「“
意識を集中して、指を鳴らす。瞬間、雑踏から音がなくなり、人波がまるで空間に溶けるように消えていく。
反転。
自分達だけの鳥籠の、完成だ。
「や、やった……できたあ!」
「なんとかなりましたね」
「うん、うん。良かった、私にもできたぞお!」
凛音は年甲斐もなくはしゃいでしまう。瑠衣がピーターパンに誘拐されてから一週間。ひたすら鳥籠を使って能力を磨く、訓練するを繰り返していた凛音である。涼貴に教えてはもらったものの、物語の能力を使いこなしての戦いはそう簡単なものではない。特に凛音の場合は、身体能力が最初からそれなりであったため攻撃を避ける、構えるなどの動作には問題がなかったものの――能力をコントロールする、使いこなすということには極めて不器用であったのである。
それもそのはず、今日まで普通のOLとして生きてきた凛音である。そうそう簡単に異能力を使いこなすことなど出来るはずもない。RPGで言うなら、その日まで村人として生きてきた人間がいきなり魔法使いになるようなものなのだから仕方ないだろう。幸い、本人が言っていたように涼貴は“魔法・補助型”の物語であった。能力を制御したりサポートすることにかけては極めて得意であったと言える。彼の丁寧な指導のおかげで、凛音は今ようやく最後の関門――自力で鳥籠を作るところまで漕ぎ着けたのだった。
「これで、敵が周囲の破壊を構わないタイプであったとしても、自力で他の人たちを守ることができますね」
涼貴が心底安堵したように告げた。今日も今日とて駅前広場で特訓中である。成果がはっきり見えるというのが最大の理由だ。守るべき群衆の存在を身近に感じた方が効果が発揮できるだろう、という涼貴の狙いもあったようだが。
「どれほど特殊能力を持っていても、戦闘能力が高くても、一般人を巻き込みかねない状況では派手な戦いなどできませんから。鳥籠を作れるようになるのは、身を守るための必須条件ではあるのですよ。ピーターパンのように、向こうが鳥籠をしてくれるような相手ばかりではありませんからね」
「そうだな。その魔王とやらは……世界を滅茶苦茶にしたがってるってことのようだし。そう考えると、襲ってきた時に鳥籠を作ってくれる可能性は低そうだ」
「ええ。実際僕が初めて襲撃された時も、向こうは周囲の被害なんかかまってはくれませんでしたからね。たまたま、あまり人気がない場所での襲撃だったので助かりましたけど」
そういえば、涼貴がどういう経緯で能力に目覚めたのか、とか。彼が何故魔王の存在を知ったのか、ということは未だに聞いていない。同時に、目的が同じはずのピーターパンと協力関係にないのか、など。
こうなった以上、一刻も早く瑠衣の無事を確認したい気持ちはある。だが、彼の無事を確かめるためにはピーターパンと接触せねばならず、場合によっては彼と揉める可能性も十分あるわけで。そうなった時のためには、多少なりに凛音ひとりでも戦えるようになっている必要があった。――瑠衣を助けに行くためにすぐに行動しよう、と言い出さなかったのはそのためである。
まだまだ未熟には違いないだろうが。少なくともこれで、自分の身を自分で守れるくらいにはなれたはずだ――多分。ならば、そろそろ色々と伏せている情報を教えてくれてもいい頃である。
魔王という存在について、正直現状ではなかなかピンと来ている状況ではないけれど。目の前でこう不思議な能力を目の当たりにしてしまっては、既に信じる信じないの議論をしている場合ではないことくらいはわかっているつもりだ。己に出来ることを精一杯やる、誰かを助ける為に全力を尽くす。そのためには――知るべきことは、知らねばなるまい。
「色々とさ。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかな」
駅前広場の犬の銅像の前、ベンチに座って涼貴に尋ねる。
「大体、私が何を疑問に思ってるのか、くらいは。君なら想像がついていそうな気がするけど。その襲われた時、覚醒した時の状況もそうだし……なんでピーターパンと協力しないのかってこともそうだし。ピーターパンがかなり面倒くさい性格だーってのは既に聞いた話ではあるけどさ」
「……そうですね。そのへんのことも、そろそろお話してもいいかもしれません。貴方も、覚悟は決まったようですし」
「覚悟ねえ」
決まった、なんて偉そうなことが言えるだろうか。凛音は苦笑する。
「そりゃ、まだ全部信じられたわけじゃないけどさ。……それでも、自分の前世って奴はがっつり思い出しちゃったし。不思議な力ってのも使えるようになっちゃったし。実際、魔法少女に変身する男子高校生なんてものも見ちゃったわけですし?」
それを言うと涼貴はわかりやすく頬を染めて、できれば忘れておいて欲しいんですけど、とぼそっと呟いた。やはり多感な年頃の少年が、まるで魔法少女のようなミニスカのお姫様に変身するのは――その、正直キツいものがあるようだ。全くの別人になれるのならまだいいものの、完全に本人の顔立ちや体格の面影が残るから尚更である。しかも、無駄に巨乳と来ている。思うところがあるのは仕方あるまい。
