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6章-7.自立(3) 2022.5.18

 アヤメの体は容赦なく朽ちていく。

 本当に残酷だ。みるみるうちに変色して崩れていくのだ。

 終わりが近づいているのが、はっきりと分かってしまう。


 既に頬は溶けたように肉が削ぎ落ち骨が見えていた。

 パンツスーツのせいで分からないが体も同様に朽ちているのだろう。

 手足の動きに違和感がある。

 痛みを堪えているのだろう。


 それでも攻撃の精度は一切落ちない。

 本当に本当に、強い人だ。


「あははははっ!」


 アヤメは高らかに笑って舞う。

 圧倒的で美しい姿だ。


 こんなに楽しい殺し合いは初めてだ。

 本気がぶつかり合う快感を噛み締める。


 ユミは夢中でチェーンソーを振るう。

 ミスが許されない緊張感も。

 アヤメに全力で当たって貰える喜びも。

 笑顔で舞い続ける美しいアヤメの姿も。


 ここにある全てを記憶に刻み込む。


 けれど時は残酷だ。

 呪詛は確実にアヤメを蝕んだ。


 ブシャー……。


「え……」


 ユミは赤く染る視界と血液が噴き出す音に困惑し、声を漏らした。


「何で……?」


 確認しなくても分かる。手に残る確かな感覚で分かってしまう。

 ユミのチェーンソーはアヤメの腹部を深く切り裂いていた。


 当たるはずがない。

 絶対に避けられると思っていたのに。

 どうして……。


 アヤメは膝を着く。

 同時に口からも血を吐いた。


 ユミの攻撃で裂けたスーツの隙間から見えるアヤメの体が目に入る。


 殆ど……。殆ど腐っているじゃないか!


「アヤメさんっ!!!!」


 ユミは無我夢中で駆け寄った。

 アヤメの腹部を押さえる。

 血が全く止まらない。

 ボトボトと腐った肉が地面に落ちていく。


 こんな状態でどうやって戦っていたのか。

 こんなに腐っていたら立つことすら出来ないはずだ。


 だが、近づいた事でユミは瞬時に理解した。

 アヤメはワイヤーで自分の体を吊っていたのだ。

 全身にワイヤーを巻き付けて、無理矢理動かしていた。


「ユミちゃん。泣かないで」

「血が止まんないです。嫌……」


 アヤメの手がユミの頬に優しく触れる。

 アヤメは優しく微笑んでいる。


「ユミちゃん。卒業おめでとう」

「え……?」

「ほら。師匠に1発入れたら独り立ちだよ。そういうルールだったの忘れちゃった? 本当に。本当に。立派なプレイヤーになったね!」

「うっ……」

「本当に強くなったね。どこに出しても恥ずかしくないよ。おめでとう」


 アヤメに抱きしめられる。


 冷たい。もう体温も十分に保てないのだと分かる。

 それでもアヤメに抱きしめられて、ユミの心は確かに温もりを感じた。


「ユミちゃんは、誰が見ても立派なプレイヤーだよ。あははっ! 私の教え子なんだから当たり前か!」

「はい……。アヤメさんの弟子なんですから。当たり前です」


 抱きしめられたまま頭を撫でられる。

 その手つきは本当に優しくて、愛情がこれでもかと伝わってくる。

 きっとこれが最後のハグだ。この温もりとはもうお別れなのだ。

 ユミはその最期の温かさを噛みしめる。


 抱きしめられた事で、強烈な腐敗臭を感じた。

 本当にアヤメの体は朽ちているのだと、嫌でも現実を分からされる。


 これだけ動いた事で、朽ちるスピードが増してしまったのだろうと思う。

 あと1時間もしないうちに、アヤメの体は完全に腐ってしまうだろうと予測できた。


「ユミちゃん」

「はい……」

「私が死んだらね、死体は細かくして欲しい」

「……」

「狂操家の人間の研究の糧にされたくないからさ。脳までしっかり。お願いね」

「……」

「それと、私が愛した皆の事、お願い。ユミちゃんの笑顔があれば、皆元気になれるから。私の大好きな笑顔だもん。自信もって」

「……」

「それから……。私が死んだら私の心臓。食べて」

「え……」

「ユミちゃんに食べて欲しい」

「っ……」


 これがアヤメの最期のお願いなのだろう。


「分かり……ました……」

「ありがとう。ユミちゃん。大好き」

「私もです。アヤメさん大好きです」


 アヤメはへにゃっと笑う。

 ユミもそれに応えるように精一杯笑った。


「さぁ。残り10分。いつも通り鼻歌有りだよ。ほら、チェーンソー持って! 最初の手合わせの時に言ったよね? 何があっても絶対に、チェーンソーは手放しちゃダメだよって!」


