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第5話「パティスリー・ルミエラ」

 女の子は甘いものが好き。これは日本において昔から伝わっている条理であり、現に私の恋人…絵里花も甘いものは好きだった。というか、これまで交流してきた女性に『甘いものが嫌い』という人はいなかった気がする。ちなみに私も好きだ。

(…仲直りのためにケーキを購入して機嫌を取る。いくら何でも安直かな…)

 エージェントとしての任務を終え、絵里花と小さな衝突が起こり、一人で悩んでちょっと暗くなっていた。昨日のことをまとめると、大体そんな感じ。

 絵里花は素直になれないところがあるけど、私に対してはちゃんとごめんなさいもできるように、あのときのことはもう水に流してくれた可能性が高かった。

 それでもこうして行きつけの洋菓子店に一人向かっているのは、多分そういうことだろう。私は絵里花に対してまだ申し訳なさを感じていて、ケーキというわかりやすい謝罪の気持ちを渡し、そしてあわよくばもっと仲良くなれたら…なんて考えると、自分が浅ましい人間であるように感じる。

 当然ながら、今は絵里花と一緒ではない。彼女と一緒に向かってもダメということはないけれど、女性の多くはサプライズ──内緒で喜ばせることをするらしい──が好きだとも知識として知っているので、学校が終わって家に戻ってきたら、ちょっと野暮用があると伝えて一人で移動していたのだ。

 私と絵里花は一緒にいることに大きな意義があるけれど、24時間365日、常にお互いの視界の中にいるわけでもなかった。命令があればそうなるように努力はするけど。

(…っと、もう着いた。やっぱり徒歩15分圏内においしいお店があるっていいな)

 私たちの行きつけの洋菓子店…それは住宅街に近い商店街の一角にある『パティスリー・ルミエラ』という名前だった。

 場所が場所だけに大規模というわけじゃないけれど、店内には購入してそのまま食べられる座席が10ほどあり、外には2つのテラス席もあることから、地元住民たちからは憩いの場としても愛されている。

 足を踏み入れると白とパステルカラーを基調にしたシンプルな内装で、真っ先に視界に飛び込んでくるショーケースには繊細で鮮やかなケーキが並べられており、まだ夕食前ということもあってお腹はキュルキュルとわかりやすく甘味を求め始めた。

 イートインスペースには2人ほどお客さんがいて、ケーキと飲み物を木目調のテーブルに載せて楽しく談笑している。そのスペース内にはポスターも何枚か貼られていて、そのうちの一つには『地元産フルーツを使った限定メニュー販売開始』と書かれていた。

 全体として温かみが強く、都市部の人気店のようなせわしなく回転し続ける雰囲気とは真逆だ。私はどちらかというとこういう空気のほうが好きで、やっぱり自宅の近くにあるお店としては格別な存在だった。

「いらっしゃいませ…あれ、円佳ちゃん? 今日は一人なんだね」

「こんにちは、結衣さん…あはは、いくら私たちでも四六時中一緒ってわけじゃないですよ」

「それもそっか…でも、ちょっと寂しそうに見えるよ? もしかして、ケンカでもしちゃった?」

「…結衣さんには隠し事、できないですね」

 ショーケースの向こう側にはケーキを並べている店員さんがいて、その人は私と目が合うと接客用ともまた違う、優しく人の良さが隠せない笑顔で迎えてくれた。髪は黒のミディアムロングで、それをローポニーに結んである。頭にはオレンジと白のチェック模様の三角巾を巻いていて、同じ柄のエプロンも装着していた。

 この人の名前は『庚結衣』、ここで働くメインパティシエでただ単にお菓子を作り続けるだけじゃなくて、新しいメニュー開発にも関わっている腕利きだった。現に、近くに住む人たちからの評判も上々だ。

 念のために言うと、この人はエージェントとかではない一般人である。そんな人と私たちの接点、それは意外なところにあった。

「ふふっ、円佳ちゃんも絵里花ちゃんも素直ないい子だからね…なんだかんだで結構顔に出るし、二人で一緒にいるときはもっと明るい表情をしてるから、それで気になっただけ。余計なお世話かもだけど、そういうときは一緒に甘いものを食べて仲直りしてみるのはどうかな? おすすめは新作のフルーツタルトだけど」

