「ん……」
ふわっと何か触れたような気がした。ユミはゆっくりと瞼を少し開ける。まだ周りは暗い。現在何時か分からないが真夜中だと判断できる。回らない脳みそは再び眠りへと誘う。
「すまん。起こしたか」
ザンゾーの声がした。ユミがゆっくりと横を向くと、仕事着のザンゾーがベッドの脇にしゃがんでいた。こんな夜中に一体何をしているのだろうか。ユミは起き上がり、ベッドに座った。
「起こすつもりはなかったんだが……」
そんな事を言われても困る。もう起きてしまった。
ユミはゴシゴシと目を擦る。そしてザンゾーを見た。
何だか様子がおかしい気がする。
「……。死にに行くような顔してる……」
ユミはザンゾーの頬に手を当て顔をよく覗き込んだ。何か隠しているように見える。
ザンゾーは座るのではなくしゃがんでいる。そして仕事着だ。少しユミの所によって直ぐに仕事に行こうとしていたのだろうなと察する。
起こすつもりがないと言うのだから、寝顔をわざわざ見に来たという事になる。いよいよ怪しい。
ユミは両腕をザンゾーの首に回し、そのまま体重を預けるようにして抱きついた。
「ちょ、おま、ユミ?」
ザンゾーは困惑しているようだ。ユミの体重を受け止めたことで、ザンゾーは強制的に尻もちを着くようにベッドの横の床にあぐらをかいて座った。
ユミはザンゾーの胸に顔を埋める。これからザンゾーに問い詰めなければならない事がある。途中で幻術を掛けられて、強制的に眠らされては困る。絶対に目を合わせてはいけない。
「どこ行くつもり?」
「仕事だぁよ」
「……。そんな回答で納得すると思う?」
「参ったな……」
ザンゾーの右腕が背中に回され軽く抱きしめられた。そして優しく背中を撫でられる。
「ちゃんと言うまで離してあげない。ザンゾーは私の事大好きだから絶対この腕を振り解けないでしょ。観念して」
「かははっ! ユミは尋問の天才だなぁ? これは勝てねぇ」
ザンゾーは笑っている。
笑い事ではないのだが。
「親父と姉貴がいる六色家の拠点へ行く」
「何しに?」
「戦争だぁよ」
戦争とは一体どういうことだろうか。
全く想像が出来ない。
「六色家が2つの勢力に分断された。だからこれから殺し合いをする。六色家以外のプレイヤーも巻き込まれるだろうから、裏社会全体が荒れるだろうな」
「もっと詳しく教えて」
「あいよ」
ザンゾーはユミの後頭部の髪の毛を弄っている。考えているのだろうか。
「簡単に言うと、俺の親父である六色家の当主と姉貴が頭になっている勢力と、黄の当主が頭になっている勢力で2分されている。この黄の当主のバックにはラックが絡んでいる。そんな構図だ。俺ぁ親父達の方へ加勢しに行くつもりだぁよ」
「ラック……」
「あぁ。だが恐らく、ラックは六色家の内部抗争には戦力としては出てこないだろう。首を突っ込む気は無さそうだ。黄の当主とラックはどんな関係かは分からねぇが、ラックが黄の当主に戦力を送るなどして協力するつもりもないらしい。あくまで六色家内の抗争とするようだ」
あまりその心理は理解できない。何か加勢しない方がいい都合などあるのだろうか。ただ、敵側でラックが戦力として出てこないのは良かったと感じる。
「他の色の当主とかって、どうなるの?」
「紫の派閥は完全に黄色側、敵だぁね。青と緑は俺ら側だが、基本は逃がした。戦闘にはあまり向いてねぇからな。ちなみに黒も俺以外敵だな」
「え!? 何で!?」
黒はザンゾーの派閥ではないのだろうか。なぜ敵なのか理解できない。
「かははっ! 黒の派閥はな、そもそも幻術が使えねぇ落ちこぼれが集まった有象無象の集団だったんだぁよ。俺の前の黒の当主が酷くてな。六色家って名前を使ってやりたい放題暴れてたから、俺がぶち殺した。そんでそのまま俺が黒の当主に無理矢理なって、有象無象を力で抑えつけて制御した様な形だ。俺ぁ元々黒系統の幻術の研究もしていたから適任だったってのもあるが……。黒の派閥にはそもそもが腐ってる奴しかいねぇからな。金の匂いにつられて黄の当主側に付いたんだろ」
何だかあまり戦況は良くないのではないかと思う。
「勝てるの……?」
「分からねぇな」
「っ……」
負けたらどうなるのだろう。
死んでしまうのだろうか。
