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第7話「二組の恋人、その秘密」

「二人とも、お疲れ様でした。今日はみんなで夕飯を食べて帰ろうと思いますが、都合は大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「私も大丈夫よ…結衣さんは?」

「途中で拾いますよ…ふふ、四人で外食に行くのも久しぶりですね」

 食堂での昼食を終えたら休憩を挟み、これまでの活動内容の報告を終える頃には夕暮れとなっていた。そして美咲さんもそこそこ報告が長引いていたようで、それが終わって車に乗り込むとそんなお誘いをされる。

 こうした検査終わりではみんなで外食をするのがお約束となっていて、実は私もそこそこ楽しみにしていた。私は感情の変化がわかりにくいとよく言われるけど、一緒にいて苦痛じゃない相手との食事が楽しくないわけもなく、早くも脳内では今日食べるもののリストアップをしていた。

(…やっぱり、パン類は食べたいところだな。となると、ビーフシチューとかにパンのセットを頼んで…いや、バゲットとパスタなんていうのも…)

 まだどこのお店を使うか決まっていないものの、それでも私の頭の中には様々な形のパンが浮かんでいたように…そう、私はパン類が好物だった。というか、パンが嫌いという人自体がほぼいないのかもしれないけど。

 そんなわけで休日にパンの食べ歩きをするのが私の密かな趣味で、自宅の電子レンジを使って自作したこともある。無論絵里花も手伝ってくれたけど、やっぱりパン屋で食べるパンには勝てなかった。

 …いつかはパン屋になって、自分の好きなパンを作り続けるってのも…悪くないかな。

「今日はどこのお店を使うのよ?」

「そうですねぇ、通り道にある『ノーブルゲスト』でいいですか?」

「…え? 本当にそこへ行くんですか?」

 まだ見ぬパンに思いを馳せていたら、美咲さんの提案によって現実に引き戻される。

 ノーブルゲストはファミリーレストランのチェーンだけど、お手軽な価格で食事を済ませられる場所ではなく、ぶっちゃけると高価格帯の料理しか出さない高級店だった。エージェントとして働く私たちなら問題ない…と言いたいところだけど、美咲さんの場合は本業の作曲家がそんなに儲けていないこともあり、正直に言うと不安だ。

 ちなみに絵里花も同じことを考えていたらしく、私の疑問に補足するかのように「…言っておくけど、奢らないわよ?」なんて若干失礼…いや、美咲さんの普段を知る人間らしく冷静に突っ込んでいた。

「心配しなくても、こういう検査帰りのときは私が出すって決めているから大丈夫ですよ…というか私、当たり前のように懐の心配をされているんですね…」

「いや、えっと…美咲さんは社会人ですし、色々と入り用だろうから無理をしてもらわなくても大丈夫です」

「円佳さん、フォローになってません…まあいいじゃないですか、たまにはおいしいものを食べて気分転換しても」

 美咲さんの経済状況や支出の内訳については知らないけれど、それでも普段の言動から考えるに余裕がありそうには見えなくて、たまに──月に五回くらい──うちにご飯を食べに来るあたり、ノーブルゲストはいささか負担が大きすぎる気がした。

 一方で私たちの気遣いや指摘は不服だといわんばかりにむくれつつも「お二人がいやじゃなさそうなので、ノーゲスへ行きましょうね~」と和やかにルートを決める。その際、バックミラーを見る美咲さんの目と一瞬だけ視線が交差したけれど。

(…まさかね)

 その目が今日話した清水主任に似ていた気がしたけど、私は考えすぎだと思い直し、せっかくだからとパンとステーキのセットにするかと無遠慮に考え直した。

 絵里花はずっと「円佳、いざという場合は私たちが立て替えるわよ」なんて話していて、美咲さんはその都度「そういうのは聞こえないように相談しててくださいよ…さすがに泣きそうです」と抗議してきた。


「珍しいね、美咲がこんなに高いお店で出してくれるなんて…まさかとは思うけど、浮気したことへの罪滅ぼしじゃないよね?」

「ぎくっ…ま、まさか、そんなはずないですよ。そんなことより、今日くらいお金のことは考えずに好きなものをですね」

「…そうだね、美咲のおごりに免じてこの場は追求しないであげる。でもあとでちゃんと話し合おうね?」

「…ベッドの上でしたら、いくらでもお付き合いいたします…」

 途中で結衣さんと合流し、私たちはノーブルゲストへ到着した。席に案内する店員の恭しさ、ふかふかの椅子、柔らかな光を放つ照明…うん、どれもいかにもな高級感を放っている。

 エージェントはお金には不自由しないとは言ったけれど、さすがにこういう外食店に毎日通えるほどの贅沢が許可されているわけでもなく、学生らしいお店を中心に使っていた私と絵里花は微妙な緊張感を覚えていた。

