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6章-7.自立(4) 2022.5.18

 しばらくして。


 ユミは完全な肉塊となったアヤメを見下ろした。この状態ならば情報が奪われることはないだろう。気が付けば、周囲にいた2つの気配もなくなっていた。 回収は断念したのだろうと思われる。

 この後の処理はユミの仕事では無い。シュンレイ自身がやるのだろう。そんな気がする。


 アヤメの心臓による記憶の流入はようやく終わりを迎えそうだ。本当に本当に色濃く残っていた。時系列で細かく流れる記憶はひとつの映画を見ているようだった。

 これはまさにアヤメとユミの出会いからを描いた壮大な映画と言っていいだろう。エンドロールまでしっかりと見なければ。

 ユミは名残惜しさを感じながらも、穏やかな気持ちでその映画の終わりを静かに待った。


 しかし、最後の最後で困惑することになる。


「え……? 嘘……」


 ユミは記憶の終わりと同時に驚き呟いた。

 慌てて自身のシャツの左胸ポケットを探る。するとそこには、案の定アヤメの結婚指輪が入っていた。


 記憶の最後の最後にあったのだ。

 アヤメがユミに指輪を託した記憶が。

 トンと左胸を押して距離を取らせた時だ。

 その時にアヤメが指輪を託すように、ユミの胸ポケットに忍ばせていた。


「アヤメさんのバカバカバカ……。自分で伝えなきゃダメじゃないですか……。こんなもの弟子に託さないでください……。あんまりです……」


 ユミはグッと感情を抑えて、急いでbarへと戻って行った。


***


 ユミは勢いよくbarの扉を開けた。


「戻りました」


 さすがにドア付近にあった死体は片付けられ、綺麗に掃除されていた。しかし、びしょ濡れかつ血まみれのユミによって再びbarの床は汚れた。

 ユミはカウンターに立つシュンレイの前に立った。この人は腹立たしいほど本当に何も変わらない。返り血で赤く染まるユミを見ても表情ひとつ変わらない。


「お疲れ様でス。こちらが報酬でス」

「はぁ……」


 何が報酬だ。

 ふざけるな。

 こんなものいらない。


 ユミは報酬と出された札束が入った封筒を掴むと、そのままシュンレイへ投げ返した。

 ガシャンともの凄い音が鳴る。


 シュンレイの背後の棚にあったグラスと酒瓶がいくつか割れて床に落ちた。

 また、封筒はシュンレイの右頬を切り裂き、頬には線状の傷ができて血が滲んでいた。


 避ければいい物を。

 容易く避けられる癖に。

 わざと当たりやがって。


 一切変わらない表情が憎たらしい。

 どうせ避けないのであれば、しっかり顔面を狙うべきだった。


「いりません」


 ユミは唸るような声でそう告げた。


「そうですカ」


 その淡白な返事すら許せなくて、ユミはバンッと大きな音を立ててカウンターを叩いた。そして、シュンレイを見上げ睨みつける。

 なぜ何も聞かないし何も言わないのか。ポーカーフェイスがここまで腹が立つものだとは思わなかった。


「何で私だけ……」


 ユミの目からはずっと涙が流れ続ける。受け止めるには時間が必要だ。とてもじゃないが正気ではいられない。

 自分だけが取り乱しているのが余計に腹立たしい。シュンレイに当たり散らしたって仕方が無いのに。


 ユミは深呼吸する。これだけ怒っているのだ。とんでもない殺気をシュンレイにぶつけている事だろう。


 落ち着け。

 怒りの対象とすべきはシュンレイではない。


 ユミはゆっくりとカウンターに置いた手を退ける。そして、持っていた指輪だけをカウンターに残した。


「アヤメさんの指輪です」

「えぇ」

「内側を見てください」


 シュンレイは指輪を手に取り内側を確認した。そして目を見開いた。

 流石に驚くだろう。初めて見たに違いない。


 ユミは深呼吸する。伝えるべき事を余すことなく伝えなければならない。アヤメに託されてしまったのだ。アヤメのお願いは全部叶えなければダメだ。

 ユミは真っ直ぐにシュンレイを見た。そしてシュンレイと視線が合うのを待って口を開いた。


「季節の春に鈴とかいて春鈴(シュンレイ)と読みます。そして、彩りに萌えると書いて彩萌(アヤメ)と読みます」


 そう、内側に書かれていたものは、漢字で書かれた2人の名前だったのだ。


「何故、春に鈴と書くか、分かりますか?」

「分かりませン……」

「アヤメさんにとってシュンレイさんは……」


 涙がまた溢れる。喉がつかえる。


