成する。

 そしてレポートを作成する際は隣にいる生徒と話し合いながら進めてもいいのだけれど、これまでの授業ではほとんど会話もなく自分で済ませていたし、研究所にいた頃の勉強の成果もあったのか、一人でも問題なく終わっていた。

 だから今日もさっさとレポートを作って提出しよう…なんて思っていたら。

「…あの、辺見さん?」

「…ん?」

 隣に座っていたクラスメイトのおずおずとした声に私はレポート用紙から顔を上げ、首だけ左に向ける。

 そこにいたのはこれまでほとんど会話のなかったクラスメイトで、正直に言うと名前も覚えていない。髪は茶色のセミロング、右側に小さなサイドテールを作っていて、私が目を合わせるとおどおどと視線を揺らした。

 名前は知らないけれど少なくともマーク対象ではないのは確実で、円佳であればさらっと相手をできるのだろうけど…残念ながら私のコミュニケーション能力では、相手の求めている返答が一切想像できなかった。

「ごめんね、レポートの作成中に…私、科学ってあんまり得意じゃないから、どんなふうにまとめればいいのかわからなくて…それで、ちょっと相談に乗ってもらってもいい?」

「…別に、いいけど。私も得意ってほどではないわよ」

「そうかなぁ…辺見さん、いつも実験が終わるとすぐにレポートを完成させていたから…得意なのかなって」

「…こういうのは実験結果を読みやすくまとめればいいだけよ。ちょっと見せてみなさい」

「あ…」

 相手の作成途中のレポートをチェックしながら、ふと私は思い出す。

 そういえば…この子、これまでも私のほうをチラチラ見てきたことがあったような。円佳のおかげで──不服だけど──そこそこ有名人になってしまい、それで物珍しさから見ていたのではないかと内心で不満に思っていたのだけれど…今考えると、授業でわからなかったことを聞きたかったのかもしれない。

 それに気づいた瞬間、私はまた自分の心…もしくは視野の狭さに嫌気が差しそうになる。別に円佳以外と仲良くしたいとまでは思っていなかったにせよ、クラスメイトからの相談を一切拒否したいわけでもなくて、むしろ…時々、ほんのわずかだけど、私以外とも微笑んで話す円佳がうらやましかったのかもしれない。

 私には円佳以外がいないのに、あの子にはほかにも友人…というほどではないにしても、普通に話せる相手がいるのが。

「…これ、溶液の濃度についての記載が抜けているわ。ここをきちんと書いておかないと考察が不十分になるから、それぞれの要素について細かく書いておくといいわね」

「あ、そっか…辺見さん、ありがとう!」

「…ベ、別に、お礼を言われるほどでもないわ」

 相手のレポートを確認し、不足している部分について指摘する。幸いなことにまったく見当違いのことは書かれていなくて、指摘した要素について書いておけば少なくとも不十分だとは言われない…はず。

 つまり手間としては微々たるもので、本当にお礼を期待したわけじゃないのに…この子は顔をぱあっと明るくして、すぐさま抜けていた部分を書き込む。その字は丸っこくて、いかにも女の子な感じだった。

「…ごめんね、辺見さん。実は私、前から辺見さんと話してみたかったんだけど…その、三浦さん以外と話しているところ、全然見たことがなくて。声をかけるの迷惑かなぁって思ってたの。あと、ちょっと雰囲気が怖くて」

「意外とはっきり言うわね…まあ、その…円佳と話すことが多いのは認めるけど、別に話しかけられるのが迷惑とは思ってないわ。恋愛関係の冷やかしはやめてもらいたいけど」

 声音や表情からどことなくおとなしい子だと思っていたけれど…どうやらこの子は意外にもはっきりと物事を伝えてくるようで、不愉快にはならなくとも若干口の中に苦みが広がった。

 …私、そんなふうに見られていたのね。仕事上での問題につながるってほどではないにしても、円佳のことをうらやましいと思う前に、もっと自分自身の身の振り方を意識したほうがいい気がした。

