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第6話「研究所へ」

「休日なのに朝早くからすみません。もう少しだけ時間がかかりますから、寝てても大丈夫ですよ」

「ううん、大丈夫です。事前に今日だってわかっていたから、ちゃんと休んだので」

「ええ、そうね。あんたこそ眠そうだけど、大丈夫?」

「昨日は結衣お姉さんが寝かせてくれなかったので…あ、そのときの話、詳しく聞きます?」

「高校生になんて話を聞かせようとしてんのよ!? 黙って運転してなさい!」

 次の休日を迎え、私と絵里花は『定期検査』を受けることになっていた。私たちのようなCMCは出自が特殊である都合上、何らかの不具合が起きていないか定期的に確認することは今後の研究にも役立つらしい。

 …私の場合、小さな頃に一度豹変したことがあったらしいから、もしかしたら警戒されているのかもしれない。

 ちなみに研究所への移動は監視役こと美咲さんが担当してくれて、私たちは彼女の運転するシルバーメタリックのSUVに搭乗していた。

 見た目こそ普通の車と変わらないけれど、無論こちらもエージェント向けのカスタマイズが施されている。窓やボディには防弾が施され、後部座席には外部からは様子をうかがえないスモークが施されていた。さらにはハイパフォーマンスエンジンの搭載と優れた小回りも兼ね備え、そこに四輪駆動も相まってどんな任務でも対応できる一台になっている。

 …ちなみに私と絵里花も必要に応じて車の操作ができるように仕込まれているけれど、さすがに学生の身分で毎日堂々と運転するわけにもいかないので、長距離の移動が必要なときは大抵美咲さんが担当してくれる。監視役という名目ではあるけれど、実質的には世話役が近いかもしれない。

 そんな美咲さんは私たちを退屈させまいといつもの調子でのんびりと雑談を振ってくれた…けど、さすがに絵里花の言うとおり『恋人の情事』を私たちに聞かせようとするのってどうなんだ。興味が一切ないと言えば嘘にはなるけど。

 でも聞いたら聞いたで今度結衣さんと会うときに気まずくなるのは確実だから、私はツッコミは絵里花に任せて苦笑だけ浮かべておいた。

 チラリと窓の向こうを見ると、徐々に自然が増えてきている。目的地への到着まではおよそ1時間、今は車に乗ってから30分くらいは経過したので、美咲さんの言うとおりもうちょっと時間がかかりそうだ。

「うう、せっかく気を利かせたのに…というか、別にエッチな話じゃないんですけどねぇ。結衣お姉さん、新作の開発を始めると夜中までお菓子作りを続けることがあって、それに付き合っていただけなのに」

「ちょ、そういうのは先に言いなさいよ! そ、それと、私は別に…え、エッ…んんっ、そんなこと想像してないから!」

「あ、それならエッチなことをしたときの話がいいですか? 絵里花さんはむっつりですし…」

「だから、気遣いの方向性がおかしいって言ってるのよ! 円佳もなんとか言ってやりなさいよ!」

「ごめん、私もそういう話じゃないかって思ってた…興味はあるけど、結衣さんに悪いから遠慮しておく」

「…もういいわよ! このスケベ!」

 私はこの三人なら無言でも居心地は悪くないし、それこそ聞いていて気まずくなるような会話ならしないほうがいいとも思うけど。

 今日は荒事もないため、車内の空気はどうしても緩んでいる。そんな中で展開する会話内容は和やかで、あまり表情に出ないと言われがちな私でも口元が緩んでいた。

 なので割と正直に答えたら絵里花は怒ってそっぽを向き、でもその直後にはチラチラ私を見てきたので「大丈夫、絵里花をそういう目では見ないから」と微笑んで伝えておいた。

 するとなぜか絵里花は不服そうに「…この馬鹿…」とぼやいて完全に視線を窓の外に向け、美咲さんからは「円佳さんは女心の理解度だけは落第ですかねぇ」なんて楽しそうに指摘された。なんでだろう…。


 *


 私たちの生まれ故郷とも言える『因果律研究所』は目立たないよう、山間部に設置されていた。山間にある小さな集落からさらに離れた場所にあって、アクセスするには専用の私道を通る必要がある。舗装はされているものの道は狭く、一般人はほとんど通らない。

