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第2話「監視役と二人の仕事」

 絵里花と仲良く昼食を終え、午後の授業も問題なくこなし、教室内にいる学生たちの多くは解放感に顔を緩めていた。ここは勉強熱心で品行方正な生徒が多いけれど、それでも放課後特有の空気は──私たちを除いて──心を弾ませるのに十分な力を持っていた。

「ねえねえ、三浦さんと辺見さんも一緒に本屋行かない? 今日、桐生先生の新刊が出てるんだよ!」

「桐生先生の因果律をテーマにしたラブロマンス、すごくいいんだよね~」

 そしてさほど心を弾ませていない私たちは『任務』を済ませるべく席から立ち上がろうとしたら、クラスメイトの女子二人がにこやかに話しかけてくる。どちらも私たちだけでなく因果律に対しても好意的で、本が好きな…無害な生徒だった。

 ちなみに二人が口にした桐生というのは『桐生流沙』という名前の女性作家で、私もいくつかの作品を読んだことがある。この作家も因果律に従ってパートナーに恵まれた結果、小説家として大成したという背景があった。

 なので私たちが読んでも問題はなく、クラスメイトとの良好な関係の構築も仕事の一環と言えなくはないんだけど。

「ごめんね、私も読んでみたいんだけど…今日はちょっと絵里花と行くところがあって。誘ってくれてありがとう」

「あっ、そっかぁ…じゃあ、三浦さんも読んだら感想を聞かせてね!」

「いいなぁ、因果の相手と放課後デート…それじゃあね」

「…デートなんていいもんじゃないけど」

 なるべく申し訳なさそうな表情を作って…いや、一応本当に申し訳ないとは思っているけど。それでも今はそういう態度が一番いいと考えてやんわりと断る。すると相手もすんなりと受け入れてくれて、やっぱりこの学校の生徒は概ね対応しやすいなと感じた。

 絵里花はこういう場合はあんまり話さないけど、デートと言われた際には顔を赤くし、そして二人には聞こえないような小さな声でぼやく。私はそれに対して「そうだね」とだけ返し、だけど笑顔で隣の席に座る絵里花に手を差し伸べ、すると彼女は見世物になることを受け入れたかのように握ってくれた。

 もちろん、顔は赤くなる。絵里花はこの自分の反応に対して快くは思っていないのだろうけど、実は私は…照れる絵里花も好きだったりする。

 研究所にいた頃から絵里花は照れ屋で、それは成長してもほとんど変わっていない。そしてちょっとしたことで顔を赤らめる様子は彼女が一切汚れていないことが伝わってくるようで、そんな子のパートナーになれた私はきっと幸せなのだろう。

 作り物の関係であったとしても、幸せを感じられるのならそれでいい。私は絵里花の手を握ったまま、呼び出された場所へとゆっくり歩いて行った。


 *


 私たちの目的地…『Cafe Mooncorde』は通学路の途中にある。住宅街の一角に佇んでおり、木目調の看板に手書き風で店名が書かれている、いかにもな感じの隠れ家風カフェだ。店前にある少量の植栽もまたそれらしい雰囲気を強化していて、全体的に目に優しい。

「いらっしゃいませ…おや、大石さんはまだなのでカウンター席へどうぞ」

「ありがとうございます、店長」

 ドアを開くとモダンで穏やかな照明に包まれた内装が飛び込んできて、その雰囲気にぴったりな店長…50代の男性がにこやかに私たちを席に案内してくれる。テーブル席には近くに住んでいると思わしき老夫婦や同じ制服を着た学生たちもいて、まばらとはいえ客入りは悪くなかった。

 腰を下ろしたカウンター席の横には二回へ続く木製の階段があり、その前には『二階席は予約専用です』と書かれた看板が設置されている。さらに看板には『本日は満席です』とも付け加えられていた。