だから死にに行くような顔をしていたという事なのだろうか。
もし死にに行くつもりなら、このまま黙って送り出せるわけがない。
「敵さんは、外部のプレイヤーも雇ったらしくてな。総勢約300人だとよ。そんで俺らは、親父と姉貴と俺と、姉貴の直属の精鋭10人と親父の直属の精鋭10人……。計23人だな」
いくらなんでもその人数比はあんまりではないだろうか。
いくらザンゾー達が強くても、この人数差を埋めるのは簡単では無いはずだ。
「敵さんの目的は、親父と姉貴と俺を殺して当主の座を奪うつもりのようだ。そのまま六色家という組織を名乗りたいんだろうな。奪った暁には味方にならなかった青と緑の派閥は酷い目にあうだろう。従わない奴は子供だろうと皆殺しにされる。一方俺らの目的はそうだな、向かってくるやつだけ殺せば良いだろう。敵さんのように、完全に制圧して全て自分の思い通りになるように統一したいなんて考えはねぇからな。反乱分子なんていくらだって残っていていい。その都度殺り合えばいいだけだ。六色家は昔からこんな感じだぁからね。意見が合わなきゃ殺し合いして解決する。それだけだぁよ」
「という事は、向かってくる人がいなくなるまで終わらない……?」
「あぁ。その通りだぁよ」
一体いつまで続くのだろうか。その間は一切ここへ帰って来ないつもりだろうか。
「半年で片付けるからぁよ。待っててくれるか?」
「……」
半年。長いなと感じる。
その間ずっと戦い続けるのだろうか。
相手は300人もいるならば24時間ずっと攻撃してきてもおかしくない。
半年もそんな生活を続けたら、いくら体力があっても持たないだろう。
やはり、本当に死にに行くつもりなのではないかと不安でいっぱいになる。
自分の知らないところで死ぬつもりなのだろうか。
知らないうちに死んでまうなんて嫌だ。
耐えられない。
「私も連れてってよ……」
こんなわがまま言ったところで意味は無い。
どうせ連れて行って貰えない。
分かりきっている。
ただ、困らせるだけなのに。
それでも少しの希望に賭けてユミはお願いする。
ザンゾーはしばらく黙ってユミの後頭部を優しく撫でていたが、意を決したように静かに口を開いた。
「連れてきたいが、ダメだぁよ。ユミなら戦力にもなるから、もし居てくれたらと思わないわけじゃぁない」
やはり置いてかれるようだ。
「危険な所には連れて行けねぇよ」
「……」
そんな危険な所へ自分は行ってしまうのだから、残される側の気持ちにもなって欲しい。
泣きそうだ。
「ユミ。顔を見せてくれ。お願いだ」
これはもう、ここを離れる時間だと言う事だろう。
顔を上げればきっと幻術で眠らされてしまう。
お別れということだ。
ユミはゆっくりと顔を上げた。ザンゾーの赤い瞳に自分の姿が映る。
酷く不安げで怯えたような顔をしていた。
「笑ってくれや」
なんて難しい事を言うんだ。
どうやったら笑えるのか分からない。
笑い方を忘れてしまった気分だ。
ザンゾーの右手がユミの後頭部へ回され引き寄せられる。そしてそのまま唇を重ねた。
タバコの味がする。
前はあんなに嫌だったのに。
慣れてしまったのだろうか。
何だか甘い。
溶けそうだ。
唇が離れると、ザンゾーは愛おしそうな目で見ていた。
本当にお別れのつもりなんだろうと嫌でも悟る。
「ザンゾーの心臓は私のだよ? 私が居ないところでくたばったら絶対許さないから」
「あぁ」
「半年で帰ってこなかったら忘れちゃうからね」
「それは厳しいな……。絶対帰って来るから忘れないでくれ」
「ザンゾー大好き」
「あぁ。大好きだぁよ。ユミ。今だけ蘇芳(スオウ)って呼んでくれるか?」
「え?」
スオウという名前は呼ばれたくないと言っていたはずだ。
どういうことだろうか。分からないがそれが望みなら叶えてあげたいと思う。
「スオウ……」
「あぁ」
「スオウ、大好き」
上手く微笑む事は出来ただろうか。これが今のユミの精一杯だ。
「俺も大好きだ。ユミ。愛してる」
その瞬間ユミの額にザンゾーの指が触れトンと軽く押された。これは幻術だろう。分かっていたところで抗えない、催眠の幻術だ。目が合っているのだから、もう抵抗もできない。
「おやすみだぁよ」
遠のく意識の中でザンゾーのその言葉が静かに聞こえた気がした。