アヤメの体は容赦なく朽ちていく。
本当に残酷だ。みるみるうちに変色して崩れていくのだ。
終わりが近づいているのが、はっきりと分かってしまう。
既に頬は溶けたように肉が削ぎ落ち骨が見えていた。
パンツスーツのせいで分からないが体も同様に朽ちているのだろう。
手足の動きに違和感がある。
痛みを堪えているのだろう。
それでも攻撃の精度は一切落ちない。
本当に本当に、強い人だ。
「あははははっ!」
アヤメは高らかに笑って舞う。
圧倒的で美しい姿だ。
こんなに楽しい殺し合いは初めてだ。
本気がぶつかり合う快感を噛み締める。
ユミは夢中でチェーンソーを振るう。
ミスが許されない緊張感も。
アヤメに全力で当たって貰える喜びも。
笑顔で舞い続ける美しいアヤメの姿も。
ここにある全てを記憶に刻み込む。
けれど時は残酷だ。
呪詛は確実にアヤメを蝕んだ。
ブシャー……。
「え……」
ユミは赤く染る視界と血液が噴き出す音に困惑し、声を漏らした。
「何で……?」
確認しなくても分かる。手に残る確かな感覚で分かってしまう。
ユミのチェーンソーはアヤメの腹部を深く切り裂いていた。
当たるはずがない。
絶対に避けられると思っていたのに。
どうして……。
アヤメは膝を着く。
同時に口からも血を吐いた。
ユミの攻撃で裂けたスーツの隙間から見えるアヤメの体が目に入る。
殆ど……。殆ど腐っているじゃないか!
「アヤメさんっ!!!!」
ユミは無我夢中で駆け寄った。
アヤメの腹部を押さえる。
血が全く止まらない。
ボトボトと腐った肉が地面に落ちていく。
こんな状態でどうやって戦っていたのか。
こんなに腐っていたら立つことすら出来ないはずだ。
だが、近づいた事でユミは瞬時に理解した。
アヤメはワイヤーで自分の体を吊っていたのだ。
全身にワイヤーを巻き付けて、無理矢理動かしていた。
「ユミちゃん。泣かないで」
「血が止まんないです。嫌……」
アヤメの手がユミの頬に優しく触れる。
アヤメは優しく微笑んでいる。
「ユミちゃん。卒業おめでとう」
「え……?」
「ほら。師匠に1発入れたら独り立ちだよ。そういうルールだったの忘れちゃった? 本当に。本当に。立派なプレイヤーになったね!」
「うっ……」
「本当に強くなったね。どこに出しても恥ずかしくないよ。おめでとう」
アヤメに抱きしめられる。
冷たい。もう体温も十分に保てないのだと分かる。
それでもアヤメに抱きしめられて、ユミの心は確かに温もりを感じた。
「ユミちゃんは、誰が見ても立派なプレイヤーだよ。あははっ! 私の教え子なんだから当たり前か!」
「はい……。アヤメさんの弟子なんですから。当たり前です」
抱きしめられたまま頭を撫でられる。
その手つきは本当に優しくて、愛情がこれでもかと伝わってくる。
きっとこれが最後のハグだ。この温もりとはもうお別れなのだ。
ユミはその最期の温かさを噛みしめる。
抱きしめられた事で、強烈な腐敗臭を感じた。
本当にアヤメの体は朽ちているのだと、嫌でも現実を分からされる。
これだけ動いた事で、朽ちるスピードが増してしまったのだろうと思う。
あと1時間もしないうちに、アヤメの体は完全に腐ってしまうだろうと予測できた。
「ユミちゃん」
「はい……」
「私が死んだらね、死体は細かくして欲しい」
「……」
「狂操家の人間の研究の糧にされたくないからさ。脳までしっかり。お願いね」
「……」
「それと、私が愛した皆の事、お願い。ユミちゃんの笑顔があれば、皆元気になれるから。私の大好きな笑顔だもん。自信もって」
「……」
「それから……。私が死んだら私の心臓。食べて」
「え……」
「ユミちゃんに食べて欲しい」
「っ……」
これがアヤメの最期のお願いなのだろう。
「分かり……ました……」
「ありがとう。ユミちゃん。大好き」
「私もです。アヤメさん大好きです」
アヤメはへにゃっと笑う。
ユミもそれに応えるように精一杯笑った。
「さぁ。残り10分。いつも通り鼻歌有りだよ。ほら、チェーンソー持って! 最初の手合わせの時に言ったよね? 何があっても絶対に、チェーンソーは手放しちゃダメだよって!」
アヤメはユミに無理矢理チェーンソーを持たせる。
そして、ワイヤーで自身を吊って立ち上がった。
「ほーらっ! 30分1本勝負はまだ終わってないよ!」
ユミも涙を拭って立ち上がった。
するとアヤメに左胸をトンっと軽く押され、強制的に距離を取らされた。
本当にラストだ。
駆け抜けるしかない。
「歌って。ユミちゃん」
ユミは息を吸い込んだ。
ぐちゃぐちゃに溢れ出す感情を受け止める。
「♪♪〜〜♪♪♪〜♪〜♪〜〜♪♪〜〜♪♪♪〜♪〜」
「いい旋律だね」
アヤメとの最期の手合わせだ。
全力を尽くさなければ絶対に後悔する。
迷いは捨てろ。
脳みそをクリアにしろ。
この殺し合いを全力で楽しめ。