 何で私がこれを伝えなければならないのか。

 いつか自分で伝えたいと言っていたじゃないか。

 でも、照れくさくて言えなくて……と、はにかむアヤメの姿を思い出す。

 どの漢字を当てたかだけは本人にもまだ内緒なんだと言っていた。

 本当に、弟子に何て物を託してくれたんだ。


 シュンレイは静かにユミの言葉を待ってくれている。感情がまた溢れて言葉を出せない。

 ユミはグッと堪えて呼吸をする。そして、再び口を開いた。


「アヤメさんにとってシュンレイさんは、春のような存在だったそうです。仕事の度に今日は会えるかなって期待して、会えると少し嬉しくて。シュンレイさんの存在は、まさに春が来たようなワクワク感だったと言っていました。長くて暗くて寒い冬を終わらせる春だったそうです。そして、その耳のアクセサリーに付いた鈴です。会う時に鳴るその鈴の音で、存在が分かるんだって。鈴の音を聞くと今日は来てるんだなって感じて嬉しくなるんだって。だからその漢字を当てたと言っていました。その鈴の音、私には到底春なんて感じません。神経を逆撫でする不快な音なのに……。アヤメさんにとっては春の訪れです。本当にアヤメさんらしい……」


 アヤメとの恋バナで聞いた話だ。

 本当は最初から漢字まで考えていたそうだ。だが照れくさくてずっと本人には秘密にしていたと。


 そのうち必ず自分の口で伝えるんだと意気込んでいたくせに。

 結局伝えないまま……。


「本当に、素敵な名前ですね」

「はい。ありがとうございまス」


 シュンレイは指輪を大事そうに握りしめていた。俯き目を閉じている。

 その姿を見て思う。この人も人間なのだと。感情がないロボットでは無いと。

 アヤメを失って1番傷ついているのは、間違いなくこの人だ。


「本当ニ……。ありがとうございまス……」


 ユミはその言葉を聞いて落ち着いた。

 冷静に考えなければならない。これからどうするのか。この怒りをどうしてくれようか。


「シュンレイさん。裏社会全体に喧嘩を売りに行っていいですか?」

「えぇ。構いませン」

「ありがとうございます」


 シュンレイはカウンターの下から1枚の紙を取り出しユミに手渡した。そこに書かれていたのは依頼の内容と地図だ。右上にはSS+と書かれている。


「私個人からの依頼でス。報復でも店依頼でもありませン。狂操家(キョウソウケ)を殲滅してくださイ。ランクがSS+ランクの仕事なので私が受けてBランクのユミさんは補助でス。狂操家の場所は地図の通りでス。私はアヤメさんに会ってかラ向かいますのデ、先に行っていて下さイ」


 依頼主はシュンレイだという。用意周到だなと思う。

 ユミが狂操家を殲滅しに行く事など、最初からお見通しだったという事だ。丁寧に依頼の形にしてくるあたり、本当に笑える。


「あんまり遅いとシュンレイさんの分、残ってないと思いますよ?」

「えぇ。早めに向かいまス」


 シュンレイが辿り着く頃までに狩り終えているかもしれない。それほどまでに自分は今、止まれる気がしない。

 殺意が溢れ出して止まらないのだ。闇に飲み込まれて闇そのものになってしまいそうな程に。

 この勢いのまま、狂操家の人間を皆殺しにしてしまう気がする。


 しかしその時だった。


「ゆみちゃ……」

「え……」


 突然呼びかけられて、ユミは驚いて足元を見た。

 カサネがユミの足元にいる。そしてユミのことを見上げている。しかも、ユミに手を伸ばし抱っこを求めている。


「っ……」


 こんな姿で抱けるわけが無い。

 自分はこの子の母親を殺してきたのだ。

 その返り血で赤く染る自分が、この子を抱けるはずがない。


「ユミさん。カサネは全て理解していまス。抱いてあげて下さいイ」

「え……。そんな……」


 こんな幼い子供が全てを理解している……?

 そんな馬鹿な……。


「ゆみちゃ……。だいじょぶ」

「うっ……」


 ユミはしゃがみ、カサネを抱きしめた。

 とても暖かい。トゲトゲしかった心が落ち着いていく。


「ゆみちゃ。ありがと」

「うん」


 本当に。本当に本当に本当に。

 絶対に許さない。

 この子を抱いて改めて思う。

 絶対に狂操家を許さない。


 アヤメを最期まで苦しめ続けたのだから。

 その罪は死を持って償わせてやる。

 絶対に復讐してやる。


 ユミは決意とともにカサネを解放して立ち上がった。


「行ってきます」


 ユミは勢いよく扉を開け、barを後にした。

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