「美咲さん、ちょっと遅れるのかな…ねえ、一緒に何か頼んで写真を撮ろう。SNSに投稿したいし」

「…ベ、別にいいでしょう? 今日は、その、デートじゃないし…」

「まあそうなんだけど…SNSへの投稿だって大事でしょう? ほら、クラスメイトもフォローしてくれているし」

「…はぁ…じゃあ、生クリームが載ったイチゴセーキでいいんじゃない? チョコソースも追加すれば見栄えも良くなるでしょ…もちろん美咲持ちで」

「ふふ、そうだね…すみません、それでお願いします」

「かしこまりました」

 私たちの仲良しムーブについては現実世界だけでなく、インターネット上でもアピールする必要がある。とくに今使っている短文投稿SNSは『因果律カップル認証』もあるから、その認証バッジに恥じない活動が必要だった。

 そうなると『カフェデート中におしゃれな飲み物と一緒に自撮りをする様子』というのはなんともわかりやすく、またクラスメイトをはじめとしてフォロワーからのいいねやコメントが期待できるだろう。

 …正直なところ、私には「他人のいちゃついている様子ってそんなに面白いのかな?」という疑問があるのだけど。

 ともかくそのオーダーにも店長は快く応対してくれて、慣れた様子でイチゴセーキを作り、あっという間に出してくれた…一つのドリンクに二つのハートマークを描くストローを差して。

「うん、生クリームの存在感をチョコソースが際立てていて、イチゴセーキのピンクも可愛らしい…よし、それじゃあ一緒に撮ろうか」

「ストローに対してツッコミはないわけ?…はぁ、なんでこんなこと…」

 携帯端末のインカメラを起動し、私は片手でカメラを操作しつつ、もう片手は絵里花の肩に回す。もちろんイチゴセーキも一緒に収まるように、位置調整は慎重に行う。

 絵里花は乗り気じゃなかったけれど、撮影直前になるとぎこちない──けれど可愛い──笑顔を浮かべてくれて、なんとか『恋人たちの幸せそうなカフェデートの一幕』になった。

 仕上がりを確認し、SNSにアップロード…あ、もういいねが付いた。

「絵里花、見て見て…もう反応してくれる人がいたよ。せっかくだし、一緒にストローで飲んでいる様子も撮影しておこうか」

「もう勘弁して…なんであなたはそこまでできるのよ…」

「すみません、遅れました…あっ、おいしそうなの飲んでますね」

 承認欲求のためにSNSをしているわけじゃないけれど、肯定的な反応があればわずかながら達成感があるのも事実で、その勢いに任せて別のタイミングで使えそうな写真も撮ろうとした。

 でも、イチゴセーキよりも濃いピンク色に頬を染めた絵里花を見ていると強引に肩を抱き寄せることもできなくて、さてこの状態からどうやって口説き落とそうか…と考えていたら、聞き慣れた声が私たちに向けられる。

「美咲さん、お疲れ様です」

「お待ちしてました、大石さん。このイチゴセーキの代金は大石さんもちなので、後で伝票を確認してくださいね」

「…え? あの、聞いてないのですが…」

「言ってないからね。社会人が学生を呼びつけたのだから、こういうときくらい払いなさいよ」

「売れない作曲家になんてことを…うう、今月も塩パスタが友達でしょうか…」

 その穏やかな声音の持ち主…大石美咲さんが私たちをここに呼び出した人で、本人も言っていたように仕事は──建前は──作曲家だ。ただしそれ一本で食べていけるほどではないようで、店長に笑顔で支払いを要求されたらよよよと実にわざとらしくうなだれ、それでも優雅な動きで伝票を手に取った。

 アクアブルーの髪は私よりもちょっと長いロングヘアで、所々跳ねているくせっ毛ということもあり、滝を思わせるボリュームがあった。ホワイトパープルの瞳は夏の夕方みたいな強さとしなやかさを備えた輝きがあり、理不尽な支払いの押しつけにも一切揺らいでいない。

 …でも、そんな人に塩パスタ生活を強いるのも微妙に心苦しいので、今度お気に入りのパンを差し入れしようと密かに誓った。

「さて…新曲の相談をしたいから、席を移動しましょうか。店長、『予約席』を使わせてもらいますね。それといつものブレンドを三人分お願いします」

「かしこまりました。予約席は2番をお使いください」

 伝票を持った美咲さんは慣れた様子で予約席…二階に向かおうとしていて、私たちも当然のようにそれに続く。店長も事前に予約を受けていたかのように笑顔で返答し、私と絵里花も会釈をして階段を上った。


