昔々、あるところに大きな大きなお屋敷がありました。
お屋敷は魔女の持ち物であり、とてつもない数の本を収める書庫がありました。そこにある本はすべて、どこかの世界で実際に起きた物語を記す本。魔女の宝物であり、己が集めた数多の物語という名のコレクションを眺めることが、不老不死の魔女の唯一の楽しみでございました。
ある時魔女は、これらの素晴らしい本をひとりで楽しむのが果たして正しいことなのかと、疑問を抱くようになったのでございます。
せっかくのコレクション、誰かに見てもらわなければ意味がないのではないか。
誰かに自慢したい、彼らの素晴らしい物語を誰かに知って欲しい、そしてこの楽しさを共有したい――と。
魔女は自らの魔法の力を使って、あらゆる異世界に物語の“種”をバラ撒きました。
種は夢の欠片となって、物語を紡ぐ力を持つ人々に芽吹きます。
ある者は自ら見た夢を多くの人々に絵本にして語って聞かせました。
ある者はそれらを元に改変を加え、小説として出版しました。
ある者は噂話として尾ひれをつけて広め、ある者は戯曲にして、ある者は絵画にして。
魔女がバラ撒いたいくつもの“異世界で現実に起きた、ヒーローやヒロイン達の物語”は、何人もの手を介して形や姿を変えつつ、人々に広まっていったのです。
桃太郎、白雪姫、シンデレラ、かぐや姫、ピーターパン、金太郎、一寸法師、長靴を履いた猫――などなど。
それらの物語は、様々な世界の人々に親しまれ、愛されて現在に至ります。
そう、誰もが物語として認知するからこそ、知られていないこともあるのです。
それらのお話が全て――どこかの異世界で、現実に起きた物語を元にしている、なんてことは。
***
「異世界転生、と言うとチャチに聞こえるかもしれませんが」
あっけに取られている凛音の前向けて、涼しい顔で状況を説明する涼貴。
「アニメやゲームに起きる派手なものではなくとも、それそのものはけして珍しくはないのです。魂は不変。よほど大きな罪を犯して地獄の最下層に落ち、消滅でもしない限りは……多くの人々が生まれ変わり、新たな人生を生き直します。その前世の記憶、なんてものを都合良く引き継がない点が、ライトノベルの流行とは違うところですけど」
「シンデレラの世界とか、桃太郎の世界とか……そういうものが異世界として実在していたってこと?」
「正確には“シンデレラや桃太郎”の元になった世界、ですけどね。実際に起きた出来事と、僕達に語り継がれている物語には大きな差があったりしますから。魔女は原典をそのまま夢として人々に見せたはずですが、それを伝えるのは人間です。それも何十年、何百年、何千年と昔のこと。そのままの形で伝わるはずがありませんからね。大多数が元の物語から改変されています。桃太郎みたいに、パターンが大量に存在するものもありますし」
「うへえ……」
魔女だの。その魔女が、異世界の物語を広めただの。
眉唾としか思えない話ではあるが――まあ、見えないところに数多くの世界がある、というのは全く信じられないことではなかった。そもそも、認知のしようのないものを、見えもしない人間が定義できるはずなどないわけで。凛音が知らないからといって、“それ”が存在しないなどと言い切るのはナンセンスというものだろう。
同時に。輪廻転生というのも、昔から日本にある考え方ではある。人は死んだら生まれ変わる、そういうこともあるかもしれないとは思っていた。確かに昔の記憶がないまま生まれ変わるというのなら、その生まれ変わった先が今と同じ地球で日本であるという保証はどこにもないだろう。目に見えない異世界とやらがあるのなら――それが良くあるような中世時代の西洋風異世界でなかったとしても――そういう場所に魂が行く、ということもないとは言い切れない。
そう、それはいい。ただ。
「その話が……今とどう繋がるんだ?」
自分で言うのもなんだが、凛音はあまり自分の頭の良さに自信はなかった。特に、話を飛躍させるのは大の苦手であるのである。
「……どういう因果なのか。そうやって魔女が伝えた伝説の物語……その登場人物達が。今の時代の日本に、何人も転生してきているのです」
そっと飲みきった紅茶のカップをテーブルに戻し、涼貴は告げた。一つ一つの所作がやけに品があって綺麗ときている。彼は結構、良いところのおぼっちゃんであるのかもしれない。
「魔女に愛され、選ばれた特別な物語。何百年、何千年もの間語り告げられた物語には、強い魔力が宿っています。その物語の“転生者”である者達も同様に。ですが、前世の記憶を思い出して目覚めるまでは、普通の人間とさほど変わりません。僕も、自分の物語を思い出すまではただの学生に過ぎませんでしたから」
本来なら思い出す筈はないんですよ、と涼貴。
「それなのに、思い出す筈のない記憶が……前世の力とともに転生者達に蘇ってしまった。その力を使って望みを叶えようとする、ある“魔王”の手によって」
「魔王って……」