 周囲は背の高い木々に囲まれており、敷地内は高い金網フェンスで囲まれていた。建物自体も外壁や屋根を緑色や茶色に塗装していて、なるべく風景に溶け込むように工夫されている。近隣住民向けには『自然保護区に関わる研究施設』と説明されており、実際の登録もそのようにはなっているけれど、その実態は私たちCMCやエージェントしか知らなかった。

 フェンスに設置されている監視カメラにもAIが搭載されている上、人間の目には見えない赤外線センサーまでも張り巡らされているから、ここを突破するとなれば内部の人間の手引きが必要だ。そんなわけで文字通り招かれた存在である私たちはスムーズにアクセスし、駐車場に車を止めたら私と絵里花は研究所本棟へと向かった。

 因果律研究所は本棟だけでなく教育・訓練施設や寮施設も完備しており、さながら小さな文教都市としても機能している。そこまで愛着はないのだけど、ここで育った立場としては故郷に戻ってきたような感じがしなくも…。

 いや、ないな。

「よくよく考えるとほぼ毎月来てるから、そんなに懐かしいって感じはしないね」

「まあそうよね…私は半年に一回くらいでもいいと思うけど」

「同じく…もうちょっとしたら別々に検査を受けるけど、大丈夫?」

「そのままお別れするってわけじゃないんだから、大丈夫よ…でも、できれば。お昼ご飯は一緒に食べたい…」

「…ふふ、了解。どっちが先に終わったとしても、食堂の前で待ってようね」

「…ん」

 私にとっての帰る場所、それを生まれた場所と定義すればこの研究所なのだろう。

 でも、違う。ここに来てもそうした郷愁に駆られることもなければ、ずっとここにいたいとも思えない。それは多分、帰る場所としては不適当なのだろう。

 じゃあ、私には帰るべき場所がない? それもまた、違う。

(…私の帰るところ、それは絵里花がいてくれる場所。絵里花さえいてくれるのなら、きっと私はどこでも帰る場所だって思える)

 私にとっての帰る場所は、そういうことなんだろうな。

 戻ったとき、絵里花が「おかえりなさい」って言ってくれる場所。今は私たちの暮らすマンションがそれに該当して、そこに戻ればきっと『帰ってきた』と思えるから。

 だから私はしばしの別れを惜しむように絵里花の頬を撫でてみたら、絵里花は恥ずかしげにしつつも私の手にすりすりっと頬ずりをしてくれた。その気持ちよさはここがすでに研究所内であることを忘れさせて、後から車の移動をさせ終えたと思わしき美咲さんが追いついてきたら「あらあら、検査の前に『休憩』しておきますか?」と笑われてしまった。


 *


 私たちがここに呼び出された理由、それは検査もそうだけど…エージェントとしても働くCMCとして、簡単な能力測定も行われていた。もちろんそれに合格できないとエージェントはクビになり、そこから先にどうなるかは知らない…多分いい結末は待っていないだろう。

 ただ、私たちのような『CMCとして育った学生エージェント』は都市風景に紛れて任務を遂行できる貴重な存在みたいで、エージェントである限りは相応の待遇は約束されていた。ぶっちゃけると、お金の心配はない。

 そうした測定の一つには学力テスト的なものがあって、それは学校での成績を見せればよさそうなものだけど、『因果律に関するより深い知識』についてはここでしか学べず、同時に研究所のテストでしか測定できなかった。

 なので私はそのテストを退屈に感じつつもきっちりとこなし、時間も多少余ったのでぼんやりと問題文とにらめっこをしていた。


 ◇


 因果律、それは『その人の出会いを含めたあらゆる因果の総称』である。

 人間には誰しもこれがあると信じられており、実際に日本ではそうした因果を解析して、誰と出会いそして結ばれるのがベストなのかを導き出すことに成功、今や国民にとっての常識となっていた。

 因果は成長とともに解析できるようになり、パートナーが割り出された時点で国が結ばれるためのサポートを開始する。これは自由恋愛が尊ばれる民主主義においては逆行しているとも言える行動だけど、そうした旧来の常識を置き換えるほど…因果律は優れたシステムだった。

 因果に従って結ばれたカップルは、そのほぼすべてが幸福な人生を歩めた。お互いに愛情があふれるだけでなく、仕事や趣味においても良い影響があり、現に日本で活躍する有名人のほとんどは因果によって導き出された相手と結婚している。