 *


 階段を上りきると廊下があり、正面に『STAFF ONLY』の看板が掲げられたドアが、左手には『予約席』の看板がはめ込まれたドアがある。もちろん私たちは予約席…ではなくて、STAFF ONLYのほうへ移動した。

 縦型のドアノブには指紋認証が施されており、そこに美咲さんが親指を乗せるとロックが解除される。そして音を立てず素早く入室すると私たちも念のため後ろを確認してから入り、小さく息を吐いてから部屋を見渡した。

 そこは一階と同じくリラックスを促すカフェらしい内装…ではあるけれど、木目の壁はフェイクでありドアも含めて厳重な防音が施されている。無論窓の類いもなく、私たちのような『エージェント』しか入れないこともあり、盗聴の心配は一切なかった。

 ただ、店長のこだわりなのか設置されている長方形のカフェテーブルは明るい色味の六人掛けでも余裕のあるサイズで、椅子もふかふかの赤いシングルソファだ。エージェントの仕事で使う部屋でありながらも、カフェとしての機能もしっかりと満たしていた。

「『アセロラ』、今回の仕事はどんなの?」

「まあまあ、まずは一息つきましょう『ベイグル』さん。それに私は『監視役』ですから、表の仕事の成果報告からお願います…そのほうが和みますし」

「こっちは全然和まないわよ…ったく、見世物にさせられている身にもなりなさい」

「とか言って、SNSでは幸せそうに見えるんですけどねぇ『フロレンス』さん? さっきの写真、思わずいいねしちゃいましたよ」

「いきなり反応したのはあんたか!」

 席について早々、私は表情を引き締めて美咲さんをコードネーム…アセロラと呼ぶ。私たちエージェントは仕事の際はこうしてコードネームで呼ぶのが習慣になっていて、私の場合はそれに伴って若干話し方も変えていた。

 仕事でのことを話す場合、敬語よりもこっちのほうが無駄がなくて早い。

 ちなみに私のコードネームはベイグル、絵里花はフロレンス、美咲さんはアセロラだ。いくつかの候補から自分で選んだ結果、それぞれの個性が出ているような気がしなくもない。

「うん、まあ…表の仕事は順調だと思うよ。私たちを見て因果律の有効性に理解を示す人が多いし、クラスメイトには因果に反発しようとしている不穏分子もいないっぽいし」

「そうでしょうね。学生というのはとくに多感な時期ですから周囲に反抗したくなる反面、ポジティブな存在がいればそれに感化されるものですから」

「…ねえ、これっていつまで続ければいいの? 入学からずっと続けているし、もうそろそろ見せつけなくても周囲もわかっているだろうし…その、べ、ベイグルと一緒にいるのがいやとかじゃなくて…」

「少なくとも、学生のうちは頑張ってもらわないとですねぇ。因果律で結ばれた相性抜群のカップルが急にいちゃつかなくなる、そんな様子を見られると有効性に疑問を持たれかねないので…フロレンスさんはもっと二人きりのときみたいに、ベイグルさんが大好きって気持ちを表に出していいんですよ?」

「そ、そんなのじゃないから!…あっ、ち、ちがっ、ベイグルのことは恋人で、その、す、好き…だけど、ええと、二人きりのときだってそんなに違わないって言うか!」

「アセロラ、あんまりフロレンスをからかわないで…大丈夫、私はちゃんとわかってるからね」

 表の仕事…私たちの関係を見せつけるものについては、まあ順調だろう。これは監視役である美咲さんも人知れず定期的に確認しているだろうし、こうして報告も受けているし、その辺はわかっているはずだ。

 それでも確認してくるのは…多分、絵里花にからかい甲斐があるからだろう。いつまで経っても初々しい絵里花は美咲さんの言葉にいちいち敏感に反応するものだから、それを見ていると面白いという気持ちはわかる。

 …今が仕事の話じゃないのなら、私だって絵里花の可愛いところを語ってみたい気もする。でも仕事である以上、必要なことをかいつまんで伝えるのが重要だった。研究所にいた頃にもそう教わったはずだし。

