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第3話「因果を守るものたち」

 表向きの私たちは、『若くして因果律の相手と巡り会えた理想的なカップル』だ。因果によって定められた相手とは最高の相性が約束されており、一緒に過ごして結ばれるだけで幸福に満たされた人生が送れる。

 だから因果律に逆らうのは愚かなことで、建前上は因果に反する行為も認められてはいたけれど、一時的な感情に流されてそれを実行した結果…大抵は破局を迎える。そんな非効率的な関係を野放しにしていたからこそ、これまでの日本は長く続く低迷に苦しんでいた。

 だからこの国は様々な方法で因果律に従うことを推奨するため、マスメディアなどの情報網の操作はもちろんのこと、私たちのような因果律の素晴らしさを周囲に伝える存在をあらゆる場所に潜り込ませることで、自然と持って生まれた因果に従うように仕向けていたのだ。

 …まあ私たちの場合、あらかじめ因果を操作されたCMCであるのだけど。

 ともかく、私たちには表だけでなく『裏』もあった。


『ターゲットは現在公園のベンチに座っています。なのでお二人はデート中のカップルになりすまして近くを歩き、すれ違いざまに仕留めてください』

「了解。人払いは?」

『もちろん済ませています。AI監視ドローンも最小限、何よりそのパーカーを着ていればどこにもログは残りません』

 時刻はちょうど逢魔が時、私と絵里花は制服の上からグレーの地味なパーカーを羽織っており、目的地である公園のそばにある自販機の横で携帯を操作していた。ぱっと見はおそろいのパーカーを着ている仲のよさそうな学生でしかなく、ジュースでも買っておしゃべりに興じているように見えるだろう。

 実際の話し相手はワイヤレスイヤホン越しの美咲さんで、彼女は万が一目的が逃走した場合に備えて狙撃できる位置に陣取っており、遠隔地から私たちに指示を出している。すでに近隣には人の気配もなく、自然でありながらもどこか不気味な、都会らしい静寂に包まれていた。

 チラリと上空を見るとAIによって操作された監視ドローンが飛び回っているものの、その数は少ない。そもそも私たちの着ているパーカーであればそのカメラには『存在しないもの』として扱われ、決して姿は残らなかった。

 このパーカーは私たちのようなエージェントに支給されている装備の一つで、防弾防刃といった防御機能はもちろんのこと、監視カメラの増えた日本においては有用なAIが誤認識する『アドバーサリアル・パッチ』が施されていた。人間の目には無地のパーカーにしか見えないものの、その色合いも相まって見事なまでに都市風景に溶け込んでいる。

 シルエットはややタイトで動きやすく、袖口には手を保護するためのサムホールもあり、外側だけでなく内側にも装備を収納するためのポケットが備わっていて、エージェント向けのツールが一通り収納されていた。

「了解、任務開始…フロレンス、行こうか」

「…了解」

 必要な確認を終えた私はことさらににこやかな笑顔を浮かべ、絵里花の手を握る。一方で彼女はやはり任務中だと表情が硬くなっていて、それでも私に手を握られると頬を桜色に染めることから、まだデートに慣れていないカップルに見えるだろう。

 左手で絵里花の手を握り、右手はパーカーのポケットへ入れる。そしてポケット内にある『それ』を確認するように握り、私たちは談笑しつつ公園へと向かった。

「今日の夕ご飯なに? あ、たまには私が作ろうか?」

「いいわよ、別に…料理は私が担当しているもの。そうね、今日はあなたの好きなオムライスでもどう?」

「え、いいの? 嬉しいなぁ。あのオムライス、とってもおいしいから」

「…ふふっ。あなたって普段は大人びているのに、こういうときだけは学生みたいね」

「あれ…私、一応はJKってやつなんだけど…?」

 そう、私は女子高生だ。この制服にも防弾と防刃が施されているけれど、デザインについては完璧に聖央高等学校のそれと同じで、その上にパーカーを羽織っているちょっとおしゃれをした学生。