 ましてや、ここは研究所の外だ。私たちをモルモットとして見てくる連中の目はなくて、定期的に活動の報告は必要であったにしても、四六時中監視されることはないのだから。

「あっ、ご、ごめんね! でも、さっきの教え方もすごく丁寧で親切だったから…三浦さんと同じくらい優しい人なんだなぁって思ったら、すごく安心しちゃって」

「…私はあそこまで優しくないわよ。まあ、円佳はお人好しすぎるけど」

 睨むというには力の入っていない視線をじとりと向けてみたら、相手はすぐさま慌てて訂正をする。その評価が嬉しくないとは言わないけれど、引き合いに出された相手…少なくとも私が知っている人間の中でダントツに優しい人の名前が挙げられてしまえば、素直に受け取れなかった。

 円佳はしっかりしていて冷静なくせに、少し…かなり心配になるほどのお人好しだ。私みたいな落ちこぼれを見捨てるどころか常に守ろうとしてくれるし、甘えたら甘えただけ受け止めてくれるし、しかもいい匂いがして、ものすごい──わざわざモデルやアイドルを追っかける意味がわからなくなるほどのレベルで──美人だし…あ、ダメだ、円佳のことを意識したら…顔が緩みそうになる。

 だから私は余計なことを即時シャットアウトしたはずなのに、この子は笑っていた。

「あははっ、やっぱり辺見さんも恋人のことになるとそういう顔するんだね。三浦さんに引っ付かれているときはいつもうつむいているから、どんな顔をしてたのか知らなくて」

「…え? 私、そんなにひどい顔をしてたの…?」

「ううん、すごく嬉しそうに笑ってたよ。三浦さんのこと、大好きなんだね」

「はっ、ちょっ、違う! わ、私は、すっ、好きだけど、そういうのじゃなくて…!」

「…えー、恋愛が大事なのはわかりますが、今は授業中なので私語は慎んでください」

 シャーペン片手にクスクスと笑いながら指摘してくる相手に対し、私はついたまらなくなって立ち上がる。そして授業中であることを忘れて抗議してしまったら、当然ながら先生に怒られてしまった…。

 それに謝罪しつつ、今度こそ研究員たちを睨むような目つきを投げつけてやったのに、この子はまだ楽しげに笑っていた。

「ごめんね、辺見さん。でも…私、話せてよかったよ。ねえ、今度は授業以外でもお話ししていい? 大丈夫、三浦さんと話しているときは邪魔しないから」

「大きなお世話よ…! け、けど、まあ…暇なときだったら、別にいいけどっ」

「ありがとう! これからもよろしくね」

「……よ、よろしく」

 こうしてほぼ初めてとも言える円佳以外の…同年代の話し相手に恵まれた私は、珍しく恋人以外の前で口元を緩められたかもしれない。あ、一応美咲や結衣さんの前でも気は抜いていたけど…。

 ふとこの成果を自慢したくなって円佳のほうに首を向けてみると、彼女もまた私のほうを見ていて、微笑んで軽く手を振ってくれた。嫉妬している様子はなくて、むしろ生暖かい表情をしているような…。

(…あとで円佳にも教えましょうか)

 円佳は誰かと話したとしても逐一報告するようなことはなくて、それは彼女にとってこうした交流は珍しいものではない証拠かもしれない。

 だけど私にとっては驚くほど貴重なものだから、この宝物みたいな機会…は言い過ぎだけど、あんなふうに優しく見守ってくれた彼女なら、多分喜んでくれるだろうから。

 だから、教えてみよう。『私みたいな人間であっても、話し相手くらいは作れる』のだと。

 …そういえば…大事なこと、聞き忘れていたわ。

「…そういえば、あなたの名前は?」

「…え? 今まで知らなかったの…? 微妙にショック…」

「ご、ごめんなさい…私、人の名前と顔を覚えるの苦手なのよ…」

「まあ、私目立つほうじゃないし…『渡辺』だよ。もしも申し訳ないって思ったのなら、これからも科学のときはいろいろと教えてね?」

「…あんた、なかなかしたたかね…別にいいけど…」

 渡辺。それはこの女子の名前。

 …初めての、恋人以外の、同年代の話し相手。

 それはCMCのエージェントとして必須の存在ではないのだろうけど、どういうわけか…私は訓練でいい成績を出せたときよりも心が弾んでいた。

 その代わりこれからは勉強を教えることになるのだろうけど、対価としては十分許容範囲内だったため、にやりと図太くお願いしてきた相手に私もぎこちなく笑い返してやった。

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