 だから私は美咲さんをいさめつつ、微笑んで絵里花の本音をくみ取り、なんとか会話の軌道修正を試みる。するとそのタイミングで店長がエージェント専用のブレンドコーヒーを三人分持ってきて、お茶菓子──今日はチェッカークッキーだ──と一緒にテーブルに置いたらこれまたエージェントらしく音もなく退室していった。

 私たちはクッキーとコーヒーを口に含み、それをきっかけにして本日の任務について話し始める。

「さて、今回のお仕事ですが…因果律関連の殺し屋についてですね。ターゲットはダークウェブで活動しており、因果律によって選ばれた相手とどうしても結ばれたくない人から依頼を受けて、それでその相手を暗殺をするのですが…今回、私たちの張った罠に引っかかって近くの公園に出向くことになりました」

「…少しお粗末だね。もっと早く確保されていそうなレベルで」

「ええ、おっしゃるとおり。なので、諜報員からの報告によると『世界自由連合』に踊らされた鉄砲玉の衝動的な反抗とみています」

「…はっ。相変わらず、革命野郎はヒーロー気取りの犯罪者ばっかりね」

 上品な口調を崩さない美咲さんとは対照的に、絵里花は不快感を隠さない様子で罵倒する。私はその報告内容から若干のきな臭さを感じつつも、内心では恋人の汚い言葉に賛同していた。

 過剰とも言える民主主義を国内外から押しつけられている日本では、今も昔も『反体制を隠さない過激な政党』が存在を許されている。世界自由連合はその急先鋒であり、私たちエージェントだけでなく警察からもマークされているほど危険な思想を持ちながら、現在も政党要件を満たしてはいた。

 もっとも、政党として存在しているからといって、日本のために働くとは限らない。世界自由連合はそのきれいな名前とは裏腹に日本をよく思わない諸外国と結託しており、国内外の犯罪者や活動家を支援して…今も日本を発展させ続ける因果律システムの破壊をもくろんでいた。

 その主な方法は国会にて『因果律は国民の自由を奪う非民主主義的システムだ』という主張を続けることで、それ以外の活動をろくにしないことから、支持者自体は少ない。ただし支持を続ける岩盤層は先鋭化が進んで声が大きいため、完全に政治から駆逐されることもなかった。

「鉄砲玉がなにかしたとしても政党とは無関係ですし、海外勢力とのつながりもなかなか表には出ず、警察は報復を恐れて自分に被害が出ない限りは取り締まらない…なので、今回も我々が一仕事することになりました」

「わかった。場所と時刻、それとターゲットの情報について教えて…目的は『捕縛』だよね?」

「ええ、当然です。万が一『そういうの』が必要な場合、私やほかのエージェントが担当するので…無論、今日も私がバックアップします」

「任務了解…フロレンス、大丈夫?」

「…私だってエージェントよ。やるからにはきっちりやる、それが命令だもの」

 日本は民主主義国家だ。だから危険な思想を持っていても実行に移さない限りは排除されず、そうした穴をついて意図的に悪行を働く人間もいる。

 かつてはそれを野放しにしていた結果、この国は低迷して。そして因果律を発見し、人間の『出会い』を管理して発展を再開した中で…因果の邪魔をする人間の掃除を始めた。

 大多数の人は、そんな裏側を知らない。知らせる必要もないし、知らないほうが間違いなく幸せなことだろうから。

 私たちは、生まれ持った因果に従うことで最も幸せな人生を歩める。幸福に恵まれた人生はその人によい影響を与えて、社会的な成功につながることも数え切れないほどあって。

 それを阻む人間を排除することも、きっと民主主義を守る一環なのだろう──。

 だから私は割り切っている。正義の味方は気取らないけど、少なくとも恋人が唾棄する革命野郎よりかは多くの人を救っているだろうから。

 でも、フロレンス…絵里花は。優しすぎる私の恋人は。

 いつまで、こんなことに耐えられるのだろうか?

 そんな私情を隠しきれずに尋ねてみたら、目を伏せながらもしっかりとした声で強がってくれた。

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