「あれ? ユミちゃん、首の所虫刺され? 赤くなってるよ?」
「え? どこですか?」
アヤメが指をさした位置を触ってみるが、特に突起の様な感触は無い。虫刺されで腫れている訳ではなさそうだ。
それに特に痛みも痒みも無い。正直、自分では見えないのでどうなっているのかよく分からない。
アヤメが心配そうな顔で近づいて来て、首元をじっと見てくれている。
「あ……。これ……」
アヤメはそう呟いて頭を抱えてしまった。一体どうしたのだろうか。
「ユミちゃん。これキスマークだよ……」
「キスマーク?」
「……。こんな純粋な子になんて事を……」
キスマークとは何だろうか。ユミはよく分からなかったのでスマートフォンを取りだし検索をかけてみた。そして検索に出てきた内容を見て固まる。
「えっと……。その……」
「ちょっと! シュンレイ! 何か絆創膏とか隠すのない?」
アヤメは本を読むシュンレイに呼びかける。
「良いじゃないですカ。キスマークくらい。そのままデ」
シュンレイは本から目を離すことも無く、興味が無さそうに返答する。
すると、そんなシュンレイの様子にアヤメは怒ったようだ。
「いいわけないでしょ!!!」
アヤメの大きな声にシュンレイはビクッとする。まさか怒鳴られるとは思っていなかったのだろう。
慌てて栞を挟み、本を閉じた。
「シュンレイ……?」
「フクジュを呼びましょウ」
シュンレイはスマートフォンを取りだし、フクジュを呼んだようだ。何だか大事のようになってしまい申し訳なくなってくる。まもなくするとフクジュがbarへやってきた。
「一応塗り薬を持ってきました。アザを隠せるよう大きめの絆創膏も持ってきました。こちらで大丈夫そうですね。ここだけですか? ユミさん
「全身……? 噛み跡……?」
アヤメが、ゴホンッと咳払いをする。困惑するユミの様子を見たフクジュは固まった。
「失礼致しました。何でもありません。忘れてください」
フクジュはそう言って微笑む。
「あーもう! ザンゾーのバカ! あいつ、可愛いユミちゃんに何て事してくれてんの!!」
アヤメが怒っている。それにしてもいつの間にキスマークなんて付けたのだろうか。記憶にないので恐らくは昨晩の立ち去る前、幻術で眠らされた後だろうなとは思う。とんでもない置き土産をして行ってくれたものだ。
「まぁまぁ、そう言わず……。ザンゾーさんも暫くここを離れるんですから、去り際にイタズラしたくなったのでしょう……」
「あれ、フクジュはザンゾーがここを離れたの知ってたの?」
「はい。昨晩ついに六色家の抗争が開始されたそうで、去り際に子供たちを頼むとザンゾーさんに言われましたので」
「成程ね」
「子供達も今朝から困惑しているようです。自分達は置いていかれたと思っているのでしょう。皆さん少しピリピリした状態ですね」
「そっか……。それはそうだよね……」
子供達は今朝、ザンゾーが独りで抗争に向かった事を知ったのだろう。それは困惑するだろうしショックだろうなと感じる。
「ついに六色家で始まったなら、私のところも抗争かなぁ……」
アヤメは暗い顔で呟いた。
「
「うん。真っ二つだからね。六色家と全く同じだよ。ラックがバックにいる兄側に付くか否か。もう話し合いではどうにもならなさそうだからさ。まぁ、狂操家は直ぐに抗争とはならないと思うけどね……。最終的には兄が率いる派閥は全員殺さないといけないかもしれない……」
アヤメは諦めたように自嘲気味に笑った。アヤメの家もいよいよ抗争が始まるのかもしれない。ここの所ずっとアヤメの家では話し合いをしてきたのをユミは知っている。だが結局のところ話し合いでは解決出来なかったのだろう。六色家で抗争が明確に始まった以上は、狂操家としてどちらの派閥に付くのか、白黒つけなければならないらしい。
「本当に勘弁して欲しいな。どっちに転んでも、私は嫌……。兄を殺したら私は当主にならないといけなくなる。そしたら家に入らないとね……。ここには居られなくなっちゃう……。かと言って兄が実権を握れば目障りな私はすぐ呪い殺される……。本当に最悪だよ……」
「え……」
そんな話は初めて聞いた。どちらにせよアヤメとずっと一緒にいる事が出来なくなるということなのだろうか。
「ユミちゃん、そんな顔しないで。何とかするから。何とかここにずっと居られるように頑張ってみるからさ」
アヤメは笑顔でそう言うが、その笑顔に元気は無い。無理している。空元気だ。本当に分かり易い。
どれだけ絶望的なのだろうか。きっとアヤメは最後まで足掻くだろうが、望みが叶う確率なんて殆ど無いのだろうと思われる。
「もう……。家の奴ら。全員殺しちゃおうかな……」
途端にアヤメから鋭いオーラが放たれた。アヤメの心が酷く荒れているのだろう。
明るくて愛らしくて太陽みたいなこの人を、ここまで苦しめるなんて。ユミは、アヤメの兄のことも狂操家の事もよく知らないが、アヤメを苦しめるものは全て嫌いだなと感じる。消してしまえるのならばこの手で消したいとすら思う。
「アヤメさん。何度も言いますガ、狂操家を潰すのであればいくらでも私はやりまス。私が1つの勢力として名乗りを上げルことに迷い等ありませン」
シュンレイは本を読みながら淡々と言う。
「シュンレイダメだよ。それはダメ……」
アヤメのオーラがその言葉とともにふっと消えた。
「そんな事したら、私の大好きな皆が今までのように楽しく笑って過ごせなくなっちゃう……。だからやめてね……。お願い」
「……」
シュンレイは何も答えない。ユミは、シュンレイが言った事の内容がよく分からない。アヤメがそれを止める意図も分からない。一体どういう事なのだろうか。分からないがとてもじゃないが聞ける雰囲気では無い。
「アヤメさん。皆が今までのように楽しく笑って過ごせる……の、皆というものの中にちゃんとアヤメさん自身は含まれておりますか?」
フクジュは優しい口調でアヤメに問いかける。
「アヤメさんが、楽しく笑って過ごせなければ、誰も納得しないと思いますよ?」
「でも……」
アヤメは泣きそうな顔をしている。
「でも。うん……。我儘でごめん。それでもやっぱり皆を危険な立場にさせたくない。それが私の望みだから。だから、皆は狂操家に手を出さないで。関わって欲しくない。お願いね」
ここまでアヤメに言われてしまっては、恐らく誰も何も言えない。望みだと。お願いだと言われてしまったら、それを蔑ろには出来ない。
「うーーん。ちょっとごめん。独りになりたい。ユミちゃん打ち合わせありがとね。少し散歩してくる」
アヤメはそう言って立ち上がる。そしてニッコリと笑うと皆に手を振ってbarから出て行ってしまった。
ユミは追いかけたい気持ちをグッと堪える。自分が出来る慰めなんてきっと何にもならない。少しの気休めぐらいだろう。自分に出来る事はないのだろうか。ユミは腕の中で大人しくしているカサネの頭を撫でて気持ちを落ち着かせる。
そして、誰も口を開かない静かなbarで、ユミは意を決して口を開いた。