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第4話「私たちの関係」

 都会でありながらも閑静な住宅街、そこに私と絵里花が暮らすマンションがある。オートロックはもちろんのこと、研究所が用意した住処だけあって最新のセキュリティが行き届いており、AI搭載カメラの多さはダントツだった。このため、悪質な訪問販売や契約を行う業者からは危険物件扱いされており、相対的に住人にとっては住み心地のいい場所だと言える。

 エントランスに入り郵便受けを確認したら、入り口前の指紋認証付きタッチパネルを操作して部屋番号を入力する。この段階で不審者はほぼ排除され、ちなみに各部屋の鍵の解除には顔認証も必要とされているという徹底ぶりだ。なお、過去に犯罪まがいの契約を押しつける業者が勝手に不在状況を確認していたという事件もあり、郵便受けの確認にも指紋が必要となった。

 そうした操作を終えるまでにも私と絵里花には一切の会話がなくて、さすがに部屋に入ったらもう一度私から謝ろう…なんて思っていたら、玄関に入ると同時に後ろから彼女が抱きついてくる。

 これで相手が絵里花でなければ即座に体術でカウンターしていたけど、そのぬくもりも感触も慣れ親しんだもので、私の体からは一瞬にして気まずさも警戒も抜け落ちていた。

「…さっきはごめんなさい。全部私が悪いのに、あなたに当たってた…」

「ううん、気にしないで。私も無神経だった。絵里花のこと信頼してたのに、あれじゃダメだよね…ごめん」

 絵里花の性格を一言で表すと、多分『いじっぱり』だと思う。自分が決めたことはそれを押し通す強さがあって、でもそれはときに周囲との衝突を招いて、実際に研究所にいた頃もその性格のせいで、ほかのCMCとはほとんど仲良くなれなかったと聞いた。

 ただ、私にとっての絵里花は『優しすぎる人』というイメージのほうが強い。いじっぱりというのは優しいと結びつきにくいかもしれないけど、絵里花は誰かを傷つけることが本当に嫌いで、でも任務のため…そして私と一緒にいるためであれば、そんな自分に対しても意地を張って戦おうとする。

 だからせめて私には頼ってほしくて、自分なりの優しさを伝えようとして、些細な行き違いが生じたんだ。絵里花が際限のないいじっぱりならこのままお別れ──研究所が認めるかどうかは別として──もあり得たのかもしれないけれど、彼女は私と二人きりのときは今みたいに素直になってくれることも多い。

 それは、とても嬉しいことだと感じた。同時に、周囲に対して意地を張り続ける彼女が唯一ここでは安らげると思ったら、私はそこを守り続けたいとも思う。

 まだまだ好きの形も恋人の定義もはっきりとはしていないけれど、絵里花の居場所だけは守りたいと強く感じた。それだけでも、一緒にいる意味としては十分だろう。

 それから少しのあいだ、絵里花は無言で抱きつき続ける。私はそんな絵里花の頭をなでなでとして、どうせなら向かい合って抱き合うほうが撫でやすいな…なんて思っていたら、絵里花はそっと体を離した。

 何度も見つめ合ったその顔を見ると、幾分かの晴れ模様が浮かんでいる。満面には遠いけれど微笑んでもいて、私の恋人はやっぱり美人だなぁと深く考えずに評価していた。

「それじゃあ、夕飯を作るわ。あなたはお風呂の準備と勉強でもしてなさい」

「ううん、私も手伝うよ…えっと、ほら。ケンカしたカップルは、こういう共同作業をして仲直りするって聞いたし」

「誰の入れ知恵よ…もうっ」

 そんな美人がおいしいご飯を作ってくれるのだから、きっと私は幸せ者だ。これも因果律に従ったがゆえの恩恵だとしたら、素直に噛み締めてもいいんだろう。

 でも、私だって多少は料理ができる。エージェントとしての訓練にはこうした生きるために必要な自炊も含まれていて、少なくとも絵里花の足を引っ張ることはない…まあ料理を面倒と思ってはいるのだけど。

 だけど、今日は面倒がってちゃいけない。ただの仕事であれば絵里花に任せっきりだったかもしれないけど、私にとってこの子は仕事抜きにしたって特別で、一緒にいたいと思っているのだから。