 アヤメはユミに無理矢理チェーンソーを持たせる。

 そして、ワイヤーで自身を吊って立ち上がった。


「ほーらっ! 30分1本勝負はまだ終わってないよ!」


 ユミも涙を拭って立ち上がった。

 するとアヤメに左胸をトンっと軽く押され、強制的に距離を取らされた。


 本当にラストだ。

 駆け抜けるしかない。


「歌って。ユミちゃん」


 ユミは息を吸い込んだ。

 ぐちゃぐちゃに溢れ出す感情を受け止める。


「♪♪〜〜♪♪♪〜♪〜♪〜〜♪♪〜〜♪♪♪〜♪〜」

「いい旋律だね」


 アヤメとの最期の手合わせだ。

 全力を尽くさなければ絶対に後悔する。

 迷いは捨てろ。

 脳みそをクリアにしろ。

 この殺し合いを全力で楽しめ。


「あははははっ! アヤメさんっ! 行きますよーっ!」

「かかって来い!」


 ユミは高らかに笑いながら地を蹴る。

 思いっきり切り込む。


 ひらりと躱すアヤメの動きは美しい。

 緩急をつけて攻撃を繰り出す。

 重要なワイヤーを切り落とす。


 アヤメも高らかに笑っている。

 楽しそうだ。


 全身の血液が沸騰するような高揚感。

 たまらなく気持ちがいい。


 ユミはアヤメの左足、膝下を切り落とした。

 最も朽ちて殆ど肉が残っていない場所だ。


 当然左足が無くなろうと、アヤメは怯むこともない。

 変わらない動きで攻めてくる。


 そして次は右足、膝下を切り落とした。

 アヤメは浮いている。

 ワイヤーとは、恐ろしい武器だなと痛感する。

 手首から先さえあれば、ある程度は自在に動かせるのだろう。


「ユミちゃんは流石だね」

「アヤメさんの教え子ですから。当然です」


 アヤメは誇らしげだ。

 立派な姿を見せられただろうか。


 ユミは攻撃の手を緩めることなくワイヤーを切り落としていく。

 そしてついにアヤメの左手首を落とした。

 これで操れるワイヤーは半分になるだろう。


 それでもやはりアヤメは動き続ける。

 片手だけでここまで動ける等、本当にとんでもない技だ。

 ユミは容赦なく切り込みそのまま右手首も落とした。


 その瞬間、アヤメの体はふわりと浮いて落下する。

 ユミはアヤメを受け止めた。

 ちょうどこれで30分だ。

 ついに最期の手合わせが終わってしまった。


「アヤメさん。私の勝ちです」

「うん。そうだね。私の負けだね」

「っ……」

「首を落として欲しい」

「はい。分かりました」

「ありがとう。バイバイ」


 アヤメはへにゃっと笑った。


「ありがとう……ございましたっ!」


 ユミも精一杯の笑顔を向けた。


 アヤメはユミの腕の中で、幸せそうな表情を浮かべて目を閉じた。

 安らかに眠りにつこうとするかのように。本当に幸せそうに。


「さよならです」


 ユミは別れを告げ、一気にアヤメの首を落とした。

 そして、直ぐにアヤメの心臓を抉り出した。


 幸い心臓は腐っていない。

 赤くみずみずしい。


 ユミは一気にかぶりついた。

 そして咀嚼し、飲み込んだ。


 あぁ。美味しい……。


 特別に美味しい……。


 母の心臓と同じくらい美味しい……。


 直後、ドクンと心臓が大きく鳴った気がした。

 ギュッと締め付けられるような感覚。


「あぁぁぁあぁぁぁあああっ!!!」


 ユミは襲い掛かる衝撃に絶叫する。


 一気に記憶が流れ込んできた。

 これはアヤメとの記憶だ。

 そしてアヤメの心も。


「アヤメさんっ……。アヤメさんっ……。うっ……」


 涙がぽろぽろと溢れては流れ落ちていく。

 出会った時からの思い出が。

 アヤメの気持ちと一緒に再生されていく。


 ユミは思わずアヤメの胴体をきつく抱きしめた。

 脳のある頭部は既に全て朽ちてしまった。

 けれど、脳から切り離した胴体だけは呪詛の進行が止まったためだろう。

 そのまま僅かな温もりを保っている。


 その僅かな温もりに縋りつくかのように顔をうずめる。

 そして、ユミは溢れる感情に耐える。


 アヤメの視点で見る思い出は、どれもとても鮮明だった。

 出会った時の自分は本当に無表情で暗い顔をしていた。

 表情も硬く、酷く怯えたような様子だった。

 自分では全く気が付いていなかったが、アヤメはそんな自分を見て酷く心配してくれていたのだと知る。


 だが、日々の生活の中で、次第に笑顔が増えていく様子も良く分かった。

 アヤメの仕草で。行動で。言葉で。

 少しずつ心が伴って、表情が豊かになっていく自分がそこにいる。


 そしていつしか、いつでも笑顔で明るくて、楽し気にしている、そんな自分になっていた。

 アヤメと笑い合い、楽しく過ごす自分がいたのだ。

 最初の頃とはまるで別人のようだ……。自分でも驚くくらいの変化だった。


「アヤメさんの……。バカ……」


 もし昔のまま沈黙の状態であれば、今こんなに苦しくなかっただろう。

 こんなに心が張り裂けるような思いはしなかっただろう。


「アヤメさんのせいですよ……」


 何てものを教えてくれたんだ。

 知らなければ本当に楽だったろうに。


 知ってしまったから。

 感じる事ができるようになってしまったから。


 だからこそ、こんなに辛いのだ。


 ユミは深呼吸した。


 ユミにはまだやらなければならない事がある。

 大好きなアヤメの願いを、全て叶えなければならない。


 立ち上がりチェーンソーを持つ。


 アヤメを細かく刻まなければならない。

 本当は刻みたくなんてない。これ以上傷つけたくない。

 けれど、これはお願いであり必要な事。

 ユミは心を鬼にする。


 そして、ユミは丁寧に死体を刻んだ。


 その間もアヤメの思いはずっとユミに流れ続ける。

 止まることがない。

 こんなに愛してくれていたのかと痛感する。

 こんなにも大事にしてくれていたのかと……。


 ユミはアヤメとの思い出を懐かしみながらも、細かく細かく刻んでいった。

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