 一方で美咲さんと結衣さんはそれなりに来たことがあるのか、いつもの調子で…こういう場所には似つかわしくないような会話内容を繰り広げていた。もちろん美咲さんは結衣さんに「二人がいるのにそんな話しちゃダメでしょ!」と怒られている。

「…はぁ。結衣さん、なんで美咲なんかと付き合っているのかしら…」

「絵里花、それは結衣さんに失礼だよ…ほら、美咲さんは美人だし…」

「うう、私の味方は円佳さんだけですね…ほらほら、もっと私のいいところを言ってください。そうすれば結衣お姉さんの怒りも静まりますし」

「…髪とか、ほら。きれいだし」

「…もしかして私、見た目以外に褒められるところなしですか?」

「それだと私が容姿以外を見ていないってことになるんだけど…」

 さすがに絵里花の言葉はちょっと言いすぎで、それはともすれば結衣さんの悪口にもなってしまうわけで…だから私はフォローを入れてみたのだけど、結果は二人からじとーっと見られただけだった。

 …いや、美咲さんにもいいところはたくさんある。けど、ぱっと思いついたのがエージェントの仕事に関わるものばかりだったせいで、この場では口にできなかっただけ…のはず。

 結衣さんにとっての美咲さんはあくまでも作曲家で、私たちは美咲さんの友達の女子高生に過ぎない。だからそういう立場を前提に付き合わないといけないわけで、それがもどかしかった。

 でも答えに詰まって絵里花とアイコンタクトを取り合う私がおかしかったのか、やがて二人は声を出して笑ってくれる。

「…ふふっ。美咲が『二人にちょっぴり元気がないので優しくしてあげてください』なんて連絡してきたときはどうなるかって思ってたけど、意外といつも通りで安心したよ」

「あっ、結衣お姉さん…それは内密にと申しましたのに…」

「…そう、だったんですか?」

「…私、そう見えていたのかしら…?」

 私にとって研究所に向かうということは、どうしても自分の運命…因果と向き合う機会となる。それは向き合わなくともそこにある事実なのだから、検査のたびにあれこれ考えて悩むのは無駄なのだともわかっていた。

 だから今はかなり割り切るのが早くなったと思っていたのに、美咲さんはそれを心配してくれていて。結衣さんはそんな恋人の気遣いに応じてこの場にいてくれて。

 同じように悩んでいたかもしれない絵里花はきょとんとしていたけど、合点がいった私はそんな彼女の肩を抱き寄せて、テーブルを挟んで座っている美咲さんと結衣さんに笑って見せた。

「心配してくれてありがとうございます。でも、私たちは大丈夫です…だって、私には絵里花がいてくれるから」

「ちょ、ちょっと円佳…ここ、人がたくさんいるのよ…」

「…うふふ、そうでしたね。結衣お姉さん、今日はお付き合いさせてすみません。さあ、そろそろオーダーを済ませましょう?」

「あはは、そうだね…せっかくだし、デザートも頼んでレシピの研究をしようかな」

 やっぱり、美咲さんと結衣さんは…大人なのだと思う。私みたいに悩んでばかりじゃなくて、身近な人のために具体的な行動を起こせて、当たり前のように面倒を見ようとする…立派な大人。

 だからこの私の強がりにも気づいているのだろうけど、それに付き合うように笑い返す二人に心が軽くなったのは事実だった。

 だから、今からは食事だけを楽しもう。そう思ってオーダーをしようと店員さんを呼んだら。

「…お姉さん、おきれいですね。連絡先とか聞いても…?」

「あ、この子の言うことは気にしなくて大丈夫です。あとで叱っておきますんで…」

 その店員さんが美人だったので美咲さんは当たり前のようにナンパをしようとして、結衣さんはぎろりと睨んでからそれを制してオーダーを済ませた…。

 …美咲さんのいいところを素直に口にできなかった理由、こういうところかもしれない。


 ◇


「美咲、今日はありがとう…おいしかったよ」

「いえいえ、最愛の恋人と可愛い後輩たちのためですから、お安いものですよ」

「…本音は?」

「…次の報酬が入るまで、塩パスタ生活ですかねぇ…」

「…明日からうちにご飯食べに来なよ。簡単なものだけど、塩とパスタだけよりかはマシだと思う」

「ううっ、愛してます結衣お姉さん…」

 円佳と絵里花をマンション前で下ろし、美咲は助手席に結衣を乗せたまま運転を再開していた。

 夜の帳が下りた住宅街は閑静さに拍車をかけ、仕事のためとはいえ早起きをした美咲はすでに眠気が押し寄せていることを自覚し、これで一人であれば居眠り運転もあり得ただろうとエージェントとは思えないことを考えていた。

 だからそんな眠気を上塗りするように、本能的な衝動に従って左手のひらを結衣の右手に乗せる。するとそこから伝わるぬくもりと感触が美咲の心に火を灯し、眠気とは異なる欲望が覚醒を促した。

