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6章-7.自立(2) 2022.5.18

 ユミは走った。

 傘もささずに、ひたすら走った。

 1秒でも早くたどり着くために。


 barからはそれほど遠くない地域にある廃ビルに辿り着いた。

 かつては複数の店が入っていたのだろう。

 看板や塗装を剥がした痕が雑に残っている。


 ユミは手際よくチェーンソーを取り出し、急いで階段を上る。

 そして、屋上の塔屋の扉を勢いよく開けた。


 目に映ったのはパンツスーツ姿の女性の後ろ姿だった。

 その女性は雨の中、傘もささずに屋上の手すりに肘を着いて景色を眺めている。

 ユミがやってきた事など気が付いているだろうに、振り返りもしない。


 ユミは下唇をぐっと噛み締めた。

 そして、ゆっくりと近づく。

 ピシャピシャと自分の足音が妙に聞こえた。


「ここね。晴れた日の夕方。すごく綺麗な夕日が見えるの。今は高層ビルが建っちゃったから、同じように見えるか分からないんだけどね」

「アヤメさん……」


 分厚い雨雲に覆われた空では太陽の位置すら分からない。

 それでもアヤメは見えるはずのない夕日を思い浮かべていたのだろうか。


 ユミは周囲を確認する。

 アヤメのワイヤーが、かなり広範囲に張り巡らされているようだ。

 そしてそのワイヤーの範囲外、少し離れた位置に気配が2つあった。

 攻撃してくる様子は無いが、こちらを観察しているようだ。


「近くにいるのは狂操家(キョウソウケ)の人間。私が確実に死んだ事を確認するためにいるだけ。攻撃はしてこない。あと、もし死体が残れば調査用に持ち帰るための人間だよ」


 アヤメはそう言って振り返った。


「っ……」


 その瞬間、ユミは思わず息を飲んだ。

 目に映るアヤメの姿に心臓が止まりそうになった。


 アヤメの右頬が黒く変色し朽ちて欠損している。

 また、襟元の広範囲に真っ赤な血痕が付いている。


「あはは。しくじっちゃった」


 アヤメは自嘲気味に笑って言った。


 その様子から狂操家の呪詛を発動された事は明らかだ。

 ゆっくりと体が腐っていく呪い。

 自害すら許されない残酷な呪い。


「この呪い、思った以上に痛かった。全身あらゆるところが痛い。しかも死にたくても自分じゃ死ねないんだ……」


 ユミはチェーンソーを握る手に力を入れる。

 しっかり気持ちを保たなければ。

 気が狂いそうだ。


「ユミちゃん。本当にごめんね。来てくれてありがとう」


 アヤメはそう言ってへにゃっと笑った。

 ユミの大好きな笑顔だ。

 その笑顔にぽろぽろと涙が溢れてしまった。


 依頼の内容は舞姫の処理。

 依頼主はアヤメ。


 何となく分かっていた。

 仕事を受けた時点で察してしまった。

 それでも嘘であって欲しかった。

 だなんて。


「こんな酷い事頼んでごめんね。シュンレイは私を殺せないからさ……。シュンレイだったら、私が完全に腐り切るまで何も出来ずに見てそうでしょ? それに愛した人にこんな姿見せたくなくてさ。綺麗なところしか見せたくないの。最期まで我儘でごめんね……」


 ユミは止めどなく流れる涙を拭うことも無く、真っ直ぐにアヤメを見ていた。

 少しずつ、しかし着実にアヤメの体が朽ちていく。


「あのね。実はね。私達にはもう1人、子供がいたの」

「え……?」

「ハルキっていう男の子。カサネのお兄ちゃんだよ。季節の春に輝くって書いて春輝(ハルキ)。ハルキが2歳になる前にね、私達はハルキを隠したの。あまりにも私に似てた。一瞬で私の子供って分かるほどにね。狂操家の正統な血筋を示す外見的特徴を全て持っていて、とてもじゃないけれど一緒には居られなかった。だからね、ハルキを一般人家庭に隠したの。その時もシュンレイは酷く怒って狂操家を皆殺しにしようとしてたなぁ……」

「もしかして……」

「うん。ハルキの存在がね、兄にバレた。だから私は裏切り者として呪詛を発動された。あ。ハルキはねアイルに逃がしてもらったから無事だよ。警察の方で何とかしてくれるって」


 アヤメはどこか達成感のあるような顔をしている。

 息子を無事に逃がすことが出来たから安堵しているのだろうか。

 ユミの心はこんなにも荒れているのに。

 もう死ぬ事を受け入れて、安心しているとでも言うのだろうか。


「何でバレちゃったのかな……。絶対に分からないはずだったのに。だってあのシュンレイが隠したんだよ? ありえないよ……」


 シュンレイが徹底的に隠したとしたらバレるはずがない。

 ユミもそう思う。

 一体何故、兄のカズラがアヤメの弱みを見つけることが出来たのか。

 こんなの豪運でもなければ……。


 豪運……。


 まさか、ラックの影響……?


