確かに以前までのユミであれば、自分も悪かったよなどと微笑みながら言って許しただろう。今後も平和に楽しく仲良く過ごすためにはその対応が最善だと思うからだ。
しかし、それは悪手だと今は感じる。ユズハのこの目を見る限り、今後平和に楽しく仲良くするなどありえないだろう。ユズハの目からはユミへの嫌悪が今もハッキリと感じられる。それに、最終的に許してもらえるとタカをくくっているのだから、まだ舐められているなと感じる。ユミが思い描く理想の関係をこの状態のユズハと築く事は不可能だと断言出来る。
「ユズハちゃんさ、今も何だかんだで許してもらえるだろうって思ってるよね? 違う?」
「……」
何も言わないが目を見れば分かる。
つい最近まで一般人だったぬるい人間ならば、仲間を、しかも子供を殺す事に躊躇いがあるだろうと。命までは取らないだろうと考えていそうだ。
どうしたものか。一般人だったと言うだけで下に見るような思想も透けて見える。このままだとずっと舐められるだろう。
力量差はシュンレイからの話で認識しただろうが、プレイヤーとしての知識やマインドについてはユミより自分のが上だと思っていそうだ。内心ではバカにし続けるに違いない。
今回だけ乗り切って、後は最低限丁寧に接して喧嘩さえ売らなければいいだろうくらいに考えているのではないだろうか。そんな状態を今後放置など出来ない。ここで終わらせる必要がある。
「やっぱり、死んでもらおうかな」
「え……?」
途端にユズハに焦りの色が見え始めた。
やはり殺されないとタカをくくっていたのだろう。雲行きが怪しくなった途端焦り始めても遅いと思うが。
「使いますカ?」
シュンレイの方を見ると、ナイフを1本持っていた。
「はい」
ユミが答えると、シュンレイはナイフをシュッと投げて寄こした。ユミはそれを難なく掴む。
ナイフはかなり使い込まれてはいるが、丁寧に手入れがされており、切れ味は最高だろうなと思う。
「何を……?」
「何をって……、分かるでしょ?」
何も言わなくても立場をお互いわきまえたうえで、実力に格差があっても仲良く楽しく過ごすという理想の関係は、ユズハとは築けない。
ユミをバカにし嫌悪している様な相手とは、ユミがどんなに頑張ったところで無理だろう。非常に残念ではあるが、ユミはこの瞬間ユズハを明確に諦め、『大切な人達の範囲』から除外した。
大切な人の範囲から除外したのであれば、やる事は決まった。ユミが定める『大切な人達の範囲』外の人間としてユズハを設定し、それ相応の対応を行うだけだ。
まず初めにこの子には、ユミが既に一般人の様な甘い考えは捨てており、プレイヤーとしてのマインドを持っている事を分からせなければならない。今まで子供たちには甘い姿しか見せていなかったため、それがユミの全てだと判断されたのだろうとは思う。
理想の関係を築いている対象への、一般人のような優しさや甘さはあっても、それ以外の人間へは一切の容赦がない事を、今ハッキリとにユズハへ示す必要がある。
今からユズハを、身内でもなんでもない、一人のプレイヤーとして見て接するだけだ。
一人のプレイヤーとしてユズハを見た時、ユミにとってユズハは喧嘩を売ってきたプレイヤーでしかない。
故に
それ以外の何者でもない。
ユズハがどんな考えを持っているのか、おそらくシュンレイもフクジュも見抜いている。そして、これはユミが解決すべき問題だとし、そのために場まで設けたのだろうなと察する。このまま放置してはいけないと、シュンレイとフクジュも考えての事だろう。
ユミはナイフを右手にしっかりと握ると、ユズハの方へ向き直した。そして、目を閉じ仕事をする時と同様に気持ちを切り替える。スイッチを入れるといった表現が正しいだろう。
その瞬間からすぅーっと頭が冷静になっていく。ユミは瞼をゆっくりと開き、フクジュに拘束された
「ひっ……」
対象と目が合うと、対象は酷く強ばったようだ。
やっと殺されるのかもしれないくらいには思い始めたのだろう。
ユミはナイフを持った右手を大きく振り上げた。
「嫌っ! やめてくださいっ! お願いです!」
「なんで?」
処理対象の悲鳴のような懇願に、ユミは首を傾げて質問する。