「愛してる、ねぇ…さっきのナンパが成功していた場合、その子にも同じことを言ってたんでしょ?」

「まさか…いくら私でも愛の言葉までは安売りしてませんよ。あの二人を元気にするためピエロを演じた、面倒見のいい先輩キャラだと思ってください…」

「…じゃあ、連絡先の交換をOKしてもらえたら?」

「あっ、それはもちろん交換して…痛い痛い、痛いです結衣お姉さん…連絡先交換は友達になるための手段でしかないんですよ…」

 車内ではお互いが心の炎に従い、ゆったりといつもの会話を展開していく。

 美咲が可愛いと感じた女性に声をかけるのはいつものことで、結衣がそれをいさめるのもいつものことだ。

 美咲はそんなやりとりが好きだったが、結衣は半分くらいは本気で怒ってもいて、ピエロを演じたのは事実だとわかっていても…その重ねてきた手をつねってしまう程度には、恋人の軽薄さに不安を感じていた。

「…美咲ってさ、なかなか本当のこと言ってくれないよね。嘘つきだとは思ってないけど、隠し事が多いのは…ちょっと、傷つく」

「…結衣お姉さんの前だけですよ、こんなに口が無防備になるのなんて。それにほかの頼れる人もいないから、今日だってあなたの優しさに甘えてしまった…」

「…それについては、まあ信じてる。頼ってくれたのも嬉しい。けどね」

 つねっていた手を離すと、先ほどまで引っ張られていた部分はほのかに赤くなっていた。それは美咲の白い肌ではとくに目立つ痕跡となって、結衣は自分のしでかしたことであるにもかかわらず、いたわるようにそこをさすり始めた。

 運転中の美咲の顔は眠たげで、その言葉通り隙だらけだ。エージェントとしての顔を内包しているとは思えないほどであったが、内側にある仮面を知らない結衣はその正体に気づけない。

 気づけないけど、何かがある。それが…寂しかった。

「…たまにさ、思うんだ。美咲って、ある日ふらっとどこか遠くに行って、それで帰ってこなくなりそうだなって。美咲、猫が好きでしょう? だから猫に似ているようにも見えて、いろんなことを黙ったまま消えてしまう…」

「結衣お姉さんのご実家、猫ちゃんがいたんですよね。猫は隠し事が上手くて、つらいときも普通に振る舞おうとして、そのままどこかに姿を消してしまう…その不安、わかりますよ」

 もしもこの口がどこまでも軽くなるのなら、自分のすべてを吐露してしまいたい。美咲は恋人といるとき、いつもそう考える。

 しかし、それは許されない。だって自分はこの人のためにもエージェントを続ける必要があって、いつまでも隠し事をしないといけないのだから。

 だから結衣の言葉への返事も曖昧で、近くて遠い内容ばかりになってしまう。さらに結衣は物わかりがよすぎるため、傷ついたとしても美咲が隠さなければならないことがあるのを理解して、そばに居続けることを選んでいた。

 それならば、自分がやるべきは一つだけ…美咲はそう信じている。

「でも、私は消えませんよ。いつまでもいつまでも結衣お姉さんに甘える、ちょっぴり秘密の多いミステリアスで…可愛い猫ちゃんですから。あ、でも結衣お姉さんも『ネコ』になったりしますから、お互い様ですかね?」

「…台無し! もう! そうやって私を笑わせて、秘密をはぐらかそうとするの…変わんないね」

「幻滅しましたか?」

「…誰かを笑顔にしようとする女の子を嫌いになれるほど、人でなしじゃないつもり。だから、今日『も』見逃してあげる」

 結局私は、一生こうやって秘密を許容するんだろうな。

 結衣は惚れた弱みに頭を痛めつつも美咲に微笑み返し、彼女もまたピエロのお面を外したかのように自然な笑顔を浮かべていた。

 車はやがて結衣のマンションに到着し、二人の手は重なったまま。

「…結衣お姉さん、今日は泊まっていってもいいですか? 疲れた日ってどうしても甘えたくなっちゃうんです」

「…甘えるだけだよ? 私、明日も仕事なんだから」

「ええ、もちろん。美咲は結衣お姉さんだけのカワイイカワイイ猫ちゃんですから」

「年中発情期、だけどね」

 なんとなくこうなることを予測していた結衣はわざとらしくため息をつき、手を離す前に一度指を絡めて握り合って、そして明日は寝不足のまま出勤することを甘んじた。

 美咲は車を移動する前に結衣の手を取って甲にキスを送り、その味を確かめるように舌なめずりをして、好色な視線を向ける。

 その情念が灯った瞳に結衣も人には言えないような欲望がわき上がるのを感じ、だけどすげなく返事をしてから一足先に部屋へと消えていった。

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