 それは分からない。

 分からないが兄のカズラはラックと繋がっている。

 可能性としては十分にあるのではと思う。

 たまたま街で見かけたユミの歩き方から、一般人となっていた両親を見つけ出したように。

 たまたま、偶然で見つけてしまったのかもしれない。


「呪詛を発動されてから、ハルキを逃がして私も逃げる時に、近くにいた狂操家の人間のうち、他の店の所属プレイヤーを何人か殺しちゃったからさ。先に店を抜けたことにして手配って形にしてもらったの」


 店に迷惑をかけないために。

 先に自分が店を抜けていた事にしたと。

 どこまでもこの人は皆の事ばかりだ。

 もっと自分のために。

 もっと自分のためだけに動いて欲しい。


「それに。ユミちゃんに来て欲しくてさ」


 何故私なのだろうか……。

 最期に会う人間が私なんかでよかったのか……。


「最期はユミちゃんにお願いしたくてね」

「なん……で……」


 声が掠れる。

 喉がつかえて上手く声が出せない。

 震える。


「大好きだから。ユミちゃんの笑顔が大好きだから。最期に見たくって。だから泣かないで。笑っていて欲しい」


 そんなの無理だよ……。


 どうやって笑えというのか。

 大好きな人が、大切な人が目の前で死んでいくのに笑えるわけが無い。


「さて。ユミちゃん。最後の手合わせをしよっか!」

「え……?」

「殺し合いだよ。真剣勝負!」

「嫌……」


 ユミは泣きながら首を横に振った。

 けれど、アヤメはそんなユミを見て優しく笑う。


「私は最期まで私を貫く。ほら。ちゃんとチェーンソー握らないと。エンジンもかけてさ! 30分1本勝負!」


 そんな事したくない。

 最期なんて。


「ユミちゃんが来ないなら。仕方ないなー。私から行くよっ!」


 その瞬間、アヤメから鋭いオーラと殺気が放たれる。

 周囲の空間を全て支配するオーラ。

 全身の毛が逆立つ程の鋭い殺気。


 それは、まさにユミが憧れるカッコイイアヤメの姿だった。

 呪詛で苦しめられている様子など一切見せない、毅然とした姿。


 あぁ。本当のカッコイイ……。

 初めて見た時から変わらない。

 この姿に何度惚れてきただろうか。

 そして、今まさにこの瞬間。

 私はまた惚れ直してしまう。

 惚れ直さずにはいられない。


 ユミはアヤメのその行動に、胸を打たれた。

 今自分は、アヤメの気持ちを全て余すことなく受け止めなければいけないと感じる。

 そうしなければ一生後悔する。


 ユミはチェーンソーのエンジンをかけ構えた。


 もうやるしかない。

 泣き喚く心に活を入れ、覚悟を決めた。


 その瞬間。それを見計らったようにアヤメの密度の濃いワイヤーがユミを襲う。

 それは、今までの手合わせでは見た事もない量のワイヤーだった。


 ユミはアヤメの容赦ない攻撃をギリギリで避け攻撃に転じる。

 前回の手合せの時よりも、単純にワイヤーの数が多いだけでなく、動きも格段に鋭かった。


「私の本気だよ! ユミちゃん覚悟してね!」

「はい!」


 泣いている余裕なんて一切ない。

 アヤメの鋭い攻撃は本当にユミを殺しにきている。

 手加減などない。本気の攻撃だ。


 切断すべきワイヤーを1つでも見誤ったら死ぬだろう。

 本当にアヤメは強い。

 まるで隙などない。

 これがSSランク最上位の実力。


 出会ってきたSSランクプレイヤー達とは比べ物にならない。

 圧倒的な攻撃力を見せつけられる。


 ユミはその攻撃に必死で食らいつく。

 アヤメとずっと一緒に戦ってきたからこそ分かる。

 どこにワイヤーの隙間があるのか。

 切断すべき重要なワイヤーがどれなのか。


「さすがユミちゃんだね。私のワイヤーをここまで理解して攻撃できるのは、世界にユミちゃんだけだよ!」


 アヤメはそう言って誇らしげに笑う。


「当然です! 私が一番長くアヤメさんの傍で戦ってきたんですから!」


 きっと誰よりも自分が、アヤメの近くで戦ってきたと思うのだ。

 アヤメと最も長く共闘したのは自分である自信がある。

 それはつまり、何時までも見習いプレイヤーだったからなのだが。

 いつまでも独り立ちもせず甘えっぱなしのダメな弟子だなと我ながら思う。


 でも、本当に。

 もっとずっと一緒に戦いたかった。

 これから先もいつまでも二人でいたかった。

 そんな思いでいっぱいになる。


「あははははっ! ユミちゃんとの手合せは最高に楽しい! 楽しすぎてずっとこうしてたいよ!」


 本当にその通りだ。

 アヤメとの手合わせは楽しい。

 出来る事なら永遠にこのままずっと。

 ずっとこうしていたい!


「ほら! せっかく楽しい手合わせなんだから、いつもみたいに笑ってよ! ユミちゃん!」


 アヤメの無邪気な笑顔に引っ張られる。

 ユミはくしゃくしゃの表情のまま、顔を上げ精いっぱい微笑んだ。


 楽しまなければ!

 こんなに楽しい時間を泣いて過ごすなど勿体ない!


「アヤメさん。最高に楽しいです!」

「うん! 私もだよ! ユミちゃん!」


 ユミは涙を流しながらも精いっぱい笑って。

 思いっきりアヤメへと切り込んでいった。

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