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6章-7.自立(1) 2022.5.18

 2022年5月18日。

 その日はしとしとと朝から雨が降り続いた。

 雨足は強まることもなければ弱まることもない。

 ただずっと一定の音を鳴らし続けていた。


***


 憂鬱。

 その表現がしっくりくる。

 朝起きてからずっと。

 ただ窓の外をぼーっと眺めるだけだ。

 本を読む気にすらならない。

 何もしたくない。

 何も手につかない。

 心に何となく空いてしまった穴は、次第に黒く深く広がっていくようだ。


「はぁ……」


 ユミはため息を漏らした。

 充電ケーブルを繋いだままのスマートフォンの画面はずっと変わらない。

 いくらスワイプしてもタップしても何も変わらない。


「バカ……」


 それはザンゾーに向けて放った言葉なのか。

 無様な自分に向けて放った言葉なのか。

 きっと両方だろうなと思う。


 ザンゾーが抗争に向かってから、約1ヶ月経った。

 何の連絡もない。

 生きているのか死んでいるのかさえ分からない。

 メッセージくらい見て返してくれてもいいだろうに。


 既読すらつかないチャット画面にユミは落胆する。

 何度見たところで変化は無いのに、数分おきには確認してしまう。

 愚かだなと自分で思う。

 こんな調子で半年も自分は耐えられるのだろうか。


 ユミは枕元にあるぬいぐるみを抱く。

 ザンゾーに水族館で買ってもらったぬいぐるみだ。

 いつ見てもこの子達は特別に可愛い。

 ザンゾーと行った水族館や海鮮丼のお店、庭園を思い出す。


 その後も色々な所へ連れていってもらった。

 楽しすぎた。

 どこへ行っても、ザンゾーと一緒だから楽しかった。

 そんな楽しさを知ってしまったから。


 ユミはぬいぐるみをきつく抱きしめた。


 知らなければこんな気持ちにならなかったかもしれない。

 こんなに胸が締め付けられる事も無かったかもしれない。

 最初から無かったら……。


「いや、それは違うか……。うん……」


 後悔はない。

 ザンゾーを好きなった事も。

 一緒に楽しい思い出を作った事も。


 だからこそ、受け止めるべきだ。

 この感情は正しく受け止めよう。


「信じるよ」


 ユミはそう呟いて立ち上がった。

 顔を洗って少しでも気持ちを前向きにする。

 どう頑張ったって、この胸の穴は埋まらない。

 ザンゾーしか埋める事は出来ない。

 だから、空いたまま踏ん張るしかない。


「辛いな……」


 自嘲気味に笑う自分の顔が鏡に映る。

 いつも通り、ネックレス、指輪、腕時計を身につける。

 身だしなみを整えた。


***


 午前10時過ぎ。

 ユミは掃除をした部屋で、コーヒーを飲みながら読書をする。

 今日は予定もない。

 この天気では外に出るのは得策では無い。

 だから、 部屋でゆっくり過ごすことに決めた。


 ブーブーブーブー……。


 テーブルの上に置かれたスマートフォンのバイブレーションが鳴る。

 着信のようだ。

 画面を見るとシュンレイからだった。

 ユミは本を閉じるとスマートフォンを手に取り、通話を開始した。


「おはようございます。ユミです」

『ユミさん。おはようございまス。今直ぐに武器を持っテbarへ来る事は可能ですカ?』

「はい。可能です」

『お待ちしてまス』


 プツリと通話が切られた。

 ユミは立ち上がりチェーンソーが入ったソフトケースを背負う。


 呼び出しは緊急の仕事だろうか。

 シュンレイの声色は全く変わらないため、想像が何一つできない。


 とはいえ、おかしい。

 違和感を覚える。

 ユミはまだ見習いプレイヤーだ。

 1人で仕事は受けられない。

 そして、今日はアヤメはいないはずだ。


 ただ、ここでいくら考えたところで分かるわけが無い。

 行って聞くのが1番早いのは明らかだ。


「行ってきます」


 ユミは誰もいない部屋にそう告げて部屋を出た。


***


 しとしとと静かに降り注ぐ雨の中。

 傘をさしbarを目指して歩く。

 そして傘を閉じbarへの階段を降りようとした時だった。


「何これ……」


 bar入口に向かって点々と続く血痕。

 血痕は雑貨店が面する大通りの方から続いている。


 妙な胸騒ぎがして、ユミは急いで階段を降りた。

 そして勢いよくbarの扉を開けた。


 その瞬間たちこめるキツい血の臭い。

 ドア付近に転がる死体が1番に目に入った。


 30代後半から40代前半と思われる男の死体。

 少し肥満気味でプレイヤーには見えない。

 その死体には左手の肘から先が無かった。

 綺麗に切断されている。

 そして全身に鋭利なもので肉を剥ぎ取られたような傷。

 ボロボロの服。


 ユミはカウンターの方へ目をやる。

 カウンター内にシュンレイの姿があった。

 いつもと変わらない。

 何も変わらないシュンレイが立っている。


 ユミは死体を無視してシュンレイの方へ歩いていく。

 そして見上げた。

 シュンレイを真っ直ぐに見る。

 少しの変化でも見逃さないように。

 けれど当然、何一つ、いつもとの違いなど無かった。


「ユミさん。急ぎ、アナタに仕事でス」

「はい」


 自分宛の仕事とは。

 まるで想像がつかない。


「ユミさんを指名の仕事でス。手配でス」

「はい」


 自分を指名の仕事。手配。

 いよいよ意味が分からない。


「舞姫を処理してくださイ」

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