 だから付け焼き刃の知識を持ち出して説得すると一瞬呆れ、それでもすぐに微笑みに戻って「怪我はしないでよ」と言いつつも私に手伝わせてくれた。お互いの雰囲気に、すでにケンカは存在していなかった。

 この日のオムライスがとてもおいしかったのは、いちいち説明するまでもないだろう。


 *


 夕飯を終えて入浴も済ませた私はリビングのソファに座り、スマートテレビを操作してお気に入りの人形劇を見ていた。

 政府が情報網を把握する一環で放送業界にも大幅な再編が訪れていて、結果として完全無料の国営放送以外は任意での有料契約放送か従来のCM付き無料放送となり、悪名高い受信料の強制徴収からは解放されていた…ただし、有料放送を行う放送局も国の支援を受けているし、無料放送のCMも因果律システムにとって都合がいい内容が大半だから、今も昔もテレビに映るものは何らかの意図が反映されている。

 人間が作るものである以上、完全に公平で中立なものなんてないんだなと思いつつ、それでも自分が好きな番組くらいはそうした思想を反映されないものであってほしかった。


『冒険活劇、【マルシャとベル】! はじまるよ!』


 私が気に入ってみている番組の一つ、それがこの『マルシャとベル』という名前の人形劇だった。

 人形劇の多くは私よりも小さな子供たちがメインターゲットなのだろうけど、この作品は人形たちもさることながら背景もしっかりと作り込んでいて、CGの発展が進んだ現代においては異色さすらあるアナログ感が魅力だ。

 ちなみに、マルシャはウサギの女の子で落ち着いているけど仲間思い、ベルは犬の女の子でけんかっ早いけど面倒見がいい、そんな二人の冒険劇となっていた。

(…冒険、か)

 今日のマルシャとベルはおにぎりを片手に隣町までの山道を歩いていて、険しい道を進みながらも二人の空気には苦痛が一切なく、むしろ楽しげですらあった。というかこれ、ただのピクニックだ。

 人形が進むごとに山道は異なる顔を見せ、ときには森を、ときには稜線を進む。草木の緑に空の青がきれいで、これをCGではなく手作りしているのには感動した。

 そして、うらやましくもあった。

(私たちはCMCでエージェント、この付近からは離れられない…)

 景色の移り変わりを経て、やがて目的地が見えてくる。それにはしゃぐ二人の姿は、自分たちとはどこまでも無縁だった。

 私たちは担当区域内に配置され、CMCとして因果律の素晴らしさを喧伝しつつ、エージェントとして不穏分子を取り除かないといけない。その役割に不満はないけれど、それでもここから離れられないことについては…わずかながらの寂しさがあった。

 マルシャに手を引かれているベルは嬉しそうに笑い、そして『私を連れて行って!』と朗らかに伝えていた。そのシーンに私は自分をマルシャに、そしてベルに絵里花を重ねる。

 だけど、同じ言葉は言えなかった。もしもそんなことをしてここから離れようとしたら、『始末』される可能性もあるだろう。

 美咲さんは監視役とは思えないほど緩いけど、そういう逃走を図るエージェントの拘束も仕事のうちだと話していた。そして、私に対して「お願いですから、私にそういう仕事はさせないでくださいね」とも悲しげに笑っていたっけ。

(…普通の恋人同士でしかなかったのなら、私も絵里花を連れて行くことができたのかな)

 因果律によって認められたかどうかは別としても、CMCでもエージェントでもなければ、今頃は絵里花と知らない景色を見に行けたのかもしれない。

 因果があるからこそ、与えられたからこそ絵里花と出会えて…でも、それがあるから連れて行ってあげられない…。

 私は。

「お風呂上がったわよ…あなた、またそれを見てたの?」

「あ、うん。お茶入れてるから、一緒に見る?」

「…ええ、ありがとう」

 その連れて行きたい人が湯上がりのパジャマ姿で現れ、自分から私の隣に来てくれる。同じシャンプーと石けんを使っているのに私とは異なる甘い香りを漂わせながら、促されるまま隣に座ってくれた。目の前のローテーブルには、カモミールを中心にブレンドされたリラックスティーが入っている。