 そしてこの会話もおそらくは本当のもので、きっと今夜はオムライスなのだろう。絵里花の作るオムライスはたまごがふわふわで、チキンライスにも丁寧に味付けがされているから、それを思い出すとお腹は一足先に音を立てた。

 公園に足を踏み入れる。奇しくもターゲットもパーカーを着ていて、色はライムグリーン、フードはしっかりと下ろして目元を隠していた。ボストンバッグを膝に置いており、いかにも『私はこれからなにかをしようとしている不審者です』というオーラがあった。

 そして私たちが公園に入ると一瞬だけ顔を上げてこちらを見てきたけど、普通の学生だと判断したのかすぐに視線を下ろす。対する私たちも一瞬だけ彼を見て、そして次の瞬間にはお互いが大切な恋人だけに視線を戻した。

「…でも、そういうところ…嫌いじゃないわ。物静かで、落ち着いていて、そんなあなたといられるの…う、嬉しい、わ」

「…ありがとう。これからもずっと一緒にいようね」

 ちょうど私の右手側にターゲットがいて、それとすれ違う刹那。

 私は右ポケットから『リフレクターガン』を取り出し、相手の肩に近づけてトリガーを引く。近距離で放たれた電磁パルスは一瞬にして対象の神経系統を麻痺させ、相手は意識こそあるものの、完全に崩れ落ちて地面に伏した。もちろん、声も一切上げられない。

「こちらベイグル、対象の無力化に成功。回収班は急行を」

『了解です。すぐに向かいます』

 相手が倒れたところで美咲さんに報告、そして私は絵里花から手を離して念のために周囲を警戒、絵里花もリフレクターガンを取り出して相手に向けている。彼女の銃はすでに『拘束モード』に切り替わっているものの、引き金はまだ引かれていなかった。

 私たちの持っている銃…リフレクターガンは、対象の捕獲を行うための非殺傷兵器だった。サイズはポケットにも入れられるほどコンパクトで軽量、マットな黒色を基調としているものの側面にはメタリックな青いラインが走っていて、銃口付近には残りエネルギー量などを示すインジケーターがある。素材は耐衝撃性に優れたカーボンで、これも軽量さに貢献していた。

 その近未来的なデザインからもわかるように、発射されるのは実弾ではない。対象を短時間で無効化するための電磁パルスを打ち出し、当たった相手は今のように神経が麻痺して動けなくなる。最適な射程距離はおよそ10メートル、最大で30メートルまで狙えるけれど、それ以降はパルスの減衰によって実用は難しかった。

 そして先ほどのように至近距離にも対応しており、さながらスタンガンのような使い方もできる。片手での発射とモード切替も簡単で、こうして無力化した後は拘束モードに切り替えナノケーブルにて縛っておく必要があった。

「フロレンス、無理はしないで。拘束も私がするから」

「…馬鹿にしないで。私だってエージェントであなたの相棒よ、仕事はこなす」

 絵里花は倒れた相手を見下ろしつつも、その銃口には若干の迷いと震えがあった。私たちの銃では相手を殺害することは難しく、通常モードであれ拘束モードであれ、命を奪う心配もない。

 けれども絵里花はエージェントの仕事においてはこうして迷いを見せることが多く、きっとそれが『研究所』の連中からすれば好ましくないのだろう。

 だけど、私は。そんな絵里花を無能だと嘲ることも、役立たずな相棒だと苛立つこともなかった。

(…絵里花は、こんな仕事をさせていい人じゃない。この子は優しすぎるから、やっぱり私が一人でこなせばいいんだ)

 絵里花も私も研究に巻き込まれた結果、こうして望まぬ任務に赴くことになって。それでも私は割り切ることができている。

 けれどそれを絵里花にも要求するのはなんだか違う気がして、拘束モードに切り替えて相手を縛り上げようとした刹那、絵里花はリフレクターガンを放った。

 特殊なナノケーブルは相手に巻き付くとすぐに硬化し、これで数時間は切断が困難な状態となる。無論電磁パルスによる麻痺も残っていて、まもなく到着する回収班が淡々と運んでいくのだろう。