あまりそれをツッコむのも意地悪だが、たまにこのネタでからかってやるのも楽しそうだ、なんてことを考える凛音である。彼には感謝しているが、いきなり巻き込まれたという感覚も拭えないわけで。多少の意趣返しくらいは許されることだろう。
「目に見えるものが事実だと理解したなら、もう腹括って受け入れるしかないだろ。私にしかできないってなら尚更だ。私は加賀美君を助けたいし……それ以外の大切な人や、普通の人たちのことも助けられる自分でいたい。私みたいな飽きっぽくてなんの取り柄もない女にもそれができるって言われたらさ、そりゃ多少ね?燃えちゃうだろ?」
まだ本当に怖いものを見ていないから、なのかもしれないけれど。
今凛音は、仕事が休みの日や空き時間を使って――少しでも多く特訓して、力を身につけたいとは思っている。自分よりずっと年下の男の子が、こんな細い体で一生懸命戦っているとわかっていれば尚更だ。
「まだまだ未熟かもしれないけど。頑張るよ、私。……君のお荷物にならないように……それどころか、君を守れるくらいになってみせるさ」
「大きく出ましたね。僕より強くなれると?」
「ふん、やってみなけりゃわからんだろ!少なくとも拳の喧嘩なら私が勝つ自信あるし」
「全く、野蛮なんですから」
まるで非難するような言葉ではあったが、口調はどこか優しい。少しずつ、彼との間にあった見えない壁も取り払われつつあるように思う。――涼貴が今までどんな人生を送ってここに至るのかはわからないけれど。自分はまだ、彼のことなど何も知らないけれど。
少しでも、彼が心を開いてくれるようになっていたのなら、それはとても嬉しいと思う。友達でも親戚でも恋人でもない、なんとも不思議な関係ではあるが。
「……僕も、目覚めたのはそう昔のことではありません。むしろ、ほんの半年くらい前のことです」
やがて、何かを思い出すように――涼貴が口を開く。
「思えばあれも運命と呼ぶべきものだったのでしょうか。……偶然、他の物語が魔王の手下に襲撃されている現場に遭遇してしまったんですよ。その時、その人物は鳥籠を発動させたのですけど……タイミングが悪かったんでしょうね。僕も巻き込まれてしまいまして」
「ああ、標的に接触してると巻き込まれやすいんだっけ」
「それもありますし、鳥籠がそもそも“物語”相手には効果が薄いんです。空間を反転させていても、物語にはそれが察知できる力がある。時間制限が切れるか術者が解かない限り、内側から脱出するのは困難ですが……外側からなら、物語の力があればさほど難しくなく侵入できますしね。同時に直接接触していなくても、近距離に物語がいると巻き込み事故は起き易いのだそうですよ。物語同士が引き寄せ合う性質もあるんでしょうけど」
それは初めて聞いた。凛音は目を丸くする。とすると、場合によっては“鳥籠に侵入できる相手”や“鳥籠に巻き込まれた相手”は未確認の物語である可能性が少なからずあるということになるのではなかろうか。よくぞまあ、自分はピーターパンに見逃されたものである。これらの性質を彼が知らなかった可能性もあるが。
「……襲われていたのは、“七匹の子山羊”の“狼”でした。説明を省いていましたが、僕らの物語から転生するのは、主人公だけではないんですよ。僕も貴方も物語の主人公の転生ですが、主人公ではない者も転生している場合があるんです」
七匹の子山羊、と聞いて凛音は眉をひそめる。正直、あまり好きな物語ではなかったからだ。
森の嫌われ者の狼に襲われる子山羊たち。狼はあの手この手を使って山羊たちを騙し、家に侵入して子山羊たちを残らず食べてしまう。そして、子山羊達を食べて満足したところを母山羊に見つかり、お腹を切り裂かれて子山羊達を救出され。最後は石を詰められた上で腹を縫われ、川に落ちて死んでしまうのだ。
まあ、かぐや姫のケースがある。実際の物語は、自分達の世界に伝えられているものとたいぶ異なることが少なくないようだが。
「狼か。……襲われてたってことは、魔王に屈してなかったんだよな」
凛音が告げると、ええ、と涼貴は頷いた。
「僕達物語は……接触することで、相手の物語のあらすじを知ることができます。まあ、その感度があまり高くない人は、触ってもすぐに読み取れなかったりするみたいですし……逆に近づいただけで読み取りできてしまう人もいるようですけど。僕はその人物に触れて、物語の中身を知りました。……僕達には……僕達の前世には、基本的に、なんらかの罪があると言われているその理由も」
「罪……」
「貴女も心当たりがあるのでしょう?……僕もです」
その目には苦い、後悔にも似た色が宿る。そういえばまだ、凛音は涼貴の――シンデレラの物語というものを聞いていない。まだ彼と直接接触していないからなのかもしれないが、よくよく考えると彼の方が接触を拒んでいるような気もする。まるで、知られることを恐れているかのように。
「七匹の子山羊の物語では、狼は悪者ですが。……あの物語もあの物語で、そんな簡単なものではなかったのです。少なくとも僕を助けてくれた“狼”は……とても優しい人でしたよ。赤の他人である僕のために、命を賭けてくれるくらいには」
まさか、と凛音は目を見開く。その瞬間、涼貴は泣き出しそうに顔を歪めた。いつもクールな彼らしからぬ、幼さを露にした顔で。
「命懸けなんですよ、僕等の戦いは。僕はそれを……彼から身をもって教わったんです」