 私と絵里花はお風呂から上がると、大抵はこのお茶を一緒に飲んでいた。そしてそれを飲みながら何らかの番組を見て、些細な話をして、それでお互いの寝室に向かって眠る。

 これは仕事とは一切関係のない、一日の終わりをできるだけ穏やかに迎えるためのルーチンだった。

 絵里花が隣に座るとお茶の香りを上書きするほど甘い匂いが強くなって、それにほころんでしまった顔で見つめていると、湯上がりの火照った頬のピンクにわずかな赤みが増した。

「そういえば、施設にいた頃もよく見ていたわね」

「うん。私、ウサギが好きだし…犬も結構好きになったよ。絵里花の影響かな…そういえば、あのぬいぐるみはまだある?」

「ええ、部屋に置いているわよ…なんだか、小さな頃から趣味が変わっていないみたいでちょっと恥ずかしいわね」

「そんなことないよ…それで言ったら、今も人形劇を見てる私も変わんないし」

 あのぬいぐるみ、とは…私と絵里花が出会ったとき、彼女が抱きしめていた犬のぬいぐるみのことだ。とても大切そうにしていたし、優しい絵里花は絶対に捨ててないだろうなという信頼もあったけど、それは予想通りでやっぱり嬉しくなる。

 けれど絵里花はそういう自分の一面が子供っぽいとでも思っているのか、私からふいっと目を逸らして人形劇に視線を逃した。テレビの中ではマルシャとベルが街に到着していて、早くも次に向かう場所について楽しそうに会話していた。

 マルシャの『もっときれいなものを見に行こう!』という言葉は静かなリビングに響き、それと同時にエンディングが始まる。優しげなメロディーと歌声を聞き流しながら、同じことを絵里花に言ってあげられない自分はなんなのだろうか、心はまた迷子になっていた。

「私たちの関係って、なんだろうね」

「…いきなりどうしたのよ? 私たちは因果律で結ばれている…その、こ、恋人、でしょう?」

「うん…ごめんね、変なこと聞いて」

 私の独り言に対し、絵里花はとても律儀に回答してくれた。その内容は大変模範的で、施設のテストで記入しても満点がもらえそうだ。

 でも、私が求めている回答とも異なる気がした。自分でも欲しいものがわかっていないのに、絵里花がそれをくれるだなんて考えるのは傲慢かもしれないけど…だけど私は、絵里花となら行ってみたかった。

 私たちが見ることができないであろう、きれいなものがある場所。どこにあるかもわからない、本当にきれいなのかどうかもわからない、それでも絵里花が笑ってくれそうな場所へ──。

「…この関係は、作られたものかもしれないけど。けれど、私は…あなたと一緒にいるの、いやじゃない…う、嬉しい、わよ。ほかの人じゃなくて、ずっと私といてくれたあなたと、これからも…いたいって、思ってる…」

「…私、これからも絵里花と一緒にいるよ。それが自分に与えられたやるべきことだって言われたらそれまでだけど、絵里花と一緒にいたいって気持ち、本物だって思うから」

「…うん」

 ここは私たちの家で、何の変哲もないリビング。毎日毎日足を踏み入れているところで、新鮮な部分なんてもうなくなってしまったかもしれないけれど。

 でも、絵里花は…きれいだ。仕事ですら躊躇する優しいところも、恋人って言葉にいちいち照れているところも、その口から紡がれるちょっと不器用で温かい言葉も、全部がきれい。

 今は遠くへ行けなかったとしても、これだけきれいなものがあれば…私は、満足できるかもしれない。

 そう思ったら絵里花の手を自然と──指を絡めるように──握ることができて、絵里花も同じように握り返してくれた。そのまま彼女は足がぴったりと引っ付くほど寄ってきて、私の肩に頭を乗せる。

 絵里花の髪から香ってくる甘さは、私だけが知っているきれいなものの一つ。同じシャンプーを使っても到達できない、とても不思議な絵里花の匂い。

 その匂いに酔っていたら時間はあっという間に就寝時刻を指し示していたけれど、なんとなく離れがたかった私たちは、そのままテレビを切って些細な会話だけを続けていた。

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