 パートナーを支えるために家庭に入るという選択もあれば、一緒に同じ仕事をして成功を収めるという選択もある。どんな形であれ最高の相性を持つ相手と一緒にいるということは、その後の人生においても成功が約束されたも同然だったのだ。

 この因果を決定づける要素の一つが、遺伝子。人間の体の中にあるらせん状の記録は過去から延々と続いており、その過去において誰と結ばれていたのか、そして誰と結ばれることで幸福になれるのか、そうした要素の解析ができるようになった結果、これらを『因果律』として呼び始めた。

 ただ、人間の因果についてはまだ研究途上であるように、わかっていないこともある。遺伝子であれば解析はできたとしても、ときにそれだけでは説明のつかないこと…たとえば『想定される相性の数値をはるかに超えた強固な関係を築く人たち』もいて、そういう組み合わせについてはスピリチュアルな結びつきもあるのではないかと、半ば真剣に研究されていたのだ。

 たとえば『過去だけでなくここではないどこか、別の世界線や時間軸でのつながりも因果に影響を及ぼしている』なんて説は近年になって提起され、そうなると因果は『決して見ることができない、それでも存在しているであろう魂に刻まれた縁』になってしまう。

 もちろんこうしたオカルト要素が強い説ほど懐疑的な見方が強くなる一方、それが否定できないほど強く結ばれている人たちもいるからこそ、今後も研究はされていくのだろう。

 現に、私と絵里花もそうした研究の進歩によって生み出された、『本来は存在していないはずの因果を植え付けられて結ばれた存在』なのだから──。


 ◇


「検査結果は異常なし、能力測定もすべて高水準でクリア…順調なようね、円佳」

「ありがとうございます、清水主任」

 すべての検査と測定を終えた私は医務室を思わせる個室に案内されて、そこで見知った顔…『清水主任』と一対一で面談をしていた。

 清水主任は私と絵里花を担当するCMCの研究者の一人で、その肩書きの通り研究チームの主任を務めているらしい。私が小さな頃は一般の研究者だったらしいけど、多分出世をして主任という立場に収まったのだろう。

 年齢は多分40代前半くらい、白髪交じりの黒髪を無造作に束ねていた。白髪が目立つにはまだ早い年齢だと思うけど、本人曰く「苦労が絶えないと白髪は増えるって本当なのよ」とのことだ。

 …もしも私が一生エージェントとして働かされる場合、早めに白髪が増えるのだろうか。

「絵里花は先に検査を終えたけれど、もちろんあの子にも異常はないわよ…まあ、戦闘訓練だけは相変わらずギリギリだけど」

「でしょうね…絵里花は優しい人なので。私は任務については全部自分一人でこなしてもいいんですけど、絵里花は『それだと一緒にいる意味がない』って聞いてくれないんです。それでこの前も、えっと、ちょっとケンカっぽいのをしてしまいました」

「…そう。ふふっ、やっぱりあなたが絵里花のパートナーでよかったわ」

 清水主任は研究者らしく好奇心が強い女性…だけど、私と絵里花をモルモットのように扱ったことはなかった。

 ぶっちゃけると研究所には好奇心だけで行動する人たちが多くて、私と絵里花にもそういう無遠慮な目を向けてくる連中がいたから、それもここが私にとっての故郷たり得なかった理由かもしれない。

 一方、清水主任はそういう目を向けてくることがない。むしろ彼女の目は美咲さんに近い…強いて言えば、姉とかそういう立場で見てくれたのかもしれなかった。兄妹と一緒に育ったわけじゃないから、はっきりとは断言できないけど。

 今も私と絵里花の些細なトラブルを穏やかな様子で聞いてくれて、理想のパートナーとケンカした私を欠陥品だと罵るどころか、むしろ楽しげに笑ってくれた。

 私はそれに対する適切な返事が浮かばなくて、その笑顔に乗じるように曖昧に笑うしかなかった。

「…私も、絵里花がパートナーでよかったと思います。ただ、自分の気持ちがわからないとも考えています」

「というと?…つらいことなら言わなくてもいいわよ?」

「いえ、聞いてもらいたい…かもしれませんので。ほら、私と絵里花って『作られた恋人関係』じゃないですか」

「…うーん、まあ…そうね、うん」

 笑うだけではこの面談も終わらないので、私はいつも考えていることをこの際だからと口にした。

 私は自分のことをペラペラしゃべるほうじゃないと考えているけど、決して聞かれたくないというわけでもない。むしろこうして口にすると考えを整理しやすくなるから、このお姉さん…年齢はかなり離れているけど、それでもそういうポジションに見える人には話してみたかったんだろう。

