沈黙の鳥籠、の範囲にどこまでを含めるのかは発動者次第である。一部屋分だけ、道路の周辺だけを覆っても良し。建物一つ丸ごと覆っても良し。正確には覆う、というのは語弊があるが、イメージは大体間違っていない。囲った特定の範囲の空間を反転させて、現実世界から切り離すのだから。
一般人を巻き込まないために有用な鳥籠だが、当然デメリットはある。一つが時間制限があることと、発動者によって囲える範囲には限界があること(本人の力量以上に、柔軟な認識ができるかどうかが大きい)。
そしてもう一つは――鳥籠は、物語の転生者には認識することが可能であるということ。発動するということはつまり、発動させた物語がそこにいることを意味している。遠方から察知できる能力者に、ここに転生者がいますよと教えてしまっているようなものなのだ。
――多用は禁物とわかっていたけど……もう嗅ぎ付けられたか。
ギリ、と莉緒は唇を噛み締める。今回は、莉緒が建物全体を覆う形で鳥籠を発生させていた。瑠依の能力の高さを鑑みて、狭い範囲の反転では正しい訓練ができないかもしれないと踏んだからだ。が、結果としてそれが判断ミスであったらしい。
大きく鳥籠を作りすぎた結果、招かれざる客を呼んでしまったようだ。――今莉緒は瑠依、リーナと共に、天井にあいた大穴を睨んでいる最中である。
「おっやぁ?意外や意外。ピーターパンだけかと思ってたら、他に二人も客さんがいたみてぇだなぁ?」
ドシン!と重量感溢れる音を立てて地下室に舞い降りたのは、巨大な斧を携えた大男。莉緒もかつて一度合間見えたことのある相手――金太郎だった。金、の文字がついた前掛けをした彼は、小柄な莉緒からすると見上げるほどの背丈がある。少なくとも2メートルを越えているのは間違いあるまい。
相性の悪い相手だと、前回の戦いで見抜かれていたのだろう。魔王軍は再び彼を差し向けて、今度こそ自分の首を取りに来たということらしかった。
「桃太郎に、そっちは七匹の子山羊のお母さん山羊かねえ?へえ、いい物語揃ってんじゃねーか。もったいねーよ、こんなところで腐らせておくのはよ。魔王様に是非とも献上したいもんだよなぁ?あたしの下僕として使ってやってもいいぜぇ?」
「下僕だなんて……お下品ですわ」
そして、刺客はもう一人。天井の穴からこちらを見下ろしている、白いドレスを来た金髪の少女の姿がある。薔薇色の頬に唇、童話通りの美しさを誇る少女ではあるが――その目の奥には残酷な光がチラついている。
物語の名は、白雪姫。グリム童話の大御所と呼べる存在であり、魔王軍の幹部でもある女だ。――まあ話し方から察するに、金太郎の中身も女である可能性が高いわけだが。
「わたくし、可愛い子は嫌いではありませんのよ」
下品な物言いが目立つ金太郎と対比して、地下室に飛び降りる仕草もどこか上品な白雪姫。ひらり、と雪の結晶を散りばめたような純白のスカートが広がった。にっこりと天使のように微笑みながら言う、白雪姫。
「ピーターパンさん。本当に可愛らしいお子さんだと常々伺ってましたけど、まさにその通りでしたわね。綺麗なお顔立ちは元からかしら……写真一目見て、わたくしファンになってしまいましたのよ」
「ふーん、それで?」
「ずっとわたくしの手元に置いておきたいですわ。きちんと薬を使って、全身の自由と意思を奪って……永遠にわたくしだけの最高のお人形として、そばに置いて差し上げます。うふふ、美しいわたくしと未来永劫一緒にいられるなんて、嬉しいでしょう?」
これだよ、と莉緒はうんざりする。隣でうわぁ、と瑠依が露骨にドン引くのがわかった。魔王に洗脳されて手下になった物語の転生者は――恐らく元々の願望が強化されるのか、非常に過激な思想の持ち主に変わる傾向にある。それが前世の願望か、現世の願望かはその時によりけりであるようだが。
「そのお誘いは、前回に会った時に断ったと思うけど?」
莉緒は呆れ果てて告げる。
「それなのにまた誘うの?しつこい女は嫌われるよ?」
「だって、前回はちゃんとお返事が聞けたわけではありませんでしたもの」
「は?」
「世界で一番美しい、このわたくしの誘いを断る者がいるはずがありませんでしてよ。だから、前回のはきっと何かの聞き間違いだと思ったんですわ。わたかしがあんまり美しいから、気後れしてしまってついついイエスと言えなかった。そうでしょう?」
「うげ……」
駄目だこりゃ、話が通じない。ストーカー気質だってリアルで言われてない?とツッコミかけてギリギリで思い止まった。こういう相手には、正論で何をどう叫んだところで全くの無意味なのである。
大体その、いつの時代だかどこの悪役令嬢だかもわからぬ謎のしゃべり方は一体なんなのか。シンデレラ固有の人格などはないはずだから、あれは“中身”そのままのしゃべり方であるはずである。シンデレラっぽく演じてるつもりなのか、あるいは素なのか。色々ズレすぎていて鳥肌が立ちそうなのだけど。