 その先にある結末を、私は知らない。興味もなかった。

(…でも、絵里花はそれに対して心を痛めている。こいつは消えてもいい奴なのに、絵里花はそうは思えない…)

 拘束を終えた絵里花の横顔に、達成感は一切なかった。

 そこにあったのは、見えない未来を憂う少女の瞳。エージェントである私たちにも知らないことはたくさんあって、それを知ろうとすること、そして知ってから背負うことの意味なんて…ないのにな。

 絵里花は…極端なまでに、人を傷つけるのが嫌いだった。物理的にも精神的にも誰かが傷つくのがいやで、いくらエージェントとしての訓練を受けたとはいえ、どうしてこの子にこんな運命…あるいは因果を背負わされないといけないのだろうか?

 すると私にはこの作られた因果律に対する苛立ちが一瞬だけ浮かび、でもそのおかげで絵里花といられることを思い出し、やっぱりすぐに割り切った。

「フロレンス、これからは私のバックアップに徹してくれていいから。私がミスったときだけ代わりに撃ってもらって、それ以外のときは全部私がやるから大丈夫だよ」

「…何度も言わせないで! 私は!」

 やっぱり裏の任務については、これからは私が全部背負おう。そうすれば絵里花は少しだけ気楽になって、その分だけ表の任務を頑張ってもらって、そんな中で少しでも笑ってくれるようになったら…なんて思っていたのに。

 私の気遣いに絵里花は顔を上げ、そして少し大きな声を出す。それは騒ぎを引き起こすほどのものではなかったにせよ、作戦行動中のエージェントとしては決して好ましくはなく、絵里花もそれに気づいてはっとし、声のボリュームは落ちたものの少しだけ睨むようにしながら私へ言葉を吐き出した。

「…私は、ベイグルの相棒よ。あなたに全部を押しつけても一緒にいるだなんて、そんなのは許されない。たとえあなたみたいに強くなかったとしても、私だって…戦うわ。でないと、ここにいる意味、ないから」

「…ごめんね、余計なことを言った…行こうか」

「…ええ」

 私たちはCMCで、エージェントで、因果律によって選ばれたパートナーでもある。

 だから私はパートナーとして絵里花を支えたいし、エージェントの仕事すべてを負担したとしても絶対に迷惑とは思わないけど。

 絵里花には絵里花の考えがあって、責任感があって、それは自分の優しさを犠牲にしてでもやらないと気が済まないんだろう。

 私は小さな頃から絵里花とずっと一緒にいて、彼女のことを誰よりもわかっているなんてうぬぼれがあったけど、どうやらまだまだ『恋人』としては未熟らしい。でなければ、こうして大切な人を怒らせるような失態は犯さないだろうから。

(…はぁ。エージェントの仕事を失敗したときよりも、なんか気が重いな…)

 絵里花と仲良くすることと、エージェントとして任務を達成すること。私にとってどちらが重いのかなんて、決まっていた。

 これからも一緒にいる相棒の気持ちをくみ取れなくて、そのせいで空気が重くなって、万が一のことがあれば…どうしよう?

 そんな悩みを解消する前に回収班が到着し、私たちは最低限の意思疎通をしてから公園を後にした。アセロラからは『事後処理は任せてくれていいですから、二人は帰ってゆっくりしてくださいね』なんて無線が届き、その柔らかで気遣わしげな声音は逆に私を惨めにする。

(…美咲さんと『結衣さん』なら、もうちょっと上手くやれるのかな…)

 あの軽薄でありながらも器用でしなやかに生きる美咲さんと、その恋人のやりとりを思い出す。それはまた私の敗北感を促して、これ以上はなにも考えずに帰途についた。

 家に戻るまでの私と絵里花には一切の会話もなく、手もつなぐことはできなかった。すっかり絵里花の体温に慣れていた左手は、冬でもないのにとても冷たく感じた。

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