「商売上手ですね…じゃあ、とりあえずそれと…うーん、あとはどうしようかな」

「ゆっくり選んでね…ほんと、美咲も二人みたいにもうちょっと素直ならよかったんだけど」

 私にとっての『大人』は大半が研究所の人たちで占められていて、それ以外に接点のある年上は少ない。そんな中、結衣さんは…貴重とも言える『尊敬できる大人』だった。

 パティシエとして修行しておいしいお菓子を作り続けているだけでもすごいけど、その人間性はまさに敬意を払うべき対象だった。さっきみたいに周囲の変化にすぐ気づくのもそうだし、かといって上から目線でえらそうにアドバイスをするでもなく、生来の面倒見の良さを自然でほどよく振る舞ってくれる。

 穏やかな話し方や声音も任務で凝り固まった私の心をほぐしてくれて、エージェントでないからこそ話しやすい貴重な存在になっていた。

 そんな結衣さんと私たちの接点、それが美咲さんだった。

「美咲、また女の子を引っかけようとしてたんだよね…本人は『お友達になりたかっただけなんです』って言い訳してたけど、そういうのは恋人がいたら普通自重しない?」

「あ、あはは…美咲さん、可愛い子には目がないみたいで。好みのタイプで相手がフリーだと『仲良くするのは礼儀です』なんて言ってますけど、でもなんだかんだで結衣さん一筋ですから」

「それならデートにも誘おうとしてるのっておかしくない? ふぅ、あの子も円佳ちゃんや絵里花ちゃんみたいにもっと一途ならね…」

 そう、結衣さんは美咲さんの恋人だった。

 女性同士の恋愛なんて今時まったく珍しくないけれど、それでも私の仕事仲間にも同性のパートナーがいると思ったら偶然としてはなかなか奇妙で、もしかしたらこういう出会いにも因果が関係しているのだろうか、ふと気になる。

 でも、美咲さんの悪癖…『女の子が大好きですぐに声をかける』という点には本当に困っているのか、ブラウンの瞳をやや不機嫌に揺らす結衣さんに私は苦笑し、無難な受け答えしかできなかった。

 同時に、結衣さんは私たちを一途だと褒めてもくれて、絵里花のことでわずかに悩んでいる私を励まそうとしているのかもしれなかった…いや、あの目は割と本気で怒っているような…。

「はぁ…やっぱりさ、円佳ちゃんや絵里花ちゃんはすごいよ。小さな頃から因果で結ばれていて、ずっと一緒にいて、今もお互いを大切にしあってるんだから。『因果はそういうものだ』って話す人もいるけど、二人はそういうの抜きにしてもお互いに思いやりがあるって見ててわかるから」

「ありがとうございます…でも、私は結衣さんと美咲さんの関係もうらやましいですよ。言いたいことをズバズバ言えて、一緒にいられない時間が長くてもお互いを思い合っているって言うか…」

「まあ、それが大人だからね…私と美咲にも因果があったら、また違ったのかな…」

 因果は誰しもに存在していて、因果律システムはそれをすべて管理している…というわけでもなかった。

 ごくまれに『因果を持たぬ者』が存在していて、こういう人たちは自由に恋愛できるからそれはそれでメリットがある…とはいかないのはすぐにわかるだろう。

 因果を持たないがゆえに、大多数の因果を持つ人たちと自由に結ばれることは難しい。そして美咲さんも本来なら結ばれるべき因果の相手がいたものの、それに逆らうためにエージェントになって、その中で出会ったのが『誰とも因果を持たない結衣さん』であったのなら…それは新しい因果が生まれたような、私たちに負けないほどの奇跡的な存在に思えた。

「…っと、円佳ちゃんの悩みを聞くつもりだったのに、私が変なことで愚痴っちゃったね。お詫びじゃないけど、このフルーツタルトは私が奢るよ」

「え、悪いですよそんなの…結衣さん、悩んでいる私を励ますためにこういう話をしてくれたんですよね? 実際、私も結構気分が楽になりましたし…」

「残念だけど、私は円佳ちゃんが思っているほど立派な人間じゃないよ? 美咲に怒っているのもそうだけど、それに関して愚痴ったのも事実だしね。そんなわけで、大人らしく面目を立てるために奢らせてよ…代わりに、私が作った別のケーキも買っていってくれると嬉しい」

「…ありがとうございます、結衣さん。じゃあ、そのタルトと結衣さんが作ったおすすめをお願いしますね」

「毎度あり~♪」

 そこまで話した結衣さんは照れくさそうに笑い、いっちょ前に遠慮しようとする私を制するようにビジネストークも挟み、とても気持ちのいい雰囲気のまま会話と買い物を切り上げてくれた。

 …本当に、なんでこんなにしっかりした人が美咲さんと付き合っているんだろう。いや、美咲さんもいい人の範疇には入っているけれど…むしろ、こうした組み合わせだからこそバランスがいいのかな?