「私を殺したって何の得もないじゃないですか!」
「損もないけど……?」
「損も……無い……?」
ユミは軽くナイフを振るい、処理対象の左肩を浅く切った。白いブラウスが裂けじわじわと赤く染っていく。
「いやぁぁぁあ!!! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!」
痛みに耐えかねて、処理対象は大粒の涙を流しながら暴れるが、フクジュに両腕をしっかりと拘束されているため、たいして身動きが取れない様子だった。
「侮辱された分だけ、切っていこうか。全部数え終わったら殺そうかな」
「嫌っ……。やめて……。お願いします……。許してください……」
「嫌だよ。喧嘩を売ってきたのはそっちでしょ」
「こんなの間違っています。仲間じゃないですか……。こんな事誰も望んでいません」
「仕事中に命乞いする
「処理対象……?」
ユミは会話の内容を思い起こしていると、イラッときた場面を思い出したため、再びナイフを振るい処理対象の左の二の腕の外側を浅く切った。
処理対象はまたしても大きな悲鳴をあげる。
「何で……こんな……事を……」
「何でって。一般人以外の人間から喧嘩を売られたら、プレイヤーなら普通買うでしょ? 相手が店に所属するプレイヤーだったら、トラブル回避のために店主に確認が必要になるけれど……。それ以外で躊躇う必要ある? ないよね? 好きに殺して良いはずだけど、違う? これは常識かなって思ったんだけどな。しかも、さっき店主は煮るなり焼くなり好きにしていいって言ってたし」
「え……」
そろそろ気がついただろうか。ユミの甘さや優しさが限定的なものだったという事に。
そしてユズハは、自身の言動によって、その限定の範囲から外れてしまったという事実に。
「不愉快な事沢山言われたし。だからその分報復して、満足したら処理しようかなって。何か問題ある?」
「……」
さすがに何かがおかしいとは気がついたようだ。
人間が絶望する時とは、この様な顔をするのかと、ユミは初めて知る。
瞳は光を失い、酷く歪んだ表情だ。
本当に殺されると悟ったのかもしれない。
「嫌……。やめて……。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!」
「うるさい。黙って」
ユミは軽くナイフで左脇腹を浅く切り裂いた。
「ああああああああぁぁぁっ!! ヤダっ……、ヤダっ……。こんなの違う……」
泣こうが喚こうが、フクジュは顔色ひとつ変えない。シュンレイに至っては興味が無いのだろう、読書を再開していた。
「ユミさんどうして……貴女はこんな人じゃ……」
「こんな人って……。プレイヤーとして当たり前のことしているだけなんだけれど。なにか間違ってる?」
「……」
「もう、幻想は捨てたら? 私は大事な人以外はどうでもいい。全人類皆仲良くみたいな博愛主義者でもない。ユズハちゃんが勝手に私の大事な人の範囲から抜けていっただけ。今更何?」
「そんな……。そうしたら私は……、本当に殺される……?」
ユズハはガタガタと震え始めた。
特に強い殺気も出していないが、間もなく殺される事を悟ったのかもしれない。
死の実感が湧いた途端に震え出したのだろう。
「どうしたら……、どうしたら許して貰えますか……?」
ユズハの声は震えている。神に縋るかのようだ。本当に希望を失ったのだろう。元一般人だから何だかんだで殺しはしない等という甘い考えは、流石に捨てたようだ。そして、ユミに許されない限り死ぬのだと、そう考えていると思われる。
「許すわけないでしょ。むしろ何でまだ許して貰えるって思うの?」
大切な人でも何でもない人間を許す必要などない。
この子は気がつくのだろうか。ユミが定める『大切な人の範囲』に入らなければ、許される事はない。
つまり、今この場を生き残る事が出来ないと言う現実に。
そしてその範囲に入るためにやるべき事が何なのか。
それが分からなければ死ぬだけだ。
子供だからと許してしまいそうになるのをユミは堪える。
まだ足りないだろう。ユズハはなにかを補填する事で許しを請おうとしている。
その方法では許されない。
必要なのは補填ではいのだから……。