「便宜的にそう呼んでいるだけで、その正体は現状殆どわかっていないに等しいのです。ただ、転生者達を集めて洗脳し、この世界を自らの望むままに作り変えようとしていることだけは間違いがない。そうなった時、恐らくこの日本は……いえ、地球は。今とは全く理の異なる、とんでもない世界に変わってしまうことでしょう。多分、僕らが望まない方向に」
それで、ようやく話が繋がった気がした。瑠衣を攫ったあの緑色の衣装を着た少年は自らを“ピーターパン”と言い、攫った瑠衣のことを“桃太郎”と呼んでいたのだ。ということは、まさか。
「加賀美君が……桃太郎の転生者、だったってこと?で、加賀美君を誘拐したピーターパンもまた、現世に転生した物語……?」
外れていてほしい予想は、涼貴の小さな頷きによって肯定されてしまう。
「正解です。加賀美瑠衣さんは、既に前世に記憶に目覚めていました。力もある程度使えるようにはなっていたはずです……不意打ちかつ熟練者のピーターパン相手では、少々相性がよろしくなかったようですが。ちなみに僕はシンデレラ……ああ、前世と現世の性別が一致しないことはままあるので、あまり気にしないでください。その力で情報を集め、現状を把握しました。貴女の名前や家の場所を知っていたのもそういうことです」
「ああ、だから男の子なのにシンデレラなの……ってそれはわかったけど!え、じゃあ加賀美君は危ないんじゃないか!?だってピーターパンがその魔王の手先だったら……!」
「幸い、そうではないようです。むしろピーターパンも、魔王とは敵対しています。魔王に対抗する力を集めるため、同時に“物語”を魔王に攫われないようにするため行動しているようなのです。ですからまだ、加賀美瑠衣さんは魔王の手に落ちたわけではありません」
どうやら、最悪の事態にはまだ至っていないらしい。ほっと胸を撫で下ろす凛音である。ただ、そうなると疑問も当然出てくる。ピーターパンは何故、強引に桃太郎である瑠衣を誘拐するような手段に出たのか。瑠衣ならば、きちんと説得すれば仲間になって助けてくれそうな気がするというのに。
それに、どうやらピーターパンと目の前のシンデレラこと涼貴は繋がっているわけではないらしい。同じく魔王に敵対する者同士というのなら、何故協力し合えないのか。
「貴女が考えていることは、大体想像がつきますよ。実際問題、僕らが二番目にするべきことはそれですから」
全部お見通し、と言わんばかりに告げる涼貴。
「ピーターパンを説得して、彼と彼の仲間をこちらに引き入れる。とにかく魔王に対抗するには数が必要ですから。既に魔王に捉えられてしまった“物語”もいるようですし、戦いになれば洗脳された彼らとの直接対決も免れられません。まあ、そのピーターパンが非常に面倒くさ……いえ、ややこしい性格の人間なので、説得には少々手間がかかりそうなんですけどね。なんといっても転生者は総じて、前世の影響もあってか個性の固まりのような者達ばかりですから」
「う、うわ……それは大変そう。ていうか、“二番目にするべきこと”?」
「ええ。ピーターパンを説得する前に、しておかなければならないことがあります。それが、僕が酔っ払った貴女を担ぎこんでまで、この部屋にあがりこんでこんな話をしている最大の理由です」
酔っ払った、というところで再び申し訳無さが募る。というか、これはだいぶ根にもたれているかもしれない。当面お酒は自粛しようと心に決める凛音である。
まあ、以前それを誓った時は、一週間と持たずに冷蔵庫のビール缶を空けてしまった経緯があるのだが。
「貴女にも、目覚めていただかなくてはいけないんですよ……来るべき戦いに向けて。ピーターパンは、まだ貴女が目覚めていないせいで、貴女には気づかず素通りしていったようですが」
そして少年は、当然のごとく爆弾を投下していくのである。
「前世の記憶を取り戻し、力を目覚めさせなければいけません。岸田凛音……貴女の、“かぐや姫”の物語としての力を」
その展開は、ひょっとしたらもう少し前には予想できたことであるのかもしれなかった。
ただ生憎、ファンタジックな涼貴の話を飲み込むのに手いっぱいで、凛音はそこまで脳を追いつかせることができていなかったのである。だってそうだろう、自分はお酒が好きで飽き性で、モテのモの字もないようなくたびれた事務職のOLである。そんな自分が、長年日本で語り継がれるような偉大な物語の転生者のひとり、だなんて。一体どうすればそんな傲慢でさえある予想ができるだろうか。
「……冗談、だよな?」
引きつった笑みで返せば。彼は呆れたようにため息をついた。
「冗談でこんな話を、初対面の女性にする理由があるでしょうか?そもそも貴女が無関係の人間なら、僕が接触する理由なんか全くないと思いません?」
「そ、そりゃそう、かも、だけど……」
「腹括ってください、いい年の大人でしょ?」
いい年は余計だい!と思ってむくれる凛音の額の真ん中をびしっと指差し。とにかく!と彼は話をまとめてしまった。
「今日はお仕事もないのですよね?酒食らってこんな時間まで寝てるくらいなんですから。……早速ですが、今から付き合っていただきますよ。さっさと身支度整えてください。僕達に残された時間は、そう多くはないのですから」