 そんな若干失礼なことを考えつつケーキを包んでもらい、それを笑顔で渡しながら「あ、美咲がナンパしているところを見かけたら、私の代わりにコブラツイストをしてくれていいからね」と物騒なことをお願いしてきた。やっぱり目が笑ってない…。

 一応はそういう体術もできる私は「口頭注意でやめないようならやってみます」とだけ伝え、お店に入る前よりもずいぶんと軽くなった足取りで家へ戻った。


 *


「絵里花、これなんだけど…夕飯が終わったら一緒に食べない?」

「…これ、ケーキの箱? 結衣さんのお店に行ってたの?」

 家に戻るとすぐに玄関まで絵里花が迎えに来てくれて、思わず「別々に出かけるとこういうお出迎えがあるのがいいよね」なんて考え、私は自然と微笑みながらただいまの挨拶を済ませる。

 それと同時に持っていたケーキ入りの箱を見せ、絵里花の反応を窺った。その表情に大きな変化はなくとも、やっぱり女の子は甘いものが好きらしく、目元は期待で小さく輝いている。

 よし、伝えるなら今だな…。

「うん…それで、えっと。昨日はごめんね?」

「は? なんで謝るのよ?」

 ぺこりと小さく頭を下げて、今度こそ完全に仲直りできるように謝ってみたら。

 頭を上げると絵里花はぽかんとしていて、本当に謝罪の意味をわかりかねている様子だった。

「…ほら、昨日は絵里花のことをわかってあげられなかったし、ちょっと暗い雰囲気にもなったし、これで本当に仲直りっていうかさ…」

「…あなたって、結構引っ張るタイプなのね。それとも、私が根に持つようなタイプに見えるのかしら?」

「そういうんじゃなくて…いや、そうなのかな…ううん、上手く言えないんだけど」

 絵里花はいろいろため込むタイプではあるけど、根に持つタイプには思えない。というか、根に持つのならなんで謝るのかなんて尋ねてこないだろう。

 かといって、私が無意味に引っ張るタイプでもない。なんなら割り切るスピードについては絵里花よりも上だという自負があって、じゃあなんでケーキまで購入して謝っているのかというと。

「私、絵里花が相手だと結構気にするというか…ずっと一緒にいる分、こういうことはすっきりさせておきたいのかもしれない。絵里花は特別な人だから、仲直りしたら笑ってほしい…かも」

 自分で口にしておいて「そうか、そういうことか」なんて思ってしまった。

 多分絵里花以外と衝突したら、それなりに謝って以降は気にせず過ごせると思う。でも絵里花が相手だと私は完全無欠を求めるようで、仲直りを果たしたら笑ってほしかったんだろう。

 …面倒くさい奴だな、私。

「……そ、そこまで気を使わなくてもいいわよ……で、でも、あなたがそう思ってくれるの……う、嬉しい」

 でも絵里花はそんな私に散々に照れつつも、口元をギギッと動かして笑ってくれた。

 瞬間、私の胸は跳ねた。仲直りを祝う音としてはずいぶんと低音気味だけど、それでもこの瞬間にようやく「これで元通りになれたかな」なんて思う。

(…結衣さんの言うとおりだな。ケーキ、買いに行ってよかった)

 もしかしたら、ケーキ以外であっても…何かしらのプレゼントであれば、絵里花は喜んでくれたのかもしれない。

 でも、ケーキの箱を受け取った絵里花はそれを開き、そして「あ、このフルーツタルト…おいしそうね」なんて話していたときは…甘いものに喜ぶ女の子そのもので、結衣さんと話せたことも含めて、ケーキというチョイスをした自分を褒めてあげたくなった。

 もちろんこの日の食後のデザートは大変好評で、後日また同じタルトを買いに行ったのは言うまでもない。

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