「あははははっ! アヤメさんっ! 行きますよーっ!」
「かかって来い!」
ユミは高らかに笑いながら地を蹴る。
思いっきり切り込む。
ひらりと躱すアヤメの動きは美しい。
緩急をつけて攻撃を繰り出す。
重要なワイヤーを切り落とす。
アヤメも高らかに笑っている。
楽しそうだ。
全身の血液が沸騰するような高揚感。
たまらなく気持ちがいい。
ユミはアヤメの左足、膝下を切り落とした。
最も朽ちて殆ど肉が残っていない場所だ。
当然左足が無くなろうと、アヤメは怯むこともない。
変わらない動きで攻めてくる。
そして次は右足、膝下を切り落とした。
アヤメは浮いている。
ワイヤーとは、恐ろしい武器だなと痛感する。
手首から先さえあれば、ある程度は自在に動かせるのだろう。
「ユミちゃんは流石だね」
「アヤメさんの教え子ですから。当然です」
アヤメは誇らしげだ。
立派な姿を見せられただろうか。
ユミは攻撃の手を緩めることなくワイヤーを切り落としていく。
そしてついにアヤメの左手首を落とした。
これで操れるワイヤーは半分になるだろう。
それでもやはりアヤメは動き続ける。
片手だけでここまで動ける等、本当にとんでもない技だ。
ユミは容赦なく切り込みそのまま右手首も落とした。
その瞬間、アヤメの体はふわりと浮いて落下する。
ユミはアヤメを受け止めた。
ちょうどこれで30分だ。
ついに最期の手合わせが終わってしまった。
「アヤメさん。私の勝ちです」
「うん。そうだね。私の負けだね」
「っ……」
「首を落として欲しい」
「はい。分かりました」
「ありがとう。バイバイ」
アヤメはへにゃっと笑った。
「ありがとう……ございましたっ!」
ユミも精一杯の笑顔を向けた。
アヤメはユミの腕の中で、幸せそうな表情を浮かべて目を閉じた。
安らかに眠りにつこうとするかのように。本当に幸せそうに。
「さよならです」
ユミは別れを告げ、一気にアヤメの首を落とした。
そして、直ぐにアヤメの心臓を抉り出した。
幸い心臓は腐っていない。
赤くみずみずしい。
ユミは一気にかぶりついた。
そして咀嚼し、飲み込んだ。
あぁ。美味しい……。
特別に美味しい……。
母の心臓と同じくらい美味しい……。
直後、ドクンと心臓が大きく鳴った気がした。
ギュッと締め付けられるような感覚。
「あぁぁぁあぁぁぁあああっ!!!」
ユミは襲い掛かる衝撃に絶叫する。
一気に記憶が流れ込んできた。
これはアヤメとの記憶だ。
そしてアヤメの心も。
「アヤメさんっ……。アヤメさんっ……。うっ……」
涙がぽろぽろと溢れては流れ落ちていく。
出会った時からの思い出が。
アヤメの気持ちと一緒に再生されていく。
ユミは思わずアヤメの胴体をきつく抱きしめた。
脳のある頭部は既に全て朽ちてしまった。
けれど、脳から切り離した胴体だけは呪詛の進行が止まったためだろう。
そのまま僅かな温もりを保っている。
その僅かな温もりに縋りつくかのように顔をうずめる。
そして、ユミは溢れる感情に耐える。
アヤメの視点で見る思い出は、どれもとても鮮明だった。
出会った時の自分は本当に無表情で暗い顔をしていた。
表情も硬く、酷く怯えたような様子だった。
自分では全く気が付いていなかったが、アヤメはそんな自分を見て酷く心配してくれていたのだと知る。
だが、日々の生活の中で、次第に笑顔が増えていく様子も良く分かった。
アヤメの仕草で。行動で。言葉で。
少しずつ心が伴って、表情が豊かになっていく自分がそこにいる。
そしていつしか、いつでも笑顔で明るくて、楽し気にしている、そんな自分になっていた。
アヤメと笑い合い、楽しく過ごす自分がいたのだ。
最初の頃とはまるで別人のようだ……。自分でも驚くくらいの変化だった。
「アヤメさんの……。バカ……」
もし昔のまま沈黙の状態であれば、今こんなに苦しくなかっただろう。
こんなに心が張り裂けるような思いはしなかっただろう。
「アヤメさんのせいですよ……」
何てものを教えてくれたんだ。
知らなければ本当に楽だったろうに。
知ってしまったから。
感じる事ができるようになってしまったから。
だからこそ、こんなに辛いのだ。
ユミは深呼吸した。
ユミにはまだやらなければならない事がある。
大好きなアヤメの願いを、全て叶えなければならない。
立ち上がりチェーンソーを持つ。
アヤメを細かく刻まなければならない。
本当は刻みたくなんてない。これ以上傷つけたくない。
けれど、これはお願いであり必要な事。
ユミは心を鬼にする。
そして、ユミは丁寧に死体を刻んだ。
その間もアヤメの思いはずっとユミに流れ続ける。
止まることがない。
こんなに愛してくれていたのかと痛感する。
こんなにも大事にしてくれていたのかと……。
ユミはアヤメとの思い出を懐かしみながらも、細かく細かく刻んでいった。