そして、鳥肌と言えばもう一つ。
「白雪姫サマの趣味はわっかんねぇなあー」
耳の穴をほじりながら、金太郎が告げる。
「ピーターパンの翻意は明白だろ?殺してもいいってもうボスからは命令来てんじゃねーか。それを手間暇かけて生け捕りにしようってのかよ」
「ええ、むしろ陛下が“殺してもいい”と仰る相手なのよ?わたくしが好きなようにしても問題ないということでしょう?殺さなくても無力化すれば、わたくし達の……陛下の目的とは何ら違えないはずよ」
「それならさぁ、あたしに遊ばせてくれよ先に!狩りがしたくてウズウズしてたんだ。適当に腸引き抜いて遊んだら、ちゃんとお前に返すからさあ」
「駄目よ、そんなことをしたら死んでしまうじゃない。他の二人は好きにしてもいいけれど、ピーターパンはわたくしのものよ。立場を弁えなさいな、金太郎」
「ちぇっ」
こっちもこっちで、マトモのマの字もないらしい。莉緒は頭が痛くなる。魔王の手下には、リアルでこんな連中しかいないのだろうか。いや、だからこそ自分達は全力で魔王に抗わなければいけないわけではあるのだけれど。
ただ、やはりと言うべきか、一緒に組むことこそ多いものの二人の立場は対等ではないらしい。流石に血の気の多い金太郎も、ボスに次ぐ立場である白雪姫の言葉は多少なりに耳を貸すようだ。彼らの間には、明白な上下関係があると見える。
――豪腕、怪力が自慢の金太郎。あらゆる毒物のエキスパートである白雪姫。……どっちも厄介だけどこの前提は使えるか?
白雪姫は、自分を生け捕りにしたがっている。ならば、彼女が良しと言わない限り、自分が金太郎の標的にされる可能性は低いのだろう。まあ、きっと死んだ方がマシという目に遭わされるのは間違いないが。
「不意打ちを完全に捨ててきたってことは、俺達三人を相手に真正面から堂々と勝てると思ってる……ってことッスかね?」
おぞましい会話に顔をひきつらせる瑠依。そうだろうね、と莉緒は頷く。その後ろに黙って控えるリーナ――戦いが始まると彼女は寡黙になることが多い。実際、サポートタイプの能力者ということもあるのだろうが。
「すっかりナメ腐ってくれちゃってるわけだ。……痛い目見て貰うしかないな」
「やってみろや、ガキども」
がしゃん、と金太郎が大斧を構えてニタリと笑う。
「どっちが狩られる獲物か……思い知らせてやるよぉ!“
次の瞬間、床に叩きつけられる斧。一気にひび割れる地下室の床。破片と余波が嵐のように巻き上がり、自分達に襲いかかってくる。やはり、相当短気であるようだ。
だが。
――その程度なら、俺には当たらないっ!
ピーターパンの機動力は、すべての物語の中でも随一である。初速の時点で最高速に近いスピードが出せるのも特徴だ。魔法の力で飛び上がってしまえば、余波を避けることなど造作もない。そして、桃太郎の方を守ったのは――素早く異説転装したリーナだ。
「“
真っ白なモコモコの壁が聳え立ち、リーナと桃太郎をカバーする。ファンシーな技に見えるが、あれは実質ダイヤモンドさえも凌駕する鉄壁の守りだ。あらゆる衝撃を、あのもこもこの壁で吸収してしまうのだから。
「なんだよ草食動物ぅ!狩らせろよぉ!」
不満そうに唇を尖らせる金太郎。
「草食動物ってのは、本来人間サマに狩られるために存在してるんだって忘れてね?お前らは人間のゴハンになるために生まれて生きてんの、それを忘れてもらっちゃ困るっつーか!まああたしにとっては、その人間も獲物って意味じゃ変わらねーんだけどな。あたしら物語の転生者こそ、人類の上位互換ってやつ?新たな支配者になるべきなんだってどーしてわからないかねえ」
「それが、貴方が望む世界だって言うの?」
「そーともさ!魔王サマに従ってりゃ、あたしらはもう誰にも支配されねえ!自分の力を自分の好きなだけ使うことができる、好きなように生きられる!覚醒する前からのあたしの望みが、今度こそ本当に現実になるってんだ!サイコーだろ!?こんな素敵な世界を拒むお前らってマジ意味わかんねーぜ!」
破壊衝動の権化は、歪んだ思想を嬉々として語る。残念ながらと言うべきか当然と言うべきか、リーナは冷たい眼差しを向けるばかりで会話をする気などほぼほぼないようであったが。
狂人の言葉だ、耳を貸す価値などない――そう切り捨てる意思も時には大事ということだ。彼らは皆、理性という名のストッパーを外された獣に他ならないのだから。
「余所見だなんて悲しいわ」
とりあえず、金太郎はリーナと瑠依に任せるとして、自分は。
「ピーターパンさんは、わたくしと遊んでくださるんでしょう?」
微笑む白雪姫。自分はこのイカレ女を退治しなければならないらしい。
幹部相手にサシとは、正直気が重いことこの上ないけれど。