 清水主任は『作られた』の部分を耳にすると若干眉を下げて曖昧に返事をしたけど、それでも柔らかな雰囲気は崩れなかった。

「私は絵里花が大切だと思っています。恋人って言う関係にも不満はありません。そして…ずっと一緒にいたいとも思ってはいます。ただ、私たちは因果律を操作された都合上、この気持ちも作り物の因果がもたらしているのかな…って思ったら、なんだろう…嘘、とも違うんですが、そういう後ろめたさがある…ような」

 私は絵里花が好きだ。でもそれは『単純な好感度が高い』という感じでもあって、同時に作られたものであるとも思ったら、彼女に恋人として向き合うのは不誠実なような気もした。

 それ以外の選択肢がないとはわかっているし、関係を解消したいなんて絶対思わない。

 でもそうなると不誠実なまま向き合っているような気分になって、絵里花を見ると胸の奥はいつも温かいのに、背中には秋の日陰のような冷たさもある。

 作り物ではあっても因果で結ばれている以上、私たちはベストパートナーなのに。作り物であるからこそ、パートナーと向き合っていいのか悩む。

 そうか、これが私の探し物…かもしれない。

 絵里花への『好き』、それがどんなものなのか、私は。

「…そうよね。円佳は優しいもの、そうやって悩むのは仕方のないことだと思う。けど、忘れないで」

 私が吐露を終えると、清水主任はわずかに椅子を移動して私の前に迫り、下がった眉を元に戻して、じっくりと口にした。

 多分、主任も…考えながら、話してくれている。

 私でもわからない『私』のことを探すように、一緒に見つけようとしてくれているように、感じた。

「因果律はたしかにその人の運命を左右する。そして、私たちはあなたの運命を操作したとも言える。でもね…人格まではいじれないの。あなたという人間性も、そこから生まれる絵里花との関係性も、因果律がすべて操作しているわけじゃない」

 因果律については、わかっていないことも多い。操作された私ですら、知らないことのほうが多いんだろう。

 でも、主任の言葉は嘘じゃない気がした。まっすぐに私を見つめてくる瞳の奥には、悪意と好奇心によるよどみが一切ない。

「因果律は強い力かもしれないけれど、最終的にはあなたたちの心が関係を作っていくの。たとえば、そうね…因果律で結ばれた恋人っていう関係にも数え切れないほどいろんな形があって、中には『ご主人様と犬』みたいな組み合わせもある。でも、あなたはそれを望まないでしょう?」

「…私も絵里花も人間です。だから、私と同じ目線で、一緒に隣を歩いてもらいたいです」

「ええ、そういうことよ。あなたが絵里花を大切に思う気持ちが彼女の幸せにつながって、あなたたちだけの恋人関係が作られる…それは因果律の中であっても自由なの。だから、もっと自分の気持ちを信じてあげなさい。少なくとも、私はあなたたちが『真心』でつながっていると信じているわ」

「主任…ありがとうございます」

 多分この言葉を胸に刻んだとしても、私はまた迷うのだろう。因果律という人知を超えながらも人に影響をもたらす力の渦中にあれば、悩むべきことは数え切れないほどあった。

 でも、彼女の言うとおり…私の中にある心が、因果でも塗りつぶせない真心であったのなら。

 私は、絵里花が大切だ。今も食堂の前で待ってくれているであろう、彼女へ早く会いに行きたい。

 これが本物であったのなら、もう少しだけ前向きに恋人関係を続けられる気がした。

 …絵里花が『犬』っぽくなった姿もちょっと見てみたいかもだけど。

「さあ、絵里花が待っているから行ってあげなさい。あの子も『円佳、大丈夫かしら…』なんて心配してたもの」

「ふふ…その様子、なんか想像できます。じゃあ、私はこれで」

 私を心配してくれる絵里花も、きっと心からそう思ってくれている。

 そんなふうに考えられるようになったらもっと気分が楽になって、部屋を出る頃には「今日は何を食べようかな…」なんてのんきに想像していた。

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